私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

老後の生活は楽しく、それが長生きの秘訣です。

2017年02月28日 | 戦前生まれの老人

 

 安八百梅園の梅

ここ2~3年の会葬に、大きな変化が起きていることにどなたも気がついていられると思います。知り合いが亡くなった情報に接し知ってもお悔やみを申し上げることも、会葬で死者にお別れの気持ちも伝えられなくなって来ました。

原因は、家族の崩壊、親子の断絶、近隣住民との情報希薄化、地域住民組織の弱体化、人口減少による自治会崩壊があります。

これからは村祭りの継続が難しくなるものと思っています。生活基盤の変化により、これもやむを得ないことです。

日本には、インドから仏教が伝わり、浄土信仰が一般的にはなって、死後の魂の安心を阿弥陀仏という新しいブッダへの信仰となりました。

子供の頃からの習慣で、祖先の年回、法要を務める時、南無阿弥陀仏を唱えて来ました。

80歳になって、念佛・南無阿弥陀仏が生活の中に深く入って来ました。

2008年から朝刊連載の五木寛之作「親鸞」を読んでから、親鸞の一生を知るにつけ自分の一生と重ね合わせて、いつも「無」の境地でいられるには、阿弥陀仏が心の中にきらめいているからだと知りました。

60歳から20年間の生活は、夜に眠られない時は南無阿弥陀仏を心の中で念じ、2・3回凝り返すだけで、安らかな睡眠が得られます。翌日は充実して楽しい生活ができました。

このブログは、2013年から4年間続けていますが、少し長文で理解するには難渋するかと思います。多忙な方は左側の最新記事の「見出し」を見てください。

以下には、人の「生と死」についての私の独り言を綴ってみたいと思います。

昨年は、私と同じ戦争を知る人たちの訃報が相次ぎました。哲学者鶴見俊輔、漫画家水木しげる、作家野坂昭如、三笠宮親王、ジャーナリストむのたけじ等を身罷り、益々、戦争の悲惨な記憶を作る機会を無くして行く不安を感じます。

戦争を知らない世代は、先の大戦を耳にするだけでは、体験するのと違って理解することが十分でありません。

70年間戦争のない日本では、安倍総理の国会答弁の一言、例えば「南スーダンの駆けつけ警護」が、戦前生まれは、戦争の反省が足りないと思われる言葉に聞こえて、戦争の心配をしますが、戦後生まれの国民の大多数は強い国の総理の言葉として歓迎しています。

南スーダンの紛争は政府軍主流派に子供女子への虐待行為が見られPKO部隊の平和維持活動支援ではなくなっています。

人類は戦争を繰り返すものかもしれません。しかし、世界的規模でビジネスを展開する企業活動によるグローバル化した時代では、富は世界の人口の1%の62人が人口の半分の31億人の資産を所有しています。

今後、庶民は、戦争に勝っても幸福に暮らして行ける保障はありません。

次に、死刑廃止論です。日弁連は昨年10月に死刑廃止を求める宣言をしました。

日本では冤罪は無くなりません。免罪が認められない死刑は1件であっても取り返しがつかない刑罰です。

日弁連は、よくぞ厳罰を求める犯罪被害者の声や80%を超す世論に対して、全国の弁護士が一つに纏まったものです。敬意を表します。

2015年末の時点で、死刑を廃止又は、停止している国は140か国に上ります。世界の3分の2以上を占めます。日本では80年代に4件の再審無罪がありました。

裁判も人間が行う限り、誤りが起きます。日本では、長期の身柄拘束と自白偏重の取調が顕著です。証拠の全面開示もありません。ここに免罪を生みやすい構造が有ります。

被害者感情も理解します。厳罰化して、犯罪抑止力に期待する声がありますが、人の命を大切にする心が何より大切です。

世界で繰り広げられているテロ・空爆・原爆は無くなりません。しかし、その行為や武器を作った人を恨んでいては、犯罪も戦争も無くなりません。

大切なことは、フランスのシャルリー紙襲撃事件のイスラム過激派とみられるアルジェリア系フランス人の兄弟が、風刺画週刊誌の編集部を襲撃した事件で、抗議のデモをした参加者300万人が「私はシャルリー」というメッセージを掲げて表現の自由を訴えました。

私は、フランス国民がイスラムテロを憎まず、他民族イスラム社会との共生を図ったフランス民衆デモに敬意を表します。

空爆によって子供や女性までも殺していることが続く限り、戦闘やテロは無くならず、世界に平和は来ません。

憲法と平和、人の命の大切さについての思いを書いて来ました。余命は僅かです。今後もブログ投稿にお付き合いよろしくお願いします。

蘇生

 


戦後70年を来年にして、改めて「戦争」を考える

2014年09月06日 | 戦前生まれの老人

 

小豆島寒霞渓より

広島豪雨により、死者は80人を超え、行方不明者の捜索は

まだ続いている。

西日本の8月の雨量は平年の3倍で、日照時間は平年の53%

統計開始以来の記録だと言う。この間に台風11号が来襲しており、

こんな夏休みを経験したことは、戦前生まれの私もない。

変わったのは、気象現象だけではありません。

安倍総理が、閣議で集団的自衛権としての武力行使を容認して以来、

新聞やTVなどジャーナリズムで

急に「戦争」が取り上げられるようになりました。

私も日本に平和が遠のき「戦争」の気配を感じて

このブログで、8月に取り上げました。

NHKBSプレミアムで8月の深夜に「世界大戦と人間」を

11回に亘り放送しましたが、近代戦では1か月で100万人が

戦闘により死亡することが判っているのに、政治家は

いとも簡単に第1次世界戦争を始めたことを知りました。

戦争で負けた日本の政治家は、連合国の軍事法廷で裁かれて

死刑になりましたが、第1次世界大戦ではベルサイユ条約で

戦争犯罪人の引き渡しもなく終わりました。

戦争責任は、戦争を始めた政治家にあります。

その責任を曖昧にしたため、20年後、第2次世界大戦が始まります。

この大戦では、6年間にドイツ軍人だけでも500万人が死亡しました。

わが日本では、太平洋戦争において310万人の戦没者を出しているが、

戦後70年が経ち、戦争を知らない国民が増加したことや、

国民が長い平和に慣れてきたことに乗じて

安倍首相は、平和国家の防衛義務行使を主張して、

外国に対し兵器や、戦艦、飛行機を提供したり

集団的自衛権として、自衛隊員を海外派遣をすると言いだしました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

気が付いたら、今朝の朝ドラの「花子とアン」のように

「日本国は、〇〇国と戦闘状態に入りました」の放送が

現実になる日も近いのかなと、心配になって来ました。

蘇生


昭和10年以降の戦争を始める状況

2014年08月15日 | 戦前生まれの老人

 

写真は本巣市長屋神社馬駆け祭り

戦後69年記念日に戦前を回想してみたい。

8月8日の朝日新聞に作家中島京子さんが、寄稿し

関東大震災と東日本大震災後の国民の生活や政治状況が

非常に類似した進展を見せていることを、心配してます。

戦前生まれの私は、関東大震災後の日本の状況を熟知していませんが、

治安維持法や憲兵、戒厳令、国家総動員法により、国民は

自由に意見を言えなかった事を親から聞いていました。

一方、東日本大震災後には、特定秘密保護法が制定されました。

政府は集団的自衛権としての武力行使は許されるとしています。

現実に海外に自衛隊を派遣することになったとき、

これに反対すると、戦前の治安維持法と同様の秘密保護法により

思想弾圧がなされ、日本は戦前のように歯止めのきかない

海外での武力行使へと、進む時代に入って行くと畏れられています。

首相は外国での講演で「平和的自衛権の行使」としていますが、

国民も、今の日本の状況は平和国家、民主主義国家だから

戦前のような侵略者にはならないはずだど無関心です。

中島京子さんは小説「小さいおうち」に、戦前の昭和10年ころの

東京の郊外での生活状況を書いて、日本が太平洋戦争に

突入してして行った様子を明らかにしています。

戦後も70年経ちますと、平和に慣れています。

戦争は遠い昔の話です。テレビや新聞も悲惨な戦争が

どんなものであったのか、首相の言動に危険を感じて

取り上げていますが、国民がこの危険を理解するのは

戦争が具体的な行動となって来た時です。

その時では遅いのです。

危険が少しでもあると感じたとき、政権を交代させ

なければ、事態はどんどん進んで行きます。

平和憲法第9条を守る活動に参加して行きましょう。

蘇生

 

 

 

 


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。