私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

令和元年の半年間を振り返って、新天皇と3期目の安倍首相を比較してみます。

2019年12月27日 | 令和の時代
明治村帝国ホテル前のイルミネーション
 
 新天皇は5月の即位の礼の後で、「我が国が諸外国と手を携えて世界の平和と繁栄を求めつつ、一層の発展を遂げたい。」と世界の国々との親交を述べられました。
 11月の即位を祝うパレードの前に行われた祝賀式典では「ここに集まられた皆さんからお祝いを頂くことに感謝します。」と集まった3万人に述べられました。
 皇居から赤坂御所までのパレードには、沿道に詰め掛けた11万9千人の祝福には笑顔で手を振って応じていられていました。
 そして「即位から半年、多くの方々から寄せられた気持ちを、嬉しく思いながら過ごしています。」と国民に寄り添う気持ちを表しておられます。
 その後、天皇陛下は大饗の儀、伊勢神宮参拝、孝明天皇陵、大正、昭和天皇陵、宮中三殿の参拝が続く中、台風被害が明らかとなった宮城県丸森町と福島県本宮市を訪問されました。
 陛下は、需要行事が立て込む中、今月まで訪問がかなわなったところ、年内の12月26日に実現しました。
 丸森町では阿武隈川支流の氾濫で家が全壊した被災者に「大変でしたね。ご無事でよかった」と声を掛けられて、労われていられました。
 同町の職員の中一と小6の子が床上浸水した家に取り残された話をすると、陛下は「心のケアは大丈夫ですか」と気遣い、職員が手を差し出すと両手を握り返していました。
 そして本宮市では堤防が決壊した安達太良川を雨の中を左岸と東岸に向かい一度ずつ黙礼されました。
 平成の天皇陛下(現上皇殿下)は、災害のたびに訪れ、傷ついた人々に寄り添い続けられました。そのスタイルは「平成流」とも評されました。
 陛下は即位後朝見の儀で、皇位を受け継ぐに当たり心にとどめることを二つ挙げられました。
 一つは「上皇様のこれまでの歩み」。もう一つは「歴代の天皇のなされよう」です。
 理想としての天皇像を新時代の幕開けとともに象徴天皇としての歩みがいま皇后陛下とともに始まったと考えていられます。
 5月1日には「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法乗っ取り、国民の統合の表徴として責務を果たすことを誓う」と上皇の憲法をっ守る姿勢を引き継がれました。

   新天皇と3選を果たした首相では、憲法に対する忠誠心が
大きく違うように思われます。
 
 憲法を誰よりも厳格に守護する義務を負っている国民の代表者である総理大臣が憲法記念日に公開憲法フォーラムに寄せ改憲論議の加速を促しました。
 令和元年の安倍首相の政権について見るについて、参議院選挙において3分の2に近い議席を獲得したことで、国会は荒涼たる言論風景を呈しており、政府の身勝手や暴走を止められず、立法、行政監督機能を十分に発揮できていません。
 19年に入っても国会審議状況は全く変わらず、国民は台風15号19号の千葉県、長野、東北各県の激甚大被害を受けたにも拘わらず、被害の回復は遅々たる状態で進んでいません。
 自民党主流派が求める改憲案は自衛隊を憲法第9条に明記するというものです。
 平成時代の30年間は、外国との友好な関係を続けて平和な時代を築いてきた日本は、現在はどの国からも信頼されています。
 令和に入り、半年で一気に日本の周りの国際関係に8月23日の私のブログに記載しましたが、東南アジアにも不穏な動きが出て来ました。

 只今、このブログ作成中に何者かに投稿がブロックされているとの警告が入りました。
 まだ描きたいことが沢山ありますが、暫らく休止します。
 日本には言論の自由が無くなったのでしょうか。
 それこそ平和憲法もなくなり、戦争が近くなりました。
 怖いことが起こらないことを願ってしばらく投稿はさようなら
……………

この投稿を中断してから一週間が経過しました。
新年を迎えブログが無事であったようです。
 
令和2年 あけましておめでとうございます。

安倍首相は、2020年も、悲願とする改憲実現 
に向けて衆参憲法審査会での論議を呼び掛けています。

首相は「決してたやすい道ではないが、必ずや私の手で成し遂げて行きたい」と改憲への意欲を隠していません。
1月召集の通常国会において首相や自民党は、国民投票法改正案の成立を目指します。
臨時国会閉幕時の記者会見では「国民の信を問うべき時が来たと考えれば、断行することに躊躇はない」と野党をけん制しています。
野党の立憲民主党と国民民主党による合流合意の成立が整わないうち、与党は衆院解散に打って出る可能性があります。
現在総裁三期目の首相は、与党内に解散権行使には選挙で「改憲勢力」が3分の2を割ることもあるとして批判が強く、四選を「考えていない」と述べています。

しかし、首相官邸に権力を集める権力中枢の増長は、想定を超えています。
内閣人事局の人事権を掌握された高級官僚には政権幹部への忖度を恥じない気風を生んでしまいました。
権限と権力を集めた政府は、カジノ解禁法に限らず、特定秘密保護法や安全保障関連法案、共謀罪法など国会に反対のある法案を強行採決しました。
安倍政権の任期が迫る中、有力な後継首班も見えません。
更に深刻な状況は、政権中枢の驕慢さが官邸と国会の力関係を変えています。
民主主義の根幹は、行政監視や国政調査権が確立していることです。
政府は、国会を開こうとせず、予算委員会の開催にも応じないことがあります。
文書の提出を拒み、野党の質問に応じなくて国会の機能は果たせません。
野党に離合集散が続く限り、議会民主制を蝕む権力の集中を正すことは難しい。
長期安倍政権による多額の赤字借財は、日銀の大規模緩和政策によっても、財政破たんが待っています。
高齢化・少子化が進行し、年金制度改革も限界に来ています。
安倍政権も先が見えて来ました。

天皇陛下は即位後初めて迎える新年に当たって「国内外の多くの方々とお会いし、折々に温かい祝福を頂き機会も多かったこの一年は、私にとっても皇后にとっても誠に感慨深いものでした」と昨年を振り返っておられました。
更に「新しい年が、日本と世界の人々にとって幸な年となることを心より願いつつ、務めを果たしていきたいと考えています」と述べられました。
天皇家に心配を掛けない政治を望みます。
蘇生








日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。