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馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(17)エピローグ終章。

2021-07-14 06:27:30 | 日記
今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(16)エピローグⅦみんな逝ってしまった。

続きです。
16回に渡ってグダグダと書き連ねてまいりました。
お付き合いしてリアクションボタンで応援していた方々に
感謝申し上げます。


私の一周忌法要参列を拒んだ同期
緊急病室に無遠慮に押し掛けた先輩
私とわだかまり状態で歳月は過ぎた。
両人とも人間的には裏表のない
明るい性格です。
結構涙脆いのですが、相手に対するものではなく
自分自身への陶酔での涙。
面前にいる人の悲しみ苦悩に共感しての涙はではない。
サイコパス的な言動行動を感じるのです。
当人達は懸命に周囲をフォローしている気持ちなのですが
人望として見えてこない。
周囲には口うるさいので一定の距離を置く。
それが耐え難く爆発。
安易に口走った言葉が相手を傷付けたとは感じていない。
一度でも口にした言葉は取り消せない。
発言する前にちゃんと考えろと思うのですが。
コロナ禍での政治家の不用意な言動が問題になりますが
あれは、自己顕示、周囲を見下げることににより
権威付けをしているのでしょう。
表面の皮を一枚剥いでみれば
その下には薄っぺらな内面が現れる。
三途の川を渡った先輩
すでに渡った後輩達は下界での出来事を知りたくて歓迎するでしょう。
私は暫くして向こう岸に向かいます。
何しに来た?と追い返しすか?
三途の川でゆらゆら漂うか?
75年以上の歴史を持つ山岳部も部員が集まらず
15年以上前に廃部となった。
過去の残滓
歴史は消滅する。
誰も知らない。


全ては恩讐の彼方へ。
拙文
終章です。



下記参考ブログ
通夜の席。




バックアップ 恩義!恩讐を越えて!






再掲
2019年6月3日


山里亮太と蒼井優の結婚記者会見。





みんなビックリ仰天!


交際して二カ月。





私も出会って二カ月で結婚しました。


しかし、事前に経歴は知っていました。





互いに氏素性は、ある程度納得した上での出会い。


針に糸が就いていくように


40年以上の歳月が過ぎた。





出会いは、森羅万象


解は無限。








     待つということ            小桧山 博  





待つのにもいろいろあって、恋人と会う日が来るのを待つとか旅行に出発する日が待ち遠しいなど比較的に楽しいこともあるが、いろいろつらい待ち方もある。いずれにしても待っている時間は心の中を期待と不安が錯綜し、複雑に揺れつづけるものだ。僕もこれまで、ずっと待っていた気がするほど待つことに埋め尽くされた70年間に思えるが、結局人生とはそんなものだろう。待つことによって人間は鍛えられ成長するというし、たぶんそうに違いないが、ぼくは愚かな人間だから、待ってひねくれてしまったかもしれないと心配だ。





ぼくは27歳のころ東京に住んでいた。ある日、若い女性と新宿・歌舞伎町にある「田園」という喫茶店で待ち合わせた。ぼくのほうから誘った。5日前にふとしたことで知り合ったばかりで、まだ彼女の名前も年齢も住所も電話番号も知らなかった。





どこかに勤めているのかもわからなかった。約束の日、ぼくは彼女と会うため会社から前借りをして床屋へ行き、髪をリーゼントにした。次に質屋に入れていた一張羅の背広を出してきた。もちろん彼女とのコーヒー代や食事代のぶんも前借りしておいたから、次の月の給料はもらいぶんがないはずで、来月もまたすぐ前借りしなければならなかった。しかし女と会うのだ、前借りぐらい何回でもするつもりだった。





その日ぼくは5時半に、喜び勇んで喫茶店へ行った。胸が踊った。だが6時の約束が7時になっても8時になっても女性は来ない。ぼくは苛々しながら待ち続けた。自分の眼が血走るのがわかった。連絡しようにも彼女の住んでいるところも電話のわからない。今日会えないと、もう二度と会うことはできないはずだった。





9時になったとき、ぼくは怒りのあまり唸りながら喫茶店を飛び出した。彼女は初めからぼくと会う気などなかったのだ。からかわれたのだと思った。自分の馬鹿さかげんに腹が立ち、ぼくは近くの焼き鳥やへ入って冷酒をあおった。そのとき突然、もしかすると、ぼくが彼女に指定した喫茶店は「田園」ではなく「上高地」ではなかったかと気づいた。息が詰まった。





ぼくは焼き鳥やを飛び出すと、「田園」から二百メートルほど離れたところにある「上高地」へ走った。腕時計が10時を回っている。息を切らせて「上高地」へ走りこむと、彼女はいた。4時間半待っていたのだ。





                 その眼が濡れていた





        





                 ぼくを見ると大急ぎで涙をぬぐった。





その彼女がいまのぼくの妻だ。結婚して45年たち、たまにぼくが、「もしあのとき俺たちが携帯電話でも持ってて連絡を取り合い、5分遅れぐらいで会ったとしたら、俺たちはどうなってただろうと思うことがあるんだ。もしかすると、4時間半待つことがなかったら、俺たち結婚してなかったかもしれないな」と言うと。妻も「たぶんね」と笑う。


作者は私より年齢が上だが、当時大学山岳部に所属。


新宿駅から夜行列車で北アルプスに向かう時、夕食を新宿駅近くの洋食屋で


とんかつを食べた。調理長が登山好きで故郷が信州であった。


毎回 特別サービスで、かつを大盛りにしてくれた。


食後、出発までの時間、喫茶 田園 か上高地で時間を 過ごした。


あの頃、恋に焦がす青年がいたのだ。


今は 亡き同期に想い馳せるのだ。


https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/de6e29b880f996a7af682e64936cc6a0



名言





男は目で恋をし、女は耳で恋に落ちる。



ワイアット

アニー・ロリー ・故郷の空 ・ロンドンデリーの歌 / 佐藤しのぶ

今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(16)エピローグⅦみんな逝ってしまった。

2021-07-13 07:26:09 | 日記
7月12日(月)桜上水事務所で仕事中
妻から16時10分
ラインメールに 2箇所骨折 松葉杖
タクシーで帰る!
(+_+)なんだ⁉
直ぐに電車に乗る。
車内で骨折状態をメールで相互送信。
先ずは動けないので、」夕食の手配をしなければならない。
息子にウーバーイーツでの手配を依頼したが
配達員が出払ってどこの店も対応できない。
遠い店は50分程かかる。
それでは、住まいマンション隣のショッピングセンター内
サイゼリヤでテイクアウトする。
テイクアウト用紙に注文レシピと氏名 携帯電話番号を記入。
20分程で出来上がるので電話を貰うことにした。
マンションエントランスから、ショッピングセンターへは
専用通路があり雨降りでも傘要らず。
徒歩3分です。
妻 娘、私 3人では多すぎた?


食べきれない
うわあ~!


詳細は後日ブログで
さて 本題の続きです
今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(15)エピローグⅥ 後輩からの誘い。



山岳部先輩の膠原病は現在まで不治の病と認定され
医療費全額補償負担であると聞いた。
それでも、発症した人にとっては回復の希望はなく
病床で苦悩 苦しみは如何ばかりかと?
知らぬこととは故、先輩の3年間続けて送られてきた
年賀状は和解へのシグナルだったのだ。

膠原病発症してからは、歩行困難となり世田谷の高級住宅を売り
高級タワーマンションの上階から富士山を眺める日々であった。
社会人となってからも登山への情熱は衰えず
ハンディーとなり出世も遅れた。
夫人との仲も修復したが!
心は満たされなかったのだろうか。
以下の記載は肩寄りもあるが。
有名人の男女関係は
美しく計算高い女は、男の金と社会的地位を吟味する。
しかし一緒になると
男は真の愛を求めて
違う場所で愛情を満たそうとする。
その葛藤が不倫であり離婚だ。
金があっても幸福感は満たされない。
貧しき夫婦でも幸福に満たされる。
恋のメロディー。サルビアの花……早川義夫を聴く


今年 2021年6月29日(火)16時50分
スマホが鳴る。
信頼する先輩からの電話だ。
近況報告だ。
先輩は 最近物忘れが多く 通院して
薬を服用している。
突然 
「言いにくいが ○○は去年10月に死んだよ」
電話の先輩は私が1年生の時4年生であった。
4年生は5人いた。
その中の一人が喧嘩した相手だ。
コロナ禍での葬儀だったので、知らせを極めて限定
寂しい葬儀だった言う。
その夜、夕食中 妻に先輩が亡くなったことを知らせた。
妻は一瞬目が開いた。
下を向いて表情には見えない。
無言。
顔を上げるとその目は暗い水たまりのようだ。


何時の事だったか忘れたが
二人での夕食中に突然妻は言った。
「○○さん(先輩の事)はSさんと付き合っていたの」
「不倫だったの、だから、私達の教会での式に列席しなかったの」
もしあなたとの結婚前に伝えてたら、私達駄目になるから
ずっと言わないでいた。
教会での立ち合い保証人で先輩は奥さんは参列していない。
私も無言。
人間関係のうしろには、言えぬ苦悩があり
それを解きほぐすには
時間の流れで機会をとらえて告白することだ、
部分 部分がピッタリ整合性にはまる。
肉体の痛みは年月とともに癒えるが
心の吐き出せない苦しみは
年毎に小さくなるが固まって
それは黒点のようになる。

北アルプス穂高 凍死。



泉下の客になられた恩人の方々③


山仲間は、みんな逝ってしまった。
葬儀墓参もない。

昭和42年12月末 立山 雄山山頂

4年生


1年生

  


昭和42年クリスマスイブ 立山から槍ヶ岳縦走に出発。


続く
みちづれ/冬戀-SaxRuby(D key)

今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(15)エピローグⅥ 後輩からの誘い。

2021-07-12 06:41:07 | 日記
7月11日(日)16時50分
ベランダ窓が光ります。
雷光 雷鳴1
雷光雷鳴がショッピングセンター上空を覆います。
横断歩道を誘導する警備員も誘導を撤退。
雷光雷名
今日昼前 むしょうに鰯の刺身、生シラスを食べたくて
漁港の店で獲れたてを買った。
ビールと冷酒で一献。
妻と娘は食べない。
一人で多すぎる。
魚好き息子にメールすると
鰯刺身食べないなんてもったいないの返信。
妻と娘は一滴も酒飲めないので
味会いの舌感覚は違いが生じる?



今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(14)エピローグⅥ 逆らう。

続きです。


逆らった山岳部先輩 OB会とも断絶して20年近い歳月が過ぎた。
年代は憶えていないが、その先輩から
年賀状が届いた。
万年筆での手書き文字であったが、チラ読みして破り
ゴミ箱に投げ捨てた。
3年続いたが返信はしなかった。
返信しないこ
とが拒否という返信なのだ。
2017年1月、前立腺癌発症して辛い日々を過ごしていた。
私あてに後輩の一人からメールが入った。
以下文面


OB会出席を拒む



その後 
柳橋で19年ぶりの再会するのだ。



体育会山岳部 後輩と再会。
2017-01-25 16:59:49 | 日記
後輩達と再会して
OB会に出席しない訳を語った。
喧嘩になった先輩の驚愕の現在を知った。
膠原病に罹患していたのだ。
https://collagen-disease.com/

2019年 春
 信頼する上級生から、電話が入った。
一言伝えておおく


「お前とあいつとは色々あったがあいつは
肺炎を併発して今後治療しても回復の見込みはない」
電話での会話は言葉少なく沈黙した。
その夜 雲の隙間から覗く月を見上げた、
その上級生は 70年以上の歴史ある山岳部では
ロッククライマーとしては抜きん出た一流登山家であり
北アルプス滝谷では50m滑落したが助かった。
ヒマラヤ ヌン峰の登頂では登攀隊長だった。
激しく、情熱的なクライマー精神を
老いても持続していた。
私と先輩との関係
若かりし学生時代の姿が瞬間
頭に映し出される。
物事は込み入っている。
社会や人間関係は複雑で
他人が安易な憶測で論評はできない。
続く。

霧子のタンゴ/懷念的播音員-SaxRuby(C key)




今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(14)エピローグⅥ 逆らう。

2021-07-11 05:44:38 | 日記
ブログの前に
鬱陶しい梅雨空が続きます。
誰もが我慢の日々。
平日はショッピングセンター前道路は空いている。
土曜日になると車列渋滞。
コロナ感染など知るか?
オリンピック開催を必死に遂行する政治家
冷めたサイレントマジョリティー
さあ どうなるのでしょう?
雨降りの道路 2021年7月3日

梅雨の道路 7月8日(木)
梅雨7月10日(土)渋滞
今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(13)エピローグⅣ 断絶。路遥知馬力日久見人心

続きです。
富山に見舞いと称して行った先輩の一人は
24歳で滑落死した同期の高校山岳部での先輩でもあった。
絶対服従の上下関係である体育会山岳部組織で
その上級生に逆らったのだ。
親友の生死に関わる中で無神経な言葉に激しく言い返した。
その上級生は 妻になった女性を紹介してくれたのだ。
私が26歳のサラリーマン時代に上司の不正を糺したら
逆に軽食喫茶で移動させて辞めさせようとした。


新橋に有った軽食喫茶近くに上級生が勤める会社の営業部があった。
上級生はその会社の女性を連れてランチにやって来た。




そうして結婚するのだが、先輩のただならぬ不倫の闇に巻き込まれたのだ。


女房は銀座でランチ!
歳月の時間は10年 20年 河口に向かった。
顔に年齢の容貌が表れ始めた。
起伏に富んだ毎年を辛うじて生きてきた。
20年過ぎてその上級生の状況を知ることなる。
続く

男と女/讓我歡喜讓我憂-SaxRuby(Eb key)


今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(13)エピローグⅣ 断絶。路遥知馬力日久見人心

2021-07-10 06:41:42 | 日記

今日はあいつの命日 ,木下街道(きおろし)を行く(12)エピローグⅢ 和解拒否。


続きです。
7月7日1回目のワクチン接種が1かかりつけ医で2時10分に接種。
待機することもなく出ました。
飲み屋小路を通ると、食道癌で声帯切除後の
呑んでいた居酒屋がオープンしていた。
覗くと店主が挨拶する。
入店した。
あいつが亡くなって11年が過ぎたねと話した。
「そんなに経ちますか」?
居酒屋放浪記にも取り上げられる名店である。
漁港のある飲み屋小路店の魚介類は新鮮 廉価
チューハイレモン2杯と鰯刺身、煮込みを
早々に胃袋に入れお暇した。



奴は毎夕ここで飲んでいたが
歩行困難となって声も出せなくなってから
私の近くの居酒屋になった。


39年前山岳部同期が24歳滑落死に戻ります

その後
会社を思想的問題あり、破壊者であるとの汚名を被せ追放されて
波乱の濁流にもがいていた。




又も山岳部同期の余命旦夕を知る







再掲

11年前の今日,夫人から、余命旦夕迫る知らせ。

2010-08-15 11:45:30

8月15日(日)前日、ロゴプロジェクターボールペンの検品作業に
息子と嫁さんが手伝いに来てくれ大いにはかどった。
残り800本の検品は今日、私と妻で出来るだろう。

11年前1999年平成11年8月15日
私は知り合いと那須塩原に登山と温泉の旅に出かけることになっていた。
午前7時過ぎに家を出ようとしていた。
電話が鳴った。妻が出た。
山岳部同期の奥さんからの電話だった。
「主人の命は10日間程しかありません。言わなくて申し訳ございません。
脳腫瘍です」
私は返す言葉もなかった。
私が電話で奥さんと会話中、私の携帯電話が鳴り妻が取った。
妻は電話口で今、「富山の友人の奥さんと話ししています」。
私の自宅電話番号が判らず年賀状を調べ別の友人から電話番号を
聞き出し電話したのだ。
何の事か分からずその友人が私の携帯に架けてきた。

8時半に上野駅で同行の人と待ち合わせしていた。
私は携帯電話を持っていたが待ち合わせの人は持っていない。
その日塩原の旅館に宿泊するが心は落ち着かない。
その夜台風接近で山は風と豪雨が襲っていた。
翌朝 知り合いが私の気持ちを察して登山を止めて
帰る事にしましょうと言ってくれた。
17日朝、新幹線、北陸本線を乗り継いで午後2時
28年ぶりに富山駅に降り立った。
直ぐにタクシーで県立病院へ
緊急病室に同期はいた。
やせ細った体、オシメをさせられ眠っていた。
大学入学時、体力測定で約千人近い学生で6番目の
体力度が自慢であった男のヤツレタ姿。
ベッドの傍らでじっと見つめた。
奥さんが眠り続ける同期に呼びかける。
「来てくれたのよ!起きて」
体を揺する、目覚めない。
2時間以上傍らでじっとしていた。
嗚咽にはならなかったが涙がこぼれた。
17時頃病室を出ようとした時、同期は突如目を開けた。
私に右手を差し出そうと挙げたが、力なく下りてしまった。
私は右手を握り締めた。
同期は直ぐに目を閉じたが目蓋と唇が痙攣のごとく動いている。
医師が「来たのを認知しています。だがこれが精一杯の表現なのです」

翌日帰京、先輩から電話がかかってきた。
見舞いに行くから病院を教えろ。
私は見舞いに行くのは遠慮して欲しいと」言ったが
聞き入れない。ついに私は怒鳴り返して電話を切った。
同期の奥さんより、山岳部の方々の見舞いは遠慮してほしいと言われていた。
「此処、富山に来られても私以外は山岳部の方々は存じ上げないし
お持て成しも出来ない」。と遠まわしに告げられていた。
古い土地柄の習俗が残る地に岩手から嫁いできた奥さんにとって
出来る範囲が限定されている。
先輩達4人は意地になって「俺達を馬鹿にしている」とイキマイて
病院へ行ったのだ。励ましの言葉をかけてたと言う。
帰りは宇奈月温泉に泊まり宴会をしたのだ。
自分達の自己満足だけ、富山にいる同期の親族の戸惑いなど
無視した行為に涙した。
それから間もなく「兄は亡くなりました」と弟さんから電話があった。

私は富山に向かった。
斎場で奥さんが劫火に入れようとする
同期の棺にすがりつき「いやだ、いやだ、私も入る」
私は引き離す。
その葬儀には先輩達は参列しなかった。

その翌年夏、北アルプス立山連峰を仰ぎ見る富山平野の
海沿い近く田んぼの畦道を通り、小川に木の渡し板を渡った
先に同期の家の田があり、角に苔むした石柱が立っていた。
同期の父は31歳で亡くなっていた。
同期は52歳と刻まれていた。
奥さんと二人 酒好きであった同期のために 富山の地酒 立山を
石柱に注いだ。立山連峰を仰ぎ見た。
山岳部時代、岩登り、冬の雪煙吹雪く立山合宿が走馬灯のように思い出していた。
25歳の時北アルプス前穂高北尾根で滑落死した同期
今又、一人居なくなってしまったのだ。

古い白黒写真を見た。
昭和46年2月 北アルプス合宿、卒業最後の冬山合宿
常念岳、燕岳 蝶が岳を縦走して上高地に下山した。
私は真ん中にいる 冬の雪に映える陽射しを受け
かんじきを履き ザックに腰掛ける3人
今は左右の二人はいない。
夏の暑い日に
おーい! 3人 俺をおいて先に逝ってしまって!


その後
会社を思想的問題あり、破壊者であるとの汚名を被せ追放されて
波乱の濁流にもがいていた。



又も山岳部同期の余命旦夕を知る


危篤状況の中で混乱する奥さんが
全く面識のない4人に対応できないのだ。
先輩の身勝手な
山岳部OB会と断絶した.



長い付き合いでも、危機迫らないと本当の人間性は分からないのだ。




路遥知马力,日久见人心




Memorial Day Bagpipes Tribute: Amazing Grace (Bagpipes)