馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

ネット販売が主になり、カタログ廃棄処分。

2016-05-16 18:11:11 | 日記

5月16日(月)

午後から、ミニ倉庫にあるカタログ廃棄処分。

 

25年前 1万冊製作したカタログ。

100冊程残っていた。

 

当時、台湾筆記具メーカーのバックアップで

ギフトショーに初出展する。

展示会出展費用、カタログ代は台湾メーカーが負担。

日本留学した台湾人若者も派遣してくれた。

海外貿易の始まりだった。

展示会場でカタログを配布したが

殆んど効果はなかったが、社名を覚えてもらった。

その後、幾度かチラシを製作したが反応はなかった。

宣伝、販売もインターネットに徐々に移行しだした。

バブルが弾け、展示会も活気がなかった。

2009年 展示会出展費用を東京都助成金申請した。

申請受理条件にカタログ製作することがあった。

紙媒体はネットカタログが広がり、印刷会社は苦境にあった。

印刷業者をフォローしなければならない公的機関は

ホームページ活用を認めなかった。

3千枚製作したが、展示会場で受け取る来場者は

 

殆んどいなかった。

持ち帰りに邪魔なのだ。

 

結局、倉庫に積まれたまま7年間が過ぎた。

新商品の差し替えも出来ず陳腐化した。

 

弊社商品は アマゾン自社ネットショップ

 

全国津々浦々に販売できる。

遥かに紙カタログより費用対効果は上昇。

弊社のような零細企業であっても

大手が販売出来ない商品を掲載できる。

 

 

 

 


脱出 再掲

2016-05-16 17:19:26 | 日記


2010年10月13日(水)本日昼食はカレー鍋
野菜価格高騰で、しめじ、長ネギ。エリンギ、レタス、キャベツ
人参が高い。4人分¥2.738円
外食よりは安い。
親しい来客で昼飯代¥千円頂く。
ランチミーティングを始めたが、TVでチリ鉱山落盤事故救出中継を
みんなで見たので打ち合わせにならず。
映画のような救出される側と救出する側、全世界に生中継で
見守る人達。
これって、本当の出来事なの?
痛ましい大事故で99%悲惨な結末であるはずが
一転劇的なスリリングな人間愛ドラマになってしまった。
政治、経済、マスコミはこれらの出来事をどのように
料理して商売に結びつけるか一斉に動き出す。
700メートルも地下に69日間閉じ込められた恐怖
極限の精神状態想像できない。
若き山岳部時代、厳冬期北アルプス剣岳から槍ヶ岳縦走をした。
12月23日入山、下山は翌年1月22日
31日間の冬山だったが、下山予定日は1月15日だった。
薬師岳で6日間の雪洞生活、槍ヶ岳直下でも7日間
雪洞に閉じ込められた。
トランシーバーは繋がらず、高さ2メートルに作った
雪洞だったが、少しずつ沈み込み高さが80センチになり
横になっているだけ、脱出をした時、雪上に出るのに
5メートルも掘った。
恐怖と生きて帰れるかの不安、食料は無く
雪を舐めるだけ、11人の隊員は栄養不足で
目が飛び出していた。
午前2時 槍ヶ岳は月明かりで青白く輝き、尖塔は強風で磨かれクリスタルガラスのごとき氷魂と化し、アイゼンは食い込まなかった。
槍の肩から槍沢を雪崩の恐怖におののきながら
駆け下った。ここさえ突破できれば、生きて下山できるのだと
力の限り走った。時間は経過は分からないが恐怖も感じなくなった。
考えること止めたのか、脳が停止命令をくだしたのか
判然としない。
1月22日 上高地に下山
全員力尽きていた。
深深と上高地の白樺に吹き付ける雪中を夢遊のごとく
進んだ。前方から3人の登山者が見えた。
トップを歩く上級生が泣くように叫んだ。
OB達がやって来たのだ。
私は1年生。
先輩が一言
「おい!お母さんが心配している、安心しろ」
私は涙が溢れ凍りつくのも分からなかった。
新宿駅に着くと
学長先生、体育会会長、山岳部長、OB
TV局等が出迎えていた。
現在のような通信手段は無かった。
今から43年前の出来事。
岳人という山岳雑誌に掲載された。

ランチミーティングは、3連キーホルダーを
鉄道会社でキャラクターを付けて販売する企画でした。