4月8日(日)
身体がだるく外出せず。
ブログ更新の気力もなかった。
だが、読者も少しいるので書いた。
5月6日(金)
朝9時半 診療所に向かったが
待合室は老人で溢れていた。
諦めて柳橋事務所に向かう。
午後3時、咳が止まらない。
診療所の受付時間は午後2時から4時半を確認。
直ぐに総武線に乗車して船橋駅から
急ぎ足で診療所に入った。
待合室は空いていた。
老先生に4月24日から痰、咳が止まらないと伝える
その会話の最中もゼイゼイ コンコンの呼吸。
レントゲン撮影をして画像を見たが鮮明ではない。
先生が連携病院へ連絡指示を看護婦にする。
明日、9時50分にCT検査することになった。
診療所にはCT設備はない。
呼吸を楽にする薬を貰った。
錠剤と口から吸入する噴霧液?
その夜、やっと喉の苦しみから解放されて就寝。
老先生が民間総合病院を説明したが
私は既に知っていた。
この病院の院長先生の娘は息子と中高同級生で
仲が良かった。
息子が留学するに際しての健康診断をした。
STAPのO嬢も同じ学校で
女子の偏差値が男子より相対的に高い。
翌朝 9時に自宅を出て街道を歩き
9時半 総合病院に到着。
2009年9月に大腸ポリープで診察した。
当時の建物はなく、大型ビルになった。
放射線室前 廊下で待機。
直ぐに撮影が始まる。
硬い細いベッドに横たわり
目上にアーチ状の輪が見える。
息を止めているとベッドが前後に動く。
何度か繰り返して10分ほどで終了。
受付会計窓口で30分ほど待ち
会計清算をして大型封筒を受け取る。
この中に画像が入っているのだ。
歩いていると診療所から電話が入る。
診療所の看護婦さんからだ。
「CT撮影をしましたか」?
確認電話だ。
自宅に帰る前に、画像フイルム入った大きな紙袋を
診療所に置いて行くことにした。
診療所にフイルムを渡し、近くの製麺所で生蕎麦を買い
自宅に戻った。
昼飯は、製麺所で買った麺でサンラータンメンを作り食べた。
食後、1時半まで午睡。
2時少し前に診療所に入る。
開院時間と同時に老先生の診断を受ける。
ディスプレイに大きなフイルム画像が映し出される。
これが私の内臓の断面図。
先生が説明を始める。
データはCT撮影後、東京のデータ解析センターに送信され
そこで専門医師が解析してフィードバックする。
画像を一枚一枚示し、上から見た断面、下から見た断面と
説明するが、頷くだけで私の脳は理解していない。
結論は内臓器官に異変、異常は見当たらないと言うことだ。
極めて良好。
禁煙は2009年9月15日から(状況によっては喫煙もある)
癌化、肺炎の兆候はない。
画像上は問題無し。
では何が原因か?
介護病院にいる92歳のお袋は気管支喘息。
他に病となる症状はない。
私が中学生の頃から、お袋は夜半に咳き込んで苦しんでいた。
私は幼い頃から足が速かった。
短距離は中一4月の測定で200メートルを29秒で走った。
長距離も強く学年で上位にいた。
しかし、同級生から「お前の息遣い荒い」と言われた。
山登りでも登り初めは息をゼイゼイが他人より酷かった。
だが、それは普通のこと思い気にしなかった。
小学生の頃から鼻が悪く通院して
現在も鼻呼吸が出来ない。
どうも先天的に呼吸器官が弱そうだ。
だから年中、風邪引く。
なので。マスクを手放せない。
完璧な身体を持った人間は稀だ。
誰でも、何らかの弱いところ持っている。
診療所を出る時、会計窓口の老先生の奥さんから
「これで安心して飲めるね」
私は ニヤリと頷いた。
3時前だが、通り沿いにある飲み屋に向かった。
既に行列だったが、直ぐに入れた。
快気祝いのチューハイを飲んだ。
それから3時に
ほろ酔い気分で、陽差し眩しい漁港を抜け
ショッピングセンターの子供広場にやってきた。
孫が生まれてから、幼児広場が懐かしい。
34年前
幼児広場で
無邪気に広場で遊ぶ二人を見詰め
何としても生きていかねばと
心は震えた。
ららぽーと子供広場