馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

昨年の今日 事務所移転

2011-01-23 17:50:17 | 日記

123日(日)昨年の23日は土曜日で事務所を移転した日だ。

中央区日本橋に27年間小さな事務所を借りていたが

不況と所有していた現事務所も賃貸していた会社が撤退

その後、空室状態続き借り手が見つからない。

決断して自ら入居した。

25年前購入した時は価格4千万円程だったが

現在価格は1千万円切るだろう。

昨年の事務所引越しには多くの方々にお世話になった。

金ちゃんや癌で逝ったあいつも手伝ってくれた。

彼の元気だった最後だった。

昼飯は食べずビールと酒飲んでいた。

引越しがひとまず終わり、夕方両国橋渡り皆でちゃんこ料理を食べるべき

店に入るがどの店も予約でダメだった。

両国国技館での大相撲14日目で界隈のちゃんこの店は

全て貸し切りなのだ。知らなかった。

ようやく、両国橋袂にある泥鰌桔梗屋

に入った。

あれから一年が過ぎた。

新しい環境は江戸文化の香があちこちに点在して申し分ない。

しかし会社と私自身の状況は苦闘だった。

3月には不況での受託業務契約解除、4月に九段スズキ本店の騙し、詐欺に会う

6月学生時代からの友人を食道癌で看取る。孤独と苦痛を背負い込んで

耐えている彼を看護するのは嫌だった、見たくなかった。

妻の母親の看護疲れ、そして妻の癌発症、実母の入院

息子の結婚、

朝のTV放映で政治家の変節が取り上げられていた。

保守政党から突然与党での大臣就任

老政治家の苦渋の決断なのだろう。

欲も名誉も富貴もかなぐり捨て、非難も恐れず

国民の将来、国難を憂いての行動なのだろう。

私も変節しなければならないのだろうか?

ここ、柳橋は江戸の時代より華やかな遊興の一等地だった。

それが新しく新橋に移ってしまった。料亭文化は衰退した。

事務所前に竹の子のように伸びてゆくスカイツリー

古くからの住民が住む下町に世界一のタワーが出来て

東京タワーから人気、商売、活気が移っていく

日本橋に居た時も信金の営業マンに聞くと、老舗と言われる

店がどんどん衰退していると言った。

老舗という看板に胡坐を掻いた放蕩息子が何の改革もせず

時代の流れを泡沫として流してまった。

伝統、のれんだけでは支え切れない。

海老蔵君もその類なのだろう、今後は精進願います。

そう言えば、海老蔵事件は報道されなくなった。

闇の世界で解決が図られたのか?

私もかなり前、巨大な権力が水面下で動き

大きな犯罪が闇に葬られたのに直面した。

何も無かった事、存在しなかったことにするので

犯罪が成り立たない。

いつか事実を書きたいが、ウィキリークスの今後見てから発表するか

考えよう。

 

中国にも経済面でも抜かれた。

私の会社も創業当時と変わった。そうしなければ消滅していた。

又一年苦闘の日々が始まるのだ。

                                                 


ハッピーバースディー!

2011-01-23 09:56:39 | 日記

                                                          

122日(土)午後から展示会ディスプレイ用品を整理

21日開催ギフトショーに使用する看板、クロス等を事務所宛出荷

同時にお袋の沢庵を息子と大酒金太郎に宅急便で送る。

金太郎が20日事務所に来てつまみに出した沢庵が「旨い、この味は売っていない」

感心していたので少しだが送ることにした。

 

娘が母親の回復と私の誕生日なのでご馳走してくれることになった。

「お父さんの食べたい店でよい」と言うが

思案の末 ららぽーとで常に行列するチャイナバイキング

上海柿安に入る。

お一人様2.100円 制限時間1時間40

3人一斉に料理の置いてあるカウンターに突進

焼きそば、ゴマ団子、チャーハン、マーボー豆腐、点心、飲み物

他全ての料理を食べようとテーブルに並べた。

妻はやはり少ししか食べられない。

娘と私はその分も取り返すべき猛烈食い。

別会計のビール、紹興酒、焼酎も胃袋に流し込みながら

娘と腹を摩り詰め込む。

娘の装いもお腹が目立たないふんわりしたものを着ている。

制限時間一杯まで頑張る。

でもね、還暦すぎたオジサンと病の妻と娘では

たいした量食べていない。元は取り返せない。

嬉しかったのは娘が両親に食事を誘ってくれたこと。

いつも、小生意気でだけれど!

翌朝 体重計は通常より2キロ増加していた。