1月23日(日)昨年の23日は土曜日で事務所を移転した日だ。
中央区日本橋に27年間小さな事務所を借りていたが
不況と所有していた現事務所も賃貸していた会社が撤退
その後、空室状態続き借り手が見つからない。
決断して自ら入居した。
25年前購入した時は価格4千万円程だったが
現在価格は1千万円切るだろう。
昨年の事務所引越しには多くの方々にお世話になった。
金ちゃんや癌で逝ったあいつも手伝ってくれた。
彼の元気だった最後だった。
昼飯は食べずビールと酒飲んでいた。
引越しがひとまず終わり、夕方両国橋渡り皆でちゃんこ料理を食べるべき
店に入るがどの店も予約でダメだった。
両国国技館での大相撲14日目で界隈のちゃんこの店は
全て貸し切りなのだ。知らなかった。
ようやく、両国橋袂にある泥鰌桔梗屋
に入った。
あれから一年が過ぎた。
新しい環境は江戸文化の香があちこちに点在して申し分ない。
しかし会社と私自身の状況は苦闘だった。
3月には不況での受託業務契約解除、4月に九段スズキ本店の騙し、詐欺に会う
6月学生時代からの友人を食道癌で看取る。孤独と苦痛を背負い込んで
耐えている彼を看護するのは嫌だった、見たくなかった。
妻の母親の看護疲れ、そして妻の癌発症、実母の入院
息子の結婚、
朝のTV放映で政治家の変節が取り上げられていた。
保守政党から突然与党での大臣就任
老政治家の苦渋の決断なのだろう。
欲も名誉も富貴もかなぐり捨て、非難も恐れず
国民の将来、国難を憂いての行動なのだろう。
私も変節しなければならないのだろうか?
ここ、柳橋は江戸の時代より華やかな遊興の一等地だった。
それが新しく新橋に移ってしまった。料亭文化は衰退した。
事務所前に竹の子のように伸びてゆくスカイツリー
古くからの住民が住む下町に世界一のタワーが出来て
東京タワーから人気、商売、活気が移っていく
日本橋に居た時も信金の営業マンに聞くと、老舗と言われる
店がどんどん衰退していると言った。
老舗という看板に胡坐を掻いた放蕩息子が何の改革もせず
時代の流れを泡沫として流してまった。
伝統、のれんだけでは支え切れない。
海老蔵君もその類なのだろう、今後は精進願います。
そう言えば、海老蔵事件は報道されなくなった。
闇の世界で解決が図られたのか?
私もかなり前、巨大な権力が水面下で動き
大きな犯罪が闇に葬られたのに直面した。
何も無かった事、存在しなかったことにするので
犯罪が成り立たない。
いつか事実を書きたいが、ウィキリークスの今後見てから発表するか
考えよう。
中国にも経済面でも抜かれた。
私の会社も創業当時と変わった。そうしなければ消滅していた。
又一年苦闘の日々が始まるのだ。