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ごっとさんのブログ

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「遺伝か環境か」の議論は本当に不毛なのか

2017-12-29 10:39:04 | その他
あらゆる能力は遺伝的であり、能力の個人差は遺伝の影響を30~60%受けているという主張の行動遺伝学者のコラムを読みました。

筆者によれば個人差の多くが遺伝的であるということは科学的に証明されているとのことです。私はこの意見にはやや同意できないところもあるのですが、面白い見方ではありますので紹介してみます。

個人差は遺伝の影響が大きいという科学的知見があっても、これと反対の「学力は育て方と努力次第」という主張の方が圧倒的に多く、そのほうが希望を与えるので反論も多く出ています。

まず「私の親は学歴が低いのに私は一流大学には入れた(またはその逆)」、だから遺伝は関係ないという反論を「トンビが鷹」説としています。次が「何かの環境の変化がきっかけで(または努力)でこんなに変われた」だから遺伝は関係ないというのを「ビリギャル説」としています。

その他遺伝のことは知らないという無知論説や遺伝と環境は分けられないという不可知論説などを反論として出しています。当然「環境が大事だ」という反論もありこれを環境教の信者としています。

「トンビが鷹説」については、簡単なメンデルの法則で説明しています。例としてエンドウ豆の「丸」と「しわ」を上げていますが、これを掛け合わせると子はすべて「丸」となるのが優勢の法則です。ところがこの「丸」どうしの子供は4分の1の確率で「しわ」でてくるのが分離の法則です。

したがって親子や兄弟でも全く違った表現型になることは別に不思議なことでは無いとしています。ここでは遺伝とは形質の相対的な類似性を生む仕組みでもあるが、ゲノム全体で見ればこの世の誰とも全く異なる全く新たな個性的な組み合わせを生む仕組みであるとしています。

次が「ビリギャル説」ですが、行動遺伝学では学習しないでも知っているというような、本能のような意味ではなく、学習して習得される能力の個人差に遺伝的な差があるという意味のようです。

或ることについて学習したことがなく、そのためにできない・知らない人にとっては、きっかけを得れば知識を習得するために費やした努力の効果は絶大となります。つまりどんなに遺伝的に良い資質を持っていても、それを使う環境になければ発揮されることは有りません。こう書くと環境の方が重要な気がしますが、環境が変わっても遺伝的なものがなければうまくはいかないというのがこの「ビリギャル説」に対する反論です。

ここからこのコラムは教育とはという論点で展開していますが、この程度にしておきます。私はすべてが遺伝的に決まるということは賛成できませんが、生まれつきの個人差はあるような気もしています。