奈良の昔はなし~猫又の滝~
奈良県の最も南に位置する十津川村。その折立(おりたち)の地に、猫又の滝があります。滝のあたりに尻尾が二つある猫が住んでいたのが名前の由来と伝えられています。今回はその滝にまつわるお話しです。
折立(おりたち)に昔、佐古の三吉という男がいました。ある夏の暑い日、「猫又へ行ってサンショウウオでも釣ってこう」と出かけたのです。実は、滝には「主」が棲んでいると言われ、あたりは大木が生い茂って昼間でも薄暗く、村人もあまり近寄らないところでした。
滝壺に糸を垂れて半日たったが、サンショウウオはもちろん、魚一匹釣れませんでした。そのうち三吉は小便をしたくなったので、「熱燗でお神酒でも進ぜよう」と、あろうことか、滝壺めがけて威勢よく小便を飛ばしたのです。
ところが、である。突然、晴れていた空はにわかに掻き曇り、雷鳴とともに雨・霰(あられ)・雹(ひょう)が降り、風がゴウゴウと吹き出したのです。
驚いた三吉は釣り道具を放り出し、一目散に村まで逃げ帰ったのです。ところがもう一度びっくりしたのです。
そこでは太陽がさんさんと照り、雨が降った気配もないのです。では、あの猫又でのことは何だったのか。三吉は体が震え、急いで家に帰ると布団にもぐりこんだのです。
その夜中のこと、「こらっ、三吉」と家も揺るがすような大声がして三吉は目を覚ましました。枕辺に大きな坊主が立ち、恐ろしい目つきで三吉を見据えていたのです。
「お前の今日のしたことは知ってしたことか。それなら命をとるぞ。知らずにしたなら目をつぶすぞ」と大声でわめいたのです。三吉は「知らずにしたことです。どうか命ばかりはお助けを」と半身低頭(へいしんていとう)、一心に謝ったのです。
と、しばらくすると、大坊主の姿は消えていたのです。どうやら命だけは助かった、と三吉は胸をなでおろしたのでした。
その後、三吉は猫又へは二度と行こうとはしませんでした。村人がからかって「三吉さん、猫又はどうない」と聞いても、「その話はもうやめてくれ」と拝むように言うのです。村人は「よほどこたえたらしい」と笑い合ったということです。
~昔はなしゆかりの地「猫又の滝」~
この物語に登場する「猫又の滝」ですが、八大龍王姫松明神という神様が鎮座しているのです。
この明神様、今から70年ほど前、開祖さまの夢枕に立たれ、「我が棲む山の木を総本山の普請に使用すべし」と託宣。開祖さまはその夢おn情景を語るに、周囲の人、それは猫又の滝のことと口を揃え、その後山林の持ち主、中上氏の寄進により、総本山の普請が進んだといわれています。
・・・十津川村「玉置神社」・・・
玉置神社は大峰山脈の南端に位置する標高1076mの玉置山の山頂近くに鎮座し、神武天皇ご東征の途上として伝承されています。
創立は紀元前37年第10代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散のため早玉神を奉祀したことに始まると伝えられています。古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現または熊野三山の奥院と称せられ霊場として栄えたのです。
江戸時代には別当寺高牟婁院が置かれていました。その後、慶応4年の神仏分離により神仏混淆を廃し以後玉置三所大神、更に玉置神社となり現在に至っているのです。
境内には樹齢3千年と云われる神代杉を始め天然記念物に指定されている杉の巨樹が叢生し、平成16年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。