奈良の魅力を発信

奈良のグルメ情報や史跡・名勝・万葉集・古事記・日本書紀・昔話のゆかりの土地を紹介します
ので、よろしくです!!

奈良のお祭り(陀々堂(だだどう)の鬼はしり)

2019-12-23 08:14:04 | 地域と文化

奈良五條市のお祭り~陀々堂の鬼はしり~

  五條市念仏寺の陀々堂で、毎年1月14日に行われる1年の厄を払い、無病息災と五穀豊穣を祈願する修正会(しゅしょうえ)の行事です。

陀々堂の鬼はしり

毎年1月14日、大津町の念仏寺陀々堂では500年の伝統をほこる火の祭典「鬼はしり」が行われます。燃え盛るたいまつを振りかざした父鬼、母鬼、子鬼が堂内を豪快に巡り、住民の災厄を払います。鬼が幸いをもたらすのは各地でも珍しいので、厳寒の中、毎年多くの参拝者が訪れています。平成7年には、国の重要無形文化財の指定を受けたのです。

鬼はしりの行者たちは、境内の中央を小たいまつを先頭に入堂してきます。やがて鐘の音を合図に僧達の早口の読経と、カタン、カタンという硬い乾いた棒打(ぼうだ)の響きで、火天(かって)役による「火伏(ひぶせ)の行」が始まります。

燃え盛るたいまつを肩にした火天は、ゆっくりしたすり足で参詣者の前に姿を現し、そして火祭りの安全を願って、中空に向かって水の字を書くようにたいまつを振ります。

たいまつを高く差し上げて暗闇を引き裂かんばかりに振り下ろす火天の姿は、まさに不動明王の化身かと思わさる様で荘厳です。こうした荒行が終わればいよいよ鬼の登場となります。

ヒバをくすべた煙がもうもうと堂内に立ち込め、須弥壇裏の囲炉裏で発火寸前に暖められた大たいまつに、差配(さはい)の「一番たいまつ点火」という緊張した声を合図に行者たちは一斉に活動を始めます。合図を見計らって二番、三番たいまつにも火種が移されます。

一番たいんまつが佐役(すけ)の肩に乗せられ、まずは右手に斧を持った赤鬼と共に正面北の戸口に走り出てきます。そして、狂ったように吠える法螺貝、太鼓棒打と強烈な音響を背景に、今まで暗かった堂内が赤々と照らし出され、これより3体の鬼が次々に登場することになります。

 

          

 

 

 

                  

 

 

 

 

 


奈良の昔はなし(花供懴法会)

2019-12-23 07:25:34 | 地域と文化

奈良の昔はなし~吉野山の花供懴法会(はなくせんほうえ)~

  春四月、日本一の桜の名所、吉野山は、満山、薄紅色の桜で包まれます。花の盛りの4月11日、12日に行われる、荘厳にして華麗な法会が「花供懴法会(はなくせんほうえ)」です。

吉野山のご神木として崇められてきた山桜を、金峯山の本堂(蔵王堂)の本尊、蔵王権現に献じ、今年の桜の開花を報告します。今回は、その儀式の始まりについてのお話しです。

 

昔、桓武(かんむ)天皇が長岡の宮でご病気になられ、吉野山の高僧、高算上人をお召しになったのです。上人は急いで都に上がり、病気平癒のご祈祷をしたのでした。ご病気はたちまちに平癒され、喜んだ天皇は、上人に、「望むことがあれば、何なりと申せ」と仰せられたのです。

上人は感涙(かんるい)にむせびつつ、「衣をまとう僧の身、何の望みもございません。ただ、歴代天皇のご祈祷の寺で、毎年、花の神様を供養するお金がございません。お米の喜捨(きしゃ)をお許し願いとうございます」と言いました。

早速、金峯山寺では全国の末寺に命令を下しました。その勧進(かんじん)の方法は独特で、民家の門々に立って、「吉野山花供懴法」と声高々に呼ぶだけです。これで皆は喜んで米を喜捨してくれたそうです。

~昔はなしのゆかりの儀式「吉野山花供懴法会」~

 寺では、集められたお米で餅を搗(つ)くのです。この搗き方が変わっており、たくさんの杵で餅を搗く「千本づき」といわれるものです。今も、4月10日に行われ、餅は丸めずに、ちぎったままでご本尊に供えられます。桜花の代わりであろうとも言われています。

11日、12日には、呼び物の大名行列が行われます。法螺貝の音を合図に、毛槍(けやり)、挟箱(はさみはこ)、を持った奴、僧侶、稚児、鬼、山伏、信徒など総勢300人が、竹林院から蔵王堂まで、桜の花の下を練り歩きます。法要、採灯(さいとう)大護摩供(おおごまく)のあと、最後に櫓の上から「千本づき」の餅が撒かれます。

大勢の参詣者が歓声とともにどっと櫓の下に集まり、五穀豊穣の象徴である餅を競って受け、1年の無病息災を祈願するのです。この餅が、撒かれるさまは、まさに桜吹雪のようですよ。

吉野山のご神木である満開の桜は、まためでたい春の蘇りの喜びでもあるのです。