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奈良の昔はなし(身代わり地蔵)

2019-12-26 16:32:02 | 地域と文化

奈良の昔はなし~身代わり地蔵~

 奈良盆地の南部、高市郡高取町には、南東にそびえる高取山があります。高取山の標高は584m、その頂上にかつて、難攻不落の山城、高取城がありました。

南北朝時代以来、豪族の越智氏、豊臣秀長の重臣、本多氏、譜代大名の植村氏らの居城として威容を誇っていましたが、今は、壮大な石垣のみが残っています。でも、秋の紅葉は言葉にならないくらい美しいですよ。そんな高取町にまつわるお話しです。

昔、矢田村(現在の高取町谷田(やた))の池の谷に、細長い小さな田が十枚ほどありました。この田は村の常楽寺の所有で、とれた年貢米はお寺のおっぱん(仏様に供える米やお坊さんの飯米のこと)として納められました。

この田の作人は二人いて、上と下、半分ずつに分かれていました。だが、このあたりは水利が悪く、上の田には十分な水があったのですが、下半分はいつも水が不足していたのです。

しかし、下の作人はお地蔵さんを信じる正直な人で、とれたお米が少ない時も、上の作人より多くのおっぱんを寺に納めていたのでした。

ある年、大変な旱(ひでり)が続き、上の田でも水がなく、とても収穫できそうになかったのです。ところが、不思議なことに、朝になると、上の田には水がないのに、下の田には水が一面に満ちていたのです。上の作人は、きっと下の作人が夜中に水を取りに来ているのだと思ったのです。そしてまた、取りに来るに違いないと思い、ある晩、上の作人は弓矢を持って山で待ち構えていたのです。すると、人影が上の田に来るように見えたので、狙いを定めて矢を放ったのです。確かな手ごたえがあり、作人はそのまま家へ帰って行ったのです。

翌朝、田を見に行くと、下の作人は元気に働いているではありませんか。不思議に思い、昨夜のことを話して詫び、下の作人とお寺へお参りに行ったのです。すると、お地蔵さんが横に倒れていて、なんと、肩に矢が二つに折れて突き刺さっていたのです。それから、そのお地蔵さんは「身代わり地蔵」と呼ばれるようになったそうです。

~昔はなしゆかりの地「常楽寺」~

常楽寺は、杉、檜の林の中にひっそりと建っています。ささやかな境内に本堂と庫裏(くり)があります。身代わり地蔵さんは、今も、谷田の村人たちの手でしっかりと守られています。常楽寺の建立などは不詳ですが、明治初年に廃寺となりましたが、明治12年に再興されました。また、年に2回、地蔵祭りが行われています。

          

~昔はなしに登場する「木造地蔵菩薩立像」~

平成25年6月、県教育委員会の調査により平安時代中期の制作と判明、貴重な古像として注目されています。高さが約88㎝、左手に宝珠、右手に蓮茎を持っています(後世の補修)。

唇に今も朱が残っていますが、かつては全身に美しく色彩が施されていたと思われます。寺伝では、満米(まんまい)上人の作とされています。満米は平安時代に大和郡山市の矢田寺を中興した満慶(まんけい)和尚のこととされています。