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眼の病気のお話し(角膜感染症)

2019-12-14 08:07:20 | 健康生活

角膜感染症のお話し

 角膜感染症が起こると様々な症状が出ます。目の痛み、目のゴロゴロ感、白目が赤くなる、涙がポロポロ出る、まぶたのピクつきや腫れなどが生じてきます。角膜が白くにごって視力が低下することも少なからずあります。

角膜ってなに?

角膜は、いわゆる「くろめ」にあたる部分です。主としてコラーゲンから成る厚さ0.5㎜の透明な組織です。カメラで言えばレンズに相当する部分で、外から入ってくる光を屈折させて網膜に像が結ばれるのを助けています。角膜は大きく3つの構造、外側から順に上皮、実質、内皮から出来ています。

角膜の表面にある上皮は涙におおわれて、細胞分裂を繰り返しながら速い周期で入れ替わっており、外界の刺激や病原体の侵入に対する一種のバリアを形成しています。実質組織は角膜の骨組みで、主としてコラーゲンとムコ多糖類より出来ています。角膜の裏側にある内皮は一層の細胞シートで、ポンプ機能により角膜内の水分をいつも適量に調節しており、角膜を透明に保っています。

目・角膜の構造

      

角膜感染症はなぜ起こるの?

角膜感染症とは、細菌やカビ(真菌・しんきん)、ウイルスなどの病原体が角膜に感染し、炎症を起こしている状態です。角膜の表面(上皮)は比較的丈夫な構造をしていますし、さらに涙によって守られています。したがって、ばい菌に触れただけで角膜感染症になることは通常ありませんが、何らかの原因で異物が上皮を越えて角膜実質の中に入り込むと角膜感染症が生じます。

ゴミ、砂、植物の枝葉などによる角膜外傷、コンタクトレンズ装用による角膜表面のキズ、ドライアイ(涙の分泌量の減少)、ステロイド剤の長期点眼などが危険な因子です。流行性角結膜炎、いわるゆ「はやり目」の時に、油断すると細菌性の角膜炎を起こすことがあります。

角膜感染症の治療法

ばい菌の種類により、抗菌剤や抗真菌剤、抗ウイルス剤などを投与します。軽いものであれば点眼により比較的短期間のうちに治りますが、点滴など全身的な治療が必要となることも少なからずありますので注意ください。

目のゴロゴロ感や痛みとともにまぶしさを感じる時、急に視力が低下した時などに、急速に症状が進行することがありますので、すぐに眼下に行ってみてもらうようにしてください。特に目にホコリやゴミなどが入った覚えがある時には注意が必要ですよ。

目にゴミやホコリなどが入った場合は、水で洗い流さずに、人工涙液型点眼剤を使うようにしてください。人工涙型点眼液には「ソフトサンティア」が一般的です。

ソフトサンティアは、涙液に近い性質を持った人工涙液で、涙液不足に伴う目のかわき・異物感などの不快な症状を改善してくれます。また、ソフトサンティアは、コンタクトレンズに対しても何ら影響を及ぼさないことが確かめられていますので、安心して使えます。(すべてのタイプのコンタクトレンズに使用可能です)

 

【第3類医薬品】ソフトサンティア 5mL×4
参天製薬
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奈良の昔はなし(土ぐも退治)

2019-12-14 07:14:20 | 地域と文化

奈良の昔はなし~土ぐも退治~

  大和郡山市に矢田寺で有名な矢田丘陵があります。その丘陵のふもとの矢田町に、小さな祠が残っています。祠の裏手はうっそうとした森で、ここの境内が土ぐも、六部さん、犬のサンの死闘の舞台ともいわれています。少し離れた左手に「主人神社」と彫られた石柱が建っています。

昔、国じゅうを旅している六部(ろくぶ)というお坊さんがいました。ある日、六部さんが犬のサンを連れて外川(とがわ)の村(今の大和郡山市外川町)にやってくると、なぜか、ぬらの中は静まり返っていました。

と、ある農家の庭に大勢の村人が集まり、しくしくと泣いているではありませんか。六部さんが尋ねると、一人のおじいさんが「今日は孫娘を人身御供(ひとみごくう)に差し上げる日で、それがかわいそうで」といった。

実は、外川の西に深い山があり、そこに昔から、山の主の土ぐもが棲んでいたのです。その山の主に毎年若い娘を人身御供に差し出す習わしがあり、それに背(そむ)くと、村に恐ろしい祟りがあると言い伝えられているのでした。

六部さんは、大そう気の毒に思い、「その山の主、私が退治してやろう」といい、犬のサンを連れ、娘の手を引いて山の奥へ入っていったのです。

やがて夕方になり、どこからともなく、一匹の大きな土ぐもがのそりと出てきたのです。毒をもった牙(きば)をガチガチと鳴らし、真っ赤な舌をペロペロと出してこちらに向かってきたのです。

土ぐもは銀色の太い糸を何筋もパッと吐き掛け、ぐるぐると巻こうとしました。「サン、今や、足に咬(か)みつけ」

しばらくは、六部さんと犬のサン、土ぐもの激しい戦いが続き、やがて、サンは土ぐもを咬み殺したのでした。でも、サンも土ぐもの毒で死んでしまったのです。村人たちは、娘の無事を喜び合い、サンを手厚く葬ったのでした。

~昔はなしゆかりの地「主人神社」~

奈良高専から西方の矢田寺へ向かうと、すぐ右手に主人神社があります。小さな神社で、矢田坐久志比古神社の摂社です。ご祭神は、櫛玉饒速命(くしたまにぎはやひのみこと)、御炊屋姫神(みかしぎやひめかみ)となっており、創立や由緒などは不詳です。

矢田の主人(ぬしと)神社では、明治初期まで、少女を境内の仮小屋に住まわせるという、人身御供とも解される習わしがあったそうです。

それを破った年は、矢田一帯が深刻な旱(ひでり)に見舞われたと言われています。神社のある辺りは、昔は大変寂しいところで、ぬすっと(盗人)や追剥(おいはぎ)が頻繁に出没したと言われています。そのため、地元では「主人(ぬすと)神社」ともよばれているらしいです。

現在は、開発も進んで住宅や店も立ち並び、西に矢田丘陵の濃い緑を間近に望む明るい地域となっています。