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冬の乾燥肌・肌荒れのお話し

2019-12-15 08:21:49 | 健康生活

冬の乾燥~「肌荒れ」のお話し~

  冬は空気が乾燥する、肌荒れを起こしやすい季節です。肌(皮膚)というのは、身体を外界から守る「バリア」の役割をしています。体内の水分やタンパク質が出ていくことを防ぎ、外から有害な物質(汚れ・ダニ・細菌など)が体内に侵入することを防いでいます。

荒れた皮膚では体の水分がどんどん外に出てカサカサの肌になり、ウイルスなどの有害な物質の侵入により皮膚が炎症をおこすこともあります。炎症が起きた皮膚はかゆくなり、かくことで皮膚の表面はさらにガサガサになるという悪循環に陥ります。湿疹もひどくなれば、かゆみのために夜ぐっすり眠れないことも多く、とてもつらい状況です。

荒れた皮膚を改善し、それを維持する方法は「スキンケア」です。清潔にして保湿すること、そして炎症があれば炎症を抑えることです。

清潔に、といっても洗浄力の強すぎる洗剤や、高い温度のお湯で洗うと、皮膚に必要な皮脂をとり過ぎてしまいます。適度な洗浄力の石鹸を泡立て使用してぬるいお湯で洗い流し、皮膚が乾燥する前に保湿します。保湿剤にはローションやクリームなど色々な使用感のものgありますので、好みや季節のよって使い分けるのも良いでしょう。

そして炎症があれば、ステロイドの塗り薬など炎症を抑える薬が有効です。下記で紹介しているステロイド剤も、患部でしっかり効果を発揮しながら、皮膚から体内に吸収されると分解されて、低活性物質にかわる性質をもつアンテドラッグのステロイド剤を採用しています。でも、顔面には広範囲で使用しないでくださいね。また、長期の使用や皮膚などに異常が見られた場合、改善が見られない時は、使用を止めて皮膚科などのお医者さんに相談してくださいね。

ところで、使用を急に中止して皮膚炎がぶり返すことのないように、炎症のおさまり具合などを見ながらゆっくり薬を減らすこともポイントですよ。また、一緒に使用方法を考えていくことができる、かかりつけ医や薬剤師さんがいると良いですよね。

そして、肌荒れの中でも特に子どもの肌荒れについて、最近、赤ちゃんの皮膚の状態を良くすることは、他のアレルギー疾患(食物アレルギーなど)を起こしにくくすることがわかってきました。

その理由ですが、湿疹がある赤ちゃんにみられやすい食物アレルギーの発症に「経皮感作(けいひかんさ)」という病態が大きく関わっているのです。口から食べていなくても、例えば大人が卵を触った手で子供の肌を触れると、子どもの皮膚から卵のタンパクは体内に侵入します。湿疹があると、物質が侵入しやすい状態にあります。こうした経緯で皮膚から体内に侵入(皮膚を経て侵入する、経皮という状態です)してきた食物を異物と認識し、体内で抗体を作ってしまい(抗体ができることを感作といいます)、離乳食で口から食べた時にアレルギー反応を起こすという流れです。

2・3歳の食物アレルギーのお子さんは、赤ちゃんだった時に湿疹があった割合が多いことも明らかになっています。ですので、赤ちゃんの肌をスベスベの良い状態に保ち、皮膚からの食物の侵入を防ぐことが食物アレルギーの予防になります。

肌の状態がよくないことについて、他の病気に比るとどうしても後回しに考えがちですが、肌を良い状態に保つことは外見上の問題だけでなく健康であるために大切です。気になることがあれば、医療機関で相談すると良いと思います。

 

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奈良の昔はなし(仁王さんととんど)

2019-12-15 07:29:23 | 地域と文化

奈良の昔はなし~仁王さんと「とんど」~

 「仁王さん」で知られる御所(ごせ)市伏見(ふしみ)の菩提寺ですが、今も山門に、約3mの大きな阿形(あぎょう)、吽形(うんぎょう)の二体の仁王さんがおられます。

仁王さんは、お寺を守る、いわば、ガードマンの役割をしています。お顔は恐ろしい忿怒(ふんぬ)の形相で、手には金剛杵(こんごうしょう)とよばれる武器を持っています。そんな仁王さんにまつわるお話しです。

昔、伏見の仁王さんのところへ、「とんど」という悪い奴が来ては、いたずらをして困らせていました。

ある時、そのとんどがまたやって来たのです。仁王さんは「とてもかなわん」と、逃げ出したのです。でも、とんどは後を追って来たのです。とうとう追い詰められた仁王さんは、とっさのこと、そばにあった一本の木によじ登ったのです。やっと追いついたとんどは、その木のちょうど下にあった井戸の底を覗(のぞ)き込んだのです。水に映っていたのは、仁王さんの姿なのです。それを本物の仁王さんと思ったとんどは、井戸の中に飛び込んだのです。仁王さんは「これ幸い」と、木から降りてその井戸を急いで埋めてしまったのです。

それからというもの、伏見では、井戸を掘るととんどが出てくると、井戸を掘らなくなったのです。小正月に「とんど」をしない習慣が今も続いているそうです。

「とんど」は、その小正月に正月の門松や注連(しめ)飾りを持ち寄って燃やす火祭りの行事です。菩提寺は南北朝時代の戦火で一度焼失してしまいました。仁王さんが火を怖がるのはこのためとも言われています。

~昔はなしゆかりの地「菩提寺」~

奈良県御所市伏見にある菩提寺ですが、寺伝によれば、奈良時代聖武天皇の頃の名僧、大僧正行基菩薩が留止された所に建てられた道場「菩提院」のあとなのです。当時越の大徳といわれた白山の泰澄がこの院で修業され、十一面観音法を修して疱瘡をしずめ、大法師を授けられたのです。また、東大寺大佛のご造願に際しては、八幡大菩薩をこの寺に観請して鎮守とされたのです。

宝亀4年(773年)、光仁天皇の勅により、佛法興隆のために、当郡の田三町を施入されています。

平安時代には弘法大師が参籠祈願され、勅願所として又修験道の道場として、子院三十余箇所坊がならび建っていました。貞和年間(1350年頃)一山兵火にかかり、数院を残し焼失したのです。

江戸時代貞享年間(1685年頃)本堂、仁王門を復興し、元文元年(1736年)には本堂、鐘楼、仁王門と西ノ坊、東南院、千手院、来迎院、東室院、真蔵院の六院が甍をつらねていたのです。その頃十余町の寺田があったと記されています。又、元禄4年(1691年)麻疹(はしか)が流行したとき、西ノ坊朝栄権大僧都は丹誠をこめて祈願し、その霊効あらたかなものがあったとされています。

明治の始め、廃仏のためにおとろえ無住の院が廃されたりして次第に荒廃し、戦後はわずかに本堂と仁王門を残すのみとなったのです。

菩提寺へは、JR関西本線北宇智駅から徒歩59分、もしくは、奈良交通バス「かもきみ温泉」で下車、徒歩20分。