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奈良の昔はなし(空海と蛙)

2019-12-17 07:21:16 | 地域と文化

奈良の昔はなし~空海と蛙~

  今回は、少しお話しが難しくなるかも。でも、最後までお付き合いくださいね。

奈良盆地のほぼ中央に位置する、磯城郡田原本町(しきぐんたわらもとちょう)ですが、古代史ゆかりの地でもあります。今から1300年前、この地出身の太安万侶(おおのやすまろ)が日本最古の歴史書である「古事記」を編纂(へんさん)しました。

そして、少し南にある秦庄(はたのしょう)は、古代の渡来系氏族の秦(はた)氏が多く住んでいたところなのです。

かつて、飛鳥に都があった時代、聖徳太子は斑鳩に斑鳩宮(いかるがのみや)(今の法隆寺)を造り、学問と仏教の研究に没頭したのです。太子が政務のため斑鳩から飛鳥まで黒馬に乗って通ったのが太子道(たいしみち)(別名:筋違道(すじかいみち))。秦庄は、その太子道と、古代の官道である下ツ道の間に位置しています。しかも穀倉地帯(こくそうちたい)でもあったのです。当時は、非常に重要な地域でもあったのです。

秦氏の族長で、聖徳太子の側近でもあった秦勝河(はたかつかわ)が、大化3年(647年)、秦庄に秦楽寺を創建したと伝えられています。その秦楽寺を、平安初期の大同2年(807年)、真言宗の開祖、空海が訪れ、本堂の前に阿字池を造営したとされています。阿字池は梵字(ぼんじ)を象(かたど)った池だそうです。

空海はまた、当時で比較宗教論の「三教指帰(さんごうしいき)」を著(あらわ)したとも伝えられています。しかし、少し疑問が残る部分もあります。

ただ、この時、阿字池にすむ蛙の鳴き声が騒がしく、空海が叱るとピタッと止んだという。(実はこの一説が、この地に伝わる昔はなしなのです。)

~昔はなしゆかりの地「秦楽寺」~

国道24号線を走り、東の三輪山と西の二上山に挟まれたあたり、国道を西に折れ、民家の並ぶ細い道を曲がり曲がると、秦楽寺の中国風の白い門が迎えてくれます。

本堂の前には大きな阿字池があります。正面の小島にこのお話しに出てくる梵字が彫られた石標が建っています。境内のほとんどを占める池の大きさから、かつての寺が、いかに壮大であったかが想像できます。

池の周囲に、花菖蒲の剣のような葉が緑色に伸び、池畔を彩っています。初夏には、白、黄色の花が咲きます。蛙はいるのかなと、副住職に聞いてみると、副住職のお話しでは、蛙は、空海のお叱りも忘れて騒がしく鳴いているとのことでした。

秦楽寺は、大化3年(647年)、秦河勝の建立と伝えられています。本尊の千手観音菩薩立像は百済国から聖徳太子に献じられたもので、河勝が太子より賜ったものとされていますが、現在のものは平安時代の作で、脇侍は秦河勝と聖徳太子であると言われています。