3月11日の宮城県三陸沖を震源とした「東北地方太平洋沖地震」におきまして、
被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、
犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。
また、被災地におきましては、日夜を問わず被災者救助や災害対策に、
全力を尽くしていらっしゃる関係者皆様に敬意と感謝の意を表するとともに、
僕たちエフエムわっかないも、被災された方々の為に何かお役に立てるようにと、
総務省総合通信局、JCBA日本コミュニティ放送協会を通して、
必要であれば緊急放送装置等の機材貸出とスタッフ派遣等、支援体制を整えている所です。
さて、今回の災害で皆さんも様々な事を感じたことと思います。
被災者のことを考えると、一日も早く普段の生活に戻れるようにと願うことは勿論ですが、
僕たちにとって大切なことは、この災害を教訓としてとらえ、
いつ起こるか分からない災害に備えていくことです。
稚内は台風、地震等の自然災害が極めて少ない地域ではありますが、
日本海、宗谷海峡、オホーツク海と3つの海に囲まれた街です。
これまでに大津波が来たという記録は残っていませんが、
今回の地震でも微弱ではありますが津波を観測しましたし、
2007年のサハリン沖地震の際にも、0.3mと微弱な津波を観測しました。
サハリン沖も心配ですが、実は稚内沖にも地震空白域があります。
地震空白域とは、かつて地震活動があったにもかかわらず、長期間に渡って地震の震源がない、
または、これからもしばらくは起こらないであろうと予想される地域のことです。
しかし、2007年には、それまで空白域であると言われていた能登半島北部地域で地震が発生し、
最近になって空白域は大地震の前兆としてみられるようにもなっているのです。
北海道近海の空白域は3つ。
北海道天売島西方沖~稚内市西方沖、北海道積丹半島北西沖、北海道松前半島西方沖です。
つまり稚内沖にも地震空白域はあるのです。
例えば松前半島西方沖では、18世紀に大地震が発生後、約250年大地震が起きていません。
そして、元々、空白域とされていた根室周辺は1973年根室半島沖地震を引き起こしました。
今回の宮城県三陸沖を例にとると、明治29年(1896年)に発生した「明治三陸地震津波」がありますし、
それ以前の、今回の規模に匹敵するものは「貞観の大津波」で、こちらは平安時代に発生しています。
それで今回の大津波も1000年に一度の規模と言われているのです。
1000年に一度の三陸沖、250年間起きていない松前沖、30年前に発生した根室半島沖・・・。
これを聞いて何を思いますか?
よく様々な場面で、50年に一度、100年に一度などと言われますが、
それは100年後かも知れないし、1年後かも知れないのです。
まして、日本は4つのプレートのぶつかる地震大国であり、
基本的にどこであっても大地震(被害地震)の危険性があります。
ゆえに対岸の火事ではなく、教訓として学ぶ必要があるのです。
前述したように稚内にも津波注意報が発表された事が過去にもあります。
実際に発表された時の状況は0.3mから0.5mの津波注意報でした。
当時、それを聞いて海岸に津波を見に行こうとした市民が多数いました。
消防や警察、FMわっぴ~でも、海岸に近付かないように注意を何度も呼びかけましたが、
それでも「稚内の波の高さに比べたら、大したことない」と言いながら、
面白半分で海岸に近付く人が後を絶たなかったのです。
津波=波の高さではありません。
津波は海のうねりそのものです。
また、どんなに必死で走ろうとも人の足の速さで、津波から逃れられるものではありません。
もし、あの時、津波がここまで恐ろしいものだということを知っていたならば、
例え微弱な津波注意報であっても、誰も近づかなかったはずです。
今回の東日本大震災にあっては様々な事を考えさせられました。
皆さんも「防災意識を高める」「何かあった時の集合場所を家族で決める」「防災グッズを備える」
「当たり前のようにライフラインが使える事に感謝する」といった様々な事を感じたことと思います。
勿論、被災地ではこうした思いの比ではないでしょうが、
それでも、僕達はこれから何をすべきか考えていく必要があると思うのです。