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【速報】行方不明だった奈良市の女子中学生 遺体で見つかる 事件性は低いとみられる

2020年12月11日 | つれづれ


【速報】行方不明だった奈良市の女子中学生 遺体で見つかる 事件性は低いとみられる
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e3d9f23db9e699dfe80fbe08c0fe91837ca729c

12月1日から行方不明になっている奈良市の中学生が11日、遺体で見つかりました。
奈良市に住む14歳の女子中学生は、今月1日の午前7時20分ごろに通学のため自宅を出たあと、行方が分からなくなっていました。
警察は9日に公開捜査に踏み切り、広く情報提供を呼びかけて行方を捜していました。
11日午前の捜索で、雑木林の中で倒れている遺体が見つかり、現場の木からコードのようなものが垂れ下がっていたということです。
状況から、事件性は低いとみられ、警察が死亡の原因などについて調べています。
関西テレビ



9日の公開捜査から気になっていた。
自宅の近くだし、私の中学校の後輩でもあるからだ。

「きっと悩みでもあって家出したんだろう」と思っていた。
「そのうちひょっこり帰ってくるよ」と思っていた。

まさか自殺するなんて・・・

亡くなった子の中学校(奈良女子大学附属中学校)は、奈良でも有名な進学校で、
小学校では学校でトップクラスだった子たちが大勢入学してくるのが普通だった。

私は小学校からの持ち上がりで、優秀でも何でもなく、中学校では早々と落ちこぼれてしまっていた。
中学3年の時に「これではイカン」と奮起して授業を受けたが、回りの皆が何をしているかわからない。
隣の同級生に「おい、今、教科書のどこやってるんや?」と聞くと「今は高校1年の勉強してるんやで」と呆れられた。

全国規模の模擬審査でも驚くほど下の下の成績で、これには親も呆れたほどだ。
こうなるとどうして良いのかわからない。勉強するふりをしてラジオの深夜放送ばかり聞いていた。

好きな女の子にもフラれ、身長も伸び悩んでいたし、運動も出来ない。
ただただ「俺は駄目なヤツだ」と絶望感に浸っていた中学生時代だったのだ。

ぼんやりと「死んだらどうなるのかな?」と思ったのもその頃である。
もちろん死ぬほどの勇気(本当の勇気では無いが)も無かったし、
だからと言って現状を打破するような知恵も根性も相談する友達も居なかった。

その頃の事を過去に書いた。
2016年11月11日「加藤諦三の詩」
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20161111/

亡くなった子がどんな悩みだったのか、何に絶望して死を選んだのかはわからない。
でも、どうして選んだのが「死」だったのか。
本当に悲しく、勿体ないことだと思う。

生きていれば、それはそれなりに楽しいことも多いし、
悩みに悩んだ過去でさえ「そんなこともあったよなあ」と笑い話になってしまうものなのだ。

絶望感のまま、(当時は)落ちこぼれ収容所のごとき高校(奈良県立生駒高等学校)に入学し、
そこで初めて自分がバカでも何でもなく、まあまあ普通の存在であることを知って人生が変わった。
そう、私の人生は絶望の淵から、大きく変わっていったのだ。

絶望感ってあると思うよ。
私の人生も何度もあったよ。
誰にも言えず風呂場で自分の肩を抱いてシャワーの下で号泣したこともある。
思い出しても悔しくて、情けなくて、今でも胸がキュウキュウ痛むんだよ。

しかし、どんなに「もう駄目だ!」と思っても、
ほんの数パーセントで良いから「絶望を楽しむ」客観的な自分を持っていて欲しいと思う。
死んだらいけない。ぜったいにいけない。人生居直ってやれ。他人に笑われても知らんぷりだ。
いつか必ず報われる日が来ることを信じて生きていて欲しいと思う。

いいか、自分に言い聞かせろ!

死ぬな。死ぬな。絶対に死ぬな!
コメント (2)
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