田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

筑紫の君 磐井の遺跡

2015年12月06日 | 日々の出来事

 八女市にある岩戸山古墳に行って来ました。私の家からは近いのですが、ここに来るのは初めてです。

 実は先月、岩戸山歴史文化交流館が開館したので、その見学を兼ねての訪問です。岩戸山古墳は筑紫の君 磐井が造営した墳墓です。

 歴史の教科書にも出てきますが、527年、継体天皇の時に「磐井の乱」が勃発します。理由は朝鮮半島を巡って百済を救済したい中央に、新羅と友好関係にある筑紫の君磐井が従わなかったなど、諸説あります。

 この乱については、古事記と日本書紀に出てきますが、当然ながら権力側から見た記述です。この戦いは1年以上続き、日本書紀によれば磐井は御井郡で斬り殺されます。御井郡の名称は明治になるまで残りますが、今の久留米市御井町を含む一帯です。御井町は高良山の麓にあり、今でも岩井川という短い川があります。

 ただ「筑後国風土記」逸文には、磐井は豊前の国まで逃れ、山中に磐井を見失った軍隊は怒りのあまり岩戸山古墳にあった石人、石馬を叩き折ったと書かれています。この古墳は石人や石馬などが出土したことで有名です。少し西には石人山古墳という古墳もあります。

 岩戸山歴史文化交流館です。

 

  館内です。

 

 岩戸山古墳を望む。岩戸山古墳は周濠、周堤を含むと全長170mに及ぶ、北部九州最大の前方後円墳です。手前の建物が歴史文化交流館です。古墳は鬱蒼とした木々に覆われています。

  「筑後国風土記」逸文には、古墳の東北に「別区」があってそこは政所で、裁く人と裁かれる偸人(盗人)、そして盗まれた猪などの石像があると記述されています。別区は祭儀の場所とも考えられています。

 別区にある石人、石馬。但しこれは模造品です。

 

  別区は一辺約43メートルの方形をした平坦地です。別区から円墳部分を望む。 

 

 岩戸山古墳の側にある古代の住居。八女市内で発掘された、弥生時代後期の高床建物と竪穴住居を復元したものだそうです。

 

  岩戸山歴史文化交流館は展示内容も良い施設だと思いますが、観覧者が少ないのが少々勿体ないですね。

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