ながら族ではあるが、音楽が好きで毎日聞いている。音楽会を聴きに行く事はあまりない。高校生から独身時代までは良く出掛けたが、家庭を持ってからは中々行く機会がない。
小学生の時は唱歌や流行歌など、何もわからずによく歌っていた。
水原弘の「黒い花びら」が流行った時は、小学校から毎日歌いながら帰っていた。ある日、いつものように歌いながら自動車修理工場に差し掛かると、工場の人達から、おい黒い花びらが来たぞ、と冷やかされて赤面したことがある。
6年生の時、音楽の試験があった。担任の先生の前で唱歌を数小節歌うのである。人数が多いので、次から次へと交代をしていく。ところが私の番になると、先生は「君は歌わなくていいから、ハーモニカを吹きなさい」と言う。結局、歌わなかったのは私だけであった。この時、私は音痴であることを子供ながらに自覚した。そして音楽に興味をなくした。
音楽好きが復活したのは中学校である。中学校では教科ごとに専任の先生が授業を行う。3年生の時、音楽教室で初めてステレオを聴いた。最初は飛行機の効果音だったが、右から左に抜けてゆく爆音を聞いて吃驚した。
音楽の先生は、音楽理論の初歩を丁寧に教えてくれた。そして生徒にクラッシックを聴かせながら説明をしていく。最後の頃は私でも曲を聴きながら、ここで何から何に変調したということが、薄らぼんやりと分かるような気がした。
夏休みには、二部形式の曲を作ってくるという宿題が出た。作曲などしたことがないので無理だと思ったが、縦笛を吹きながら、ごく短い曲を何とか作り上げた。新学期が始まって、先生は私の名を挙げて「大変美しい曲です。残念ながら二部形式になっていませんでしたが」と講評した。褒められたと思い、素直に嬉しかった。授業が終わると皆から聞かせてくれと、せがまれたものである。
中学校での出会いがなければ、どうなっていただろう。音楽理論はとうの昔に忘れてしまったが、いまは人並みに音楽のある生活を楽しんでいる。ただ、歌うのは今でも苦手である。
絵が嫌いというのは中学校2年生の時変った先生がいて通知表で図画3.…通知表5段階の3です
つまり他の教科がオール5なのに③ト言うのはプライドが
きづつきました。それから絵画のトラウマ…
やはり指導者は難しいですね!
音楽は大好きです
特に社交ダンスで使う音楽は素晴らしい
ドイツの演奏する音楽が好きです
バイオリンは年1回だけ生演奏を聴きに行きます
音痴が治って良かったですね<わらい>
本当は音痴ではなかったのではありませんか…
良い音楽は心に響きます
今は、tangoさんに触発されたわけではありませんが、アルゼンチン・コンチネンタルタンゴを良く聞きます。真珠採りのタンゴを聴くと、高校生の時に初めて聴いた、その時の気分が甦ってきます。