
国鉄キハ07形
キハ07215 米ヨナ 1970.5.30 第一種休車指定 老朽による廃車
撮影場所は、山陰線米子駅西方。
鳥取県・島根県の県境に近い場所で、手狭になっていた米子操車場の拡張予定となっていた。
後方には、日通倉庫群が見える。
国鉄キニ17形
キニ17 1 全室荷物車だったディーゼル。 宇和島駅にて撮影したもの。
電化前の四国は、DC天国。 列車の先頭には必ず、キニ或いはキユニが併結されていた。
周囲のDCは殆どキハ20。 左には、まだ薄緑の帯が残っているキロ28が見える。
国鉄キハ20系 最初期の鉄道写真。 自分のカメラを割賦で手に入れた。
もっぱら子供の写真ばかりを撮っていた頃とは違って、
自分のカメラでは撮る対象に制約が無くなったから、 鉄道写真に凝り始めていた。
それでも、かなりの速度で走り去る列車を撮り慣れるまでには時間がかかった。
硯町の北、国鉄線路を見下ろす神社の境内からの俯瞰。
広々とした畑や田んぼが広がり、その先に明石城坤櫓と天文科学館が見通せた。
列車は、明石駅13時33分発の下り準急みささ・みまさか。
先頭から四両が中国勝山行きのみささ(キハ26+キハ20+キロハ25+キハ26)、
大阪寄りの一両が月田行きのみまさか(キハ20)である。
明石駅同時刻発の上り宮島(当時はまだキハ28・58運用のDC急行)が数分前に走り去っていた。
国鉄キハ26形
米子駅を出る、下り急行ちどり キハ26+キロ28+キハ26+キハ58の4連。
山陰・山陽を短絡する幾つかの線路には、分割・併合がたやすいDC急行が走っていた。
複雑な運転経路を持つDC急行をうまく利用すれば、
学生時代は通用期間7日間3500円の山陰均一周遊券一枚で、 存分に楽しめた。
もちろん、夜行列車や駅舎内での仮眠が必要だったが。
この列車も、夜間に米子を出て翌朝広島に着く便は、
深夜に周遊券の南端、備後落合で広島発米子行きと交換するために、何度も利用した。
国鉄キハ28・58系
901D おき 京都10:40 - 12:00 明石 -12:30姫路12:36 -(赤穂・伯備線経由) - 18:45大社
2811Dみまさか1号 12:33 -(姫新線経由) - 15:08中国勝山
分割・併合が容易だったDCは、様々な非電化区間に活躍した。
複雑な運行体系に合わせて、連結される車両もかなりばらばらだったから きれいな画像にはならなかった。
国鉄キハ28系1
高山本線直行 ※8402D 臨時急行たかやま51号
大阪12:50 - 高山本線経由 - 16:43下呂 キハ28 1001 + キハ55 44 + キロ28 78 + キハ58 680
国鉄キハ28系2
414D 吉備1号 岩国7:00 - 7:48広島7:52 -(呉線経由)- 11:11岡山
キハ28+キハ25+キハ26+キハ26
国鉄キハ28系3
山陰本線 701D急行だいせん1号 大阪9:50 -(福知山線経由)- 16:25米子16:31 - 17:36出雲市17:40 - 19:58益田
(721Ð)出雲市17:44 - 17:56大社
国鉄キハ28系4
上り急行だいせん キハ28形5連 16:29明石駅
キハ28系は、キハ26系の出力を上げて、優等列車運用として登場した。
高架化される前の明石駅 左には、盛り土が出来て高架化工事は始まっていた。
国鉄キハ28系5
上り準急みささ・みまさか 車両編成は固定ではなかったが、
キハ26系が主体だったこの準急にも キハ28系が組み込まれるようになっていった。
この日は、(キハ28x3 + キハ26x2) + (キハ26x2 + キロ26 +キハ26)の長い編成。
複々線工事の始まった明石・西明石の中間地点で撮った初期の写真
国鉄キハ57系
キハ58系の寒冷地仕様車 撮影場所が茅野になっているので、八ヶ岳に登った時のものか。
キハ57 9 + キハ57 8 二両の片方にしかクーラーは搭載されていない。
国鉄キハ58・65系
急行アルプス4号・かわぐち4号
1401Dアルプス4号新宿13:10 - 14:32 大月14:37 -(大糸線経由)- 20:37 糸魚川
2431Dかわぐち4号 (大月まで併結) 大月14:34 - 15:20河口湖
国鉄キハ58系1 予讃本線609D 急行うわじま5号
高松10:39 - 11:29観音寺 - 12:26伊予西条12:28 - 12:55今治 - 16:10宇和島 先頭はキハ58 80
国鉄キハ58系2
伯備線急行 伯耆1号 大阪8:52 - 15:30米子
国鉄キハ58系3 キハ58 675 米ヨナ
急行だいせん1号 大社10:38(724D) - 10:50 出雲市
益田 8:30(704D) - 10:55 出雲市 11:16 -(山陰・福知山線経由)- 19:20 大阪
国鉄キハ58系4 山陽・日豊本線経由西鹿児島行き403D急行青島
広島8:20 - 日豊本線経由 - 21:03西鹿児島
隣に写っているのは、C59 162
国鉄キハ65系
右がキハ65 30 四カマ 急行・土佐 運用 左はキハ20 375 四コチ
四国の玄関口・高松駅は、DC天国だった四国の中でも、最も多くのDCが揃っていた場所。
急行のヘッドマークは丸型のシンプルなものだった。
いよ、うわじま、あしずり、よしの川、土佐…
国鉄キハ80系
常磐線特急はつかり用に1960年に登場した80系。
先頭車はキハ81形で独特のボンネット形式。
当初からエンジントラブルが多発、翌年から始まった82系に 引き継がれた。
一部は、紀勢線天王寺口に配備され、特急くろしお運用に供されたが、長続きはしなかった。
この編成の最後尾は、キハ82が連結されていた。
国鉄キハ82系1
この写真は、三人の「鉄ちゃん」と、大阪・弁天町に出来た交通科学館に出かける前の明石駅で撮ったもの。
上り線にはEF58牽引の急行筑紫・ぶんごが進入して来た。
高架化前の唯一の駅堤画像。
DC特急かもめは、1961年10月のダイヤ改正で登場した。
へいわ、かもめ、みどり、まつかぜが関西口に、 おおぞら、ひばり、つばさ、白鳥が関東口に設定された。
ただ、みどりは当初は運休扱いとなっていた。
国鉄キハ82系2
京都駅の特急白鳥
国鉄キハ82系3
紀勢本線大阪口からの特急くろしお
DC特急としては、先代にキハ80系がいたが、各地でトラブルが続き、置き換えられた。
キハ82-77を先頭に10連で、大阪・和歌山県境近くを走る「くろしお」
国鉄キハ82系4 1970.8 松江駅で撮った画像。
非電化区間だった山陰線のDC特急の先駆者。
最初の山陰旅行だった1967年夏以降、何度も訪れた山陰だが、均一周遊券では利用できなかった。
この夏は、蒸気機関車撮影が主だったけれど、
やはり優等列車にはシャッターが下りていた。 左は、D51牽引の貨物列車。
国鉄キハ82系5
キハ82系運用時代の特急白鳥 大阪駅で撮ったような気がする。
国鉄キハ181系1
会社の同僚、写真仲間たちと真夏の四国、異常渇水で給水制限の四国に出かけた折の、観音寺駅でのスナップ。
電化前の四国はDC天国。 最新鋭の気動車特急が導入されていた。
もちろん、我々は普通列車の旅である。 この後、金比羅山に登っている。
先頭車はキハ181-38、当時はしっかりと走り去る列車の車両番号をメモしていたから、
先頭車両に番号が書かれていると一両分は書かずに済んだので助かった。
国鉄キハ181系2
なぜか、岡山駅で撮った特急しなの。 先頭はキハ181-22 名ナコの所属。
回送サボにすべきだとおもうのだけれど、このまま走っていった。
この当時、ペンタックスSPとマミヤC220、ローライ(Rollei 35T)を持ち歩いていた。
これはマミヤ。 ペンタックスも6X7サイズを発売していたが、手は出せなかった。
国鉄キハ181系3
福知山線経由の「まつかぜ」、播但線経由の「はまかぜ」に次いで、
1971年春改正で伯備線経由「おき」が走り始めた。
上下一往復、新大阪・出雲市間を約6時間で結んだ。
基本は、キサシ、キロを含む10両編成だった。
車両は1968年から製造が始まっていた181系が使用された。
国鉄キハ181系4
キハ181系特急はまかぜ 播但線経由。
画像下のコメントは原文のまま、撮影順にはなっていない。
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ひょんなことから、キハ07215の現役時代のページを見つけた。
木次線を走っていた1966年の画像だ。
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昔、鉄ちゃんがいました 国鉄編 -1 -2 -3 -4
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【その後に纏めた画像】
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