HAYASHI-NO-KO

北岳と甲斐駒ヶ岳

アジサイ(改)

2010-01-31 | 【独り言】

小学校時代からの同窓、田上は、千葉・四街道に住んでいる。
彼の年賀状は、いつも凝っていて【趣味】の欄に、
昨年は「立花隆を読む さだまさしを聴く ヘンデルで寝る」と書きました
今年は「岡部伊都子を読む 中島みゆきを聴く マーラーで寝る」と書くつもりです
と書かれていた。
ふと、口笛でシューベルトの未完成を吹いていた彼を思い出した。



あじさい花の色 ななつおたくさ あじさいばなは おらんださんのおきわすれ……

去年 驚くほどのペースでこの写真集を綴っていた頃、
僕はふるさとから一枚の新聞を貰った。
神戸・六甲山には幾つもの植物園があるけれどその一つ、
高山植物園で今年も『ヒマラヤの青いケシ』が咲いたと言うニュース。
花好きだった僕を覚えてくれている人はそんなに多くない。
不思議な偶然で「ヒメサユリ」が「ササユリ」の高山種だという事を知って、
そのササユリが群生していた裏六甲の幾つかの山径を懐かしく思い出して便りをしたから、
きっと紫陽花の咲いていた径を思い出して送ってくれたのだろう。
六甲山で写された二枚の写真、一枚は「幻の青いけし/メコノプシス」、一枚は「やまあじさい」
紫陽花を長崎との結び付きでしか話したことは無かったけれど、
彼は山との結び付きで思い出してくれたのだ。
がくあじさいとは違った雰囲気。
そう言えば、山にはこんな姿で咲いていたなぁ…なんて思い出した。
そうそう、がくあじさいを「額紫陽花」ではなく「岳紫陽花」なんて書いてたっけ。
山に入ることはとうの昔に諦めたのに、花姿をみると、またまた昔の紫陽花が浮んで、
ついでに長崎を思い出し、ついでに歌まで口ずさむ。

ななつおたくさあじさいばなは おらんださんのおきわすれ…… あじさい花の色



随分昔のことなのに、ふっと息をついた時に思い出してしまって一気に書き綴った
「肥前諫早・春爛漫の花の色」なる小文
その中に記述した諫早・長崎の三日間の記憶が残っているから、殊の外思い入れが強い長崎。

梅雨の季節には、かの地の「紫陽花」に繋がる記憶の数々に包まれる。
長崎・出島でシーボルトが出会った楠本タキ。
彼女を偲んで付けた「ハイドランゲ・オタクサ」の学名は余りにも有名過ぎる。
だから長崎の花。
外来種のあじさいは色とりどりだけれど日本固有のあじさいは、やはり清楚・可憐な色に包まれた姿が良い。
酸漿市って、梅雨が駆抜けた後のお祭りだったっけ。
同じ頃、朝顔市も開かれて、東京はやがて夏を迎える。

この小文は昨年書いたもの。
紫陽花の写真を入れ替えただけである。
このようにして、花の記憶は次々と連鎖を生んで行く。
上に書いた二つの詩は、さだまさしが「グレープ」時代に歌った。

(この二枚の画文は、1998-2000に書いたもの)



須磨離宮公園でアジサイの冬芽を撮っていた。
のんびりとした午後には唐突と鼻歌が出ることが多い。
時には、クラシックの旋律だったりもするのだけれど、
今日はもちろん、さだまさしの「紫陽花の詩」







須磨のアジサイの冬芽・枯れた花画像3枚追加 (2010.01.29)

さだまさしのグレープ時代の「紫陽花の詩」、「ほおずき」の歌詞を書いている。
今朝の新聞には、解散後に作った
「案山子」の話が載っていた。
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