その3 恒例の本日の我がブログ内の人気記事
昨年の3月24日の記事なれど
内容は2013年のものをコピペアップしたもの
彼女は1泊2日
吾輩は2泊3日あるいは3泊4日
ワイフは哲学なって大嫌い
一緒に行くことは無理なので観光は一緒するが!!
二人は日本が生んだ世界的な有名な仏教と哲学を愛する人
彼女が帰れば鈴木大拙館と西田幾多郎哲学記念館を訪れるのが密かな楽しみです。
大拙は1877-1966でなじみが深いが
吾輩が生まれる前に亡くなっていた幾多郎は1870-1945で歴史上の人
でも二人がゆかりの金沢を訪れてじっくり人生を考えられるのは嬉しいこと@@
記念館紹介のネットから借用
鈴木大拙館における展示は、単にものを鑑賞する場とせず、来館者が自由かつ自然な心で
鈴木大拙と出会うことにより、そこから得た感動や心の変化を、自らの思索に
繋げていくことを基本方針としています。
展示空間で配置される書や写真、著作など鈴木大拙を真っ直ぐに伝える芯のある
資料から大拙を「知る」ことに始まり、学習空間で鈴木大拙の心や思想を
「学 ぶ」ことを通し、さらに、思索空間で自ら「考える」ことに至る
3つの行動を、施設計画と一体となって展開する構成としています。
~人間西田幾多郎~
「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、
その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をなしたと云へば、
それで私の伝記は尽きるのである」
これは、西田幾多郎が京都大学を退官するときに述べた言葉です。
かほく、金沢で学び、金沢、京都で教鞭をとり、晩年は鎌倉で思索と執筆に
明け暮れたその一生は、一見分かりやすい人生だといえるかもしれません。
しかし、その75年の生涯をつぶさに見ていくと、苦難と悲哀の重なりが
あり、思索の苦闘があり、様々な人との出会いがありました。
西田の人生は、生きることがそのまま思索でも
あるような歩みでした。
人は人 吾は吾なり とにかくに
吾が行く道を 吾は行くなり
これは昭和9年、西田幾多郎64歳の元旦に詠まれた歌です。
己の道をひたすらに追い求めた強い信念が伝わってきます。
~故郷 かほく、金沢~
西田幾多郎は、明治3年(1870年)、石川県かほく市(旧石川県河北郡宇ノ気村)
に生まれました。西田は当時から勉学に熱心であり、日が暮れるのも気づかずに
土蔵の中で漢書籍を読みふけり、夕食時に探しにきた親によって発見されたと
いったエピソードも残っています。また一方で、友達と野山を駆け巡り、
川で釣りをし、海で泳ぐといったように活発な子供であった
といわれています。
その後、西田は師範学校に進学しましたが、腸チフスを患い中途退学、
第四高等学校(中途退学)、東京帝国大学選科へと進学しました。
社会へ出た後は、地元石川の尋常中学校七尾分校の教師を経て、
母校である第四高等学校の講師となります。第四高等学校では
その勉学に取り組む姿勢から、生徒によってデンケン先生
(デンケンとはドイツ語で「考える」の意味)
と呼ばれていました。
西田は京都帝国大学の助教授になるまで、途中、山口や東京の学校で
教職につく期間があったものの、人生の半分を石川を拠点に過ごしています。
~「西田哲学」発祥の地 京都~
西田が京都で生活をはじめたのは、明治43年、人生の折り返し地点を過ぎた40歳
のときでした。西田は京都帝国大学助教授として京都へ赴任し、以後58歳で退官
するまでの約20年間、人生の壮年期を古都・京都で過ごすことになります。
この時代『善の研究』の出版を皮切りに、次々と論文を発表するなど、
西田の思索の生涯において極めて重要な時代であったと言えます。
京都時代の西田は、学問的に成功を収めつつあり順風満帆に見えますが、
私生活のほうに目を移せば、家族の病臥、死が重なり、苦難に満ちた
ときを過ごしていました。「哲学の動機は人生の悲哀でなければ
ならない」という西田の言葉を借りるならば、この時代こそが、
西田の思索が「西田哲学」として完成する第一歩を踏み出した
時代と言えるかもしれません。
なお、西田が京都帝国大学教授時代に住んでいた家の書斎が
かほく市に移築され、定期公開されています。
~終焉の地 鎌倉~
京都大学を退官した西田幾多郎は、1年のうち夏と冬を鎌倉で、春と秋を
京都で過ごすという暮らしをはじめます。
西田は海を愛していました。それは幼き日々を過ごした白砂青松のかほくの記憶に
起因していたのかもしれません。鎌倉の海に故郷かほくの風景を重ねて
いたのではないでしょうか。
昭和20年6月7日、西田幾多郎75歳のとき、七里ヶ浜近くの自宅で、
その生涯の幕を下ろしました。
西田の遺骨は故郷かほく、壮年期を過ごした京都、終焉の地鎌倉に
それぞれ分骨、埋葬されています。
3回目の休憩
午後11時11分
午前中は初孫ゆいを中心に食事や勉強
Kumonの国語は日本語教える吾輩には小学2年生問題が興味津々でした。
クラシックバレエをするゆいちゃんは身体が柔らかいです。
180度開脚OKです。
早い昼食は冷麦
ゆい大好きです。
クイズを解いたり8月初旬に行く東京のこと学校のことパパママのこと
日本の地図、世界の地図、サイゴン生活にも興味を示します。
もう百人一首は全部覚えています。
双子君KohtaやHiroto弟のことなど一杯お話してくれました。
本日は水泳学校とのことでお誘いしたグランパとダウンタウンに一緒してくれませんでした。
吾輩は彼女と別れて祇園四條の鍵善へ!!
約束に時間に豊田先生も!!
先生は前回より若く元気そうにみえます!!
体調もいいとのことです。
お話よりは先ずはここの名物くずきりを堪能!!
お話が弾み写真撮り忘れ!!!
次々にお客さん!!!
我々が帰る頃には
席待ちの人が
たくさん!!
そして喫茶店でじっくり会話でした。
ホントは鍵善でも写真もピントボケ
先生はご用事でお別れして吾輩は楽しみの散策
花見小路はとっても京都っぽいです。
西欧人やアジア各国の観光客がいっぱい!!
でも一番中国語を耳にしました。
今までたくさんの外国人をお連れした祇園コーナーも健在 日本文化が1時間で楽しめます。
次いで建仁寺
白川の吉井勇の歌碑も
最近はこの白川付近で結婚式や披露宴をする人多しです。
カゲロウが!!
桜の時期もいいが夏もいいです。
そして鴨川の四條大橋を渡り先斗町へ
水無月
四條河原町の永楽屋も有名
ちょっと早めの夕食に王将の餃子
鴨川三条西のスタバも人が一杯
山紫水明
よく外国人が喜ぶ京都の自然
吾輩もサイゴンに行って5年で彼らの喜ぶ気持ちが分かってきました。
三条大橋です。
昔単行本で買った本が文庫化されしかも安いですブックオフ
ベトナム帰りように7冊ゲット
サイゴンの進化も激しいが
いま京都や大阪が大進化!!!
3月の帰国も感じたが今回も東京も含めて日本の底力の強さを感じました。
やっぱ日本って一桁先をいっているって思いました。
しかし歩くことは腰痛にいいです。
まったく発症しません。
そして京都は日本は綺麗です。
歩いても清潔感一杯で心身が活性化されます。
これは我が大好きサイゴンでは無理です。
バイク文化は一番も排気ガス汚れも一番ですから!!!
大満足京都二日目を終えて午後6時過ぎに帰宅しました。
明日はワイフと昔特急雷鳥、今はサンダーバードって名前の特急で石川県の県庁所在地です。
京都と金沢は2時間です。
彼女は1泊2日、吾輩は2泊3日予定です。
我が背骨ちゃんの診断がどうなるか必ず報告します。
2回目の休憩
午後8時40分
今年3月帰国以来2度目の我が家
やっぱ我が家の布団はよく寝られる。
ぐっすりでベトナム時間の午前3時半ゲットアップ
徹夜状態からの帰国で動き回った昨日にもかかわらず
京都の第一夜は睡眠3時間もOKすっきりです。
でも朝の万福寺に行く時間なし、ゆいちゃんはぐっすりであきらめ!!
目覚めればせみ時雨
驚かされる!!
ベランダに出てもどこに触れても安心
とにかく空気はきれいで美味しく、清潔きれい日本です。
霧がかかり我が家から比叡山が見えません。
これは前回のもの!!
こちらは今朝のもの
京阪電車にJRが走ってます。
1回目の休憩
午前7時20分@京都の我が家
ゆいちゃんは起きてきません!!
ワイフが先に朝食しましょうって!!
ゆいを待つべきか迷ってます。
心配したサイゴンから成田の5.5時間のフライト
全く腰痛が発症せずに到着
預け荷物が無いリュック一つだから早いです。
一番に税関を出てすぐにバス停へ
成田から羽田3000円
朝の都心ラッシュで90分もノープロブレム
ホンノ少しスカイツリーが見えました。
そして羽田から伊丹のフライト65分も大丈夫
富士山がとても綺麗でした。
そして午後0時30分伊丹からモノレールで京阪門真へ
そして午後1時15分大阪歯科大学樟葉学舎に到着でした。
アポ無しもラッキーに
田中教授はじめ皆さんとお話!!
興奮していて写真忘れ、みなさんか講義に出かけてから
気づき4回生の呼び出されていた学生一人と証拠写真でした。。。
そして我が腰痛問題が話題で教授がオペ経験のある治療の林教授を紹介してくれる!!
吾輩が大学を辞めてベトナムに来る時に人間到るところ青山ありの
言葉を贈ってくれた同じ戌年先生。来年3月で定年です。
ってことで逆戻りして天満橋の歯科大へ
途中診断科のIckeyちゃん先生とお茶しながらお話
林先生とサイゴンライフと腰痛談義1時間ちょっと!!
そして7時前に我が家に帰宅しました。
その間も全然腰痛なし!!
不思議です。
風呂を浴び初孫ゆいちゃんとお話夕食でした。
ゆいちゃんは本日我が家に泊まるって!!!!!
ワイフ殿は金沢旅行は1泊2日だけいっしょならOKって!!
でも診察にはは付き合わないで金沢をエンジョイしてお別れならOK
現地で別れ吾輩は一人で小松市へ診察のため行く!!
したがって2泊3日予定一人で京都に戻ってきます。
1回目の休憩
ブログ@京都の我が家
午後11時58分
日付変りそうです。
旅の詳細と写真と感想は明日掲載予定
いつもながらの本日の我がブログ内の人気記事に刺激されて
タイトルの話題です。
腰痛モチの方
ご参考に
実は疲れたときに腰痛が出る程度であまり問題していなかったが
知り合いの彼女がカイロプラクティック診断の医院を紹介
受診して女医さんの診断は手術が必要って!!!
結構お金がかかりました。
診断以外に健康器具の購入など40万円ほど!!!
そしてこの医院はまるで新興宗教のような信者患者さんの集団
若干違和感を覚えるも
1-2週間通院
カイロプラクティック療法って荒いです。
背骨の矯正っていうよりも
かえって外傷が怖くなるほど
とにかくは手術ん前に日本の医学的診断をすすめられ
一時日本に帰国することに!!
暇な方は当時の我がブログを訪問すれば新興宗教ぶりがわかるかも!!
でも当時は吾輩も信じました。
MRI診断でもうだめかって!!!
そして帰国後タイトルの先生と遭遇
ベトナム画像ではダメでもう一度
撮り直し!!
そして本日のブログにつながります!!!
2021年3月24日 午後11時56分 アップ
その2 素敵な佐藤先生との出会い
金沢脳神経外科病院予診の段階で若い先生が
本日は院長先生が診断ですって!!
でも待ち時間が長くなりますって!!
私しゃ嬉しくて病院のパソコンから
自分のブログに自分でコメントを書き入れる。
患者さんの姿勢が悪いのが気になる。
そして一度外に出て散策を!!
病院概観
門前薬局 とっても親切な女性薬剤師さんでした。
院内
そして先生の診断です。
問診のあと画像診断!!!!!
とっても分かりやすく時折の質問も優しく教えてくれます。
神経も血管も生活に影響を与えるような圧迫や損傷は無く
変性萎縮や背骨の状態は加齢現象の範囲で
特定できる疾患はなく生活に問題なし
と太鼓判をおしてくれる。
先生は渡辺淳一の札幌医科大学卒の後輩、若いときの彼に似てハンサムです。
そしておだやかなお話し方でした!!!
診断以外についてもイロイロお話が楽しめました。
先生もスタッフの皆さんも機会見つけてサイゴン訪問をお誘いでした。
そして握手してお別れでした。
困れば何でもって
keep in close touchを約束してくれる。
先生はボランティア的に全国に沢山いる椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症、すべり症などの症状
や治療などで悩んでいる方に相談に乗ってあげたいとサイトをオープンされています。
情報が氾濫する中で、何を信じれば良いのか解らない方、誤った情報に動かされ、
無駄な時間とお金を使わないで済むよう、力になりたいとおっしゃってます。
そして吾輩はその言葉に甘え信用して先生に相談、
サイゴンから京都に戻りそして先生の病院を訪問
今回の出会いにつながりました。
先生、スタッフの皆さんどうもありがとうございました。
でも先生と会うまでは不安一杯でした。
ホテルをチェックアウトして
けんちん汁朝食で元気付け
駅前の写真を撮り
10時の電車に乗る。次の電車は11時5分です。
2車輌のみです。
高校女子学生達を真剣な顔で見つめる3歳くらいの可愛いお嬢ちゃんに癒されました。
先生との相談が終わりルンルン気分で帰りは野々市駅へ
病院からほぼ真っ直ぐの一本道、のどかな静かないい町です。
電車の回数は少ないです。 駅員さんは一人のみでした。
北陸新幹線のための高架専用路線がかなり出来上がってます。
病院の看板も!!
6Fのスタバで昼食でした。
食後は寝ころがってピープルウォッチング
学生さんが多いです。
そしてホテルに戻り休憩
このお茶が美味しいです。
ちょっと予定を早めて15:19の電車で京都へ
その3に続く
2回目の休憩
午後9時48分
私の友人の娘さんも大阪歯科大を卒業して口腔外科医になっていますが、あなたの教え子かもしれませんね。