日本人の名前に「藤」の一字が多く使われている。伊藤、加藤、後藤、藤井、藤川、藤田・・・・と使われる一字だ。前に後ろに、後藤田のように中央に、いくらでも出てくる。
これは日本人が藤原鎌足に繋がる藤原家にあやかろうと、藤の一字を付けたためだが、必ずしも藤原家と繋がっている訳ではない。どこぞの寺院か思い出せないが、「藤原家に繋がる姓と繋がらない姓一覧表」を貰ったことが有る。
よくよく歴史を勉強すると判るのだが、大化の改新で名を挙げた藤原家は、平安時代で亡んだのではなく、現代まで藤のツルのように天皇家にまとわりつき、生き延びている。
50年ぶりに歩いて渡った関門トンネル県境(写真クリックで拡大)
このツルのような生き方が日本人的でなく、もともと朝鮮系だと言われる中臣鎌足だが、天智天皇の蹴鞠に乗じて仲を通じ、同じく朝鮮系の蘇我氏を滅亡させて藤原姓を賜り、出世していく。
奈良時代に北家、南家、式家、京家に分かれた藤原四家は、太宰府の菅原道真のように他者を強引なまでに退け、その子孫を含めて平安中期、西暦1000年前後の道長時代に全盛期を迎える。
藤原氏の公家諸家は、平安末期から鎌倉時代以降、公式文書以外では「藤原」を使わず「近衛」「九条」「鷹司」「二条」「一条」など各家の名称を名乗り、維新後もそれを名字とした。戦前の近衛文麿首相のように。
中央がVol.51の面白い話に出てくる電光掲示板(写真クリックで拡大)
しかし逆に鎌倉以降の農民は「藤」の一字を姓に付け、上述のように貴種の憧れから勝手に名乗った結果が、「藤」姓の氾濫である。
90%以上の韓国人が「日本は韓国が作った」と真剣に思っている。昔、韓国訪問時に通訳の若い女性に尋ねたら「そうじゃないんですか?」と逆に質問された。学校で教育されているのだろう。
韓国の日本領地「任那」ではないが、蘇我、藤原まで遡ると、往来が頻繁で国境など無い時代だ。この韓国の一方的なプライド、作ってやった日本を見下す姿勢が、今日の日韓関係に繋がっているような気がしてならない。
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