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Vol.14043 松陰が授けた日大の学祖・山田顕義の魂

2014年03月04日 | 歴史

 今回、上京する際に、飛行機の中で面白い広告を見つけた。JALの機内誌「SKY WARD」の「日本大学」の広だ。

 “自主創造”の原点と題し、吉田松陰が門下生・山田顕義の元服を祝い、「立志尚特異」(人とは異なる高い志を立てよ)と扇面に詩を授けた、と言うもの。 

 日本大学の広告に掲載の山田顕義(写真クリックで拡大)

 詩の大意は「人とは異なる高い志を立てよ。俗流(高禄に執着する者)は共に論ずるに足らない。彼らは自己一身のことをのみ考え、自分の死後も引き継がれるべき仕事は考えず、目先の安楽のみ追い求めている。 

 100年と言う年月も実は悠久の歴史から見れば、ほんの一瞬にすぎない。君子たるもの素餐(功労がないのに高位高官につく)してはならない」という。現在にも通ずる、素晴らしい言葉ではないか。

 さらに日本大学の広告文は続く。「今から約150年前の幕末期、国情騒然とした日本で、吉田松陰の教えは一人の少年の心を大きく揺さぶりました。その少年とは、後に司法大臣を務め、日本大学の前身となる日本法律学校の創立に尽力した山田顕義。

 近代日本の礎を作り上げた強固な志は、ここから芽生えました。日本大学の教学の理念は“自主創造”です。それは松陰の教えに通じ、新しい道を自ら切り拓いていくこと。

 師から弟子へ、そして100万を超える卒業生たちへ。高い志を持つ“自主創造”の精神は、今も脈々と受け継がれています」

 山口県詩人2人をつづる3/2付け産経抄(同上)

 実は私はこのことを初めて知った。山田顕義の名前と松陰の門下生くらいは知っていたが、良くは知らない。そもそも維新成立後のことであり、あまり興味がない。佐賀へ旅行した時も、そうそうたる大臣が名を連ねていたが、これも維新後の官僚である。

 我らの時代、日本大学と言えば、70年安保が日大闘争のきっかけであり、マンモス大学の象徴だった。この大学の卒業生たちが、松陰の魂を受け継いでいるとあれば、皮肉でも何でもなく、日本の将来は安泰である。

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