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世界は核武装国が好き勝手できるようになるのか

2023年11月15日 | 研究活動
ロシア・ウクライナ戦争や中東のガザ地区でのイスラエスとハマスとの「戦争」は、われわれに国際関係における利害対立や武力衝突の危険を再認識させました。こうした混沌とした世界の動きを読み解くためには、国際関係理論がとても役に立ちます。この知的ツールを利用すれば、世界で起こっていることを完全に理解できないまでも、世間の注目を集める国際的な出来事について、その都度、直観的に考えるより、はるかに正確な考察ができるでしょう。人間は「代表性ヒューリスティック」、すなわち、自分が注目した衝撃的なニュースなどを典型的で普遍的な事象の代表と勘違いしがちです。しかしながら、ある特定の出来事は、それを構成する母集団のほんの1つのサンプルに過ぎません、もしかしたら、例外的な事象(外れ値)かもしれません。こうした認知バイアスを避けるには、国家間の関係の一般的パターンを説明する理論を使うことが有効です。

核武装国と強制行動
国際関係にアプローチする際に、なぜ理論的分析が役に立つのか、1つの例を挙げて説明します。我が国では、ロシアがウクライナを侵攻するにあたり、核兵器の威嚇によりNATO(北大西洋条約機構)をけん制したことから、「ロシアを敗北させなければ、核武装国が好き勝手にできてしまう世界になる」という言説が一部でささやかれています。しかしながら、政治学の標準的な研究は、そのような主張を否定しています。トッド・セクサー氏(ヴァージニア大学)とマシュー・ファーマン氏(テキサスA&M大学)は、核武装国が行った強制外交、すなわち核恫喝により相手国の行動を意のままに動かそうとしたことを統計分析と事例研究で詳しく調べた結果、それらの試みは軒並み失敗してきたことを明らかにしています。

ここで注意していただきたいのは、強制外交とは、国家が軍事力の威嚇により、自らの政治的意思を相手国に戦争をせずに受け入れさせることです。これに失敗した場合、強制する側は、武力を引っ込めるか、それとも行使して戦争に訴えるかのどちらかを選択するよう迫られます。ロシアのプーチン大統領は、アメリカのバイデン大統領にウクライナがNATOに加盟させないことを約束するよう迫りましたが断られました。そこでクレムリンは、ウクライナ国境付近に大量のロシア軍を展開して、再度、NATOに同じ要求を書面で誓約するよう要求しました。しかしながら、NATO事務総長のイェンス・ストルテンベルグ氏は、これを拒否しました。これによりプーチンらの指導者は、振り上げた拳を下すか振るうかの選択に直面して、後者、つまりウクライナ侵攻に至ったということです。要するに、ロシアは強制外交に失敗したから、戦争を決断したのです。

核恫喝を盾にした侵略
ロシアは核兵器でウクライナやその支援国を威嚇することにより、同国に供与される兵器の種類や量を制約させたり、NATO加盟国による直接の軍事介入を阻止したりしているようにみえます。これは核兵器による強制ではなく、抑止になります。抑止とは、相手国に望ましくない敵対的な行動を思いとどまらせることです。これは国家が相手国に既にとった特定の行動を自らの要求に従って変更させる強制とは異なります。

抑止は強制よりも成立しやすいというのが、政治学の常識です。なぜ、そうなるかといえば、人間は利得より損失に敏感だからです。プロスペクト理論が示唆するように、政治的指導者は損失を避けようとする際には、リスクを冒しても頑迷に抵抗する傾向があります。だから、国際関係では現状維持の方が現状変更より達成しやすいのです。

ロシアの核兵器による威嚇は、ウクライナ侵攻において、おそらく「シールド(盾)」のような役割を果たしたのでしょう。すなわち、モスクワは核兵器による懲罰の脅しを西側諸国にかけることで、その軍事介入やロシア本土への打撃を抑止する一方で、ウクライナへの通常戦力による侵略を実行しやすくしたということです。これは古くから「安定と不安定のパラドックス」(グレン・スナイダー氏)として、よく知られています。この理論は核戦争へのエスカレーションのリスクが全面戦争を防いでいる状況において、通常戦力による戦争の可能性がかえって高まってしまうという逆説的な現象を説明しています。近年の「核シールドの理論」は、これを肯定するものです。核武装国は相手国を破滅させられる核兵器の第二撃能力を持つと、究極の生き残りを確実にできるので、通常戦力を使った行動をとりやすくなるというのです。

それでは、この核シールド理論は、どの程度の一般性を持っているのでしょうか。前出のセクサー氏とファーマン氏によれば、この理論は「俗説」のようなものだということです。

「神話8:核兵器は侵略のシールド(盾)になる……これが正しければ、核武装国は既成事実化により現状を自国にとって有利に変更できる……2014年初め頃のロシアによるクリミア編入は、これがいかに上手くいくかを例証するものだ……我々は、このシールドの主張をテストしたところ、物足りないことが分かった。国家が核兵器を保有しても、(1)強制の威嚇を発したり(2)領土の現状維持に軍事力により挑戦したり(3)領土をめぐる現存する紛争を拡大したり(4)軍事力を使って領土紛争を有利に解決したり出来るようにはならない。核武装国による軍事力を使った領土の現状変更への挑戦は、大きな変更を生じさせることに7割がた失敗している……我々は1つや2つの事例を一般化する際には慎重になるべきだ……1999年のカーギル危機での冒険が領土の現状維持に変更をもたらさなかったことを思い出すのは大切だ」(同書、250ページ)。



そのカーギル危機において、核武装したパキスタンは核保有国のインドとの領土紛争を優位にしようと通常戦力に訴えましたが、結局のところ失敗しました。

核兵器による強制外交は、①政治目的を通常戦力で達成できるかどうか、②強制に賭けるものがどのくらい大きいものなのか、③強制を実行する際に支払うコストはどの程度になるのか、といった要因に左右されます。ロシアが核恫喝で西側をけん制しながらクリミア半島を編入して既成事実化したことや、1962年10月のキューバ・ミサイル危機において、ケネディ政権がソ連のフルシチョフ首相にキューバに配備した核ミサイルを強制的に撤去させたことは、②の条件を満たす稀な事例でしょう。

ダビデがゴリアテを倒す世界
現代における国際関係は、核武装した大国が中小国の抵抗にあったり振り回されたりするストーリーに満ちています。セクサー氏とファーマン氏によれば、核武装国の強制は、第二次世界大戦から2001年までの全ての事例において、40件も失敗しています。核兵器を持たない小国でも核大国に平気で歯向かうのです。プエブロ号事件において、超大国のアメリカは小国の北朝鮮に振り回されました。1968年、アメリカの情報収集艦プエブロが北朝鮮に拿捕され、乗組員のアメリカ人は人質にとられました。アメリカは原子力空母や戦略爆撃機を北朝鮮周辺に展開して、同号の返還と人質の解放を要求する「瀬戸際外交」を展開しました。しかしながら、北朝鮮は強硬な態度を貫きました。結局、アメリカは人質を解放させるだけにとどまり、北朝鮮に対して謝罪することに追い込まれただけでなく、プエブロ号を取り戻せませんでした。その他、マヤグエース号事件のカンボジア、米大使館員人質事件のイランなどもアメリカに盾付き、武力の威嚇による要求も受け入れず抵抗しました。

日本が尖閣諸島を国有化した際に、中国は核兵器で脅して、この問題を自国にとって有利にしようとしましたが、日本政府にはまったく効きませんでした。多くの事例では、核による強制は、それを成立させる条件が満たされないので、その威嚇は信頼性に欠けてしまいます。その結果、国家は核兵器で恫喝しても、相手はそう簡単には言うことを聞かないのがしばしばなのです。

要するに、政治学の常識は、核兵器による強制を否定しているのです。このことについて、ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)とセバスチャン・ロザート氏(ノートルダム大学)は、「核兵器による強制の理論は、核兵器を持つ国家が、それを使って非核国を脅して……その行動を変えさせられるという……しかし、この理論を経験的に検証したところ、学者のコンセンサスは、これには信ぴょう性がないということであった」(John J. Mearsheimer and Sebastian Rosato, How States Think: The Rationality of Foreign Policy, New Haven: Yale University Press, 2023, p. 58)と結論づけています。

強制外交だけでなく戦争においても、核武装した大国は小国に何度も敗れています。冷戦の二極システムにおいて、アメリカはベトナム戦争で北ベトナムに敗れました。これはソ連と中国というパトロン大国がクライアント国である北ベトナムを支援したからだと説明できるかもしれません。それでは、ニクソン政権は核兵器による脅しを北ベトナムにかけて屈服させようとした強制外交は、どうだったでしょうか。これはハノイ政権には全く効きませんでした。アメリカの核恫喝は北ベトナムから何の譲歩も引き出せなかったのです。冷戦後の単極時代には、アメリカはアフガニスタンとイラクに侵攻しましたが、これらの「永久戦争」において、アメリカは事実上、敗北しました。アメリカ以外の大国も小国に対する戦争で何度も苦戦もしくは敗退しています。1979年、ソ連はアフガニスタンに侵攻しましたが、これはみじめな失敗に終わりました。中国はベトナムに対して「懲罰戦争」を行いましたが、その結果は「勝利」とは程遠いものでした。

羊飼いのダビデが巨人兵士のゴリアテを倒す物語は、『旧約聖書』に載っている有名なものです。国際政治の世界において、このストーリーさながらのことは、私たちの直観に反して何度も起こっているのです。国際関係の分析において、感覚的な思考や判断はあまり当てにできないからこそ、信頼性のある理論(=政治学の常識)が必要になるのです。こうした点について、政治学者の河野勝氏(早稲田大学)は次のように主張しています。「メディアに登場するコメンテーターや評論家たちが、何の根拠もなく、また政治学の常識からすると明らかに間違った解説を平気で述べていることに対しては、『プロ』としてチェックの目を働かせ、時には憤りを感じて彼らを批判し、学生たちに対してはそうした素人たちの誤りを見抜くリタラシーを高めよ、と教育する(のだ)」(河野勝『政治を科学することは可能か』中央公論社、2018年、ivページ)。私がどれだけ能力のある「プロ」なのかはさておき、この指摘には頷くしかありません。核武装国が中小国に対して無理難題を強要できるようになるという言説は少なくとも、核兵器を使用することのコストとリスクを軽視しているだけではなく、損失を回避するためにリスクを顧みずに死に物狂いで抵抗する中小国の行動を理解していない「俗説」、すなわち「政治学の常識」に反するといってよいでしょう。



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