こちらは、トリノ中心部から10キロメートルほど東に位置するスペルガの丘に建つ「スペルガ聖堂」(Basilica di Superga)で、南側にある駐車場から眺めた様子になる。聖堂は、4メートルほどの高さの基壇の上に、円形のボディと大きなバロック様式のドーム(クーポラ)を中心に、側面左右に鐘楼を、西側には新古典主義の8つのコリント式柱を持つローマのパンテオン風のプロナオスを備えている。1997年には「サヴォイア王家の王宮群」として世界遺産に登録されている。
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こちらのスペルガ聖堂までは、今朝、ホテルをチェックアウトし、トリノ市内の主要幹線道を東に進んだ後、南から北に流れるポー川を渡った右岸沿いの幹線道から、坂道を上って到着した。ホテルからの所要時間は40分ほどだった。
スペルガ聖堂は、サヴォイア公ヴィットーリオ アメデーオ2世(1666~1732)が、トリノの戦い(1706年5月14日~9月7日)(スペイン継承戦争の一つ)で、フランス包囲軍に勝利した記念として、宮廷建築家フィリッポ ユヴァッラ(1678~1736)に依頼し、1717年から14年の歳月をかけて後期バロック古典主義様式で造営したもの。ユヴァッラはトリノで活躍する前に、ローマで修業していたこともあり、サンピエトロ大聖堂のミケランジェロのドームを参考にしたと言われている。また、左右の鐘楼は、ローマを中心に活躍したバロック建築家フランチェスコ ボッロミーニ(1599~1667)の影響を受けているとされる。
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もともとこの場所には古い教会があったが、大規模な聖堂建設のための礎石を敷くために、100名の作業員が1年かけて40メートルほど丘を掘り下げたと言われている。現在この場所は標高669メートルとなっている。
高さ75メートルある聖堂中ほどのドームの周囲には、細い通路と落下防止のための手すりが張り巡らされた展望エリアがあり見学が可能である。その展望エリアへは、正面階段(17段)を上りプロナオスの奥の正面入口を入ったすぐ右側から螺旋階段で上っていくが、階段は130段とビルの7階~8階に相当するため結構上りごたえがある。
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展望エリアに上り、北鐘楼の横から西側のトリノの街並みを見渡すと、やや曇っていた。その上、撮影している際は気が付いていなかったが、カメラのレンズが汚れていたことから、一層、霞がかかった様な、ぼやけた画像となった。。しかも、この後も汚れに気が付かず、同様の暗い画像になったことは不覚だった。
スペルガ聖堂は、南北に流れるポー川右岸の河岸段丘の上(スペルガの丘)にあるが、ポー川についてはトリノ郊外から大きく右に曲がり東に向っており、80キロメートルほど先のピエモンテ州境まで右岸沿いに河岸段丘が続いている。スペルガの丘を含め、一帯の丘陵地はピエモンテ州の地域保護自然地域となっている。
こちらは、ファサード側から南鐘楼越しに東方向を眺めた様子で、鐘楼の先には丘陵地の稜線が続いている。手前の鐘楼自体は南北とも同じ形状をしているが、南鐘楼にのみ時計が備え付けられている。
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次に聖堂内を見学する。広い円形身廊の周囲には、8本のコリント柱が上部のドームを支えている。中央には会衆席が設置され、後陣のある東奥にはアゴスティーノ コルナッキーニが、受胎告知を題材に手掛けた主祭壇がある。南北側の身廊後方にも同規模の彫刻祭壇を配する礼拝堂があるが、これら聖堂内の装飾彫刻については、 コルナッキーニの他に、ベルナルディーノ カメッティが携わっている。そして四方間(北東・北西・南東・南西)の身廊奥には小礼拝堂があり、こちらにはセバスティアーノ リッチが描く小祭壇が飾られている。
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身廊の8本のコリント柱が支える上部のドーム円周の先には広いドーム空間が広がっている。奥行きが分かりにくいが、ドーム天井までは身廊と同程度の高さがある。円周の上から伸びる8本の白いコリント柱とリブ ヴォールトが支えるドーム天井は、その柱間にある8つのアーチ窓と8つの丸窓から差し込まれる外光により美しい装飾を見せている。更に中央部の尖塔内に、側面から光が差し込むもう一つの空間が続いている。
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地下にあるロイヤルクリプトの見学は、ガイドツアー(イタリア語)に参加しなければならない。階段を下りた最初の突き当たりの半円形の部屋には、アントニオ カノーヴァの弟子であるカルロ フィネッリによる大天使ミカエル像が飾られている。ミカエルは、悪魔を倒す天使であることから、墓の象徴的な防御のためにこの場所に設置されたと言われているが、以前は大聖堂のエントランス ホールに展示されていた。
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地下室はラテン十字の形で、5つの部屋に分かれ、サヴォイア王朝の王、王妃を始め66の大理石の棺が納められている。鮮やかな流れ模様を持つ大理石の柱や、金の縁取り、白大理石の彫像群など豪華絢爛な装飾は見応えがあるが、写真撮影が禁止の上、45分のガイドツアーは少し長い印象だった。
スペルガ聖堂建設のきっかけとなった、スペイン継承戦争は、アン女王戦争と共に、1713年にユトレヒト条約(講和条約)として、フランス・スペインとイギリス、オランダ、プロイセン、サヴォイア公国とのあいだで締結している。勝者側となったサヴォイア公国は、シチリア王国を獲得し、サルデーニャ島と交換してサルデーニャ王国になった。その後、サルデーニャ王国は、19世紀にイタリア王となっている。スペルガ聖堂は、イタリアの扉を開く象徴的な建造物となったと言えるのかもしれない。
1時間半ほどの見学を終え、スペルガの丘を下り、ポー川に沿って延びる幹線道を南に進んでいる。これで、トリノを離れ、次にピエモンテ州南部にあるクーネオ県の基礎自治体(コムーネ)「カナーレ(Canale)」に向かう。
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トリノ市内からSP29号線で約1時間半、カナーレに到着したのは午後1時半だった。その街の中心、マルティーリ広場の北西側に「アル エノテカ(All'Enoteca)」がある。こちらでランチ予約をしているが遅い到着となったためか、ローマ通りに面した外門(南門)には鍵がかけられていた。営業時間が終了したのかと不安になりながら、ブザーを押すと、スタッフが現れ開けてくれた。そして庭を通って煉瓦色の建物の2階に向かった。ちなみに、西隣には大きな鐘楼を持つ「サン ヴィクトール修道院」が建っており、当初、修道院の外門かと思ってしまった。
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アル エノテカとは、2000年、当時28歳で、ミシュラン一つ星を取得したダビデ パルダ(Davide Palluda)氏が提供するリストランテで、トリノに住むサヴォイア貴族の食卓を支えてきたランゲ・ロエロ地区の郷土料理を、良質な食材を使い洗練された料理で提供してくれる。評価が高く人気のミシュラン店である。ちなみにランゲ・ロエロ地区とは、クーネオ県を東西に流れるターナロ川を挟んで右岸(南)がランゲ地区、左岸(北)がロエロ地区と呼ばれ、ここカナーレはロエロ地区にあたる。
階段で2階に上がり店内に入ると6組ほどが座れるテーブル席があったが、お客は誰もいないうえ、白いカーテンは閉じられたままだった。まるで営業時間外に訪問した様な雰囲気だった。
中央付近のテーブル席に案内されたが、料理を待っている間に窓際のカーテンを開けるとマルティーリ広場が見渡せる。広場には人出もほとんどなく、車もほとんど通らない。トリノの喧噪の状況から一転して静寂な世界に迷い込んだ様な印象だった。数台が駐車する正面の切妻屋根の建物には、黄色い文字でスーパーマーケットの看板が掲げられ、扉口に人影が見えたので営業しているようである。
注文は、デグスタツィオーネ コースをお願いした。最初は「ミッレジマート2005」(メソド クラシコ)で、生産者は地元カナーレのエンリコ セラフィーノ(Enrico Serafino)である。すっきりとした喉ごしでフルーティーな香りが特徴のワインである。
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料理は、ストウッツィキーノ(アミューズ)として、ピエモンテ名物の「丸唐辛子の詰め物」からいただく。
2番目のワインは「ドルチェット ダルバ(Dolcetto d'Alba)」、D.O.C. ピアンカヴァッロ(Pian Cavallo)で、ドルチェットと呼ばれる固有ブドウ品種で、ネッビオーロとバルベーラに並んで希少価値が高い。生産者はネグロ ジュゼッペ(Negro Giuseppe)で、カンティーナはバルバレスコ近郊にある。
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アンティパストは「ファッソーネ牛の盛り合わせ」(II Fassone dalla testa ai piedi)で、 ピエモンテ産の最高品質を誇るファッソーネ牛の各部位を様々な調理法で盛り合わせたもの。左端は生肉(Carne cruda)でキノコのスライスが乗っている。
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アンティパストの温菜は、ワンスプーンで提供される。
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3番目のワインは「バルベーラ ダルバ」。生産者はカッシーナ カロッサ(Cascina Carossa)で、カンティーナは地元カナーレにある。バルベラ種は、タンニンをあまり含まず、果実味が多く渋みが優しい黒ブドウの品種である。
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プリモピアットは、ピエモンテ州名物の「アニョロッティ デル プリン」で、牛、豚、うさぎなどローストされた複数の肉と、ホウレン草を練り込み固めた詰め物パスタ。料理は、白ナプキンがかぶされた状態で提供されたが、これが伝統スタイルとのこと。併せて、ローストしたときに出てきた肉汁を使ったスープが付いてくる。こちらの詰め肉は、淡白な肉で脂分が少ないことから一つ一つがしっかりとした食感で食べ応えがある。
さて、次のワインは「バローロ ポデーリ スカローネ DOCG 2000」(Poderi Scarrone)である。ネッビオーロを品種とし、地元農家と生産者協同組合とのコラボで造られたテッレ ダ ヴィーノ社が手掛けるワインの王様でイタリアを代表するワイン。
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セコンドピアットは「厚切り牛カルビ」(Costata di manzo midollo pinoli e tatin di cipolla)で、松の実と甘辛い肉汁のソースがかかっている。付け合わせとして、玉ねぎのタルトタタン(煮詰めて柔らかくなった玉ねぎ)、カルドン、カリフラワー、ズッキーニ、人参、ポテトチップスなどが添えられている。
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デザートは、クリームとスライスしたドライアプリコットを使ったシンプルな「パンナコッタ」。しかし、肉料理を食べている途中から、急にお腹が苦しくなった。アニョロッティがかなりのボリュームだったのが満腹感の原因と思うが、もしかしたら、他にも一品提供されていたかもしれないが思い出せない。
ワインは、クーネオ県カスティリオーネ ティネッラ(ランゲ地区)にある生産者カウドリーナ ディ ロマーノ ドリオッティ(Caudrina di Romano Dogliotti)による微炭酸ワインで、デザートワインになる。品種は白いマスカットと言われるややアルコール度数の高いミュスカ ブラン ア プティ グランとのこと。
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2番目のデザートはピエモンテ名物の「ボネ」で、アマレットリキュールの香りが特徴なチョコレート風味のココアプリンだが、こちらはケーキ生地でボリュームがある。このため、一層お腹が苦しくなった。。が、料理の味は大変素晴らしいものであった(計189ユーロ(レート114.096))。ただ、なぜ他にお客がいなかったのかは、わからないままだった。。
食後、腹ごなしを兼ねて広場前のスーパーマーケット内を見学して、今夜の宿泊ホテルに向かった。まずは、トリノから繋がるSR29号線を更に10キロメートル南に下り、ターナロ川を渡りランゲ地区に入る。すぐにクーネオ県の2番目に大きな基礎自治体(コムーネ)アルバ(Alba)となるが、市内に入らず、西側の外環道から迂回して通過し、SP32号を更に南下しモンテルーポ アルベーゼ(Montelupo Albese)に向かう。
モンテルーポ アルベーゼは、人口500人ほどのクーネオ県の基礎自治体(コムーネ)で、その南側の高地に建つホテル(Ca' del Lupo)に今夜から2泊することにしている。ホテルは、標高600メートルほどの山頂南側に、駐車場とエントランスがあり、外観は2階建ての長方形で、細い木材を幾層にも重ねた造りとなっている。
内装も木造パネルをベースに洗練されたデザインと独創的な空間が織りなすデザイナーズホテルといった雰囲気で、チェックインの際には、空いていたのか、追加料金なしで部屋をアップグレードしてくれた。部屋は、地階(宿泊棟は斜面沿いに建っている。)の北向きの広い部屋で、大きな窓からの眺望が素晴らしかった。日没後は、遠くに見えるわずかな光のみとなったが、漆黒と静寂の世界は、日ごろ味わえない体験だった。
夜は、外のリストランテに出かける予定だったが、まったくお腹が減らない。。結局、少し遅い時間にホテル併設のリストランテの料理をルームサービスしてもらうことにした。メニューには、スターターが10種類、フレッシュ パスタ ホームメイドが3種類、メインコースが3種類、デザートが7種類あり、スモークハムとライトチーズのミック野菜サラダと、肉とトマトソースのタヤリン(卵黄をたっぷり練り込んだ細いパスタで、セージバターを絡めて、白トリュフをふりかける)を注文し、手持ちのワインと共に頂いた。
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翌朝、斜面沿いにあるテラス席で朝食をいただいた。朝食会場は、エントランスのあるロビーと同じ1階フロアで、テラス席は広いスペースで北側斜面側を向いている。ちなみに座った席付近の地階が宿泊した部屋になる。
その宿泊した部屋のもう一段斜面下には、1階建ての建物が建っており、その先にはホテル専用のプールがある。しかし、その先は、霧が立ち込めよく見えない。しばらくすると、左前方にうっすらと鐘楼のあるモンテルーポ アルベーゼの街並みが見え始めた。ホテルからのこの眺望が一つの売りになっているらしく僅かでも確認することができたのは良かった。
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食事を終え、クーネオ県アルバに向う。ホテル正面からは、東回りでプール下を走るSP32号線に入りモンテルーポ アルベーゼを経由して北方面に向かう。5キロメートルで、ディアーノダルバ(Diano d'Alba)の標識があり、高台に「サン ジョヴァンニ バッティスタ教会」が見えたので立ち寄った。この場所には14世紀頃に既に教会があったが、現在の教会は1769年に新古典主義様式で建てられたもの。正面に小さな窓と装飾のない三角形のペディメントを持つアーチ型のプロナオスがあり、ファサード上部には洗礼者ヨハネの像が飾られている。
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ファサードは、南南西側を向いている。右奥には1834年に完成したネオバロック様式の鐘楼が聳えている。コーナーピラスターで装飾された角状で、上部には八角形をベースにした尖頭がそびえ頂部に十字架が飾られている。小さい村にも関わらず、大変大きな教会と言った印象。
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ファサード前の広場の東側は、展望台になっており、北東方向にブドウ畑の丘が続いているのが確認できる。このディアーノ ダルバは、バルバレスコ(北東側)とバローロ(南西側)との中間に位置しており、この一帯は、ランゲ地区の中でも最高級ワイン(DOCG)を生み出すエリアである。
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アルバに到着した。アルバはピエモンテ州の南部に位置しており、有数のワイン銘醸地を擁するランゲ地区の中心地でもある。このアルバの町は、道幅の広い環状道路に取り込まれた中にあり、その中心を南北にまっすぐ伸びるメインストリートが、ヴィットリオ エマヌエーレ通りで地元では、マエストラ通りとも呼ばれている。
そのヴィットリオ エマヌエーレ通りの途中から東に100メートルほど離れた場所にあるのが、13~14世紀に建造されたサン ドメニコ教会(Chiesa di S. Domenico)になる。正面ファサード中央には、彩色煉瓦を使って扇状に形作られており、ロンバルディア州で見られる様式である。
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正面アーチは赤白の迫石が交互に組まれており、扉口の上部には分厚いまぐさ石が乗せられ神の子羊が彫られている。ティンパウム(タンパン)には聖母子像が描かれたフレスコ画が見える。
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教会内の柱は白黒の縞模様でデザインされている。
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柱や側廊の壁面には多くのフレスコ画が残されているが、剥落が激しいのが残念である。壁面の中央には祈る聖カタリナと車輪が描かれている。聖カタリナは4世紀ローマ皇帝マクセンティウス治世に大釘を打ち付けた車輪により拷問を受けた後、斬首され殉教したと伝えられている。左の塔内には、マクセンティウス帝らしき人物が描かれている。
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隣には、無残にも斬首される聖カタリナの場面と、天使が聖カタリナの遺体をシナイ山に運んでいる場面が描かれている。
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こちらのアプスには、十字架降架が描かれている。十字架から下ろされたイエスの周りには、福音記者ヨハネ、聖母マリア、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母、ニコデモ、アリマタヤのヨセフが描かれている。デューラー・エングレービング(版画の凹版技法)に由来すると説明があった。
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こちらの壁画は興味深い。赤い衣を着てサンダルを履く人物が描かれているが、これは、18世紀に上書きされた壁が剥離して、初期(16世紀)に描かれていたオリジナル画面が現れているのである。視線を上に移すと上部も大きく剥離している。
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こちらには、赤い衣を着た人物の手が描かれているが、その手には鍵らしきものが見える。キリストから天国の鍵を受け取ったペトロが描かれていると思われる。
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次に、ヴィットリオ エマヌエーレ通りを、北側にしばらく進むと終点となり、リゾルジメント広場(Piazza Risorgimento)の西端に到着する。この日、広場では特設の市場が開かれていた。その広場の東側に面したポルチコのある赤い煉瓦の建物は「サン ロレンツォ大聖堂」(Cattedrale di San Lorenzo)である。
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サン ロレンツォ大聖堂は、12世紀前半に建てられた教会を前身とし、現在の建物は1486年から1517年に改築された姿を基礎としている。ポルチコのあるファサード中央にはバラ窓があり、その下には聖ロレンツォ像(1878年作)が飾られ、左右の4本の柱には、それぞれ、福音書記者のマタイ(天使)、マルコ(獅子)、ルカ(雄牛)、ヨハネ(鷲)の彫刻が並んでいる。これらの福音書記者は、頭文字ALBAの順で配置されているとのこと。
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教会の内部は、ロマネスク・ゴシック様式で、それぞれ4つのベイからなる3つの身廊に分かれている。側廊に沿って各側に3つずつ(翼廊の礼拝堂と左右に小礼拝堂)、計6つの礼拝堂がある。後陣の主祭壇にはバロック様式の祭壇画があり、左右側面には、聖ロレンツォの生涯のエピソードが描かれたフレスコ画がある。
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身廊沿いの白とアーモンド色との縞模様の2色の柱は、上部で先頭アーチを形成し、星空に金色の交差リブ ヴォールトが描かれた鮮やかなアーチ型天井を支えている。
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リゾルジメント広場の西側には、左側(ヴィットリオ エマヌエーレ通り沿い)と右奥に2本の角柱の塔が聳えている。アルバでは14~15世紀にかけて多くの塔が建てられ、" 100塔の都市 " と呼ばれていたが、現在は多くは屋根の高さや建物の中に組み込まれたりと下げられ、ほとんど残っていない。現在では貴重な塔となり、中でも右側の塔は塔の中で最も高い40メートルある。
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右側の塔の裏側(西側)となる「エルヴィオ ペルティナチェ広場」(Elvio Pertinace)には、白トリュフで有名なショップがあると聞き、やってくると、同じく特設の市場が開かれていた。こちらは、左側にあるサン ジョヴァンニ バッティスタ教会のファサード前から広場の北側を眺めた様子である。
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その広場北側に面した建物の1階ポルチコ内に、白トリュフ ショップ「Tartufi Morra」があるが、残念ながら今日は定休日だった。。トリュフは、森の地中から採れるキノコの一種であり、その香りの高さと産出量の少なさから食通たちに珍重され、食卓のダイヤモンドと言われ、このランゲ地区はトリュフの生産地として世界的に知られている。
そのトリュフの中でも高級品とされるのが、アルバの白トリュフ(タルトゥフォ ビアンコ)(Tartufo Bianco d'Alba)で、独特の強い香りを持ち、深い味わいがあることで人気が高く、丸く表面が滑らかなものが最高級とされている。そんな白トリュフの収穫が始まる毎年10月初めから12月初めまでの週末に、アルバでは「白トリュフ祭り」が開かれ、世界中から多くの食通人が集まり大いに盛り上がると言う。
白トリュフは、人の手の加わっていない森の中の樫や菩提樹、ポプラや楡といった特定の木のそばに育ち、愛犬を連れたトリュフ ハンターと呼ばれる人々が、愛犬との連携により地中(40~50センチメートル)から漂う微かな匂いを頼りに白トリュフを探し当てる。白トリュフの育つ理想の環境は、川からほど近い丘に生えている木の根とも言われているが詳しいことはわかっていない。
画像出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
再び、ヴィットリオ エマヌエーレ通りに戻り、南に向かう。サン ドメニコ教会への交差路を過ぎ少し行った右側に「Ratti Elio - Tartufo」と書かれたトリュフショップがあった。こちらのお店も白トリュフで有名なお店だが、ショーケースの上には黒トリュフが並んでいた。
トリュフは大きく分けて、Tartufo Bianco d'Alba(10月~1月)、Tartufo Bianchetto(春)、Tartufo Nero Invernale(12月~3月)、Tartufo Nero Estivo(黒トリュフ)(6月~11月)の4種類があるが、この時期(8月)は黒トリュフとなる。カウンター内のおじさんは、満面の笑みで黒トリュフも美味しいよと奨めてくれ、値段が手ごろだったこともありお土産に購入した。
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他にも、ショーケース内には、各種パスタ、トリュフのスライス、チーズ、総菜など美味しそうな食材が並んでいたが、お昼は近郊の村で別途予約しているリストランテがあるため、食材購入は諦めて、アルバを後にした。
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(2011.8.5~6)
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こちらのスペルガ聖堂までは、今朝、ホテルをチェックアウトし、トリノ市内の主要幹線道を東に進んだ後、南から北に流れるポー川を渡った右岸沿いの幹線道から、坂道を上って到着した。ホテルからの所要時間は40分ほどだった。
スペルガ聖堂は、サヴォイア公ヴィットーリオ アメデーオ2世(1666~1732)が、トリノの戦い(1706年5月14日~9月7日)(スペイン継承戦争の一つ)で、フランス包囲軍に勝利した記念として、宮廷建築家フィリッポ ユヴァッラ(1678~1736)に依頼し、1717年から14年の歳月をかけて後期バロック古典主義様式で造営したもの。ユヴァッラはトリノで活躍する前に、ローマで修業していたこともあり、サンピエトロ大聖堂のミケランジェロのドームを参考にしたと言われている。また、左右の鐘楼は、ローマを中心に活躍したバロック建築家フランチェスコ ボッロミーニ(1599~1667)の影響を受けているとされる。
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もともとこの場所には古い教会があったが、大規模な聖堂建設のための礎石を敷くために、100名の作業員が1年かけて40メートルほど丘を掘り下げたと言われている。現在この場所は標高669メートルとなっている。
高さ75メートルある聖堂中ほどのドームの周囲には、細い通路と落下防止のための手すりが張り巡らされた展望エリアがあり見学が可能である。その展望エリアへは、正面階段(17段)を上りプロナオスの奥の正面入口を入ったすぐ右側から螺旋階段で上っていくが、階段は130段とビルの7階~8階に相当するため結構上りごたえがある。
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展望エリアに上り、北鐘楼の横から西側のトリノの街並みを見渡すと、やや曇っていた。その上、撮影している際は気が付いていなかったが、カメラのレンズが汚れていたことから、一層、霞がかかった様な、ぼやけた画像となった。。しかも、この後も汚れに気が付かず、同様の暗い画像になったことは不覚だった。
スペルガ聖堂は、南北に流れるポー川右岸の河岸段丘の上(スペルガの丘)にあるが、ポー川についてはトリノ郊外から大きく右に曲がり東に向っており、80キロメートルほど先のピエモンテ州境まで右岸沿いに河岸段丘が続いている。スペルガの丘を含め、一帯の丘陵地はピエモンテ州の地域保護自然地域となっている。
こちらは、ファサード側から南鐘楼越しに東方向を眺めた様子で、鐘楼の先には丘陵地の稜線が続いている。手前の鐘楼自体は南北とも同じ形状をしているが、南鐘楼にのみ時計が備え付けられている。
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次に聖堂内を見学する。広い円形身廊の周囲には、8本のコリント柱が上部のドームを支えている。中央には会衆席が設置され、後陣のある東奥にはアゴスティーノ コルナッキーニが、受胎告知を題材に手掛けた主祭壇がある。南北側の身廊後方にも同規模の彫刻祭壇を配する礼拝堂があるが、これら聖堂内の装飾彫刻については、 コルナッキーニの他に、ベルナルディーノ カメッティが携わっている。そして四方間(北東・北西・南東・南西)の身廊奥には小礼拝堂があり、こちらにはセバスティアーノ リッチが描く小祭壇が飾られている。
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身廊の8本のコリント柱が支える上部のドーム円周の先には広いドーム空間が広がっている。奥行きが分かりにくいが、ドーム天井までは身廊と同程度の高さがある。円周の上から伸びる8本の白いコリント柱とリブ ヴォールトが支えるドーム天井は、その柱間にある8つのアーチ窓と8つの丸窓から差し込まれる外光により美しい装飾を見せている。更に中央部の尖塔内に、側面から光が差し込むもう一つの空間が続いている。
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スペルガ聖堂建設のきっかけとなった、スペイン継承戦争は、アン女王戦争と共に、1713年にユトレヒト条約(講和条約)として、フランス・スペインとイギリス、オランダ、プロイセン、サヴォイア公国とのあいだで締結している。勝者側となったサヴォイア公国は、シチリア王国を獲得し、サルデーニャ島と交換してサルデーニャ王国になった。その後、サルデーニャ王国は、19世紀にイタリア王となっている。スペルガ聖堂は、イタリアの扉を開く象徴的な建造物となったと言えるのかもしれない。
1時間半ほどの見学を終え、スペルガの丘を下り、ポー川に沿って延びる幹線道を南に進んでいる。これで、トリノを離れ、次にピエモンテ州南部にあるクーネオ県の基礎自治体(コムーネ)「カナーレ(Canale)」に向かう。
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トリノ市内からSP29号線で約1時間半、カナーレに到着したのは午後1時半だった。その街の中心、マルティーリ広場の北西側に「アル エノテカ(All'Enoteca)」がある。こちらでランチ予約をしているが遅い到着となったためか、ローマ通りに面した外門(南門)には鍵がかけられていた。営業時間が終了したのかと不安になりながら、ブザーを押すと、スタッフが現れ開けてくれた。そして庭を通って煉瓦色の建物の2階に向かった。ちなみに、西隣には大きな鐘楼を持つ「サン ヴィクトール修道院」が建っており、当初、修道院の外門かと思ってしまった。
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アル エノテカとは、2000年、当時28歳で、ミシュラン一つ星を取得したダビデ パルダ(Davide Palluda)氏が提供するリストランテで、トリノに住むサヴォイア貴族の食卓を支えてきたランゲ・ロエロ地区の郷土料理を、良質な食材を使い洗練された料理で提供してくれる。評価が高く人気のミシュラン店である。ちなみにランゲ・ロエロ地区とは、クーネオ県を東西に流れるターナロ川を挟んで右岸(南)がランゲ地区、左岸(北)がロエロ地区と呼ばれ、ここカナーレはロエロ地区にあたる。
階段で2階に上がり店内に入ると6組ほどが座れるテーブル席があったが、お客は誰もいないうえ、白いカーテンは閉じられたままだった。まるで営業時間外に訪問した様な雰囲気だった。
中央付近のテーブル席に案内されたが、料理を待っている間に窓際のカーテンを開けるとマルティーリ広場が見渡せる。広場には人出もほとんどなく、車もほとんど通らない。トリノの喧噪の状況から一転して静寂な世界に迷い込んだ様な印象だった。数台が駐車する正面の切妻屋根の建物には、黄色い文字でスーパーマーケットの看板が掲げられ、扉口に人影が見えたので営業しているようである。
注文は、デグスタツィオーネ コースをお願いした。最初は「ミッレジマート2005」(メソド クラシコ)で、生産者は地元カナーレのエンリコ セラフィーノ(Enrico Serafino)である。すっきりとした喉ごしでフルーティーな香りが特徴のワインである。
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料理は、ストウッツィキーノ(アミューズ)として、ピエモンテ名物の「丸唐辛子の詰め物」からいただく。
2番目のワインは「ドルチェット ダルバ(Dolcetto d'Alba)」、D.O.C. ピアンカヴァッロ(Pian Cavallo)で、ドルチェットと呼ばれる固有ブドウ品種で、ネッビオーロとバルベーラに並んで希少価値が高い。生産者はネグロ ジュゼッペ(Negro Giuseppe)で、カンティーナはバルバレスコ近郊にある。
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アンティパストは「ファッソーネ牛の盛り合わせ」(II Fassone dalla testa ai piedi)で、 ピエモンテ産の最高品質を誇るファッソーネ牛の各部位を様々な調理法で盛り合わせたもの。左端は生肉(Carne cruda)でキノコのスライスが乗っている。
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アンティパストの温菜は、ワンスプーンで提供される。
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3番目のワインは「バルベーラ ダルバ」。生産者はカッシーナ カロッサ(Cascina Carossa)で、カンティーナは地元カナーレにある。バルベラ種は、タンニンをあまり含まず、果実味が多く渋みが優しい黒ブドウの品種である。
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プリモピアットは、ピエモンテ州名物の「アニョロッティ デル プリン」で、牛、豚、うさぎなどローストされた複数の肉と、ホウレン草を練り込み固めた詰め物パスタ。料理は、白ナプキンがかぶされた状態で提供されたが、これが伝統スタイルとのこと。併せて、ローストしたときに出てきた肉汁を使ったスープが付いてくる。こちらの詰め肉は、淡白な肉で脂分が少ないことから一つ一つがしっかりとした食感で食べ応えがある。
さて、次のワインは「バローロ ポデーリ スカローネ DOCG 2000」(Poderi Scarrone)である。ネッビオーロを品種とし、地元農家と生産者協同組合とのコラボで造られたテッレ ダ ヴィーノ社が手掛けるワインの王様でイタリアを代表するワイン。
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セコンドピアットは「厚切り牛カルビ」(Costata di manzo midollo pinoli e tatin di cipolla)で、松の実と甘辛い肉汁のソースがかかっている。付け合わせとして、玉ねぎのタルトタタン(煮詰めて柔らかくなった玉ねぎ)、カルドン、カリフラワー、ズッキーニ、人参、ポテトチップスなどが添えられている。
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デザートは、クリームとスライスしたドライアプリコットを使ったシンプルな「パンナコッタ」。しかし、肉料理を食べている途中から、急にお腹が苦しくなった。アニョロッティがかなりのボリュームだったのが満腹感の原因と思うが、もしかしたら、他にも一品提供されていたかもしれないが思い出せない。
ワインは、クーネオ県カスティリオーネ ティネッラ(ランゲ地区)にある生産者カウドリーナ ディ ロマーノ ドリオッティ(Caudrina di Romano Dogliotti)による微炭酸ワインで、デザートワインになる。品種は白いマスカットと言われるややアルコール度数の高いミュスカ ブラン ア プティ グランとのこと。
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2番目のデザートはピエモンテ名物の「ボネ」で、アマレットリキュールの香りが特徴なチョコレート風味のココアプリンだが、こちらはケーキ生地でボリュームがある。このため、一層お腹が苦しくなった。。が、料理の味は大変素晴らしいものであった(計189ユーロ(レート114.096))。ただ、なぜ他にお客がいなかったのかは、わからないままだった。。
食後、腹ごなしを兼ねて広場前のスーパーマーケット内を見学して、今夜の宿泊ホテルに向かった。まずは、トリノから繋がるSR29号線を更に10キロメートル南に下り、ターナロ川を渡りランゲ地区に入る。すぐにクーネオ県の2番目に大きな基礎自治体(コムーネ)アルバ(Alba)となるが、市内に入らず、西側の外環道から迂回して通過し、SP32号を更に南下しモンテルーポ アルベーゼ(Montelupo Albese)に向かう。
モンテルーポ アルベーゼは、人口500人ほどのクーネオ県の基礎自治体(コムーネ)で、その南側の高地に建つホテル(Ca' del Lupo)に今夜から2泊することにしている。ホテルは、標高600メートルほどの山頂南側に、駐車場とエントランスがあり、外観は2階建ての長方形で、細い木材を幾層にも重ねた造りとなっている。
内装も木造パネルをベースに洗練されたデザインと独創的な空間が織りなすデザイナーズホテルといった雰囲気で、チェックインの際には、空いていたのか、追加料金なしで部屋をアップグレードしてくれた。部屋は、地階(宿泊棟は斜面沿いに建っている。)の北向きの広い部屋で、大きな窓からの眺望が素晴らしかった。日没後は、遠くに見えるわずかな光のみとなったが、漆黒と静寂の世界は、日ごろ味わえない体験だった。
夜は、外のリストランテに出かける予定だったが、まったくお腹が減らない。。結局、少し遅い時間にホテル併設のリストランテの料理をルームサービスしてもらうことにした。メニューには、スターターが10種類、フレッシュ パスタ ホームメイドが3種類、メインコースが3種類、デザートが7種類あり、スモークハムとライトチーズのミック野菜サラダと、肉とトマトソースのタヤリン(卵黄をたっぷり練り込んだ細いパスタで、セージバターを絡めて、白トリュフをふりかける)を注文し、手持ちのワインと共に頂いた。
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翌朝、斜面沿いにあるテラス席で朝食をいただいた。朝食会場は、エントランスのあるロビーと同じ1階フロアで、テラス席は広いスペースで北側斜面側を向いている。ちなみに座った席付近の地階が宿泊した部屋になる。
その宿泊した部屋のもう一段斜面下には、1階建ての建物が建っており、その先にはホテル専用のプールがある。しかし、その先は、霧が立ち込めよく見えない。しばらくすると、左前方にうっすらと鐘楼のあるモンテルーポ アルベーゼの街並みが見え始めた。ホテルからのこの眺望が一つの売りになっているらしく僅かでも確認することができたのは良かった。
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食事を終え、クーネオ県アルバに向う。ホテル正面からは、東回りでプール下を走るSP32号線に入りモンテルーポ アルベーゼを経由して北方面に向かう。5キロメートルで、ディアーノダルバ(Diano d'Alba)の標識があり、高台に「サン ジョヴァンニ バッティスタ教会」が見えたので立ち寄った。この場所には14世紀頃に既に教会があったが、現在の教会は1769年に新古典主義様式で建てられたもの。正面に小さな窓と装飾のない三角形のペディメントを持つアーチ型のプロナオスがあり、ファサード上部には洗礼者ヨハネの像が飾られている。
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ファサードは、南南西側を向いている。右奥には1834年に完成したネオバロック様式の鐘楼が聳えている。コーナーピラスターで装飾された角状で、上部には八角形をベースにした尖頭がそびえ頂部に十字架が飾られている。小さい村にも関わらず、大変大きな教会と言った印象。
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ファサード前の広場の東側は、展望台になっており、北東方向にブドウ畑の丘が続いているのが確認できる。このディアーノ ダルバは、バルバレスコ(北東側)とバローロ(南西側)との中間に位置しており、この一帯は、ランゲ地区の中でも最高級ワイン(DOCG)を生み出すエリアである。
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アルバに到着した。アルバはピエモンテ州の南部に位置しており、有数のワイン銘醸地を擁するランゲ地区の中心地でもある。このアルバの町は、道幅の広い環状道路に取り込まれた中にあり、その中心を南北にまっすぐ伸びるメインストリートが、ヴィットリオ エマヌエーレ通りで地元では、マエストラ通りとも呼ばれている。
そのヴィットリオ エマヌエーレ通りの途中から東に100メートルほど離れた場所にあるのが、13~14世紀に建造されたサン ドメニコ教会(Chiesa di S. Domenico)になる。正面ファサード中央には、彩色煉瓦を使って扇状に形作られており、ロンバルディア州で見られる様式である。
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正面アーチは赤白の迫石が交互に組まれており、扉口の上部には分厚いまぐさ石が乗せられ神の子羊が彫られている。ティンパウム(タンパン)には聖母子像が描かれたフレスコ画が見える。
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教会内の柱は白黒の縞模様でデザインされている。
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柱や側廊の壁面には多くのフレスコ画が残されているが、剥落が激しいのが残念である。壁面の中央には祈る聖カタリナと車輪が描かれている。聖カタリナは4世紀ローマ皇帝マクセンティウス治世に大釘を打ち付けた車輪により拷問を受けた後、斬首され殉教したと伝えられている。左の塔内には、マクセンティウス帝らしき人物が描かれている。
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隣には、無残にも斬首される聖カタリナの場面と、天使が聖カタリナの遺体をシナイ山に運んでいる場面が描かれている。
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こちらのアプスには、十字架降架が描かれている。十字架から下ろされたイエスの周りには、福音記者ヨハネ、聖母マリア、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母、ニコデモ、アリマタヤのヨセフが描かれている。デューラー・エングレービング(版画の凹版技法)に由来すると説明があった。
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こちらの壁画は興味深い。赤い衣を着てサンダルを履く人物が描かれているが、これは、18世紀に上書きされた壁が剥離して、初期(16世紀)に描かれていたオリジナル画面が現れているのである。視線を上に移すと上部も大きく剥離している。
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こちらには、赤い衣を着た人物の手が描かれているが、その手には鍵らしきものが見える。キリストから天国の鍵を受け取ったペトロが描かれていると思われる。
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次に、ヴィットリオ エマヌエーレ通りを、北側にしばらく進むと終点となり、リゾルジメント広場(Piazza Risorgimento)の西端に到着する。この日、広場では特設の市場が開かれていた。その広場の東側に面したポルチコのある赤い煉瓦の建物は「サン ロレンツォ大聖堂」(Cattedrale di San Lorenzo)である。
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サン ロレンツォ大聖堂は、12世紀前半に建てられた教会を前身とし、現在の建物は1486年から1517年に改築された姿を基礎としている。ポルチコのあるファサード中央にはバラ窓があり、その下には聖ロレンツォ像(1878年作)が飾られ、左右の4本の柱には、それぞれ、福音書記者のマタイ(天使)、マルコ(獅子)、ルカ(雄牛)、ヨハネ(鷲)の彫刻が並んでいる。これらの福音書記者は、頭文字ALBAの順で配置されているとのこと。
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教会の内部は、ロマネスク・ゴシック様式で、それぞれ4つのベイからなる3つの身廊に分かれている。側廊に沿って各側に3つずつ(翼廊の礼拝堂と左右に小礼拝堂)、計6つの礼拝堂がある。後陣の主祭壇にはバロック様式の祭壇画があり、左右側面には、聖ロレンツォの生涯のエピソードが描かれたフレスコ画がある。
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身廊沿いの白とアーモンド色との縞模様の2色の柱は、上部で先頭アーチを形成し、星空に金色の交差リブ ヴォールトが描かれた鮮やかなアーチ型天井を支えている。
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リゾルジメント広場の西側には、左側(ヴィットリオ エマヌエーレ通り沿い)と右奥に2本の角柱の塔が聳えている。アルバでは14~15世紀にかけて多くの塔が建てられ、" 100塔の都市 " と呼ばれていたが、現在は多くは屋根の高さや建物の中に組み込まれたりと下げられ、ほとんど残っていない。現在では貴重な塔となり、中でも右側の塔は塔の中で最も高い40メートルある。
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右側の塔の裏側(西側)となる「エルヴィオ ペルティナチェ広場」(Elvio Pertinace)には、白トリュフで有名なショップがあると聞き、やってくると、同じく特設の市場が開かれていた。こちらは、左側にあるサン ジョヴァンニ バッティスタ教会のファサード前から広場の北側を眺めた様子である。
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その広場北側に面した建物の1階ポルチコ内に、白トリュフ ショップ「Tartufi Morra」があるが、残念ながら今日は定休日だった。。トリュフは、森の地中から採れるキノコの一種であり、その香りの高さと産出量の少なさから食通たちに珍重され、食卓のダイヤモンドと言われ、このランゲ地区はトリュフの生産地として世界的に知られている。
そのトリュフの中でも高級品とされるのが、アルバの白トリュフ(タルトゥフォ ビアンコ)(Tartufo Bianco d'Alba)で、独特の強い香りを持ち、深い味わいがあることで人気が高く、丸く表面が滑らかなものが最高級とされている。そんな白トリュフの収穫が始まる毎年10月初めから12月初めまでの週末に、アルバでは「白トリュフ祭り」が開かれ、世界中から多くの食通人が集まり大いに盛り上がると言う。
白トリュフは、人の手の加わっていない森の中の樫や菩提樹、ポプラや楡といった特定の木のそばに育ち、愛犬を連れたトリュフ ハンターと呼ばれる人々が、愛犬との連携により地中(40~50センチメートル)から漂う微かな匂いを頼りに白トリュフを探し当てる。白トリュフの育つ理想の環境は、川からほど近い丘に生えている木の根とも言われているが詳しいことはわかっていない。
画像出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
再び、ヴィットリオ エマヌエーレ通りに戻り、南に向かう。サン ドメニコ教会への交差路を過ぎ少し行った右側に「Ratti Elio - Tartufo」と書かれたトリュフショップがあった。こちらのお店も白トリュフで有名なお店だが、ショーケースの上には黒トリュフが並んでいた。
トリュフは大きく分けて、Tartufo Bianco d'Alba(10月~1月)、Tartufo Bianchetto(春)、Tartufo Nero Invernale(12月~3月)、Tartufo Nero Estivo(黒トリュフ)(6月~11月)の4種類があるが、この時期(8月)は黒トリュフとなる。カウンター内のおじさんは、満面の笑みで黒トリュフも美味しいよと奨めてくれ、値段が手ごろだったこともありお土産に購入した。
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他にも、ショーケース内には、各種パスタ、トリュフのスライス、チーズ、総菜など美味しそうな食材が並んでいたが、お昼は近郊の村で別途予約しているリストランテがあるため、食材購入は諦めて、アルバを後にした。
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(2011.8.5~6)