カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

インド・ムンバイ(その2)

2013-04-03 | インド(マハーラーシュトラ)
フォート地区にあるホテル・トラベラーズ・インに宿泊した翌朝、部屋に運ばれてきた朝食(食パン2枚、オムレツ、バナナ、コーヒー)を食べ、午前9時にチェックアウトしてインド門に向けて大通り(シャヒッド・バガット・シン・ロード)を南に歩く。これから「エレファンタ石窟群」の見学に行くことにしているが、石窟群はムンバイ港から東へ約10キロメートル行ったムンバイ湾に浮かぶエレファンタ島にあるため、インド門そばにあるフェリー乗り場に向かっているわけだ。


途中、造幣局や旧税関の建物を過ぎ、ライオン・ゲート地区に到着した。このサークルを左折した先がインド門である。なお、正面に見える宮殿風の建物は「サハカーリー・バーンダール」と言う中産階級向けのスーパーマーケットである。
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ホテルからは20分ほど歩くと前方に大きなアーチのあるインド門が見えてきた。そのインド門の手前は広場になっているが、手前にセキュリティチェックを受けるゲートがあり、そのチェックを受けて入場する。


インド門に向かってすぐ右側には矩形の敷地を柵で覆った公園があり、その中央にチャトラパティ・シヴァージーの騎馬像がインド門の建つムンバイ湾を見守るようにして建っている。シヴァージーは1674年にデカンにヒンドゥ教マラーター王国(1674~1849)を建国した王のことで、ムガル帝国などのイスラム王朝に対抗し立ち向かった英雄として人気が高い。CST駅も彼の名前が由来になっている。

この場所は、もともと漁村で粗末な桟橋のみが架かる海岸線だったが、1911年、イギリス領インド帝国の時代にイギリス王ジョージ5世とメアリー王妃との上陸を記念して現在のインド門が建立された、まさにイギリス帝国の権力と威厳の象徴ともいえる建造物だが、実際の完成は1924年で、王と王妃の上陸時にはハリボテの模型でしのいだ。
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インド門は、建築家ジョージ・ウィテットの手によるもので、古代ローマの凱旋門と16世紀のグジャラート州建築物の要素(ヒンドゥ教様式とムスリム様式)とを組み合わせて造られている。近づくと精緻を極める壁面の透かし彫りが施されていることなどからムンバイのタージ・マハルとも称されており、現在ではムンバイで一番の観光地とも言われている。
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出航まで少し時間があったので、埠頭沿いに西側に歩いて行ってみると、湾内には大小多くの船が寄港しているのが見える。インド門には、5つの桟橋があるが、第2、第3桟橋とがエレファンタ石窟群へ向かうフェリー乗り場となる。ちなみに乗船切符は120ルビーと150ルピーの2種類があったが、150ルビーを購入した。


埠頭沿いから広場越しに建つのは、世界的に有名なムンバイのランドマーク「タージ・マハル・ホテル」である。左側が、1903年に建てられた歴史あるパレスウイング(旧館)で、右側のビルが1973年に建てられたタワーウイング(新館)で、共にムンバイ湾側を正面に建っている。
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タージ・マハル・ホテルは、インド近代工業の父タタ・グループの創始者ジャムセットジ・タタにより建てられた。タタは、当時最大のホテルだったワトソンズ・ホテルが白人専用であったことから、これを凌ぐ豪華なホテルをインド人の手で築こうと発起して、インド人建築家に依頼し、西洋の新古典主義建築とインドの伝統の様式とを併せ持つ姿で完成させた。

タージ・マハル・ホテルとインド門は、2008年11月にテロの舞台となった経緯があり、現在も警備が厳重である。


出航時間が近づいたのでフェリー船に乗り込み1階席に行くと、かなり混雑していた。


このため、2階席に行こうと思い、階段を上ろうとすると階段中央にたっていた男が突然10ルピー支払えという。本当に2階席は追加料金が必要なのかはよく解らなかったがたいした金額でもないので支払って2階へ上り座っていると10分ほどで出航した。
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巨大で豪華なタージ・マハル・ホテルやインド門が見る見る小さくなっていく。


天気も良く波も穏やかでフェリー船は順調に航行し、出航後40分ほどで目的地のエレファンタ島が見えてきた。エレファンタ島は東西に2つの丘を持つ直径2.4キロメートルの島である。
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出航してから1時間ほどでエレファンタ島に到着した。船着き場の桟橋には「ミニSL列車」が停まっている。
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桟橋は北から南に向けて延びており、この位置から見ると、島が東西2つの丘から成り立っていることがわかる。そして目的地のエレファンタ石窟群は、2つの丘が重なる峡谷の右側中腹に北から南に向けて開窟している。島までは「ミニSL列車」が運行しているが、しばらく出発しないため歩いていく。
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エレファンタ島に到着して入島税(15ルピー)を払い更に歩くと石畳の坂道になり、多くの土産屋が軒を連ねている。その坂をしばらく上るとエレファンタ石窟群の看板が現れた。フェリー乗り場からは約2キロメートルの距離である。
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階段を上ると、正面にエレファンタ石窟群の入口ゲートが現れる(入場料は250ルピー)。ゲートの手前からは、ムンバイ湾を見渡すことができるが、あちらこちらに猿がいて少し身構えてしまう。。


エレファンタ石窟群は、ラーシュトラクータ朝(753~973)時代頃に開窟されたと言われてきたが、近年、インド考古学調査とユネスコは、デカンの洞窟寺院で発見された貨幣、碑文、建築様式などから5世紀から6世紀頃、グプタ朝時代にインド中央部のマディヤ・プラデーシュ州からインド西部にかけて勢力を伸ばしたカラチュリ朝(Kalachuri)により開窟・建造されたと結論づけている。

エレファンタ石窟群はシヴァ信仰の中心地で、全部で7窟の石窟寺院があるが、17世紀に彫像の大半をポルトガル人によって破壊された。しかし、第1窟には、唯一破壊を免れた素晴らしい彫像群が神話世界を築いており、1987年に、ユネスコの世界遺産に登録されている。
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入口ゲートを入ると石畳のプロムナードが、緩やかに右に曲がりながら延びている。第1窟は、入口ゲートを入ってすぐ右側の広場奥にあり、真北に向いている。左右両端に2本の柱があり、中央の2本の柱が入口を支えている。

第1窟は、外から眺めると比較的中規模の石窟に感じるが、内部は幅約40メートルの広さを持つ正方形の大石窟で、東西にも出入り口がある。このことから外光も取り入れられ、石窟内とは思えないほど明るい。
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北正面口に向かって、左端の柱のすぐ内側壁面(北東角)には「ヨーガをするシヴァ神」のレリーフがある。シヴァ神は、ヨガの創始者と言われている。レリーフは縦5メートルほど、横4メートルほどの大きさがある。腕と脚のほとんどが壊れているが、2人のナーガが支える蓮華座に座わり、美しい結跏趺坐の姿勢で瞑想している。
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左端のレリーフと向かい合うように、右端の柱のすぐ内側壁面(北西角)には「シヴァ神の化身の舞踊王ナタラージャ」のレリーフがある。レリーフをやや斜めから見ると、彫像は後頭部や背中までも見えそうなほど深掘りされており、彫刻家の技術力と表現力の高さに感心させられる。
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そして、舞踊王ナタラージャのレリーフから奥に進んだ西口近くにあるのが「シヴァ神を祀った神殿」である。4面にドゥワラパラ(ヒンドゥ教寺院の門や祠堂の柱には、聖域を守る守護神が刻まれる。)像が2体ずつ、計8体が立ち、階段を上った1.8メートルほどの高さの神殿中央にはリンガが祀られている。
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ドゥワラパラ像の多くは損傷が激しく完成度の違いもあるが、こちらの東向きの像は写実的で深掘りされているので、やや角度を変えて見ると、神殿の壁から離れて迫ってくるような迫力を感じる。また、西口側向きの右側の像は、腕は失われているが、全身が良く残っている。こちらも立体感が凄い。。

このシヴァ神殿は、西口(正面口と同じ左右両端に2本の柱と中央の2本の柱がある)の中心に位置していることから、外から神殿と中央のリンガを直接拝観することができる。そして、西口側から見た左端の柱のすぐ内側壁面(北西角)には、シヴァの妻パールヴァティー妃をかどわかそうとした「魔王アンダカと対決するシヴァ神」のレリーフがある。怒りの表情は凄く、胸や腕は本物の肌かと思わせるように滑らかである。
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左端のレリーフと向かい合うように、西口側から見た右端の柱のすぐ内側壁面(南西角)には「シヴァ神とパールヴァティー妃との結婚式」のレリーフがある。
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そして、中央奥(南端)の神殿には、左右の石柱に立つドゥワラパラ像に護られて、巨大な3つの顔を持つシヴァ神の上半身像が納められている。高さ約6メートル、引き締まった顔立ちや体格、冠や瓔珞の細かい表現など誠に素晴らしく、エレファンタ石窟群を代表する彫像である。
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この巨大なシヴァ神像は、トリムルティ(三神一体)と呼ばれている。もともと、ブラフマン神、ヴィシュヌ神、シヴァ神がそれぞれで担う宇宙の創造、維持、破壊/再生といった単一の神聖が、同一になり3つの機能が一体で神格化されているとする。その一体化の3神を象徴的に偶像化されたのが、このトリムルティである。

それぞれの顔を単体で説明すると、まず正面の温和で瞑想的な顔は、調和の保存者としてのヴィシュヌ神で、向かって右側(西側)の蓮のつぼみを持つのが、生命と創造性の約束を表現するブラフマン神。そして左側(東側)の、口ひげを生やした若い男の顔がシヴァ神というわけである。
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ちなみに、多くの像を破壊したポルトガル人は、このシヴァ神像にキリスト教の三位一体を見出したため、破壊しなかったと言われている。
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トリムルティ像に向かって左側には、シヴァ神(右半身)とその妻パールヴァティー(左半身)が合体した「アルダナーリーシュヴァラ(両性具有)像」が表現されている。
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トリムルティ像に向かって右側には「天から授けられたガンジス川を地上で受け止めるシヴァ神」のレリーフがある。隣の女神はパールヴァティーを表している。


次に、東口側から見た左端の柱のすぐ内側壁面(南東角)にあるレリーフは「カイラース山に座るシヴァ神とその妻パルヴァティ」で、左側に破損が激しい四本の腕を持つシヴァ神とパールヴァティーが横に座っている。パールヴァティーの下には、シヴァの乗り物とされる牡牛ナンディが座っている。背景には、岩だらけの地形とアプサラが乗る雲が重ねられている。
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左端のレリーフと向かい合うように、東口側から見た右端の柱のすぐ内側壁面(北東角)には「シヴァ神のいるカイラース山を持ち上げようとする魔王ラーヴァナ」の像がある。こちらはシヴァ神は比較的良く残っているが、他の像は大きく損傷している
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東口から外に出ると、右側には6本の柱が並ぶ「東院」の入口があり(西口にも小ぶりな西院がある)、その東院と第1窟との間には中庭(幅17メートル)がある。中庭中央にある円形の台座には、かつてナンディが座っていたとされ、第1窟の奥の神殿のリンガと直線で繋がっている。少し離れてみると、巨大な岩盤を大きくくり抜いて中庭と石窟の入口が造られている様子がわかる。
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東院に入ると、正面(南側)に2頭の獅子が座るシャクティ派のシヴァ神殿があり、神殿内部にはリンガが祀られている
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シヴァ神殿の両脇にある周歩廊を挟んで左右には、守護神ドゥワラパラ像の彫像がある。神殿に向かって左側の彫像は大きく破損しているが右側は良く残っている。
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それぞれの守護神ドゥワラパラ像の横には、2本の柱で支えられた小室がある。神殿に向かって右側小室に入ると、壁面に戦いの神カルティケーヤ像ガネーシャの彫像がある。

次に、第2窟以降を見学しようと、東院から第1窟の北正面口に戻り、石畳のプロムナードに沿って先に進む。プロムナードは右側に続く山肌を大きく右に回り込む様に進んでいき、しばらくすると右側に小さな第2窟が現れるが未完成窟である。。


第3窟は、第2窟に隣接するようにすぐ現れる。こちらは正面を飾る柱が6本とも破損なく並んでおり、期待が高まるが、内部はほとんど破壊されている
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第4窟もすぐに現れるが、入口を支える柱が破損しており、前廊がむき出しになっている。破壊されたドゥワラパラ像が両側を飾る中央神殿入口と両側にも入口があるが、内部も見どころはない。。第4窟までは、入口ゲートから300メートル以内の距離に並んでいたが、第5窟から第7窟は階段を下りた先の山道沿いと離れており、見どころもないと聞いていたので諦めて戻ることとした。


昼になったが、市内に戻って食べようと思い、午後12時40分のフェリーに乗ったが、風が強くインド門に戻ったのは午後2時だった。
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お腹がへったので、ともかく早くレストランへ行こうと早朝通ったサークル(400メートル)まで戻り、左側に建つ映画館裏側の商店の一角にある、カフェ・モンデガーで、スパゲッティ(250ルビー)とビール(270ルピー)を食べた。
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食事後、サハカーリー・バーンダール(スーパー)でお土産を買い、サークルの北側に面した「プリンス・オブ・ウェールズ博物館(旧称)」に行くことにした。


博物館はインド・サラセン様式を中心に、ムガル、マラーター、ジャイナなどの建築様式の要素をも取り入れて造られた。敷地内はヤシの木と花壇の庭に囲まれている。ところで「プリンス・オブ・ウェールズ」とは、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国のことで、王子に与えられた称号を表すが、当時のプリンス・オブ・ウェールズ「ジョージ5世(1865~1936)」のインド訪問を記念して建てられたものである。
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ちなみに現在の博物館の名称は「チャトラパティ シヴァージー マハラジ バストゥ サングラハラヤ(Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya)}と変更(1998年)されている。この博物館もCST駅と同様にマラーター王国を建国した王に因み「チャトラパティ・シヴァージー王の博物館」という意味である。館内は3階建てで、入口を入ると、中央にドームを持つ吹き抜けのある中央空間がある。


博物館には、約5万点もの所蔵があり、芸術、考古学、自然史の3つのセクションから分類されているが、古代インドの彫像を中心に見学する。


最初に、彫刻ギャラリー(Sculpture Gallery)の中央を飾るのは、地元ムンバイから出土した、シヴァ像(6世紀)で、玄武岩から彫られている。右手にトリシューラ(三叉槍)を持ち、正面を見据え、展示会場への見学者を迎えている。
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こちらが、この博物館を代表する「ドゥワラパラ・ヤクシャ(Dvarapala Yaksha)」(2世紀)で、アウランガーバードの西北約80キロメートルにある「ピタルコーラー(Pitalkhora)石窟寺院」から出土したもの。凛としながらも見開いた瞳とやや愛嬌を感じる顔立ちが印象的で、髪や瓔珞などの繊細な浮彫など完成度の高い作品である。
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シッダールタ王子の出立(2~3世紀、ガンダーラ)で、上下2枚のレリーフから成り立っている。上は、ヤショーダラー妃が眠るそばで、出家を決意し、従者チャンダカを呼ぶシッダールタ(後の仏陀)で、下は、白馬カンタカに乗り、カピラ城を後にするシッダールタ王子の姿が表現されている。
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こちらは、「仏陀テラコッタ像(5世紀)」で、19世紀、考古学者ヘンリー・クーセンス(henry cousens)により、パキスタンのミールプル・ハース(Mirpur Khas)で発見された。顔立ちはどことなくガンダーラ美術を思わせ、薄い衣と手足の表現、光輪の繊細な浮彫などはグプタ朝時代を思わせる双方の特徴を併せ持つ貴重な作品である。
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こちらも、ミールプル・ハース出土のテラコッタ像(5世紀)で、整った綺麗な巻き髪を持ち鼻が高く端正な顔立ちをした信者像。足先以外には損傷もなく今日まで姿を留めていたことに驚かされる。
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なお、ミールプル・ハースには、30エーカー(東京ドーム約2個分)にわたって広がる仏教遺跡カフージョダロ(Kahu-Jo-Darro)がある。19世紀まで巨大な仏舎利塔があり、テラコッタ像などが発掘されたが、現在では煉瓦も持ち去られ、崩れ砂漠化して原型をほとんど留めていない。

こちらは、「ブラフマン(7世紀)」で、カルナータカ州アイホーレにあるフッチャパヤ・グディ(Hucchappayya gudi)寺院の天井部分のレリーフ。均整のとれた体躯で表現された像は損傷部分もなく素晴らしい。ブラフマンは東西南北を向いているとされる4つの顔を持ち、手には、知識や創造を象徴する数珠、ヤジュニャ(杓)、水器を持っている。足元には、ヴァーハナ(乗り物とされる動物)の白鳥のハンサが表現されている。
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アイホーレとは、インドのデカン地方、南インドを支配したヒンドゥ王朝の前期チャールキヤ朝(543頃~753)の都があったパッタダカル(世界遺産「パッタダカルの建造物群」が有名)近隣にあり、現在も一帯にはドゥルガー寺院やラードカーン寺院など、ヒンドゥ教やジャイナ教の寺院が100以上残っている。

同じく、フッチャパヤ・グディ寺院の天井部分のレリーフから、シェシャシャイ・ヴィシュヌ(Sheshashayi Vishnu)(7世紀)で、蛇床(シェシャ)に横たわるヴィシュヌ神が表現されている。
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「サダシヴァ(10世紀)」マディヤ・プラデーシュ州からの出土品。


「仏陀立像(10世紀)」でインド最南部の東側にあるタミル・ナードゥ州からの出土品。


「チベット仏像(1544年)」ヤブユム像と言われネパール語で男性と女性のエネルギーの和合を意味する。男性原理の「慈悲の方便」と女性原理の「般若」(智慧)との象徴的交合(ユガナッダYuganaddha)こそ、チベットのタントラ仏教における中心的な教えとされる。男女両尊、父母仏、男女合体尊などとも呼ばれている。


ジャイナ教白衣派の物語集「カーラカ物語」の一節(1375年インド西部)。主人公のカーラカの妹であるサラスヴァティーがウッジャイン王ガルダビラに誘拐されたため、カーラカはサカ族の力を借りてガルダビラを破るといった話。
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他に武器と防具の展示室があり、1581年に作られたムガル帝国第3代君主アクバル帝(在位:1556~1605)の鎧が展示されている。胸には宗教的な詩が刻まれている。


同じくアクバル帝の盾で、細かく金で装飾されている。牡羊座、牡牛座、双子座など12星座が表現されている。占星術は、古代バビロニアを発祥とし天体の位置や動きなどと人間・社会のあり方を経験的に結びつける占いで多くの国で行われ、インドでも古くからインド占星術として研究されてきた。


こちらは、ムンバイを拠点とするインドの財閥のタタ・グループが持つ収蔵品を展示する展示室である。グループ傘下の自動車メーカー、タタ・モーターズが世界一安い車を発売したニュースは日本でも話題になった。


博物館には他にも細密画や古代インドの貨幣、動物の剥製などが展示されている。午後6時前までゆっくり見学し、その後ホテルに戻って預けていた荷物を引き取りバス乗り場に向かう。
バス乗り場はCST駅の北西側のクロフォードマーケットにある。バス停まで歩けなくはないが荷物が重いのでタクシー(75ルビー)に乗ったが、かなり渋滞していた。タクシーを下りた後は、近くにあったレストランで夕食を食べて、午後8時40分発のアウランガーバード 行きのバスに無事乗り込んだ。バスはスリーパータイプだったので、横になれて快適だった。
(2013.2.27)
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