カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

インド・アジャンター(その1)

2013-04-10 | インド(マハーラーシュトラ)
アウランガバードのセントラル・バススタンドを午後2時過ぎに出発したバスは、100キロメートルほど北のファルダプールへ向かって順調に走行している。バスの窓からはデカン高原の殺風景な景色が続いている。どうやら少し寝ていたようで時刻は午後3時半になっていた。


しばらくするとバスが停車し、乗客が降り始めた。すぐそばに座っていた男が、手招きしながら降りていく。休憩らしい。バスから降りるとあまりの暑さにペットボトルの水を一気に飲み干した。。

休憩場所には赤レンガの建物があり、何人かの乗客が入って行く。内部には寺院のジオラマがいくつか展示されていた。美術館なのだろうか。


バスの運転手は少し離れたところで弁当(カレー)を食べ始めた。そして15分ほど休憩の後に車掌からの合図で再び出発した。その後も殺風景な景色が続いていたが、突然後部座席に座る男から肩をたたかれた。前方の車掌も手招きしているので、そろそろ、ファルダプールに着くらしい。


料金110ルビーを車掌に払いバスを降りたが、他に降りる者はいなかった。街道沿いには建物もなく何故ここで降ろされたのかわからない。路地入口に「MTDCリゾート(レストラン&ビア・バーあり)」の看板があり、ファルダプールの中心地へは、まだ1キロメートルほど先であることがわかった。


街の中心まで歩くか考えたが、時刻は午後5時になっていたので、MTDCリゾートの様子を見に行った。予定では、今夜はファルダプールに宿泊して、翌朝(日曜日)から終日、アジャンター石窟寺院を見学するつもりでいる。


MTDCリゾートのフロントの壁にはアジャンター石窟寺院のポスターが貼ってあるが、スタッフは誰もいない。しばらくすると外から年配の男があらわれたので、宿泊料金を聞くと1,330ルビー(税込)と言う。やや高い料金設定であるが、見せてもらった部屋は広く綺麗だったので取りあえず1泊することとした。


気温はアウランガバードより暑く感じる。喉も渇いたので、さっそくレストラン&ビア・バーに行ってみる。40名席ほどあるレストランであるが誰もいない上、壁際には使っていないフードウォーマーが並んでいた。本当に営業しているのか。。

しばらくすると地味なシャツを着た男が厨房から現れた。メニューも持たずウエイターには見えないが、ビールを飲みたいと言うと、厨房へ戻って「フォスターズ(オーストラリアのビール)」を持ってきた。男はビールを出すとすぐ厨房へ戻って行ったので、気兼ねなくカバンに入れていたつまみのヒヨコ豆を取り出しビールを飲んだ。


ビールを飲み終えて支払い(175ルビー)のためウエイターを呼び、2時間後に夕食は可能か聞くと、カレーなら出来ると言う。別なものが食べたかったが仕方がない。それにしても、他に誰も泊まっていないのではないか。。

約束した2時間後にレストランに来ると、先ほどのウエイターと別に従業員らしき男の2名がいるだけであった。カレーを食べていると、従業員らしい男が向かい側の席に座わり「このホテルは高いだろう。何泊するのか。日本人の友達は沢山いるし日本人が好きだ。別のホテル(500ルビー)を紹介するし、アジャンターの展望台に送る(200ルビー)がどうか。」と話しかけてきた。どうやら彼は従業員ではなくウエイターの友人らしい。それにしても、ホテルの宿泊客に別のホテルを勧誘するというのはどういう了見なのだろう。不信感を持ったが展望台に送ってくれるのはありがたい話だ。

と言うのも、アジャンター石窟寺院までは、路線バスで8キロメートル南のアジャンター・ジャンクションまで行き、更に、専用のシャトルバスに乗り換えて行く必要がある。シャトルバスを下車した場所が石窟寺院の正面入口になるため、展望台に行くためには更に正面入口から30分以上山を登らなければならない。

展望台まで送ってもらうと、あとは石窟寺院まで歩いて降りれば良いわけだ。お勧めホテルは下見してから決めることで、明朝7時に迎えにきてもらうことになった。

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翌朝、ホテルに迎えに現れたのは、約束した男の息子であった。更に車ではなくオートバイで後に乗れと言う。ヘルメットは当然ないが、しょうがない。。


最初にお勧めのホテルを見るためファルダプールの中心地に向かった。オートバイだとあっという間に到着した。街道の左側(西側)にある3階建ての小さいホテルだが、周りに建造物がないせいか、立派に見える。


ホテルに入ると左側にフロントがあり後方にはレストランが併設されていた。客室は、レストラン横にある階段を上った2階以上にある。


スタッフは階段を上った3階の部屋を見せてくれた。部屋はまあまあ綺麗だがシャワーは水だけでトイレはインド式だった。窓の外には小さなベランダがあり眺めが良い(アジャンター石窟寺院方面の高原が見渡せる)のでチェックインすることにした。ホテルのスタッフは宿泊費が700ルビーと言ったが、紹介されたと伝えると500ルピーになった。


その後、オートバイに乗ってアジャンター石窟寺院の展望台に向かった。街道はしばらく上りが続いたが、その後は、なだらかな道を進む。直線距離だとすぐ着くはずだが、道がないのか大きく南に迂回して行くため、かなり遠い印象だ。


15分ほど走行した後、道路脇にオートバイを停めて歩くと、アッパー・ビューポイントと名付けられた綺麗な公園が現れた。その公園先端にある展望台から覗き込むと、まるで上空から渓谷を俯瞰するかのような絶景が広がっていた。
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この時間は、朝日に照らされ石窟群入口の柱が宝石の様に美しく輝いて見える。これら石窟群は、U字に蛇行して流れるワゴーラー川の渓谷の断崖を約550メートルにわたって大小30の石窟がくり抜き造られており、開窟は、前期の紀元前2世紀から2世紀のサータヴァーハナ朝時代と、後期の5世紀のグプタ朝時代とで築かれた。視線をワゴーラー渓谷から右に移して行くと背後の高原が続いているのが分かる。


更に視線を右側に移すと高原が途切れ、手前の高原と重なり合った隙間から平原が見える。おそらくファルダプールの方角だろう。
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次に、アッパー・ビューポイントから700メートルほど移動し渓谷手前まで来ると、足元はごつごつした岩で覆われている。


ワゴーラー川の上流側は、地割れの様に切り立った崖になっており近づくと危ない。転落したら最後だ。そのすぐ手前には滝壺があり、この先からワゴーラー川は右に大きく蛇行して流れて行き、その左岸壁に石窟群が並んでいるのが見える。
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石窟群を見渡せる展望台(ミドル・ビューポイント)には、落下防止のための鉄柵が設けられており、安心して眺めることができる。ただ、アッパー・ビューポイントからの眺めを体感してしまうと高度が低くなり絶景感に乏しくなる。。


こころで、5世紀グプタ朝時代に絶頂期を迎えた石窟群は、その後インドの仏教衰退とともに8世紀頃には世間から忘れ去られてしまうが、1819年、ハイダラーバード藩王国に招かれたイギリス人士官ジョン・スミスが、虎狩りの最中にジャングルに逃げ込んだ際、このワゴーラー渓谷の断崖に馬蹄形の窓のようなものを見つけたことで現代に蘇ったのである。

なお、ハイダラーバード藩王国とは、16世紀初頭から北インド、インド亜大陸を支配したムガル帝国の宰相カマルッディーン・ハーンが、1724年にデカン地方に創始したニザーム王国(1798年以降は藩王国化し、ニザーム藩王国或いはイダラーバード藩王国となる。)である。

そして、アジャンター石窟寺院は1983年にエローラ石窟寺院群とともにインド初のユネスコ世界遺産の文化遺産に登録され現在に至っている。


それでは、オープン時間も近づいて来たことから坂を下って石窟寺院の正面入口に向かうことにする。坂道は綺麗に整備された歩道になっている。


ワゴーラー川の対岸壁面に馬蹄形の姿をした窓が現れた。あれが、イギリス人士官のジョン・スミスが最初に発見した石窟なのだろう。


石窟はワゴーラー川の対岸璧に続いているが、だいぶ石窟群に近づいてきたせいか、石窟入口には象らしき彫刻もみえ始めた。


階段やなだらかな坂を30分位下ると、オープン(午前9時)10分前にチケット売り場に到着した。オートバイの彼にお礼を言うと、また夕方に迎えに来ると言ってにこやかに去っていった。これ以上は約束していないので用事はないのだが、これまでのインドでの経験からこれで終わりはないだろうと思った。。


午前9時になり、オープンと同時に入口でチケットを購入し通路を進むと、岩肌に沿って石階段が続いている。階段には、継ぎ目らしい箇所がないため、岩肌を削って造られたことがわかる。石窟寺院はワゴーラー川を見下ろすほど高所まで上り、最後のなだらかな通路の先から始まっている。


通路を過ぎると、右側に中央に6本の角柱と両翼に円柱を配したアーケードを持つ豪華な石窟寺院が現れる。段丘崖にこれほどの大きな入口を設けるためには、岩肌を奥深く削り込む必要があるが、その結果、前面に大きな広場を持つこととなる。

ところで、一番乗りのだったはずなのだが、既に石窟入口には数人の男たちが座り込んでいる。


この第1窟の開窟は後期(第2期)の6世紀初頭とされている。入口を支える柱頭には仏陀坐像を中心に脇侍、飛天、信者などの浮彫が施されている。梁に相当する岩肌には、破風飾りや象や鹿、貴族の生活など仏伝を思わせる細かい浮彫が続いている。

入口に近づくと手前に座っていた男たちが立ち上がり、足元を指さし靴を脱ぐようにと言った。彼らは係員らしく指示に従わなければ勝手に石窟内に出入りができないようだ。


第1窟は、35.7メートル×27.6メートルの広さがあり、矩形の中央空間(神殿)の周りには、柱が立ち並び、壁面との間に回廊を形成している。その壁面に仏画が描かれているが、観光客は中央空間からの鑑賞に限られている。壁画は、劣化が激しく作品保護のため、照明や温度管理など様々な鑑賞制限が設けられている。


主堂の厨子には、獅子座に結跏趺坐する仏陀像が祀られ、その主堂に向かって左側の壁面に描かれた菩薩像が、アジャンターの石窟寺院の一番の見所とされている「蓮華手菩薩」で、右手指先で蓮華の茎を手にしていることから名付けられた。法隆寺金堂の勢至菩薩像に影響を与えた作品といわれている。壁画は前方の電球に照らされているが、非常に暗い。
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そして、主堂に向かって右側の壁画を飾るのが「金剛手菩薩」であるが、こちらは更に暗すぎて良く見えない。
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4面ある回廊壁面には、本生譚(ジャータカ)などの説話図が描かれているが、多くは剥落している。比較的良く残っているのが、主堂に向かって左側面のマハーシャーナカ本生譚(仏陀の前生)のマハーシャーナカ王子の宮廷の様子である。

アジャンターの石窟寺院は、19世紀に再発見される千年間、自然に埋もれていたが、降雨の影響やコウモリといった野生動物の生息などにより劣化は進んだという。現在は、壁面を這う湿気の影響や観光客など訪問者の増大等が原因となりますます劣化が進んでいる。数年前から、近いうちにアジャンター石窟内部の見学は不可能になり、今後はシャトルバス入口にあるビジターセンターでレプリカしか見られなくなると言われている。現在、壁画の劣化を防ぐため、窟内に設置している暗い電球の中でしか鑑賞できなくなっている。写真撮影は可能だが、もちろんフラッシュ撮影は禁止。また、頻繁に入場制限も行われる。

中央空間の天井は、剥落箇所も多いが格子絵(草花、想像上の動物や外国人風のカップル等のデザイン)で覆われている。中心部に描かれたメダリオンは大きく剥落しているが、瓔珞を身に着けた男女の姿が見える。ライトを照らすと、明るすぎたのか係員から注意を受けてしまった。


次に第2窟に向かうが、第1窟と同じく多くの壁画が残されていることから、こちらも警備が厳重である。やはり土足厳禁のため、入口で靴を脱いで入る。アーケード内の天井と壁面上部には、壁画が残っている。


扉口に向かって左上の壁面には、瓔珞を身に付けた貴族風の人物が描かれ、天井には、様々な紋様の格子が描かれている。


アーケード内の左右両端には、小堂があり、手前の柱の上部には美しい浮彫が施された欄間がある。壁面の仏画の様に、浮彫にも彩色が施されていた様で微かに色が残っている。
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窟内には、第1窟よりやや狭い35.7メートル×21.6メートルの広さの矩形の中央空間(神殿)があり、周りには柱が立ち並び、壁面との間に回廊を形成している。第1窟と比べると列柱に細かい浮彫がされ彩色も施され、壁画もかなり残っている。こちらは、主堂に向かって、右側回廊の壁面の様子で、本生譚や仏伝などの仏教説話が描かれているが、かなり暗く鑑賞には厳しいものがある。
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正面の主堂には、左右の柱に囲まれた奥に更に前室を持つ豪華な作りとなっている。この前室の壁画も見事なのであるが、近づくこともできず、暗いため見ることができないのが残念である。前室と回廊天井のメダリオンは剥落がなく良く残っている。


主堂に向かって右側の壁面は菩薩像に見えるが、かなり損傷している上に胸から下の漆喰は剥げ落ちている。天井は花や人物、幾何学模様などの絵画で埋め尽くされている。


彩色壁画で代表的なものは第1窟と第2窟であるが、正直、暗すぎて、思ったほどの感銘を受けなかった。とはいえ、貴重な文化遺産であり、実物を見ることができただけでもありがたい。次の第3窟は未完成窟で第4窟に向かう。8本の角柱が並ぶアーケードのすぐ内側に多くの繊細な浮彫が施された入口がある。


特に入口に向かって右側のレリーフは見所である。レリーフには観音による諸難救済の諸場面が表現されている。中央の観音像の両手は、失われているが、左手には下部から伸びる蓮華の茎を手にしていたのだろう。頭上左右には、飛天と仏陀坐像が表現され、それぞれ下に菩薩に救済を求める危機場面が表現されている。

内部は、アジャンタ石窟群の中で最も大きなヴィハーラ窟(僧院)で、第1窟よりやや広い。こちらも未完成なのか、装飾された壁面は見当たらない。


正面奥に主堂があり、中央に仏陀座像、両側には菩薩像がある。その手前には、前室があり左右両璧には右手を下げた(与願印)3体ずつの仏陀立像が飾られている。


第4窟前の歩道からは、断崖が大きく湾曲していることから、後半の石窟群を一望することができる。ワゴラー渓谷に視線を降ろすと、対岸へと続く橋が見えるが、乾季のこの時期は、水が流れていない。
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第5窟は未完成で、第6窟はアジャンター石窟群で唯一二層で造られたヴィハーラ窟である。


第6窟の一層に入ると約18平方メートルほどのやや狭い空間(僧院)に八角形の角柱が林の様に並んでいる。奥には柱や唐草紋様などの浮彫で装飾された扉枠を持つお堂があり、内部に施無印で結跏趺坐(半跏にも見える)の仏陀坐像が祀られている。

近づいてみると、お堂の手前には数人が礼拝できるほどの内陣空間があり、そのお堂の扉枠の左右には脇侍として菩薩像が、左右側面には、転法輪印仏坐像や、マーラ(悪魔)の誘惑などの仏伝壁画が残されている。お堂内の壁面にも多くの壁画が残されており、天井には格子状の紋様が、側面には仏陀坐像が数多く描きこまれている。
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第6窟の二層目は、中央に柱で囲まれた空間があり、奥にお堂がある。お堂内の仏陀像は、一層目と比べるとやや肉厚であり、左右には菩薩像ではなく螺髪姿で右手を下げた与願印の立像がある。壁画は施されておらず、お堂前の内陣にも、仏陀立像が彫り込められており、像の足元には傅く信者の壁画が残されている。

第7窟は、アマラカと蓮をデザインした柱頭を持つ柱が4本並び、並行する内側の4本の角柱の奥が広い主堂になっている。


主堂からは、2本の柱に囲まれた祠堂(厨子)望むことができる。祠堂には、前室があり、扉口を取り囲む様に仏陀立像と坐像の浮彫が施されている。特に驚かされるのは、前室の左右の壁面に施された無数の仏陀坐像の浮彫である。


向かって左壁面には25体の仏陀立像と坐像が、そして、右壁面には、58体の仏陀像がの仏堂入口周りには多くの仏陀座像が彫られている。最下部中央には、2体のナーガ(蛇神)が仏陀の座る(立つ)蓮華の茎を支えている。多くの仏陀が表現されているのは、仏陀が異教徒を仏教に改宗させるために、一瞬のうちに千体仏を出現させたとされるシュラーヴァスティーの奇蹟に基づいたものだろう。
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祠堂(厨子)内には、獅子座に座る仏堂像が祀られ、左右には蓮華を持つ菩薩像を配している。側面には、仏陀の立像が並び、隙間にも仏陀の坐像が彫刻されている。


石窟群は、第1窟を頂点に徐々に階段を降りながら続いてきたが、第8窟が最も低くなり、ワゴーラー川に架かる橋がすぐ近くに見える。第8窟は、貯蔵庫や発電室として利用されていたようで、現在は空間が残るのみである。

そして、すぐ先の大きい馬蹄形の窓を中心に、入口上部のポーチ部分に五つの小さな浮き彫りの窓がデザインされているのが第9窟である。馬蹄形の窓は、禅宗様式の火灯窓に似ている。


馬蹄形の窓の上部や左右側面にも、彫刻がほどこされているなど見所が多い窟である。また窓の左の龕には、仏陀三尊像が祀られている。


第9窟内部は、簡素なチャイティヤ窟である。仏像が登場する以前の紀元前1世紀頃に造られたため、礼拝の対象は半球形のストゥーパで、右繞できるようになっている。そのストゥーパの周りには23本の八角形の列柱が取り囲んで身廊を形成している。


柱には後期に描かれた壁画が残されている。


柱上部の梁にあたる箇所にも壁画がある。


第10窟は、高さは10メートルほどある巨大な馬蹄形の入口から形成されている。第9窟と同じチャイティヤ窟だが、開窟は紀元前2世紀頃と言われアジャンタ石窟群の中では最も古い時代のものである。


窟内は、第9窟より広い空間を形成している。天井部分はヴォールト状に岩盤をくり抜いて造られており、木造の垂木を取り付け格天井としていたと考えられている。


洞窟内は39の八角形の柱で支えられており、後期に描かれた仏陀の壁画で覆われている。


柱後方の側廊にあたる天井部分はリブ状にデザインされており、リブの間にも仏陀像が描かれているのが見える。


この第10窟が、イギリス人士官ジョン・スミスが、最初にアジャンタ石窟寺院を発見した場所であり、その証拠として、柱の3メートルほど上部にスミスのサインと石窟発見期日(1819年4月28日)が記されている。サインが上部に残されていることから、発見当時はかなりの部分が地下に埋もれていたいたことがわかる。


第11窟からは再びヴィハーラ窟となり、5世紀後半に開窟された。正面の柱をくぐると狭い前廊があり、正面扉壁面にも壁画が残されている。


前廊の天井には、格子状に描かれた壁画が残っている、鳥や草花が描かれており当時は美しい色彩で彩られていたと思われるが現在は色素は失われている。


側面の光背を持つ仏陀像はよく残っている。


正面奥には仏堂があり仏陀坐像が見える。右手が破損しているが説法印を組んでいると思われる。台座部分には礼拝する人物像も見える。


第12窟と第13窟は前期に造られたヴィハーラ窟で、第14窟は手付かずで放置された後期窟、第15窟は後期ヴィハーラ窟と続くが、特に見るべき所は少ない。
(2013.3.2~3)
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