カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

インド・アウランガバード(その4)

2013-04-09 | インド(マハーラーシュトラ)
翌朝6時、昨日買った果物をホテルで食べ、午前6時半にチェック・アウトをする。インドのホテルではチェック・インした時点から24時間毎で料金設定がされているため、初日に到着した時間までに出なければ一日分追加になってしまうのだ。


フロントのスタッフは、この後、何処に行くのか、ドライバーを紹介しようか、チップはくれないのか等と矢継ぎ早に声をかけてきたが、わからないふりをしてホテルを後にした。

外に出ると、昨日約束したドライバー(ルスタム氏)が既に待機していた。約束の午前7時半まで40分ほどの時間があるので余りに早い出迎えに驚いた。ホテルで荷物を預けるつもりだったが、スタッフの態度に呆れて持参してしまったため、荷物を見せると、座席の後ろに置き覆いをかけてくれた。
出発後、セントラル・バススタンドの近くのガススタンドで燃料を入れたため、謝礼(700ルピー)分のうち200ルビーを先に支払った。


目的のアウランガバード石窟寺院は、アウランガバード市内から北方へ約3キロメートルに位置し、丘陵地の東西9つの石窟から構成されている。西側には第1窟から第5窟まで、東側には第6窟から第9窟までの2群に別れており、他に未完成窟が2窟あるという。古いもので1世紀前後に開窟されたが、多くは7~8世紀頃に造られた仏教遺跡である。

ビービー・カ・マクバラー(アウラングゼーブ帝の妃の廟墓)を通過すると、小高い山が見えてきた。オートリキシャは山肌に伸びる通りを勢いよく登って行く。


前方に石窟寺院群が見えてきた。朝日が石窟群を照らしていることから、東側の石窟寺院(第6窟から第9窟)から行くようだ。


ホテルから20分程(約8キロメートル)で到着した。駐車場らしき広場でオートリキシャを下りて歩いて行く。数十メートル進んだ左側に見えるのが第7窟で、その右上に第8窟がある。


第7窟入口の柱には二体仏を中心に、周りをメダリオン状に細かい装飾で覆われている。懸仏の様にも見える。


第7窟の柱をくぐると横広の長方形の前廊になり、主堂側の左右両側に門衛として大きな観音菩薩像がそれぞれ彫られ、周りにも小さな菩薩像が数体彫られている。向かって左側は、見事な体躯をした金剛手菩薩像で、周りに傅く衆生の像もあることから、諸難救済観音像とされる。


主堂に向かって前廊右奥にある祠堂壁面にはパーンチカとハーリティーの像があり、対して前廊左奥にある祠堂壁面には七母神像(サプタ・マートリカー)が彫られている。
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主堂内に足を踏み入れると、中央に巨大な祠堂(厨子)があり。仏陀椅像が祀られている。仏陀に向かって厨子内の左側壁面中段には、右足を軽く上げステップを踏む女性舞踏家を表した像を中心に様々な楽器を使う演奏家が配されている。第7窟には、多くの観音菩薩像があり観音信仰が盛んだったことが覗える。また小窟もいくつかあり、修行僧のそれぞれの瞑想場所とされたのだろう。


第7窟を出て手前の階段を上ると第6窟がある。


主堂入口の両側には大菩薩像が彫られ、奥に第7窟同様に内部に仏陀の椅像が祀られている


第6窟の左手前には小さな祠があり、ガネーシャ神を本尊に、七母神像(サプタ・マートリカー)が並んでいる。ガネーシャ神は、シヴァ神とパールヴァティーとの間に生まれた長男であり、サプタ・マートリカーは、シヴァの妻の一柱であるカーリー(ドゥルガー女神やパールヴァティーと同一視される)の眷属として戦う七女神であることから、両者はシヴァ系として密接なつながりがある。


第8窟は未完成窟だが、その脇に設置された階段を上って行くと、


巨大な段丘崖が覆う内側に角柱が整然と並ぶ第9窟がある。窟入口前は水平に削られた広場になっており、朝の日差しを浴びて眩しく輝いている。


角柱レリーフには豊満な体つきの三体の母神像が彫られている。主堂の本尊は第7窟同様に仏陀椅像で、周りに菩薩像が彫られているが、未完成のものが多い。


第9窟入口手前の広場の左端には約5メートルの仏陀涅槃像があるが、残念ながら未完成である。


時刻は午前8時半になり、一通り見学を終えて駐車場に戻ったが、他に見学者はいないようだ。それでは、再びオートリキシャに乗り西側の石窟寺院群に向かう。


西側に位置する石窟寺院群への最寄りの駐車場には5分ほどで到着した。目指す第1窟から第5窟までの石窟寺院群は、正確には、小山の南南西に位置しており、強い日差しを浴びた階段先の斜面に見えるのがそうだ。


階段を上りきり、振り返ると南東方向にヒンドゥ教寺院のある小山がある。そして右側に微かに見えるビービー・カ・マクバラーの遠景がアウランガバード市内になる。


第1窟へは、第2窟から第4窟前を通り過ぎて階段を上りきった一番奥の高所にある。第1窟の入口手前の広場には、何がしか構造物があったようで、薄い基壇の上に柱の下部が残っている。


第1窟を支える入口の柱頭には母神像など細かい彫刻が施されている。そして入口手前左端の壁面上部の庇の際には、両脇に菩薩像を配した過去七仏の小さな浮彫像が残されている。


入口はアーケード状になっており、内側の両端壁面と厨子入口に向かって左前面の三か所には、共に、三尊像の仏龕レリーフがある。こちらは、左側の壁面にあるレリーフだが、仏陀が座る台座に傘を持ち支える二神像の浮彫があるのは珍しい。なお、厨子内は何もなかった。
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次に階段を下りて第2窟に向かう。


入口は簡素で小ぶりな窟だが、入口の柱をくぐった内部には大きな空間があり、中央に大菩薩像により護られた祠堂がある。


祠堂内には、色彩の残る仏陀椅像が祀られており、祠堂内の壁面には多くの仏陀像や菩薩像の装飾で覆われている
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祠堂の外壁には四角形で区画された仏龕があり、隙間なく三尊像を基本に彫した浮彫が施されている。こちらの仏龕にも第1窟のアーケード内の壁面にあった仏陀を傘で支える神像の浮彫が見える。
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祠堂は周遊できるようになっており、右繞すると祠堂壁には瞑想する仏陀坐像と菩薩像の装飾が施されている。


次に、第3窟に向かう。こちらも簡素な造りだが、


天井と床は水平に削られ重厚な柱で取り囲むように仕切られたヴィハーラ窟である。修行僧はこの場で生活しながら瞑想を行なったのだろう。


柱頭にはパーンチカとハーリティーらしき像を中心に唐草紋様など繊細な浮彫が施されている。柱頭上部の梁にあたる箇所には、お堂の浮彫が連続して彫られ、中央僧院を取り巻いている。
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窟内の最後部に祠堂があり、菩薩像を門衛とする仏陀椅像が祀られている。


祠堂内はかなり暗いので、ライトで足元を照らすと、両脇には仏陀に向かって礼拝する信者の像が見える。


第4窟はチャイティヤ窟で、アウランガバード石窟寺院の中でも、最も古く開窟されたもので、BC1世紀~1世紀頃とされている。エローラ石窟寺院と比べれば小ぶりな造りであり、装飾も少なく素朴なストゥーパが祀られているが、それがかえって洗練された近代建築のようにも見える。また、天井は石を積み上げて造られたのかと見まごうばかりの美しいヴォールト状になっている


そして第4窟に向かって右側の祠には、獅子の台座に座る仏陀像が祀られている。脇侍を持つ三尊像だが左側の損傷激しい観音菩薩像のみが残っている。


祠に向かって少し右側に進むと階段があり、祠の上にある第5窟に行ける。階段を上ってすぐ右側の窟内を覗くと、良く磨かれた仏陀像が鎮座している。


以上で、アウランガバード石窟寺院の見学は終わりである。全体的な印象としては、エローラ石窟寺院ほどの派手さもなく全体的に小ぶりではあるが、そのことが、かえって距離感も近く身近に感じられる。しかし何と言っても他に観光客がいなかったことが一番良かったのかもしれない。

時刻はまだ午前9時過ぎである。駐車場に戻ると、見学料の徴収に係員が現れたので100ルビーを払う。ドライバー(ルスタム氏)にアウランガバード石窟寺院に連れて来てくれたことを感謝すると、次にミュージアムに連れて行くと言う。

アウランガバード市を離れるには、時間は早いので、言われるまま次に向かうことにした。ぐんぐん山を下り、樹木に囲まれた公園通りを疾走した後、広場にオートリキシャを停め公園内を歩いて行く。15分ほどで、円形状の博物館が現れたが、扉が閉まっていた。

しかし、公園の通路には、ジャイナ教の開祖マハービーラガネーシャシヴァ神シヴァ神とパールヴァティー女神などの石仏があちらこちらに展示?されていたが、あまりの無造作な置かれ方に盗難の被害に遭わないのか心配になった。

石仏を見ながら散策した後、もう一か所、ミュージアムが有ると言われ、5分ほど北方面に走ると到着した。オートリキシャを降りると周りにヤギがいる。


その先は、城壁の様な壁に覆われアーチ門の奥に建物が見える。この建物はソネリ・マハール(soneri mahal)と名付けられた博物館で、先史時代から現代まで様々な工芸品を収蔵している。綺麗に整備された公園の奥(西側)に建物が見える。入口で10ルビーを支払い入場する。館内は撮影禁止だが、仏教、ヒンドゥ教の彫像やインド細密画、発掘されたテラコッタなどが展示されている。30分程見学した。

なお、遠景(西側)はゴバ・ババ山(Goga Baba Hill)で、1時間弱で上れる初心者向けトレッキングコースとして人気があるそうだ。

次に「パーンチャッキー」前を過ぎカム川を渡ってアウランガバード中心部に入り、旧市街のバザールのジュナ・バザール・チョウクに向かった。このバザールは150メートルほどの距離に市場がひしめいている。


その後織物工場を見学する。アウランガバードでは、金糸や絹糸を織り込んだヒムローという織物が有名である。その後土産店にも連れて行かれ、すっかりツアーのようだが、ちょっとしたものだけ買って適当にあしらいお店を出た。


こちらは、アウランガバード市のデリー門(北門)である。ムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブ(在位:1658~1707)がデカン戦争(ムガル・マラーター戦争)におけるマラーター王国からの侵略を防ぐ目的で、1682年、市内に造った城壁門の主要門(東西南北)の一つで、最も大きく威厳のある門である。ラホール門(オールド・デリーのラール・キラー)に良く似ている。


時刻は午後12時半を過ぎたため、ドライバーから食べたい料理を聞かれたので、ビールを飲める店と言ったところ、連れて行かれた場所は他の客が誰もいない中華料理店であった。一緒に食べようとドライバーを誘ったが、入ることはできないと断わられた。

諦めて一緒に入れるレストランに行こうと誘うが、そこではビールを提供していないらしい。それでも良いので一緒に食事をしようと誘うと、彼は酒屋(ワイン・ショップ)前でオートリキシャを停め、買って車内で飲めと言った。その後、食事に行くというわけだ。複雑なインド社会の一面を見せられたようで、少し考え込んだが、バッグ内には栓抜きもつまみもあるので、500ミリリットルのストロングビールを一本購入後、車内で飲んでレストランに向かった。そのレストランは、市内中心部を南北に横断する大通り沿いの半地下にある「スワドゥ(Swad)」というお店だった。


注文したターリーはゴージャスな内容だった。味も良く二人前で300ルビーである。ドライバーは、店主から何やら話しかけられていたが、かなり恐縮した様子だった。やはり少し無理強いしたのかもしれない。。


食事後、セントラル・バススタンドまで送ってもらった。予定外の場所も見学でき、大変満足したので、少し多めに謝礼をし握手して別れた。ドライバー(ルスタム氏)は年配に見えたが40歳半ばだった。


時刻は午後2時前である。英語表示がないので、昨日同様、手当たり次第にファルダプール(アジャンタ石窟寺院最寄りの町)行きのバスの場所を聞く。バスに乗り、同乗者に再確認し、車掌にもファルダプールに着いたら教えてほしいとアピールしているとバスは直ぐに出発した。これでアウランガバードとはお別れである。

(2013.3.2)

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