カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

インド・アウランガバード(その2)

2013-04-05 | インド(エローラ、アジャンター)
午前6時半、ホテル(プシュパック・リージェンシー)の部屋で朝食(昨日屋台で買ったトマトとバナナ)を食べて、これからエローラ石窟寺院に出かける予定だ。バス停は、昨日夜行バスが到着したセントラル・バススタンドになるため、アウランガバード駅前からオートリキシャに乗り向かった(20ルビー)。到着したバススタンドには行先と番号が付けらたレーンが数多くあるが、英語表示がないので行先が全く分からない。手当たり次第に周りにいる人にエローラに行くか聞くと皆バスを指さし教えてくれた。


バスに乗り込み、念のため乗客にエローラに行くかを確認すると頷いたため、安心してバスの中央やや前方の右側窓際席に座った。この場所だと、多くの乗客でも押しつぶされずに済むし、車掌や前後の乗客に自分の存在をアピールしやすい。そんなことを考えながら座席に座っていると、何やら乗客が騒ぎ出し皆バスを降りていく。
どうやらこのバスは何らかの理由で出発しなくなったらしい。しかたがないので、他の乗客と一緒にバスを乗り換える。乗り換えたバスの車掌にエローラに行くか聞くと頷いた。そうこうしているうちにバスは出発した。時計を見ると午前7時20分であった。


バスは順調に進んでいく。乗車率は50パーセントくらいだろうか。思ったより空いている。昨日ツアーバスから見慣れた景色が通りすぎ、出発から45分程過ぎたころ車掌から降りる準備の合図があった。車賃は30ルビーであったので安い。。窓の外には、昨日見たエローラ石窟寺院の境界柵が見える。第1窟付近だろう。昨日の体験からそろそろ到着かと考えたその際、バスはエローラに向かうバス停に到着した。他に降車する客はいなかった。


周りに停まるジープやオートリキシャのそばを通って進むと入口が見えてきた。既に下見済みのため慣れたものである。入場チケット(250ルビー)を購入し石窟方面に進む。ところで正面の第16窟から見学を開始するか第1窟からにするか悩んだが、先に第16窟を見ると他が色あせてしまうため、第1窟の仏教石窟寺院から順番に見学することにした。石窟前の歩道を通って南側(右側)に表示番号を遡っていく。この時間はまだ早いのか観光客はまばらであった。10分程歩くと最南端の第1窟に到着した。
※エローラ石窟寺院の地図はこちら

第1窟前から、通り過ぎた石窟群を眺めると、シャラナドリ台地の段丘崖を削り取って造られた石窟の様子が良く分かる。
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仏教石窟寺院はチャイティア窟(祠堂窟)とヴィハーラ窟(僧院窟)の2種類から構成されているが、この第1窟はヴィハーラ窟である。石窟の手前には、工事用の足場が組まれており、入口には天井崩落を防止するために石材を積み重ねた3本の角柱が新たに設置されている。窟内に入ると水平、垂直に削り取られた小さめの空間(僧院)が広がり、壁には所々に穴が開き、仏龕か蝋燭を置く窪みだけが残っている。壁には所々にドアがあるが装飾のない極めてシンプルな造りであり、まるで引越した事務所の一室の様である。穀物や食料の貯蔵庫として利用していたと考えられている。


第2窟もヴィハーラ窟で、第1窟と隣り合っているが、やや高い位置にある。階段を上った所にある長方形の狭い入口や小さめな左右の窓(蝙蝠や鳥の侵入を防ぐための金網で覆われている。)など、一見アパートメントを思わせる造りである。入口左右には菩薩立像の門衛レリーフがあり、その周りには仏龕や飛天など装飾が施されている。
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狭い入口から第2窟に入ると、中央に石柱で囲まれた正方形の空間がありその奥に見えるドア内に仏陀像(本尊)が祀られている。中央の石柱は、下部は角柱で、中央からは縞模様の円柱で柱頭は大きく膨らんだ円盤状になっている。中央部には太鼓腹のクベーラかヤクシャらしき坐像と唐草紋様の細かい装飾が施されている。


窟内は入口や窓が小さく、覆いもあるため外光が入りにくくは暗い。本尊前のドア壁面には門衛として菩薩立像や飛天などが彫られている。ドア奥(厨子)に奉られた本尊は左右脇侍に菩薩像を配し、椅像で説法印(転法輪印)を結んだ姿を見せている。厨子内の側面には更に仏陀の立像や手を合わせて跪く信者の姿など仏教世界が彫り込められている。ドアには二重に固定枠があることから、当時は観音開きの扉などが付けられていたのだろう。
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中央空間を取り囲む様に側廊がある。本尊に向かって左右の側廊には、一段高い場所に列柱がありアーケードを形成している。


アーケード奥の壁面には、本尊同様に、多くの仏陀三尊像が彫り込められており、全ての柱と柱の間から三尊像を礼拝できる造りになっている。
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第3窟は、段丘崖下部のやや奥まった場所に造られているため、崖に覆い潰されそうな感覚になる。入口は、前面を覆う段丘岩肌を過ぎて回り込んだ所にある。内部は第2窟と同じ正方形空間を側廊が取り囲んだヴィハーラ窟(僧院窟)だが、未完成のようだ。入口から見て正面奥には、本尊の祀られた厨子があり、こちらも第2窟の厨子内の荘厳と類似しているが、やはり未完成である。


ここから先の第4、5窟以降を眺めると、二段(二層)にわたり石窟が造られているのが見える。


その第4窟すぐ手前の2階を見上げるとテラス状になっており、厨子の一部が崩落して仏陀像が剥きだしになっている。その真下(1階)にも厨子があり、説法印を結ぶ仏陀椅像を中心に両脇から側面にかけて仏陀立像や菩薩が取り囲んでいる。


足場で支えられた庇の下を奥に進んだ角柱の場所が第4窟の入口になる。2本の角柱のすぐ先に門衛の菩薩像が二体刻まれた壁面があり、間の厨子内に三尊像(椅像)が祀られている。厨子内に入って周りを見渡すと側面には彫像はないが未完成なのだろうか。他に僧院らしき部屋もないが、庇の下の空間には、もともと列柱が並んでいたのではないだろうか。


庇の先端まで戻り、先にある階段を上った右側が第5窟である。第5窟の入口前から右に向かうと、先ほど下から仰ぎ見た仏陀像を正面に見ることができるが、その手前の階段は崩落しそうに薄く危険である。
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さて、第5窟はマハルワダ窟と名付けられたヴィハーラ窟で、内部は幅18メートル×奥行き36メートルの巨大な講堂になっており、中央には、入口から奥の本尊方向に僧侶が座ったと言われる台座が二列伸びている。このことからこの窟は僧の集会所もしくは食堂だったと言われている。奥の本尊は、第4窟までの荘厳を踏襲している。これだけの広い空間を支える平らの天井岩盤には敬服するばかりである。


第5窟の入口前から、左側にある岩肌沿いの階段を数段上った先に第6窟がある。扉には鍵がかかって入れないが金網を覘くと通路を挟んだ壁面のドアの奥に仏陀像の祀られた厨子がある。第4窟(1階)と良く似た造りで、手前の壁面の左側には、金剛手菩薩像が右側には菩薩像の門衛レリーフがある


再び階段を降り岩壁に開けられた狭い長方形の扉が第7窟の入口で、石窟内部の足元は削られたままの凹凸面が広がっている
次に歩道に示された第8窟に向かう。正面の正方形にくり抜かれた空間のすぐ奥には、細い2本の柱で支えられた正方形の厨子があり、その厨子内に、三尊像が祀られている。


第8窟の入口手前の左岩肌にはパーンチカとハーリティーの彫像がある。パーンチカは、クベーラ(毘沙門天)の部下で八大夜叉大将の一人。そしてハーリティーは鬼子母神のことで二人は夫婦である。ハーリティーは、他人の子供をさらっては食していたが、仏陀が彼女の末子を隠したことで、他人の親の悲しみを知り、以降は子供を守る神(多産と育児の神)となった。
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パーンチカとハーリティー坐像前から見上げると細かく美しい浮彫が見える。その下に見える入口が第9窟である。


第9窟には、これまでの窟になかった入口の上部に細かい装飾が施されている。破風を思わせる様な三角形の龕の中には仏陀坐像が表現され、その下のまぐさ石にも繊細な浮彫が多数施されている。


第9窟へは、第6窟(2階)前から通路を通って直接行くことができる。巨大なまぐさ石の下の2本の角柱先の通路を挟んですぐ目の前に仏陀椅像が現れたため、やや唐突感があった。入口上部の荘厳からチャイティア窟(祠堂窟)と思ったが、ここもヴィハーラ窟(僧院窟)とされている。


さて、パーンチカとハーリティー像のある岩壁に沿って回り込んだ段丘崖の奥に、二層に掘られた第10窟が現れる。第10窟(昨日見た)はヴィシュヴァカルマ窟と呼ばれ、7世紀後半から8世紀前半に造られた。12窟ある仏教石窟寺院唯一のチャイティア窟(祠堂窟)である。
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二階部には寺院の外観を思わせるような浮彫レリーフを中心に左右対称の飛天が施され、上下の梁にあたる部分には、ミトゥナ像が繰り返し表現されている。左右の壁面下部には破風飾りがあり、仏陀像や菩薩像の細かい浮彫が見られる。特に破風飾りの下の仏龕には、手をつなぐ親子を思わせる菩薩像があり、印象に残った。


上から見下ろすと入口前は、アーチのある三辺のアーケードで囲まれ、境内地を思わせる空間がある。宗教上の儀式行事は、窟内だけでなく、この場所でも行われていたのではないだろうか。

1階から石窟内に入ると、西側が入口となるため、窟内はライトで照らされている。ライトに照らされた仏陀像は、優しい表情で気持ちが落ち着かされる。石窟でヴォールト天井にしているのは不思議である。石組みではないためバシリカ式教会堂で見るような平らな天井で良いと思うのだが。


ストゥーパ後方には通り抜けることができる空間があり、仏陀に見守られながら右遶三匝ができるようになっている。


次の第11窟も周りの段丘崖の奥にあり、歩道からは階段を上って行く。石窟は、柱と梁を垂直・水平に組まれた軸組工法と見まごう造りである。そもそも石窟だからこそ可能な形状であり、実際石を積み上げた場合は強度の問題もあり難しいだろう。外観には派手な装飾もなく、廃墟になったオフィス・ビルかマンションの様にみえる


内部を歩いても水平な廊下を歩いている感覚になり、外を見渡しても、ビルの窓から眺望しているようだ。厨子内には、定印(瞑想印)を結ぶ仏陀坐像が祀られている。


次が昨日見た第12窟で蓮華手菩薩過去七仏等の彫像がある。これで仏教石窟寺院は終了になる。時間は10時を過ぎたところ。


さて、次からヒンドゥ石窟寺院になるが、その第13窟は岩壁に大きく口が開いただけで内部には何もないため、先の第14窟に向かう。


第14窟の床面はでこぼこと波打っており未完成に感じるが、壁面のヒンドゥ教の神像群は見事な造りである。


こちらは「踊るシヴァ神」。ヒンドゥ教の三大神とは、創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ及び破壊神シヴァだが、シヴァ神は、ヒンドゥ信者の間で最も人気のある神とされており、こちらの踊るシヴァ神は、躍動感溢れる踊りの瞬間を見事に捉えており、エローラ石窟寺院の彫像の中でも最高傑作の一つと言われている。
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こちらは「聖地カイラス山にてサイコロで遊ぶシヴァ神とパールヴァティー女神」でこの構図もヒンドゥ教の寺院でよく見られる。パールヴァティーとはヒンドゥ教の女神でシヴァ神の神妃を表す。ガンジス川の女神であるガンガーの姉であり軍神スカンダやガネーシャの母でもある。
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そして「ヴィシュヌ神の猪神への化現」。ヴィシュヌ神は世界維持の神とされる。あまねくものを照らす働きをする太陽を神格化したのがヴィシュヌであり、世界を維持する。悪魔を滅ぼす神であり、魚、亀、猪、ラーマ、クリシュナ、など10の姿に化現する。
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「悪魔の水牛マヒシャースラを退治するドゥルガー女神」。ドゥルガーとは「近づき難い者」を意味する。外見は美しいが、実際は恐るべき戦いの女神である。アスラの王が軍勢を率いて天界を攻め、神々を追放してしまったため、神々の怒りから生まれたドゥルガーが次々とアスラの軍勢を滅ぼしたとされる。
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次に第15窟(ダシャ・アヴァターラ窟)は、丘の上にあるため階段を上って行く。


階段を上った先の潜り戸を抜けると、中庭があり、中央に正方形の舞楽殿がある。左右は段丘崖を削ったままの壁面に囲まれ、舞楽殿の背後の段丘崖には、第11窟、第12窟と同じ軸組工法を思わせる石窟がある。


石窟に入った1階部分には装飾はない。階段を上り2階に向かう。整然と並ぶ多くの角柱には装飾がないが、中庭に面した角柱にのみ細かい彫刻が施されている。その角柱の奥壁には彫刻のレリーフが見える。


彫刻は「魔王ヒラニヤカシプと戦うヴィシュヌ神」の場面である。半人半獅子の姿がヴィシュヌ神で、身体をよじるのが魔王ヒラニヤカシプである。下半身が崩壊しているのが残念だが、この空間で本当に戦っている様な躍動感にあふれた構図である。
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反対側の奥壁には「ヴィシュヌ神の超三界」の場面のレリーフがある。悪魔が、天、空、地の三界を支配したため、ヴィシュヌ神は小人となって悪魔の前に現われ、三歩の地を得たいと申し出でると、小人はたちまちに巨人へと変じ、左脚を高く上げ、三歩で三界を占めてしまうといった場面である。
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柱の並ぶ空間の中央奥壁には、シヴァ神の象徴としてリンガが祀られている。そして、リンガからやや離れた場所には、シヴァ神が乗るナンディ(牡牛)像が向き合うようにあるが、近代建築的な僧院には、似つかわしくない風景である。


中庭を望むと舞楽殿を真下に見ることができる。左右を取り囲む壁面を見ると、岩を削り取りこれらの空間が造られたことが分かるが、言われないと建造物と思ってしまう。


さて、いよいよ次がエローラ石窟寺院を代表する第16窟(カイラーサナータ寺院)である。


入口に向かう。時間は午前10時45分を過ぎ、観光客も増えて来た。
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正面には段丘崖を削って造られた巨大な塔門が聳え立ち、まるで要塞を思わせるどっしりとした造りである。扉口の上部には巨大なまぐさ石と、左右には列柱が続き、様々なヒンドゥ神の彫刻が施されている


扉をくぐり通路を進むと、正面に、水蓮の上に座った姿で、左右の二頭の象(ガジャ)から聖水を注がれているガジャ・ラクシュミー女神が迎えてくれる。その女神像前の左右からカイラーサナータ寺院の境内地(中庭)に出ることができる。女神像は、「ナンディ堂」と名付けられたお堂の正面にあり、境内地(中庭)から「ナンディ堂」を眺めることができる。見学は左側の境内地からスタートすることにする。

「ナンディ堂」の「踊るシヴァ神」のレリーフ上部に彩色が残っていることから、カイラーサナータ寺院は鮮やかに彩られていたのだろう。2階の空間にはシヴァ神が乗るナンディ(牡牛)像があり、奥の「本殿」に祀られたシヴァ神(リンガ)が乗るのを待っている(奥の本殿まで通路になっている)。1階には部屋はないが、次の「前殿」とを繋ぐ橋脚の下を通り抜け反対側(右側)の境内地(中庭)に行くことができる。
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橋脚下には巨大な(2メートルを優に超える)彫像が向かい合うように壁面を飾っている。「ナンディ堂」側の壁面には力強く表現された「怒れるシヴァ神」があり、
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そして「前殿」側の壁面には、同サイズの「瞑想するシヴァ神」がある。
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「ナンディ堂」のすぐ隣には高さ17メートルのスタンバ(旗竿付きの柱)が聳えており、その手前には、巨大な象の彫像がある。

その奥の壁面には、2層にわたるアーチのあるランケーシュワラ寺院で、寺院内にはシヴァ神とパールヴァティー女神やガネーシャ、スーリヤなど多くの神々の彫刻が施されている。柱の繊細な浮彫彫刻も見事である

さて境内地(中庭)を奥に進むと、「前殿」の外壁には「ラーマヤナとマハーバーラタの物語」の「マハーバーラタ物語」が刻まれている。古代インドの二大叙事詩(宗教的、哲学的、神話的)として語り継がれており、共にヒンドゥ教の聖典として重視されている。
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カイラーサナータ寺院は、ラーシュトラクータ朝(プラティーハーラ朝、パーラ朝と共に、デカン地方で覇権を争っていたヒンドゥ王朝)の君主クリシュナ1世(在位:756~775)の命により、ヒマラヤのカイラス山(ヒンドゥ教でシヴァ神が住むとされる須弥山)をイメージして開窟された。
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入口にある「ナンディ堂」、バルコニーがある翼部を持つ「前殿」、そして「本殿(中央の大シカラと後方の3つの小シカラからなる)」とが連なる巨大な寺院(高さは約34メートル、底面は85メートル×50メートル。)で、完成までに100年の歳月が費やされた。参拝者は巨大なカイラーサナータ寺院の周りの境内地(中庭)を周遊できるようになっている。
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カイラーサナータ寺院を取り巻く壁面は削り込んだ荒々しい断面のままで、地上近くで内側に深く掘りこまれ、奥に柱が並ぶアーケードとなっている。柱の下の基壇には、浮き彫りが見られ、基壇の上のアーケード内は通路がありコの字の回廊を形成している。参拝者は、中庭のカイラーサナータ寺院と、ヒンドゥの神々が刻まれた内側の壁面を見ながら回廊を歩くことができる。


「前殿」そして「本殿」の基壇部の上には象の彫像が並んでいる。これらは「宇宙を支えるゾウ群」と呼ばれている。「本殿」の最後部には小シカラが3塔聳えている。


3塔目の小シカラを回り込むと、反対側の境内地(中庭)になる。
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「前殿」のバルコニーがある翼部の基壇には、深彫りされた中にシヴァ神のいるカイラーサナータの丘を持ち上げようとしているラーヴァナ(魔王)の巨大な彫像がある。かなりダイナミックに表現されている。
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その隣には先ほど反対側で見た「マハーバーラタ物語」に対して「ラーマヤナ物語」が刻まれている。
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この時間のカイラーサナータ寺院は太陽が真上に近づくため、窟内から見上げる大シカラは逆光になるため直視できない。と言うことで丘の上から見下ろすことにした。

一旦塔門から外に出て、先ほど見学してきた仏教石窟寺院方面に続く歩道を戻って進む。そして巨大な丘陵岩を左に見て通り過ぎたところに岩を削って造られた階段がある。カイラーサナータ寺院の入口塔門からは100メートル近く離れており、何の案内表示もないことから事前に登頂を予定しておかなければ偶然で行くことはできない。この時も他に登って行く人はいなかった。


階段を上り手前にあった巨大な丘陵岩の上部を回り込むと、なだらかな通路に変わり前方に続いている。しばらく進むと前方に「本殿」の大シカラが見えてきた。
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通路沿いには柵などはないため、こわごわと前方を覗き込む。上ってきた通路は更にカイラーサナータ寺院の後方の丘に伸びており、そのまま、対璧方面に続いているようだ。カイラーサナータ寺院の後方近くまで来ると、通路は巨岩に掘られた細い溝だけになり、かなり歩き辛くなる。
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やや斜め後方から覗き込むと、「本殿」中央の大シカラと、その前の「前殿」が見下ろせる。「本殿」の大シカラは、カジュラーホーで多く見られた北方型のナーガラ様式(砲弾型、或いはトウモロコシ型)と、南方型のドラーヴィダ様式(ピラミッド型)とを併せ持つヴェーサラ様式で造られている。塔は4層に分かれているようで、各層には、神々の像や牛、獅子などの彫像も見える。「前殿」の蓮型の浮彫がある屋上の象や獅子の彫像などは、この場所でしか拝めない。
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しゃがみ込み少し横に移動しながら、再び覗き込み、
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次に、対璧側まで行き、覗き込むと、「本殿」最後部の3つの小シカラまで良く見える。大シカラと小シカラの下部はテラスになっており、歩くことができる。
カイラーサナータ寺院を取り囲む壁面は丘陵地の岩を下へ下へ垂直に削り取って造院されたことも良く窺える。ここからの風景が全て一つの岩からノミとカナヅチ等で掘られたと想像すると気が遠くなりそうだ。
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(2013.3.1)

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