カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

インド・アウランガバード(その3)

2013-04-09 | インド(マハーラーシュトラ)
これまで、エローラ石窟寺院の第1窟から第16窟(カイラーサナータ寺院)までを順番に見学してきた。ところで、時刻は午後12時を過ぎたため、昼食にするか悩んだが、ビールを飲みたくなるので諦めて、一気にヒンドゥ教寺院の第17窟からジャイナ教寺院の第34窟までの全窟を見学することにした。


第16窟を過ぎると辺りに観光客がいなくなった。ツアーで見学する場合は、時間も限られており、仏教寺院の第10窟、第12窟、ヒンドゥ教寺院の第14窟、第16窟等を見て終了するケースが多いだろう。

明日は、適当な時間に路線バスに乗ってアジャンタ石窟寺院最寄りの宿泊地に移動する予定だが、昨日のMTDCの市内ツアーで行けなかった(ツアーに含まれていなかった)アウランガバード石窟寺院が心残りでならない。このため、オートリキシャを雇って明日午前中にアウランガバード石窟寺院を見学した後、午後のバスでアジャンタ石窟寺院方面に移動しようと考え始めていた。

そんなことを考えながら歩いていると歩道の右側に石窟寺院群が現れた。なだらかな丘陵地を掘削した小規模な石窟が続いているが、彫刻や装飾が少ないため、第16窟を見学した後だと物足りなさを感じてすぐに通過してしまう。


第21窟は、岩肌を削って造られた階段の上にある。上った先には岩を水平に削った前庭があり、2メートルほどの高さの立方体台座の上にナンディ像が鎮座している。
クリックで別ウインドウ開く

前庭から石窟入口に向かって右壁にはヤムナー女神が、そして左璧にはガンガー女神像が迎えてくれる。特にガンガー女神は凛とした佇まいで美しさが際立っている。


石窟内に足を踏み入れると、長方形の前廊が左右に広がり、その奥には前廊の1/3ほどの広さの空間がある。その空間中央には、左右に菩薩像が衛るリンガ(本尊)が納められた祠堂が立っている。本尊に向かって前廊左前面には、「カイラス山を持ち上げようとする魔王ラーヴァナ」が、対して前廊右前面には「サイコロで遊ぶシヴァ神とパールヴァティー女神」、下段には「ナンディ」のレリーフがある。


この第21窟の一番の見所は前廊右側の祠堂にある「七母神像(サプタ・マートリカー)」であろう。サプタ・マートリカーとは、ドゥルガー女神の放出形カーリーと一緒にアスラ族の指揮官ラクタヴィージャと戦う七女神のことだが、多くは美しい母の姿で表わされる。特にこちらの彫像群はそれぞれ女神の表情や仕草が微妙に異なり母性の豊かさが巧みに表現されており、大変見ごたえのある作品である。
クリックで別ウインドウ開く

その祠堂内を覗き込み、正面の七母神像から視線を左側に移すと「踊るシヴァ神(ナタラージャ(舞踏家の王)との別称を持つ)」のレリーフがある。こちらのシヴァ神は、一般的に良く見る足を蹴り上げるポーズではなく、軽くステップを踏む姿で表現されており、舞台で踊るダンサーを見ている様だ。こちらも見事な作品である。
クリックで別ウインドウ開く

対して前廊左側にある祠堂には「シヴァ神とパールヴァティー女神の結婚式」の彫像があり、


祠堂内の右側(本尊側)には「悪魔の水牛マヒシャースラを退治するドゥルガー女神」のレリーフがある。


続く第22窟から第25窟までは見所が少ない。。

次の第26窟は、第17窟からの比較的なだらかな段丘面にあった石窟寺院群と異なり、威圧感のある段丘崖の下部にある。近年修復されたと思われる綺麗な柱をくぐると左右に祠堂を持つ長方形の前廊が広がり、正面奥の空間にリンガを祀った祠堂がある。窟内の造りは第21窟と類似しているが、前廊に彫刻はなく、奥の中央祠堂の左右にある菩薩像は損傷が激しかった。


第26窟前の歩道から次の第27窟はすぐ近くに見える。この辺りから歩道は崖沿いに続いている。


第27窟の入口は、奥行の狭いアーケードの先にある。その入口脇の左右の壁面には、三神像の浮彫が施されており、右側の像は未完成だが、この左側の像は見ごたえがある。左からブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神だが、この三神が本来は一体であると言う考え方が、ヒンドゥ教のトリムルティ(三神一体)である。ブラフマー神の顔は三つ見えるが、本来は四面なので、裏にもう一つ顔があるとみるのだろう。

なお、ヒンドゥ教の基盤となったバラモン教の根本はブラフマー神だが、仏教にも早い時期に取り入れられた。なお、仏教では、仏陀が成道したとき、万民に悟りの内容を説くようにすすめたのが、ブラフマー(梵天)である。左右の三神像の中央にある。

入口を入ると装飾のない前廊空間と奥に菩薩像2体が衛る祠堂があるが、リンガは失われている。

第27窟の先から崖路になり左にカーブしながら丘の麓に続いているが、通行止めになっている!

この場所は、雨季には河川が滝となって流れ落ちる場所のため、崖線が浸食により崩落するのだろう。現在は、乾季のため、崖路の下の滝壺には、少量の水たまりがあるだけである。
前方に見える丘の麓には、車が停まっているため、一旦第16窟前の入口まで戻り、オートリキシャで車道を向おうか思案していると、滝壺の堰堤を歩き斜面を登って行く人の姿が見えたため、見習うことにした。しかし滝壺まで下り堰堤を渡るまでは簡単だったが、丘の麓までの上りはかなり急であった。


這いつくばい草木に捕まりながら上りつめ、舗装された広場に出ると、すぐ右側に三辺を垂直に削られ大きく口を開ける第29窟が現れた。他にも数人の観光客がいた。


正面の列柱をくぐったすぐ左端の壁面には「パールヴァティー女神をかどわかそうとした魔王アンダカと対決するシヴァ神」の巨大な彫刻が施されている。シヴァ神の牙をむき出しにした憤怒の表情は破壊神としての側面を強調している。アンダカは一説には、象の姿をしているともいわれていることからだろうか、シヴァ神が右手に持つ剣の後ろには象の頭が見える。
クリックで別ウインドウ開く

対して右端の壁面には「シヴァ神とパールヴァティー女神」があり、下には「カイラス山を揺らすラーヴァナ」が施されている。窟内は多くの柱が並ぶ広い空間だが、左右にも出入口があり、外光が窟内を明るくしている。
クリックで別ウインドウ開く
中央奥には、四方から望めるシヴァの神殿がある。神殿は四面とも左右にドゥロルパラ守護神を配しており、中央に祀られたリンガを護っている。左右の出入口には、「シヴァ神とパールヴァティー女神の結婚式」や「サイコロで遊ぶシヴァ神とパールヴァティー女神」などの彫像レリーフがあったが、どれも全体的に肉付きの良い表現である。

なお、この第27窟は、規模や造りが、ムンバイーの「エレファンタ石窟寺院群」の第1窟に良く似ているものの、彫像群は、残念ながら、エレファンタ石窟寺院群ほどの躍動感や写実性はない。

さて、以上で仏教寺院とヒンドゥ教寺院の見学が終わったが、次の第30窟から第34窟までのジャイナ教寺院は少し離れた場所にあり、午後の炎天下では歩く気がしない。広場にいた2台のオートリキシャの手前にいたドライバーと交渉し120ルビーで往復(帰りは第16窟前の入場口まで)してもらうことにした。

しかし良く考えてみると、第27窟下の滝壺を危険な目にあいながら歩かずとも、第16窟の入口まで戻ってここまでオートリキシャで来て、待機してもらっていれば良かった。。

オートリキシャに乗り3分程でジャイナ教寺院手前の広場に到着した。なだらかな坂を歩いて行くと、足元には第32窟(第30窟は離れている)と表示があり、正面に城門が現れる。


正面の城門をくぐると、三方(左右後方)其々の崖面に2層づつ石窟のある中庭が現れた。その中庭中央には、左右にスタンバと象の彫像を持つチャトルムカ祠堂(四面堂)がある。中庭の其々の配置は、第16窟(カイラーサナータ寺院)と似ている。


ジャイナ教は、仏陀と同時代のマハーヴィーラを祖師と仰ぎ、アヒンサー(不害)を厳守するなど徹底した苦行・禁欲主義で知られている。また、「無所有」の教えから衣服は所有しないため常に裸体である(白衣の着用を認めている派もある)。

中庭にある四面堂は、世界に向かって教えを説く場所と言われ、内部には開祖マハーヴィーラの四面坐像が祀られている。なお、ジャイナ教では、開祖マハーヴィーラの前に23人の祖師がいたとされており、その祖師を総称してティールタンカラと呼ばれている。


四面堂の後方の石窟が第32窟の主堂になる。内部には角柱に囲まれた正方形の神殿空間があり、中央最後部にはマハーヴィーラの坐像が祀られた厨子があるが、装飾がなく簡素な空間となっている。

しかし、2階に上がると、1階とは大きく異なり細かい装飾が施されている。中央部分には、円柱(下部は角柱)で囲まれた正方形の神殿空間(サルヴァトバドラ(Sarvatobhadra))があり、天井から、巨大な蓮の花弁が神殿を見下ろしている。そして、その神殿を回廊が取り巻いており、中央最後部には1階同様にマハーヴィーラの坐像が祀られた厨子がある。周りには4人のティールタンカラ(第1祖師、第22祖師、第23祖師パールシュバナータ、第24祖師)が、礼拝の方向に向かって立列している。


神殿を取り巻く円柱(下部は角柱)は、縞模様で装飾された円盤状の柱頭を持ち、角柱部分の四隅には、合掌するヤクシャらしき像が鎮座し、糸華鬘(組み紐)を表した浮彫で繋がっている。


中庭に面した回廊側の左右の壁面にはそれぞれ見事な坐像がある。こちらは、鋳造仏を思わせる様な色合いで重量感のあるヤクシャ王クベーラ神(象に乗っている)である。クベーラ神は日本に伝わり、毘沙門天、または金毘羅になった。


反対側は、アンビカ女神(ヤクシニー)で、果物のなるマンゴーツリーの下で獅子の背に座っている。残念ながら獅子の顔は失われているようだ。


中庭に面した回廊天井には、升目に組まれた格天井がデザインされ、其々に蓮の花の装飾が表現されている。石窟内には、色彩の痕があちらこちらに残っているが、アンビカ女神の上部にある蓮の花の装飾の周りには人物などの色彩が良く残っている


回廊から中庭を眺めると、四面堂の頂部が望め、第16窟(カイラーサナータ寺院)で見た本殿のシカラに似ているのが分かる。


この第32窟の主堂の左右の壁面にあるお堂に行ってみる。こちらは中庭に向かって右側のお堂だが造りは主堂と同じで神殿を中心に、中庭側から外光の入る最後部には厨子があり、開祖マハーヴィーラの坐像が祀られている


そして、マハーヴィーラの坐像に向かって左側には、が第1祖師アーディーシュヴァラが、そして右側には、蔦の蔓が巻きついた第2祖師ゴーマテーシュヴァラのそれぞれの像が祀られており、中央神殿を取り囲んでいる。


この第32窟の2階と第33窟は繋がっており、更に第33窟の1階と第34窟とは行き来が出来るようになっている。第33窟の1階は第32窟の主堂より小さいが、中央に回廊が取り巻く神殿があり、最後部にティールタンカラを本尊とした造りは同じである。


柱は破風飾りや唐草紋様など非常に細かく装飾されている。中でも糸華鬘の籠で転がる愛くるしいヤクシャらしき浮彫は何とも微笑ましい。回廊奥にアンビカ女神(ヤクシニー)女神が見える。
クリックで別ウインドウ開く

反対側にはクベーラ神が祀られているが、こちらは第32窟のクベーラ神と比較してややスリムな体型である。


第33窟を外から眺めてみる。一層目と二層目の間の庇は大きく張り出したテラスになっており、象の彫像や岩壁には細かい装飾がされている。柱の梁には色彩が残っており、更に左側に見える仏龕も彩色されている。その下に見える入口から隣の第34窟に行けるが、堂内は第33窟をより小さくした造りであった。


ひととおり見学が終わり時計を見ると午後1時半を過ぎており、流石にお腹がへった。待たせていたオートリキシャで第16窟を望む入口まで戻り、昨日も行ったMTDC直営のレストランで食事をする。ノンベジ・ターリ・リミテッド(チキン)(150ルピー)とビール(160ルビー)を頼んだ。美味しく満足した。


さてホテルに戻ることにし、今朝バスを降りた辺りまで来ると、近くに停車しているジープの運転席から、がっちりした体格の男が降りてきて、アウランガバード駅まで送って行くと言う。一旦断るが、バス料金と同じ30ルビーで良いと言われ乗ることにした。


後部座席に乗り込むが、なかなか出発しない。バスも来ないのでそのまま乗って待っていると、他にも数人客を乗せて出発した。しばらく走ると、街道から離れて民家らしきところに行き停車する。すると、降りていく人がいるが、また地元民が数人乗車してきた。別の場所でも同じことが数回続く。どうやら地元民の足となる乗合ジープらしい。バスより時間がかかっているような気がしてきた。。

午後3時半にアウランガバード駅前に到着した。手持ちのルビーが少なくなったので、昨夜食事したレストランの隣にある両替所(spice money)に入り、両替レートを尋ね10,000円を出すと5,350ルビーになった。コミッションもなくデリーでのレートとほぼ同じだった。


その後、ワイン・ショップでビールとつまみを買い、ホテルに戻ろうと、駅前まで来ると数台のオートリキシャがたむろしているのが見えた。立ち止まっていると、そのうちの1人(痩せて白髪まじりの60歳前くらい)が近づいてきたので、明朝、アウランガバード石窟寺院に行けるか聞いたところOKと言う。ついては、700ルピーで、朝7時半にホテルに迎えにきてもらい、アウランガバード石窟寺院を見学して、セントラル・バススタンドで降ろしてもらうことになった。


これで、気がかりだったアウランガバード石窟寺院への訪問計画もたったので良かった!その後、ホテルに戻りシャワーを浴び、ビールを飲んで一息つけて、昨夜のレストランの隣のレストランに向かった。キムチチャーハンと肉団子(甘酢味)(130ルピー)を頼んだ。チャーハンは辛くはないが、濃いケチャップ味でほぼチキンライスだった。

(2013.3.1)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« インド・アウランガバード(... | トップ | インド・アウランガバード(... »

コメントを投稿