そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第37日  御坊市・あやめ旅館へ

2016年02月03日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月16日(水) 晴 (海南市・黒潮旅館~御坊市・あやめ旅館)



4時45分、今日は長丁場なので、暗い中を出発。


西空に満月、東天に明けの明星をいただいて歩きはじめる。

5時、日方川を渡ると、海南市消防本部防災センター前に万葉歌碑あり。
「黒牛の海 くれなゐにほふ ももしきの 大宮人し あさりすらしも  万葉集」




5時20分、案内図。このあたり、国道42号線は「熊野街道」と呼ばれている。国道のやや東側に「熊野古道」、と。  


海南市中心部を抜けると、空は一気に明るくなる。  

5時30分、小トンネルを9つばかり越えていくことになる。

藤白トンネル。


途中で、海南港。


5時45分、緩やかに坂を上っていき、冷水第三トンネルと、その先に第二トンネル。


6時5分、かなり高度を上げ、眼下に和歌浦湾。下を通るのはJR紀勢本線。 




観音崎トンネル。


6時20分、一番長かった塩津第一トンネル(406m)。


7時25分、最後の鰈川トンネルを抜けて、有田方面へ向かう。


7時30分、有田市に入る。
 

山の斜面にミカン畑。




8時20分、黄色い有田大橋。


有田川はゆったりと流れ、遠くに海も見える。紀伊水道である。


有田市は、「たちうお漁獲量日本一」の街でもある(右側に表示あり)。


左折し、川に沿って県道171号、県道20号と遡行、再び国道42号と合流し、さらに遡行。


9時15分、対岸のみかん畑の間に、「日本一 有田みかん」。


9時35分、対岸の河川敷に鯉のぼりの列。あと20日で端午の節句。しかし、今日は風がないので勢いなし。


9時45分、有田川鵜飼の案内板と鮎供養塚。




そばに本居宣長の歌碑。
「山遠く こえこしかひも 有田川 見渡し清き 瀬々の白波  宣長」


10時15分、有田川町。


10時50分、湯浅町に入る。


JR紀勢本線。


11時、湯浅町栖原の歩道橋。「つれもて しよら シートベルト」(一緒にしましょうシートベルト、かな?)。ふと、宮崎の「てげてげ運転追放」を思い出す。


湯浅町は醤油と金山寺味噌の街。






11時25分、広川町に入る。


12時、井関。


このあたりから国道42号線と熊野古道が交錯するようになる。ちょっと歩いてみたが、すぐに戻った。


12時10分、県道21号線と分岐する井関の交差点手前で振り返って道路表示をみたところ、「和歌山41㎞ 海南31㎞」。交差点先には、なんと「白浜61㎞ 御坊20㎞」とあるではないか。宿探しも含めて45㎞+αと踏んでいたのだが、甘かったようだ。50㎞を超すか越さないかでは、精神的なダメージに大きな差がある。‥‥とはいえ歩くしかないが。

さらに、みかんの販売所で、お婆さんから2個100円で買ったが、ボケていてパサパサだった。もったいないが捨ててしまった。泣き面に蜂。

ともかく気を奮い起こし、山間部に入っていく。

12時45分、山の斜面にはいたる所にみかんの木。


12時50分、あえぎあえぎ上りきったところで、水越峠(標高241m)を貫いている水越トンネル(長さ551m)。


13時5分、「すいせんの町 由良町」。


峠の下で、軽トラックの78歳の男性が、「持っていくかい」と言って、みかん1袋をくれようとした。持ちきれないから、と言ったら、2個タダでくれた。しばらくお喋り休憩。彼は、和歌山県の林道巡りを軽トラでやっているそうで、地図を見せてもらったが、ずいぶん赤線が引いてあった。山菜や茸の図鑑なども見せてくれた。いつか奥の細道を歩いてみたいと言っていて、講談社のカラーの本を買って時々ながめているのだが、年齢的にもう無理だろう、と。

山間部から田園地帯へと緑の中をどんどん下り、






13時55分、ゆらこども園の歩道橋。由良町畑にて御坊まで12㎞の表示。やや安心。


野草やら


鯉のぼりを写す余裕が出た。


14時20分、ふたたび上り、里トンネル。


14時55分、下って上り返し、長さ597mの由良トンネル。


15時5分、日高町に入り、一気に下る。




16時、御坊市に入る。


宿の近く、小松原の交差点で、ドライバーに尋ねたところ、親切にナビで調べて教えてくれた。JRの御坊駅と、紀州鉄道の紀伊御坊駅とはちょっと離れていて、間違えそうだったので、助かった。

16時55分、あやめ旅館に到着。12時間余りの行動だった。宿泊、2食付き 6200円。

宿で一休みし、先ほど貰ったみかんを食べた。瑞々しくて甘く美味なり。みかんもいろいろ、お年寄りもいろいろ、である。

途中の藤白坂には、天皇に対する謀反を疑われて18歳で処刑された、悲劇の皇子である有間皇子の墓があったのだが、今日の行程の長さを考え立ち寄らなかった。
また、途中で熊野古道と交錯するなどし、藤原定家などに思いをはせつつルートを外れて少し歩いてみたが、同じ理由であまり深入りはできなかった。

歩数  72304歩  (累計  2007798歩)
距離  51km    (累計  1292km)
費用  6926円   (累計  195522円)



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