そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第60日  小田原市・JR 小田原駅へ

2016年03月04日 | 2014年太平洋側の旅-前半
5月9日(金) 曇のち晴 (三島市・三島グリーンホテル
              ~小田原市・JR小田原駅~JR川崎駅~自宅)




この間、連日長距離を歩き、足にガタが来ているため、作戦を変更することにした。右足のマメが化膿したところは依然として肉が盛り上がってこず、かさぶたにもならず、カットバンとテーピングで抑え込み歩行中の痛みはなんとか我慢しているが、1日の行動が終わると相変わらず血がにじみだしている。また、そのため歩き方が不自然になったと思われ、調子のよいときは問題なく歩けるが、何かの具合で両足ともに足底全体がズキンズキンと痛み出すようになってきた。宿の風呂で入念にマッサージするもなかなか効果がでない。‥‥というわけで、今日、箱根を越えたら、小田原で泊まらずに自宅へ戻り、明日と明後日は、自宅から空身のピストンでルートを埋めることにした。

4時30分、暗い中、ヘッドランプで宿を出発。昨晩、雨が降った気配あり。

三島大社に行く前に、白滝公園から大社西側の桜川に沿って並んでいる、「水辺の文学碑」を見ていく。


大岡信。


宗祇
「すむ水の 清きをうつす 我が心」


正岡子規
「三島の町に入れば 小川に菜を洗ふ女のさまも やや なまめきて見ゆ

面白や どの橋からも 秋の不二 」。


桜川。左側に碑列。


十返舎一九。


右側に碑列。


松尾 芭蕉
「関こゆる日は雨降て、山皆雲に隠れたり。

霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」


若山牧水。


司馬遼太郎。


窪田空穂
「水底にしづく園葉の青き藻を 差し射る光のさやかに照らす」


太宰治




小出正吾


穂積 忠
「み町なみに富士の地下水 湧きわきて
冬あたたかに こもる水靄」


井上靖


「水辺の文学碑」


4時50分、三島大社へ(西側の鳥居)。


総門、


神池。


神門、


舞殿


本殿。足の痛みが軽減するようお願い。


大鳥居。


その後、県道22号線を行き、箱根峠を目指す。




5時15分、JR東海道本線を越えた先に箱根旧街道入口。




足のことを考えれば、国道1号線の舗装道を行きたかったが、せめて雰囲気だけでもと、とりあえず並行する旧街道の方を行くことにする。

5時20分、愛宕坂。凸凹して歩きにくい。




大根の碑、
「箱根八里の馬子吹消へて 今は大根を造る歌  源水」。


松並木。


5時35分、錦田一里塚。




5時50分、白い花を眺めつつ上っていく。




6時、臼ころげ坂の六地蔵。


法善寺。




6時15分、雲の切れ間から富士山。


6時30分、松雲寺。




見上げる藤の花。


6時45分、こわめし坂を上りきった地点。


6時50分、笹原一里塚。


かなり上がってきた。


きれいな石畳の上り坂。




7時10分、長上坂は石畳工事中につき、国道1号線へ迂回。




急に霧がおりてくる。空気が一気に冷えて寒くなるが、ザックを背負った上りなので汗は止まらない。


7時20分、通行止めの終点だが、このまま国道1号線を上る。




7時30分、山中城跡にて小休止。




そばに「雲助徳利の墓」。


三島市が、彼について記しているところによれば、この雲助さんは、松谷久四郎という一説にさる西国大名の剣道指南役。大酒のみで事件を起こし、箱根で雲助に。とはいえ、元は侍なので、雲助仲間の面倒を見たりしたので、彼らから親分以上に慕われた‥‥とか。死後、供養のために仲間が盃と徳利を刻んだ墓を作った、のだそうだ。


さらに霧の杉並木を行き、


7時50分、三島市から、


凾南町に。


枯木坂を少し上るも、足裏が痛く、結局は霧の国道へ。




8時40分、箱根峠に着き、神奈川県に入る。


8時50分、「道の駅 箱根峠」から芦ノ湖を望む。こちら側は晴れて暖かい。小休止。




だらだらと下っていき、






「東京箱根間往復大学駅伝競走」の往路ゴール地点を過ぎ、

9時25分、箱根関所。




大休止とし、関所と箱根関所史料館などを見ていく。400円。










10時、箱根八里の碑を見て、


下り始める。

旧東海道杉並木の中を通り、




10時50分、御状岩。源頼朝がこの岩の上で書状をしたためた‥‥と。


11時、「国道1号最高地点 874m」


あとは小田原まで一気の下り。箱根駅伝の復路6区のコースである。新緑の中、急なジグザグを車を避けつつどんどん下る。

12時30分、箱根駅伝第35回記念碑 。駅伝の練習中に交通事故で亡くなった専修大学の小山国夫選手のお母さんの「鎮魂の句」が刻まれている、とあり。
「若ざくら箱根の山に 植えられて 恵みのつぼみ ひらくうれしさ」。




急な下りに夥しい車の量にヒヤヒヤしつつ歩く。実際、この駅伝の往路5区の上りは言うまでもないが、復路6区で急坂を駆け下るのも並大抵のことではないだろう。谷底に落ち込んでいくような感じである。選手たちの訓練のたまもの、との感強し。

13時55分、函嶺洞門。


バイパス工事が2014年2月に完成したため、封鎖されていた。2015年から駅伝のコースは変更になる。


小田急線の箱根湯本駅から先はもう観光客やハイカーで人の波であった。

14時35分、小田原市に入る。


15時15分、星槎城山トンネルを抜けて、


15時30分、JR小田原駅へ。


東海道本線に乗りJR川崎駅へ、そして、
17時、自宅に着く。


歩数  68200歩    (累計  3145356歩)
距離  38㎞       (累計  2043㎞)
費用  2090円     (累計  332261円)


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