ショパンコンク一ル一連の配信を観ながら沢山の事考えました。
胸に迫ることもいくつかあって。
ショパンの音楽はどんな風が素敵かとか、自分好みの演奏はとか、贔屓のアーティストさんは誰とか、様々な楽しみ方があるのですが、もっと違ったことも沢山感じました。
それは・・・音楽で生きていく・・・ということについてかなー。
反田さんを始めコンテスタントたちは皆、並外れて才能豊かなことは確か、一般人とは勿論違いますが・・・。
それでも音楽を生業として生きる事は、どんなにか様々に想いを廻らし、途方も無い程の準備をしなければならないことと。
とても正直に話す彼の話は、音楽を目指した者、その周囲に生きた人々にとっては、事の大小はあっても他人事ではありません。
自分の体格、容姿はこれから行く道に叶うだろうか?(演奏そして競争にも耐えられるかも含めて。)
かなり多くの方々が、最初に思い浮かべる、あるいは指摘されることです。
「背丈が足りない、舞台では・・・。」とか、「その手で・・・?モーツァルトばかり弾いていてもねー・・・」様々な音楽に関して何処でも聞くことです。
準備は?生活費を始め、勿論、音楽学校や留学など諸々の経費、その後のこと。
音高、音大へは経済的に恵まれていないと進めないかなー・・・、しがない勤め人の子が音楽なんて止めたほうが。
言葉にすると、何だか・・・、でもこれも何処でも聞くことです。
大勢の人前で、自分を壊さずにいられるだろうか?半端ではない心的な重圧に耐えうるのか?
ショパンの音楽は西洋の音楽!!なのだし、自分の音楽は果たして?
見えない将来の不確実なことをゴクンと飲み込んで進む以外無かったはず。
これらを全て理解し、環境を整えられる境遇でも難しい道なのですから。
「のだめカンタービレ」にも描かれていました。のだめが孫・ルイのようだったら、こんな苦労も少しは無いのにと千秋君が嘆くところです。
私たちね、コンサートで形の無いプレゼントを戴いているから、中々実感として、それを人に伝えられないのよね。
それがどんなに大きいかを。
音楽を伝える力は、ものすごく努力したことからしか生まれない。
その深い想い、とっても尊いものを戴いてる!のですもの。
特に演奏する方を目の前に出来るなんて、ほんとはね、こんな幸せは滅多に無いこと。
特に現在の状況下、音楽家の置かれている状況を考えると、どうしたら良いか簡単には考えられません。
今までの様には、中々ね、人数を少なくして出来るのか、あるいは会場を広く!か、どうしたものか・・・。
コンサートを計画するには、きっと何処でも考えていることでしょう。
以前にも書きましたが、成り行きを観ながら、一生懸命考えている最中です。
改修が終わった本堂で、シニアの皆さんが仏教音楽を。皆で祈りました。
そう。音楽は祈り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/c2/e8d6a5b5e1b6bdfb47444ae01b49b809.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/b1/acfd33db191663ee6e004f8b0e9bda6b.jpg)