鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

接点復活剤

2015年06月23日 00時00分01秒 | 紹介

 家電製品が市場に多量に販売されていて、消費者にとっては、大変便利となり、生活の向上に寄与している。しかし、どの製品であっても、購入後経年によって故障を引き起こす。特に屋外での使用や、使用する環境が厳しい場所であれば、故障の頻度は高くなり、製品の寿命も短くなる。喩え、製品に付属している取扱説明書に沿って取り扱っていても接点の劣化は避けることが出来ない。多くは、酸化による接点部金属の通電不良であり、本体の寿命だけではない。多くの方は新品に交換するのであるが、接点復活剤が有効な場合もある。

 

 ホームセンターや家電製品販売ショップ等で市販されている。スプレータイプは、復活剤にLPガス等を加えてガスの力で噴霧するタイプである。復活剤は酸化防止剤が入っていて、油脂と混合してある。電子製品のスライドスイッチ、コネクタなどの各種接点の接触抵抗の低減を目的としている。電気的な抵抗は使用頻度とも関係し、頻度が高くなれば、汚れや酸化が進むため、電気抵抗が高くなるためである。

 

 取り扱いは、直接接点にスプレーするのではなく、綿棒等に付けて、接点部の汚れを除去する。スイッチのON/OFFを繰り返す。清掃が終われば、余分な接点復活剤を拭き取る。この操作を何回か繰り返す。余分な復活剤が残ると埃を固着し、返って、不良になることもあるので注意する。

 

 油脂分を含まない製品、例えば、ダイヤモンドカーボンナノ粒子を用いた「ナノカーボン」という商品名の品は、通電接触部分を接触部に微細なカーボン粒子が付着することによって、通電改善を行う。スクワランオイルを用いているが、接触部の洗浄、保護をする効果があるとのことである。この他に伝導性が高い金属である金や銀、銅の微粒子を用いた接点復活剤がある。

 

 物理的な破損以外の経年変化による家電製品の故障には、廃棄する前に一度、接点部分に接点復活剤を使用してみることをお進めしたい。市販品は高くても1本500円以下である。家庭の常備品として購入しておくと良い。埃が災いすることが多い家電製品が多い。廃棄物業者が、故障で使えなくなった製品をホースで水をかけ、乾燥するのを待って電源を入れるとまた使える様になると聞いたことがある。これはお進めできないが、時々掃除機を使って埃を吸い出すことや圧縮空気で吹き飛ばすことは必要であろう。


単位の定義変換

2015年06月22日 00時00分01秒 | 紹介

 分かっている様でよく分からない基準の一つに単位があるが、2018年に開かれる国際会議で、質量や温度などを測定する単位の定義が大きく変わろうとしている。変更するのは、4つの単位である。昨年の国際度量衡総会で質量の定義を2018年に改訂する方針が決まっている。総会は4年に1回のペースで、フランスで開催され、質量や温度、電流、時間などと、世界共通の国際単位系で使う7つ(メートル、キログラム、秒、アンペア、ケルビン、カンデラ及びモル)の基本単位の定義を定めている。

 

 大幅に改訂するのには理由があり、従来のもの(人工物)を使って決めていた定義、例えば、質量を規定しているのはキログラム原器であり、温度は水の三態が同時に測定できる三重点温度計などであるが、若干ではあるが、長年の時間経過の中で、人工物は変動する。技術進歩が烈しい昨今では、ものによる基準ではなくより変化が少ない原子レベルの精密測定が安定するとした物理定数で定義し、採用することになっている。

 

 新たに質量の定義には原子の数と質量との関係を表す数の「アボガドロ定数」である。アボガドロ定数は、(国際単位系 物質量1モルは12グラム中に含まれる炭素原子C12の数であり、6.0×10の23乗個の要素粒子または要素粒子の集合体、たとえば、酸素分子の分子量は32.0なので、1モルの酸素分子は32.0gとなる。)炭素原子の重さが変わらない限り、質量の基準も変わらないとするもので、質量数12である基準となる炭素原子をアボガドロ定数の数だけ集めたときの質量を12グラムとする。現在の測定は、不純物が少ない単結晶シリコンを用いて、真球度50nmの密度標準原器をエックス線干渉計で計測する。将来的にはこの方法で質量を定義することになる。

 

 温度については、熱力学的温度の単位としてケルビンKは三重点温度計の1/273.16であり、通常我々が使っている℃はセルシウス度といっていて、1セルシウス度は1ケルビンに等しい。これも変わりそうである。三重点温度計ではなく、温度とエネルギーを関係づける「ボルツマン定数」を使うことになる。一定体積の気体の温度が高くなるとエネルギーが大きくなる。ボルツマン定数はその比例係数である。

 

 基本単位が変わることによる日常の生活には全くといって影響しない。しかし、基準となるものが変化することがあっては、作り上げてきた多くの機能に影響しないとはいえない。2018年に向けた動きについて、その動勢に関心を持つ必要は有るであろう。


市民アカデミー15前期第8回目

2015年06月21日 00時00分01秒 | 日記

 お菓子と文化・人はお菓子に夢を見る

 

 講師は吉田菊次郎氏で、(株)ブールミッシュ代表取締役社長である。小柄で山高帽を被り見るからに威厳がある様に見えたが、話が始まると1時間半を早口でしゃべり終えた。アカデミーの講師としては異例で、人生経験を踏まえ、楽しい講義であった。

 

 簡単に略歴を紹介すると、1944年東京生まれ、明治大学商学部外卒業後渡欧し、フランス、スイスで製果修行。その間数々の国際賞を受賞する。帰国後「ブールミッシュ」を銀座に開業する。現在同社社長の他、製菓業界の要職を兼ね、文筆活動、テレビ、ラジオ、講演等で活躍中である。

 

 話はフランスの修業時代が中心であったが、フレンチの人気が高まり、多くの若者がこの業界へ入職することに対して、プロのご本人も驚いている様であった。昔は父親が洋菓子店を細々と開いていて、何度も倒産の危機にあったそうで、一念奮起し渡欧したとのことであった。

 

 話は食にまつわる見識の広さを披露するもので、フレンチのいわれはなかなか造詣が深く、フランスの宮廷料理は、同盟関係を作るための政略結婚が根にあり、様々な国の女性陣が母国の食事を伝え、結果的にはフレンチに集約されたとのことであった。確かに、台所やお袋の味など女性陣が牛耳る傾向が強いのはどこの国も同様であり、それと同時にミシュランに代表される気品と食材の利用方法等は食文化を超越した拘りを感じるものである。

 

 菓子は基はといえば、植物の果実を食することから始まったとのことで、我が国では茶の湯と結びつくお茶の当てとして発達した様である。中村屋の話も出た。インド料理(カリー)、ロシア料理(ボルシチ)は、先代が匿った政治亡命したインド人・ロシア人から教わったレシピを現在作り続けていて、元はといえばパン屋で、現在の発展の裏には人の繋がりがある等のエピソードを語ってくれた。

 

 NHKや民放のテレビでは多くのドラマやクイズ番組に関与されている様で、ケーキが登場する場面の殆どは講師が手がけたものだそうである。早朝のテレビ番組は殆ど見ることもなく感心はないのであるが、講師の口から出る女優や男優との内輪話も聴いてみるとおもしろい世界である。著書も「お菓子の歳時記」、「デパートB1物語」「洋菓子事典」「洋菓子彷徨始末」「西洋菓子・世界の歩み」「東北新スイーツ紀行」他多数出版されている。


義務教育学校

2015年06月20日 00時00分01秒 | 提言

 昨日の通常国会で可決された小中一貫攻制度については、昨年7月初旬に政府の教育再生実行会議の提言を首相に提出した流れが発端となっている。不登校等就学環境の変化に起因する問題の解決に当たって、その緩和策として、現行の義務教育9年間を一体化させ位、仮称として、「小中一貫教育学校」を制度化するものである。一貫校の名称は、テーマにした義務教育学校となる。

 

 提言の背景となった事柄に、小学校における授業に集中できない生徒が多くなっている状況があり、授業中に勝手に教室を抜け出る、意味もなく暴れる、奇声を発する等により、授業が行えないケースも多いという。小学1年生の所謂、小1プロブレム、小学校を卒業し、中学校へ入学したが、環境に馴染めずに不登校が増えている中1ギャップなどである。この緩和策は、9年間の義務教育を同じ学校で実施し、小・中学校の分離をなくすことがその対策に有効であるといわれてきた。

 

 現行では、当然と考えていた小学校卒業後は私立学校でない限り、地域の別の中学校へ入学することが行われていた。従って、教員や同級生が大幅に入れ替わるのが普通であった。このことによって、就学環境が変化することによる児童へのストレスについてはさほど焦点が当てられてこなかった。このストレスを軽減させることも提言の内容の一つである。

 

 また、複線化とも感じられるが、現行の小中学校も制度として残し、小中一貫攻制度を設置するかどうかは自治体の判断にゆだねることとしている。更に、導入に当たっては、学年の区切りも弾力化し、柔軟且つ効果的な教育を目指すことにしている。幼稚園や保育所が担う幼児教育との接点も意識され、無償化についても段階的に考慮することとしている。

 

 提言の中では、高等教育にも触れていて、実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化についても提言している。更に、一貫校の導入による校長は1名となり、教員については新たな教員免許制度創設にも言及している。

 

 提言がその後どのようになるかを見守ってきたが、通常国会による賛成多数の可決で、実際にどのような形に収まるのか、来年度4月から導入される見通しであり、詳細な動向が気になるところである。


再生可能エネルギーその6

2015年06月19日 00時00分01秒 | 紹介

バイオマス

 

 バイオ bio は生命の意味で、biology は生物学のことである。バイオマスは生物量のことで、エネルギー資源という意味で使われている。古くから燃料として使われてきた、薪、炭は植物を燃やして、そのときに発生する熱を利用してきた。不完全燃焼させて、一酸化炭素ガスを主成分とする可燃性ガスを燃料にした木炭自動車もあった。この他にバイオコークス、糞燃料、バイオガス、バイオエタノール、バイオディーゼル、バイオ重油、バイオマス燃料等がある。

 

 地球上に存在するバイオマス資源は1兆8000億トンといわれていて、その量は膨大であり、毎年1700億トンが新たに生産されている。中でもバイオエタノールの生産は、既にガソリンに10~20%加えて混合したガソホールは実用化されていて、乗用車の燃料として使われている。

 

 この生産を概説すると、生物の発酵力を利用して、各種のバイオマスを液化し、糖化させて、酵母を作用させてエタノールを得るものである。バイオマスは芋類の糖質、廃糖蜜、セルロースなどを用いる。テキーラ(スピリッツ)を生産するのに利用している細菌をDNA組み換えして、生産効率を上げることが行われている。一方、バイオエタノールにシフトすれば、穀物や果実の高騰をもたらす。大豆やトウモロコシ等にも既に影響が出ている様である。

 

 バイオマス資源から水素やメタンなどのバイオガスといわれる気体燃料を生産することが出来る。水素は大腸菌や藻類が分解に係わる時点で水素ガスを発生する。その量は微量のため、連続的な生産には向いてていないが、従来から有機廃棄物を原料とし、メタン生産菌を作用させる。メタン発酵を行うことでメタンガスを発生させることが行われてきた。メタン生成速度は遅いため、菌の高濃度化等の改良が行われている。

 

 バイオマスとしての石油植物であるユーカリ、アオサンゴ、アブラギリ、グアコール、ミドリムシ等が生体内に持つ油脂を精製して、軽油や重油の代替燃料とすることが研究され、採取が行われている。栽培効率を高めることで環境破壊をもたらし、乱獲することによる、自然界のバランスやサイクルを破壊することへの規制や対応が追いついていない面もあり、今後全地球規模での検討が行われることになるであろう。


おくのほそ道(4)山形その4

2015年06月18日 00時00分01秒 | 旅行

「友人中道敏彦氏紀行文の投稿です」

(4)酒田、湯殿山

  酒田海鮮市場でづけ丼の朝食をとって、9時に日和山公園に行く。鶴岡から舟で酒田に着いた芭蕉が舟を下りた所で、公園の脇に芭蕉道がある。公園は川沿いの街中にあり、よく整備されていて気持ちが良い。日枝神社を見て、公園の中心部の高い所にある芭蕉像と2つの句碑を見る。

      暑き日を海にいれたり最上川

      あつみ山や吹浦かけて夕すずみ

公園の展望台から最上川の河口を見渡すことができた。

 30分ほど公園にいて、月山道路で山形に向かう途中、湯殿山を見学する。湯殿山の分岐点から山に入ると、道端にまだ雪が残っており、天気も小雨が降りそうである。10時45分、湯殿山バス停に到着、丁度本宮行の専用バスが出発するところだった。バスは細い道をくねくね登って1㎞、約5分で本宮下に着いた。

そこから少し歩いた所が本宮である。周りの山は傾斜が強く、谷筋に雪が残っていていかにも険しい感じがする。

 湯殿山から約1時間で山形駅に着いた。駅ビルで相変わらずのざる蕎麦を食べて、2時過ぎの「つばさ」で帰途についた。

 今回の旅は、いわばおくのほそ道の最難所をめぐる旅であり、われわれもその一部を楽しむことができた。旅をして思うのは、視点を変えれば新しい発見があるということである。芭蕉も見たであろう、というだけで風景が違って見える。

それにしても気心の知れた友とのわがままな旅はいいものだ。M君、A君、今回もありがとう。


おくのほそ道(4)山形その3

2015年06月17日 00時00分01秒 | 旅行

「友人中道敏彦氏紀行文の投稿です」

(3)最上川・羽黒山

 ホテルの朝食はわれわれ3人だけで静かなものだった。今日はいよいよ最上川と羽黒山を訪ねる日である。天気が良いのが嬉しい。8時10分に出て、8時半に芭蕉たちが舟に乗った本合海(もとあいかい)に着いたが、乗船場所は特定できず、対岸に八向楯という岸壁と神社が見えるところに駐車して、しばし河の流れを眺めて楽しんだ。朝日を浴びた最上川は清々しく、豊かに流れていた。

      五月雨をあつめて早し最上川 

という芭蕉の名句が口をついてでた

 そこから川沿いに47号線を西に走る。新緑が鮮やかで美しい。最上川は日本3大急流の一つに数えられ、途中には険しさわ増すところもある。やがて雪を頂く月山が見えてくる。のびのびとした山容である。芭蕉が舟を下りた清河から47号線を離れ、羽黒山に向かう。羽黒山に近づくと、多くの宿坊が軒を連ねて立ち並んでいる門前町手向(とうげ)に入る。宿坊の軒には魔除けの綱が掛けられている。そこを通り抜け、さらに山道を進んで10時に羽黒山の神社に着いた。

 羽黒山、月山、湯殿山のいわゆる出羽三山は、古くより山岳信仰の地で、羽黒山は稲倉魂命、月山は月読尊、湯殿山は大山祇命を祀っていたが、後に修験道の聖地になったのでにある。

 芭蕉は6月3日に羽黒山中腹の南谷別院に入り、5日に羽黒山、6日に1979mの月山に着き山頂近くの行者小屋に泊り、7日に湯殿山を参詣し、このルートを往復して9日に下山している。大した健脚ぶりである。この間、各所で次の句を作っている。

      涼しさやほの三日月の羽黒山

      雲の峰いくつ崩れて月の山

      語られぬ湯殿にぬらす袂かな

 われわれは先ず、出羽三山歴史博物館を訪ねた。ここには、仏像、銅鏡、経筒、修験道法具などが展示されていた。その後、三社合祭殿を見学した。三社合祭殿というのは、冬季に訪れることが困難な月山、湯殿山の神様をここに合祭しているのである。この巨大な萱葺の建物は重要文化財になっている。そこから少し車で移動して、本来の神域の入口である隋神門から参道を歩いて国宝五重の塔を見に行く。参道の石段は杉木立に囲まれ静かである。五重塔は承平年間に平将門により建立されたとされるが、その後、焼失、現在の塔は長慶天皇の文中年間(約600年前)に庄内藩主だった武藤政氏の再建と伝えられている。高さ24mの優美な姿で国宝に指定されている。

 昼前に羽黒山を出て鶴岡に向かう。12時に鶴岡着。A君の強い希望で城跡にある藤沢周平記念館に行く。周平ファンのわれわれも異存はない。記念館には多くの自筆原稿があり、書斎が再現されていた。近くの蕎麦屋暫忻亭でうまいざる蕎麦を食べ、庄内藩の藩校致道館を見学して、2時に酒田に向け出発する。途中で加茂水族館に立ち寄る。くらげの展示で再生した水族館である。そこから海の向こうに鳥海山がよく見えた。

 3時半、酒田に着いた。魚市場を覗いて、ホテルに入る。昨日と同じような名前の酒田グリーンホテルで、川をはさんで山居倉庫と向き合った場所にある。6時、食事処を探しながら街を散策し、入った店は「笑快晴」という小さな店だったがなまこ、かさご、ふぐなどどれも美味かった。酒は初孫・魔切、すっきりと美味い。すっかりいい気分になった。


おくのほそ道(4)山形その2

2015年06月16日 00時00分01秒 | 旅行

「友人中道敏彦氏紀行文の投稿です」

(2)堺田・本庄

  3時に尾花沢に別れをつげて、28号線(県道最上尾花沢線)を尿前に向かう。道は丘陵地帯を北東に走っている。周りは新緑の森であり、夏の訪れも東京より1ヶ月くらい遅いようだ。やがて道は山間の谷に沿って走り、山に近づくにつれ風雨が強くなった。山刀伐トンネルを抜けた所から山道に入れば、山刀伐峠の頂に行けることはわかっていたが、雨風に押されてそのまま通り過ぎた。気温は11℃。とても寒い。連日夏日の東京都は大変な違いだ。

芭蕉たちは、この峠を越えるにあたって案内人を雇っている。案内人は脇差を差し、樫の杖を持つ屈強な若者で、「高山深々として一鳥声聞かず、木下闇茂りあひて、夜行くがごとし」という山中を進む。そして無事通過できたことを歓び別れるのである。

赤倉温泉を通り抜けて、国道47号にぶつかって東に向かい、4時ころJR堺田駅近くの封人(ほうじん)の家に着く。芭蕉たちは、鳴子温泉から伊達藩尿前の関にさしかかり、旅程を変えたために手形を持っておらず、通行の許可に時間を費やした。日暮れになって堺田に着き、封人の家に泊めてもらうことになったのである。封人とは藩から委嘱されて国境を守る役人で、代々土地の庄屋である有路家が担っていた。住宅は当時のまま残っており、重要文化財になっている。10~15畳の畳の間が3部屋、納戸、囲炉裏のある広い板の間、そして土間、馬屋がある。何といってもここが有名なのは、芭蕉の次の句によるだろう。

     蚤虱馬が尿(ばり)する枕もと  

 われわれは、管理人さんの勧めのまま、囲炉裏を囲んでこの地の話を聞いた。話によると今日の来場者は6人とのこと。山刀伐峠の名前の由来は「なたぎり」という古くからある帽子をかぶった時の前後の傾斜が山の形に似ているためとのこと。馬の尿はばり、いばりと言われていたことなどである。

 管理人さんにコーヒーを飲ませてもらって、4時半に出発する。尿前の関所跡は近くだが省略し、新庄に5時半に到着する。グリーンホテル新庄。ホテルは古いが支配人は人が良い。ホテルの向かいの料理屋「山葵屋」で乾杯。出羽桜・一耕が美味かった。