鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

おくのほそ道(4)山形その3

2015年06月17日 00時00分01秒 | 旅行

「友人中道敏彦氏紀行文の投稿です」

(3)最上川・羽黒山

 ホテルの朝食はわれわれ3人だけで静かなものだった。今日はいよいよ最上川と羽黒山を訪ねる日である。天気が良いのが嬉しい。8時10分に出て、8時半に芭蕉たちが舟に乗った本合海(もとあいかい)に着いたが、乗船場所は特定できず、対岸に八向楯という岸壁と神社が見えるところに駐車して、しばし河の流れを眺めて楽しんだ。朝日を浴びた最上川は清々しく、豊かに流れていた。

      五月雨をあつめて早し最上川 

という芭蕉の名句が口をついてでた

 そこから川沿いに47号線を西に走る。新緑が鮮やかで美しい。最上川は日本3大急流の一つに数えられ、途中には険しさわ増すところもある。やがて雪を頂く月山が見えてくる。のびのびとした山容である。芭蕉が舟を下りた清河から47号線を離れ、羽黒山に向かう。羽黒山に近づくと、多くの宿坊が軒を連ねて立ち並んでいる門前町手向(とうげ)に入る。宿坊の軒には魔除けの綱が掛けられている。そこを通り抜け、さらに山道を進んで10時に羽黒山の神社に着いた。

 羽黒山、月山、湯殿山のいわゆる出羽三山は、古くより山岳信仰の地で、羽黒山は稲倉魂命、月山は月読尊、湯殿山は大山祇命を祀っていたが、後に修験道の聖地になったのでにある。

 芭蕉は6月3日に羽黒山中腹の南谷別院に入り、5日に羽黒山、6日に1979mの月山に着き山頂近くの行者小屋に泊り、7日に湯殿山を参詣し、このルートを往復して9日に下山している。大した健脚ぶりである。この間、各所で次の句を作っている。

      涼しさやほの三日月の羽黒山

      雲の峰いくつ崩れて月の山

      語られぬ湯殿にぬらす袂かな

 われわれは先ず、出羽三山歴史博物館を訪ねた。ここには、仏像、銅鏡、経筒、修験道法具などが展示されていた。その後、三社合祭殿を見学した。三社合祭殿というのは、冬季に訪れることが困難な月山、湯殿山の神様をここに合祭しているのである。この巨大な萱葺の建物は重要文化財になっている。そこから少し車で移動して、本来の神域の入口である隋神門から参道を歩いて国宝五重の塔を見に行く。参道の石段は杉木立に囲まれ静かである。五重塔は承平年間に平将門により建立されたとされるが、その後、焼失、現在の塔は長慶天皇の文中年間(約600年前)に庄内藩主だった武藤政氏の再建と伝えられている。高さ24mの優美な姿で国宝に指定されている。

 昼前に羽黒山を出て鶴岡に向かう。12時に鶴岡着。A君の強い希望で城跡にある藤沢周平記念館に行く。周平ファンのわれわれも異存はない。記念館には多くの自筆原稿があり、書斎が再現されていた。近くの蕎麦屋暫忻亭でうまいざる蕎麦を食べ、庄内藩の藩校致道館を見学して、2時に酒田に向け出発する。途中で加茂水族館に立ち寄る。くらげの展示で再生した水族館である。そこから海の向こうに鳥海山がよく見えた。

 3時半、酒田に着いた。魚市場を覗いて、ホテルに入る。昨日と同じような名前の酒田グリーンホテルで、川をはさんで山居倉庫と向き合った場所にある。6時、食事処を探しながら街を散策し、入った店は「笑快晴」という小さな店だったがなまこ、かさご、ふぐなどどれも美味かった。酒は初孫・魔切、すっきりと美味い。すっかりいい気分になった。