ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

まか不思議な人物の思い出

2006年01月08日 10時32分22秒 | Weblog
警察の記者クラブつめの記者は家族や支局にいる時間よりクラブにいる時間が多く、社の違いをこえて友情が生まれることがえも不思議なことだ。今回集まったメンバーもそうだった。そこで話題に出たのが50代で急逝した人物。

その人は新聞記者ではなく。クラブにマージャンを打ちに来た男性だ。それも3日とあけずにやってくる。警察の受付もそれもわかっているのか「どなた様ですか」など煙たいことは言わない。クラブ員も「加盟紙のメンバーじゃない」などともとがめない。実に妙な関係で、親しいみを込めて愛称で呼ばれていた人物だ。

 マージャンの場が立たないと、横着な記者は「●●ちゃんを呼ぼう」となるから、仕事はどうなっているのかと考えるが、マージャンをするというのはカモフラージュ。夜はの夜回りできっちりネタを仕入れているから、余裕のマージャンなのだが、いつも大きな声で「ポーン」という彼の声がこだましていた。

 どこに住んでいるのかは知らなかったが、どうもホテル住まいで、着ている服がいつもいつしょ。背広はあいの紺で、真冬も同じ。寒くないのかと思ったが、オーバー、ジャンバー類を着ている姿を見たことはなかった。

夜記者と一杯呑むとういこともなく、ひたすらマージャン、マージャンの日々。ネタを特定の記者に教えることもなく、夜は一人街の中に消えた。

 一説にはある村長の息子だとか、有力政治家のブレーンだとか聞いたが、たしかなことはわからなかった。いまの時代なら警察の受付でいっぺんに止められてしまい、記者クラブも「あの人誰なの?」となり部外者出入り禁止となりかねない(というよりマージャンなどもうしない)。そんなことがない時代に生きたジャン人生の彼は心筋梗塞で急逝したと聞いた。もう20年以上前の話だ。

しかしこの日集まった新聞記者(元も含む)6人も心の中では寒風吹きすさぶ真冬に両手を紺色の背広ポケットに入れて風を切り歩いていく彼の姿が生きている。色あせていない。

多分情報を売ったりするなど一切しなかった「仁義」を守った生き方が彼が今もダークなイメージなど一つもなく心の中に生きている秘密なのだろう。警察もおうような時代であったのだろう。
コメント
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