ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

夭折した弟よ

2006年01月26日 08時24分53秒 | Weblog
 記憶していることを私は記録しただろうか。その最たるものが28才で他界した弟のことだ。その無念さは時折吹き出る流涙で繰り返し反芻されるされが、拭(ぬぐ)われるこなどない。しかしそれ以外の表現方法を見出せないところに無力さを思う。

 ちょうど実家と疎遠になっていた私がたまたま聞いたのが弟の急な病で入院したということだった。それから1か月余で逝ってしまった。それから私は恥じ多くも30年近く生きてきた。

 運命だと言ってしまえばそれまでだが、しかし人は運命ではなく運命に抗うものだ。病から夭折したことでも無念さは晴れないのに、尼崎のあの事故で亡くなられた遺族はいまどんな気持ちでおられることかと正直思う。

 私が不思議と血縁と縁遠いのも仕方がないかもしれない。この兄してこの弟ありで、弟の夭折が突出したことではない。10代後半からの神経症に悩まされたが、それがパニック症候群といわれるものだと概念化されたのはつい最近のことだ。

 とにかく命にかかわること以外鷹揚になることが病から脱出することだと悟ってきた。20代半ばに徐々に癒えたが、この鷹揚さは周囲にきっと迷惑をかけているに違いない。

鷹揚とは聞こえがいいが、ただまわりに配慮しない、気を遣わないこと、他人に無関心でいることでの自己防衛を装う風体であることが多分にある。鷹揚と凡庸とは天と地の開きがある。凡庸とは世の中の営みに加わっているが、鷹揚は何か上の空である。

 しかしいま神経症や閉じこもり、鬱(うつ)でいる人は「どうして私だけなるのか」と悶々としておられるのではないか。しかしその状況は生きることに真面目だから招来するものであり、巨大なストレスとあい紛(まが)うから症状を生む。長引く風邪でさえ転地すれば癒えることがあるように、生活をかえることが解決の一つになるかもしれない。ただわたしのような鷹揚さは人様の不快をかう。

弟はもろ真面目であり、もろストレスを受けた。だから真面目に28才の人生を駆け抜けた。病は20代前から蝕み、それを見抜けない私は、自分が社会の中で這い上がることのみ懸命ゆえに、病が目に見えるようになったときに初めて事態の深刻さを知る愚兄でしかなった。

少し背伸びして偉ぶって人様の前で話すことも、社会的栄達も関心が薄らいできた。己の中に敵がいるからだ。社会運動に参画しているようだが、どこか居場所の悪さを覚えるのはそのためか。

記録することでしか記憶できないーノンフィクション作家の名言は、私に体に刻まれた歴史を記録することを迫る。
コメント (2)
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