出版は、本島は無論のこと、宮古島、石垣島などでも盛んだ。つまりこれは「気概」の問題なのだが、その「気概」を生むカギが何かよくわかってきた。それは「読者」と「テーマ」が見えていることだ。後者のテーマはヤマトでもそうだが、「読者」はマス媒体が出版だということで見えにくい。ところが沖縄の出版はどういう人が求めているかが鮮明のなのだ。
それは歴史意識と民衆が具体的につながっているからだと思うのだが。22日の琉球新報読書欄で紹介されていた大西照雄さんの『愚直』(なんよう文庫)は辺野古のたたかいの中から生まれてきたものだが、読者が個々の民衆にあることで見えている。簡単に言うと、民衆が見えるのである。だから企画として成立する。
ヤマトではそういう意味で運動圏での企画は、商業出版では難しくなってきた。それはどうも民衆がみえなくなってきたからではないか。さて、そこでどうするか。宮崎学さんが新著『法と掟と』(洋泉社)を出し柄谷行人さんが朝日新聞で紹介していたが、宮崎さんが勧めるのは国境を超えた個別社会構築だそうだ。要は全体社会がズーッと根を張っている社会が戦前から戦後も続いているというのだ。そのあたりからの切り口は面白いが、個別にあhなかなかなれないのが日本人の習性(作られたものだが)ではないのか。迷路に入る。
それは歴史意識と民衆が具体的につながっているからだと思うのだが。22日の琉球新報読書欄で紹介されていた大西照雄さんの『愚直』(なんよう文庫)は辺野古のたたかいの中から生まれてきたものだが、読者が個々の民衆にあることで見えている。簡単に言うと、民衆が見えるのである。だから企画として成立する。
ヤマトではそういう意味で運動圏での企画は、商業出版では難しくなってきた。それはどうも民衆がみえなくなってきたからではないか。さて、そこでどうするか。宮崎学さんが新著『法と掟と』(洋泉社)を出し柄谷行人さんが朝日新聞で紹介していたが、宮崎さんが勧めるのは国境を超えた個別社会構築だそうだ。要は全体社会がズーッと根を張っている社会が戦前から戦後も続いているというのだ。そのあたりからの切り口は面白いが、個別にあhなかなかなれないのが日本人の習性(作られたものだが)ではないのか。迷路に入る。
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