ブログ「かわやん」

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三島由紀夫と戦後ー絶対はなぜ美なのか ; 川瀬俊治

2006年01月30日 10時31分09秒 | Weblog
三島由紀夫と戦後ー絶対はなぜ美なのか ; 川瀬俊治
三島由紀夫の「金閣寺」を平野啓一郎が「『金閣寺』論」として論じている(『群像』05年12月号)。三島全集を駆使した実証的な検証であるだけに、平野はなぜここまで本格的に「金閣寺」を論じなければならなかったのかは彼の近作を読み込まないとわからないが、そのテーマはここでおくことにして、「金閣寺」論をどう考えればいいのかに絞る。


荒っぽくまとめれば相対主義対絶対主義の葛藤は人を自死にまで至るという壮絶さであり、そこまで至っても求める絶対主義の至福感である。三島に「生き続ける」根拠を与えたのは芸術家であることに代償されたからだーというのが平野の「金閣寺」論の概要だが、それほど目新しいことはないものの、重要なのは現代、21世紀の今この若い作家が書いたということだ。時代精神、時代の雰囲気に敏感な作家の評論だけに看過できないと私は見る。

ポイントは絶対主義における至福感なのだ。ここを平野は戦前の三島を論じる中でこう述べている。

「〈金閣〉に対する主人公の心情は、ここで決定的に変化することとなる。繰り返すが、これは、林養賢の犯行動機には一切関わりのないものである。(金閣)を天皇のメタファとして捉える立場からは、この敗戦前後の記述が最も重視される筈である。改めて確認しておくが、この間、天皇は一貫して不在である。そして、後に『英霊の声』で、特攻隊の霊によって語られる天皇との合一願望は、〈金閣)との合一願望という形で先取りされている。戦中の天皇神格化を通じて与えられた(現人神)というイメイジは、作中の(金閣)とほぼ正確に対応している。それは、神性という(絶対)的な観念の、肉体即ち物質を通じての顕現である。そして、〈金閣〉と同様に、〈天皇〉は、大戦末期、1一億玉砕」という、無時間的で破滅的な、絶望のユートピアの象徴であった。(絶対者)たる(天皇)との一体化というヴィジョンは、最も遠い距離の克服であり、従って、戦火はまさしく、「巨大な天の圧搾機」として、貧富の差、階級の差を初め、あらゆる社会的矛盾を無化し、その差異の編み目から個人を国民へと洗い出し、同じ滅ぶべき人間として醇化し、完全に平等に扱うものである。三島の中では、それは、栄光によって結びつくよりも、遥かに緊密で、切実で、裏切りの余地のない連帯であった。その渦中で、実際に、多くの国民が死んだ。そうして終戦を迎えた時、突然、その「関係」は破綻を来すのである。〈金閣〉と同様に、〈天皇>もまた、戦後社会に存続するが、大とは大きくその存在の意味を異にする。晩年の三島にとって、「文化的天皇」として提出されていた(観念の天皇>と、〈現実の天皇〉即ち昭和天皇とは、完全に離反していたが、少年時代の〈心象の天皇〉が前者へと移行してゆくというのは、終戦前後の記憶を、後に遡及的に再構成した結果であろう。その時、私と『天皇』とが同じ世界に住んでいるという夢想は崩れたのかもしれない。そして、まさしく「『天皇』がそこにおり、私はこちらにいるという事態」が、見出されたのではなかったろうか? ここからただちに、『英霊の声』で表明された天皇の「戦争責任」の追及∫¥-彼の場合、それは、その言葉の一般的な意味と異なり、二・二六事件に対する対応と、終戦後の「人間宣言」とに向けられていたがーまでをも読み取ることは些か難しい。〈金閣〉の建築的構造を、(天皇)を頂点に据え構築された戦時下の政治体制のメタファとして解釈することも一応可能だが、そこから、その責任を〈金閣>に帰すところまで論理を飛躍させることは出来ない。いずれにせよ、三島が(天皇)に対する心情とその思想とを整理していったのは、むしろこの作品の創作を通じてではあるまいか?」(316ページ)

よく知られているように、「金閣寺」の主人公は戦後を生きることを決意する。それは文頭において述べたように、三島に「生き続ける」根拠を与えたのは芸術家であることに代償されたわけだが、平野に言わせれば、自作の「鏡子の家」は「あらゆるものを投げ込んでしまった」長編なのだが、これが散々たる評価に終わった。この小説でのポイントは「童貞のやさしい画家」として描かれた夏雄=芸術家こそ、ギリギリのとみる。ここ三島が追及した芸術家としての生き方であったとみる。これが世間、文壇での冷たい反応であったところに1つのカギがある。平野の「金閣寺」論は戦争体験が谷崎的長寿の作家をめざさなかった結論よりも「より現実的」に小さくなかった遠因としてあるとみるのだ。

戦争体験からくるものという視点はよく指摘されたものだが、「金閣寺」から差し込んできた「一条の光」(平野)が「鏡子の家」の4人の主人公の創作(三島は2年近くこの作品に集中したことからも、作品の重みがわかるというものだ)になって生み出されたという平野の視点は重要だろう。というのはこの光が戦後現実に生きる道を具体化する上で重要だからだ。

ところが文壇も含め冷たい反応に終始したことは、また「金閣寺」の亡霊の復活を目指すのである(平野)。ここで平野の論は終えているが、私は実に世俗的だが、いまの右傾化が極端に進んでいるのはどうしてかを示唆すると見る。つまり右傾化の突出が顕現しているのは、この「鏡子の家」のように4人の主人公のような戦後の価値観にあう一条の光からだされた戦後的価値観がきっと提起されているにもかかわらず冷笑した社会的価値感があり、だからこそ突出したのではないかと考えていいと思う。

突然出てきたのではなく、戦後的価値観の選択肢の冷笑があり、先鋭化していくということは十分に考えられる。小泉さん靖国参拝など信じられないのだが、なで先鋭化したのかーこれを検証する必要がある。

この間、橿原神宮にかかわり紀元2600年祭の1940年の国家的イベントを調べていたが、空前の規模もこの催しは我々の視界から完全に消えている。どうしたことが行われ、どれだけの人が参加したのか。空前の国家イベントを支えた原理は何かなど我々は古代の出来事のように思っている。そこが問題なのだ。いまも紀元節は生き残り、日の丸敬掲揚、国家斉唱は法律化までされた。先鋭化したのである。それまでの選択肢をどう冷笑化したかの検証は大事だと思う。

ここで平野の「金閣寺」論から刺激を受けたのは、一つは「金閣寺」と「鏡子の家」を熟読するということと、戦後の現代の選択肢の究明である。

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