あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

由良川狂詩曲~連載第24回

2018-05-31 11:13:16 | Weblog


第7章 由良川漁族大戦争~赤目の謎


「おや、あれは何だ」
と、ケンちゃんが、もういちど確かめるように見やったときには、その赤い点は、すっと消えていました。
ケンちゃんは、後続の若鮎特攻隊に、テテレコ・テレコ、すなわち「俺に黙ってついてこい」の信号を送りながら、スロットルを起こし、再び川底からの急速浮上を開始しました。
さすがにこの深さですと、水温もかなり低く、ケンちゃんは思わず、ブルルと身震いしました。
いつもは柳の木が茂る水面のところからかすかに光が差し込んで、見通しもそんなに悪くないのですが、今日に限って水がよどみに淀んで濁り、一足キックするたびに、泥がそこいら全体から湧きおこってくるような錯覚にとらわれます。
5メートルほど上昇した時だったでしょうか、ケンちゃんは虫の知らせか、なにげなく後ろを振り返りました。
アユたちが見当たりません。
ついさっきまで、ブルーハーツの「リンダ・リンダ」と、山本リンダの「狂わせたいの」をかわるがわる歌っていた、可愛らしいアユたちが一匹もいない!
ケンちゃんの背筋に、冷たいものが走りました。
冷たいものとは、何でしょうか?
それは単なる冷や汗とか、摂氏零度の寝汗とかの生易しい水分ではなくて、
「もしかしたら僕の12年の生涯が今日終わってしまうかもしれない」
という恐怖のH2Oが、ケンちゃんの全身を、ぐっしょりとおねしょのように濡らしたのでありました。
………そして心臓がかき鳴らす驚愕と恐怖の二重奏を聞きながら、茫然と立ち泳ぎするケンちゃんの目の前に、さっきちらっと見かけた赤い点が、再び現れたのです。
しかも、二つ。
いつの間にか、あたりは漆黒の闇にとざされ、真夜中のエルシノア城を思わせる深く濃い闇の奥底で、ケンちゃんをじっと凝視している、不気味な二つの赤い点。
その赤い点は、突如サーチライトのように強い光を放ちながら、ネモ艦長が運転するノーチラス号のようなものすごい速さで、ケンちゃんに接近してきました。
4メートル、3メートル、2メートル。
あと1メートルの至近距離までそいつがやってきたとき、ケンちゃんは、口にくわえた短刀を利き腕の右手に持ちかえ、東大寺南大門の金剛力士のように、そいつの前に立ちはだかりました。
怒涛のように押し寄せる巨大な黒い影の最先端。そこにはおよそ15センチの間隔で、2つの瞳孔が真紅の色にキラキラ輝いています。
全身、黒と金で覆われたいかつい無数のウロコがすべて逆立って、「お前を殺すぞ!」と威嚇しているようでした。
実際そいつは衝突を回避するてめにケンちゃんとすれ違いざま、押し殺したような声で、「俺は、おめえをゼッタイに殺すぜ!」
と囁いたのでした。
その声を耳にした途端、ケンちゃんは、初めてそいつの正体を知りました。
――目が赤い。赤目、赤目、アカメ。そうだ。こいつはアカメだあ!
泳ぎながら、オシッコをちびりながら、ケンちゃんは、学校の図書館で魚類図鑑を眺めたおぼろげな記憶を呼び戻しました。
「アカメ。学名LATES CALCARIFER。熱帯性の淡水魚で、日本、台湾、中国南部、フィリピン、東南アジア、インド洋、ペルシア湾、オーストラリア北部などに分布。日本では宮崎、高知の両県にのみ棲息。」
――確かそう書いてあったのに、なんでこいつが京都府の由良川の上流にいるんだよ!
「大河川の河口部やこれにつづく入り江に棲むが、純淡水域にも侵入。餌はエビ類、小魚など。」
――アユがなんで小魚なんだよ。僕の友達をみんな食べちまって。でもいくら腹を空かしているからといって、まさかお前は、人間様まで喰ってしまおうてんじゃあないだろうな。
「産卵習慣は不明だが、稚魚は秋から出現する。食用。南方地域では重要魚。」
――くそっ、南洋ではお前は人間にバンバン食べられてるからって、由良川でその仕返しをしようってか!
「日本では分布が限られているので、一般には知られていない。ふつうに漁獲されるのは50センチ以下の未成魚。
――しかし、このアカメときたら、全長ゆうに2メートルはありそうだぜ。
Woooおおう!
無我夢中でとびのいたケンちゃんの、やわらかなお腹のあたりを、先端が鋭く尖った6本のナイフを1本に束ねたような真黒な背ビレが、横なぐりに襲いました。
あの6段のギザギザにちょっとでも触れようものなら、ケンちゃんの手足は一瞬のうちに切断されてしまうでしょう。それは背ビレではありません。完全な凶器です。
アカメの背ビレの強襲が空振りに終わって、やれやれと一息ついたせつな、「てらこ」のお店においてある座布団くらいの大きさの真黒な尾ビレが、ケンちゃんに顔をまともに一撃しました。
右のほっぺに、深さ3センチの裂傷を、7か所にわたってつけられたケンちゃんは、一瞬意識を失い、川底めがけてまっさかさまに落ちていきました。
                               つづく



         巨悪避け小悪突き皐月尽 蝶人

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素晴らしいモーツァルト

2018-05-30 11:54:25 | Weblog


音楽千夜一夜 第412回


よくモーツァルトの音楽は天真爛漫なので、まだスレた大人になっていない純粋無垢な子供が演奏するのがいちばんよろしい、という人が昔からいますが、そうでしょうか。

私はそうは思いません。そもそもモーツァルトの音楽は天真爛漫ではないし、この節、純粋無垢な子供もあんまりいそうにないからです。

モーツァルトのピアノソナタは全部で18曲ありますが、名曲が多く、特に彼の母親が亡くなった直後にパリで作曲した第8番イ短調K.310、第3楽章でトルコ行進曲が演奏される第11番イ長調K.331などは有名で、皆さんもどこかで耳にされたことがあるのではないでしょうか。

今宵私がご紹介したいのは、両曲の中間にあって、同じ1783年に作曲された第10番ハ長調K.330のソナタです。

演奏は1956年ポーランド生まれでショパンを得意とするクリスティアン・ツィマーマンです。

彼は、我が国で東日本大震災の被災者支援コンサートを行うなど東京に家を持っているほどの親日家ですが、ここに聴くモーツァルトの素晴らしさを、何にたとえたらいいのでしょう。
その映像からも、音楽することの楽しさ、生きることのよろこびが伝わってくるではありませんか。

いつもお世話になっているYouTubeさんが、いついつまでもこの稀代の名演奏を、後世に伝えてくれることを、切に願わずにはいられません。


   https://www.youtube.com/watch?v=-V4bGocFwnE&t=12s


 ケータイの番号ですら知らぬわれマイナンバーなんて知るわけがない 蝶人

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「いとしご増刊・かがやき・自閉症と家族特集号」を読んで

2018-05-29 11:25:02 | Weblog


照る日曇る日 第1074回


社団法人日本自閉症協会の前進「自閉症児・者親の会全国協議会」が結成されて今年でなんと50年を迎えることになったそうで、その昔、神奈川の田舎で可愛いわが子のためにいささかの力を致した時期のある小生にとっても感慨なしとしません。

記念号には自閉症者の両親や兄弟姉妹、症者本人などの立場にある方々が、この今だ確たる原因も治療方法も解明されない障碍にまつわるそれこそ書くも涙、読むも涙の壮絶な体験を吐露されておりますが、まあわが一家も含めて皆さん、よくも半世紀の間悪戦苦闘しながら生き延びてきたものです。

わたくしは今年73歳になりましたが、特筆すべきは世の中全体と医者、学会、国、自治体の無知と無理解と偏見に全身全霊をもって対抗し、この会を立ち上げられた、私らのひと世代前の先輩たちで、その多くが鬼籍に入られた方々のありし日の俤を偲びながら、この小冊子の頁を繰ったことでした。

それら尊敬する大先輩の苦闘と各界の献身的な協力者のおかげで、自閉症を取り巻く環境は、その原始時代に比べれば長足の進歩を遂げましたが、本書の中で岐阜県自閉症協会長の水野佐知子さんや静岡県自閉症協会長の津田明雄さんが指摘されているように現行の「成人後見人制度」はとても安心して愛児を第三者に委ねることのできない危険で不完全な側面を内蔵していますので、早急な改善解決が望まれます。


  これほどの阿呆莫迦野郎がアメフトの監督をやっているという驚き 蝶人
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大辻隆弘第8歌集「景徳鎮」を読んで

2018-05-28 13:28:53 | Weblog


照る日曇る日 第1073回


偉大なアララギの良き伝統を受け継いだ観察と写生の技巧は、随所で冴えわたり、見事というも愚かである。

ほそながき鏝に煉瓦の目地を塗るひとの仕事の楽しきごとし
葛の葉ははやもみぢして古びたる石のおもてを這ひのぼりをり
青銅の孔子の像は推参の礼してゐたり諸手を揉みて
道の上に落ちし椿の花びらは黒き脂となりて溶けたり

それこそ景徳鎮の青白磁の冷え冷えと澄みゆく心にも似た、さえざえとした抒情美! 磨きがかかった名人芸の世界が繰り広げられ、(おもうに今日ではもはや死語と化した)文語を用いた日本語が、このように繊細優美で、さながら平成の藤原定家のごとき幽玄典雅な言語世界を作り出すことができるのか、と一読三嘆、再読驚嘆のほかはない。

夏の川みづ行くことも寂しくてやがて一人に還らむこころ
踊り場の壁に掛けたる絵が揺れてどこから風が来るか知らない
ひとつこゑ落してひとはきはまりぬ水際のごとく冷ゆるその声

しかしそのように高度な作歌活動を続けている著者の日常にも、大きな波紋が生じているようで、私たちはこの歌集から、父君の病とその死、妻君への微妙な感情、女人への性愛の情動が、作者のけして若くはない人世を大きく揺るがす様をみてとることができるのである。

父と見る映画に髪を吹かれゐしグリア・ガーソン美しかりき
妹が杉村春子のやうになり生前贈与といふを指図す
わが長く秘めたることを告白しほとを沈黙させしことあり
死ぬ犬を見下ろすごとき冷淡をこのひとに見てわれは憎みき
指先が内ふとももに食ひこみて横抱きにせし肉体ありぬ
ししむらのわ勝分ちなきまでわななきし来歴ひとつありて遂げにき

青眼の構えを少し外した視点から生れてくる軽妙な味わいの短歌も、逸すべきではないだろう。

写真家に大辻隆広といふひとの一人はをりて靴などを撮る
左ト全は三ヶ島葭子の弟にて生来的貧困の面貌を保てり
さびしいと言ふのは罪かウサマ・ビン・ラディンしづかに殺害されて
ターコイーズブルーの空ゆはららぎて落ちたる夏のナックルボール
呑みながら卑しく酔ひてゆくざまを八代目三笑可楽語りき

それにしても、(それがいいことなのか否かは分からないけれど、。全体を通じて著者の作風が、どことなく師匠の岡井隆氏のそれに近接しているような気がするのは、私だけであろうか。

 不如帰は「テッペンカケタカ?」と訊くのだがまだ居直っている悪しきテッペン 蝶人


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鎌倉文学館で「明治、BUNGAKUクリエーターズ展」をみて「鎌倉文学散歩」に参加する

2018-05-27 13:32:13 | Weblog


蝶人物見遊山記第283回&鎌倉ちょっと不思議な物語第401回



高橋源一郎選手の協力による本展は、彼の「日本文学盛衰史」に拠りつつ、北村透谷、国木田独歩、石川啄木、二葉亭四迷、樋口一葉、夏目漱石、森鴎外、田山花袋、島崎藤村などの明治時代の作家の業績をたどり、彼らの作品を紹介している。

花袋が「蒲団」のモデルにした女弟子に宛てた謝罪の手紙は面白かったが、一葉の毛筆で書かれた原稿や、啄木最晩年の丁寧にデザインされた手作りの詩集原稿をはじめて目の当たりにして、うたた感慨に堪えなかった。

しかし明治という新時代の文芸を主導した文学者たちの生涯の、なんという短さよ!

鴎外60歳、藤村71歳などはまあ仕方がないとして、一葉24歳、透谷25歳、啄木26歳と死んだ天才の年を数えてくると、子規34歳、独歩36歳、亭四迷45歳、漱石49歳という、今なら夭折とも称すべき没年が、かなり長い生涯であったような錯覚さえ覚えてくる。

私(たち)の馬齢はさておいて、一葉、啄木など、あと数年の余命ありせばと非情な天を恨みたくもなるのである。

毎度お馴染みの「鎌倉文学散歩」は、本覚寺→妙本寺→八雲神社→元八幡→海岸橋までを午前中に歩き、有島武郎、国木田独歩、森鴎外、芥川龍之介、押川春浪などの事跡を偲んだ。

鎌倉は(も)、猛烈な勢いで、明治大正昭和の名建築、有名でなくとも由緒のある、それこそ「鎌倉らしい風情のある」庭付きの邸宅がどんどん消滅し、新しい、なんの変哲もない、周辺との調和を無視したのっぺらぼうの新建材の塊に取って変わられつつある。


   鎌倉の光触寺橋より見下ろせば腹を見せつつ舞い踊るハヤ 蝶人
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由良川狂詩曲~連載第23回

2018-05-26 10:37:57 | Weblog


第7章 由良川漁族大戦争~赤い点



さあ、喜んだのは由良川の善人善魚たち。死んでしまったライギョの数を勘定しながら、「丹波数え唄」の大合唱が、あたり一面から湧きおこりました。

♪一番はじめは一の宮
二で日光東照宮
三で讃岐の琴平さん
四で信濃の善光寺
五つ出雲の大社
六つ村々地蔵尊
七つ成田の不動さん
八つ八幡の八幡さん
九つ高野の弘法さん
十で所の氏神さん
これだけ信心したならば
浪ちゃんの病気もなおるでしょう
ポッポッと出る汽車は
浪子と武雄の別れ汽車
再びあえない汽車の窓
鳴いて血をはくほととぎす

ここで、ネットに突き刺さったきりのライギョたちの前で、パンツを脱いで白いお尻を振り振りしながら、ひょうきんナマズのテッちゃんが、「もういっちょう!」とアンコールをせびりました。

♪一かけ二かけ三かけて
四かけ五かけて橋かけて
橋の欄干腰おろし
はるかむこうを眺むれば
十七八の姉さんが
花と線香を手に持って
姉さん何処へとたずねたら
わたしは九州鹿児島の
西郷隆盛娘です
明治十年戦役に
撃たれて死んだ父上の
お墓詣りをいたします
お墓の前で手を合わせ
南無阿弥陀仏と眼に涙
もしもあの子が男なら
アメリカ言葉をならわせて
胸に鴬とまらせて
ホーホケキョと鳴かせたら
どんなに喜ぶことでしょう

今夜ここでのひとさかりが終わると、喜びの次には、怒りがやってきました。
この時とばかりに宿敵の喉笛にくらいついて、日頃の鬱憤を晴らそうとするスッポンのポン太。
口ぜんたいが吸盤になっているのをいいことに、ライギョのお腹にぶちゅっとキスをして、まるで吸血鬼のようにチュウチュウと音を立てながら、血を吸いだしたカワヤツメのヤッちゃんなど、親子兄弟親戚の多くを毎日のように殺され、(なかにはイオカワのオイカワ三世のように一家全員が皆殺しの目にあった悲惨な家族も少なくありません)か弱い魚やその仲間たちは、にっくきライギョたちに思い思いの復讐をしようとしました。

その時でした。現役最長老のオオウナギが、右の胸エラを静かにあげて、みなを制しました。

♪みなの衆、みなの衆、お待ちなせえ。事をせいては、いけないよ。
アラーに唾するものは、自分に唾するも同じこと。
左の頬を殴るものは、あの世で右の頬をナイフで抉られん。
ブッダの妻を奪いしナーガンダも、ついには地獄に落とされた。
地には愛。天には星。仲佳きことは、善きことなり。
人にやさしく、とブルーハーツも歌っておる。
岩窟王エドモンド・ダンテスも、罪を憎みて魚を憎まずと申しておった。
みなの衆! どうかもうそのへんで無益な殺生をやめてくれえ。

最長老の説得が功を奏したのか、さしも怒り狂っていた魚たちも、次第に落ち着きを取り戻し、何年振りかで戻ってきた川の静けさを確かめるように、仕掛けネットの近くをぐるぐると旋回しながら、手に手をとって「美しく青き由良川のワルツ」を踊ったりしているのでした。

さてその頃、ケンちゃんは、若鮎特攻隊の残党たちと共に、天井からわずかに朱色の光が差す千畳敷の大広間に、疲れきった身をお互いに労わっていました。

「ははあ、ライギョの奴らめ、まんまと仕掛けにはまったな。ざまあみろ。アユ君、君たちも命を投げ出し、多くの犠牲を出しながら、由良川に生きる友達みんなのためによくやってくれたね。ありがとう! ありがとう!」

と興奮さめやらず、べらべらしゃべりまくるケンちゃんは、お父さんに似たのでしょうか。

「さあ、もうこれで大丈夫だろう。そろそろ仕掛け網のところに戻ってみよう。きっと大漁だと思うよ」

と、アユたちに声をかけながら、ナイフをぐいと口にくわえ、タンホーザー序曲をBGMにしながらゆっくり浮上しようとしたその時、ケンちゃんの視線の隅っこで、なにやら赤い点のようなものが、チラっと動いたような気がしました。

「おや、あれは何だ?」

と、ケンちゃんが向き直って、もういちど確かめるようにその方向を見やったときには、その赤い点はすっと搔き消えていたのです。

それからケンちゃんは、後続の若鮎特攻隊に、「テテレコ・テレコ」、すなわち俺に黙ってついてこい、の信号を送りながら、ふたたび急速浮上を開始しました。
さすがにこの深さですと水温もかなり低く、泳ぎながらケンちゃんは、思わずブルルと身震いをしました。

いつもは柳の木が茂る水辺のところからは、かすかに光線が差し込んで、見通しもそれほど悪くはないのですが、今日に限って水がよどんで濁り、一足キックするたびに、泥がそこいらから湧きおこってくるような錯覚にとらわれます。
それでも、もう少しで仕掛け網のところまでやってきたケンちゃんは、何気なく後ろを振り返ってびっくりしました。後に続いているはずの若鮎特攻隊がいないのです。
ついさっきまでブルーハーツの「リンダリンダ」と山本リンダの「狂わせたいの」をメドレーで歌っていた可愛らしいアユたちの姿が、どこにも見えないのです。

ケンちゃんの背筋に、冷たいものが走りました。

そして呆然としてあたりを見回しているケンちゃんの目の前に、さきほどの赤い点が、再び現れたのです。しかも、2つ。

                                  つづく


     足利の尊氏直義&師直が仲良く遊んだ鎌倉浄妙寺 蝶人


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かこさとし作「からすのパンやさん」を読んで

2018-05-24 14:08:27 | Weblog


照る日曇る日 第1072回



顧客ニーズを忘れてびんぼうになっていたからすのパンやさんが、4人の黒くない!子供たちの思いつきとアイデアで一転して大繁盛する楽しく愉快な絵本です。

いろいろ読みどころはありますが、なんといっても「とってもすてきなかわったかたちのたのしいおいしいパンをどっさりたくさん」つくるところが素晴らしい。

いちごパンとかスターパン、テレビぱん、ペンギンパン、かみなりパン、ちょうパン、サボテンパン、ピアノパン、えんぴつパン、いかパン、ぞうパン、たいこパン、わにパンなど、こうやって書いているだけでも心踊るような何十種類もの面白いパンの数々がていねいに描かれている有様は壮観です。

むかし私もいろんなパンについての詩*を書いたことがあるのですが、この疾風怒涛のアイデアの洪水には降参です。

そして大人気のパンを求めてあっちこっちから飛んでくる子供カラスに驚いて、大人たちや消防車やお巡りさんまでパンやさんに殺到するシーン、そんなお客さんに上手にパンを売りつけてしまうシーンも抜群に面白い。

これは、かこさとし選手の最高傑作のひとつではないでしょうか。

 *http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1929676928&owner_id=5501094


   むざんやな完膚なきまでに壊されし鎌倉二階堂清水家の豪邸 蝶人
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「棺一基 大道寺将司全句集」を読んで

2018-05-23 14:14:54 | Weblog


照る日曇る日 第1071回


胸底は海のとどろやあらえみし
蛇として生まれし生を存ふる
縄跳びに入れ損ねたる冬日かな
露草の瑠璃のかなたのいのちかな
げぢげぢと間違へられし百足虫かな
すめらぎを言寿ぐぼうふらばかりなり
すめらぎの盛りて氷河細りけり
この花を見られぬ人のありにけり
梟の声をゲバラと思ひけり
寒の朝まず確かむる生死かな
狼の思ふは月の荒野かな
三十三才命惜しまず鳴きにけり
欠けたるは佐倉宗吾か羽蟻群る
無信論者にも給はる聖菓かな
厭はれしままにて消ゆる秋の蠅
桑茂りものみな命わたくしす
捨てし世を未練と思ふ遠花火
蹶起せし死者のそびくや濃竜胆
棺一基四顧茫々と霞みけり
異なものを除く世間ぞすさまじき
夕焼けてイカロスの翅炎上す
あやまたず柿熟るる日の来たりけり
国ありて生くるにあらず散紅葉
人を殺めし人の真心草茂る
さりながら空の耀く母の日よ
夏服の母は十貫足らずかな
夢でまた人危めけり霹靂神
差し入れのりんごに残る若緑
黙契のいつしか消えて雲の峰
秋近し旗持つ友の莞爾たり
怨讐を晴らさむものと蝉時雨
たたなはる緑野に叛旗蝟集せむ
向日葵の裁ち切られても俯かず
心中に根拠地を達つ不如帰
しがらみを捨つれば開く蓮の花
誰がための弔鐘響く夏夕
花影や死は工まれて訪るる
日脚伸ぶまた生き延びし一日かな
革命をなほ夢想する水の秋
本懐を未遂のままに冬の蜂
革命歌小声で歌ふ梅雨晴間
生際の美しき女人風信子
凍蝶や監獄の壁越えられず
狼は檻の中にて飼はれけり
過激派のままにてよろしちちろ虫
水底の屍照らすや夏の月
百合の香や暗闇の世を肯ずる

三菱重工などの連続企業爆破事件、お召列車爆破未遂事件などで知られる新左翼テロリストが獄中で詠んだ句集です。死刑判決を受けていた作者でしたが、昨年のちょうど今頃、多発性骨髄腫のために東京拘置所で死去しました。

私は作者の罪を憎みますが、国家による殺人行為である死刑制度には反対なので、彼が絞首刑にならずに死んだのは、死刑になるよりは良かったと思います。

これらの句を読んでその出来栄えを云々するつもりはありませんが、句を詠むという行為が、過酷な獄中生活を支える慰藉ともなり生甲斐ともなったことがうかがえ、彼の人世に俳句があって良かったな、とも思うのです。

 ホトトギスウグイスコジュケイガビチョウが入り乱れて鳴く十二所の朝 蝶人

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新潮日本古典集成新装版「枕草子下」を読んで

2018-05-22 10:58:37 | Weblog


照る日曇る日 第1070回



「枕草子」の魅力は、どこにあるのだろう?

私はまずは、その短さにあると思う。

なかには長い回想や随想もあるが、清少納言は、簡にして要を得た最小の言葉で、読む者の心胆を鋭くえぐる。紫式部の魅力がレガートの優雅さとすれば、清少納言は鋭いスタッカートの切れ込みようがいとも鮮やかなのだ。

例えば、第200段の「遊びは、夜。人の顔見えぬほど。」(これで全文)なんてのは、ルナールの「蛇。長すぎる」に似て、もっと面白いではないか。

次に、名辞の列挙。

浦は、
 大の浦。
  塩釜の浦。
    こりずまの浦。
     名高の浦。  

第192段はこれだけだが、彼女のお気に入りの海浜のイメージが、たった5行で伝わってくる。
文章というものは、主語と述語で因果を含めなくても、複数の名詞を並べるだけで十分だということがよく分かる。

3つ目は、文字の詩的なレイアウト。

上に引用した5行をよく見ると、1行ごとに文頭が1字下げになっている。
近現代になると、詩歌の印刷に際して多少のデザイン的配慮を施すケースも増えてくるが、私が知る限り、平安以前にみずからの書式にこのような繊細な感受性を発揮した人物は皆無である。

最後に、私がいっとう好きな彼女の名文をどうぞ。

ただ過ぎに過ぐるもの。
帆かけたる舟。
人の齢。
春・夏・秋・冬。(第242段)
     

   完全かつ最終的に安倍蚤糞を葬り去るべき時は来たれり 蝶人
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内田百閒著「サラサーテの盤」を読んで、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」をみる

2018-05-21 14:10:14 | Weblog


照る日曇る日 第1069回&闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1343



内田選手の散文はどの作品も個性的な文章で綴られ、ことにそのいささか怪奇趣味に傾いたところには、凡百の作家には真似の出来ない、独特の風韻が湛えられている。(特に芥川龍之介とと森田草平について触れた「亀鳴くや」「實説帀艸平記」の絶唱。)

短編「サラサーテの盤」では、主人公の亡くなった友人の奥さんが、主人公の住まいを訪れ、「夫の蔵書やレコードを返してくれ」と頼むのだが、その登場や退場のありかたが、まるで実在の女性とは思えず、要件も佇まいもさながら中世の幽霊のようで、読んでいても相当無気味である。

その不気味さをまるごと映像に置き換えたのが、鈴木選手の幻想映画「ツィゴイネルワイゼン」で、彼は内田の「サラサーテの盤」と「雲の脚」「すきま風」などの短編のエッセンスを骨にして、鎌倉の由緒ありげな寓居や現在では交通禁止になってしまった釈迦堂の急勾配の切通を用いて巧みに味付けし、どこか泉鏡花を思わせる幻想的な映画を創造することに成功した。

映画では、主人公の家は釈迦堂切通の浄妙寺寄りに、女の家は大町側にあるようだが、それは切通しの向こうが異界であり、彼岸でもあると考えた中世の人々の想念に、忠実に準じているようにも思われる。

  我見れば必ず吠える犬がいて今度は我から吠えんとぞ思う 蝶人

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「鎌倉国宝館」と「鏑木清方展」を半分眠りながらのぞいて

2018-05-20 11:00:21 | Weblog


蝶人物見遊山記第282回&鎌倉ちょっと不思議な物語第400回


薫風薫る団子2重形容詞のお昼前に、2つの展覧会をのぞいてみました。

国宝館では「鎌倉の至宝-古都万華鏡」なるタイトルの特別展を開催していましたが、毎年この季節になると開催する所蔵展と、どこが違うのか、てんで分からない。

もちろんお馴染みの建長寺の国宝「蘭渓道隆像」なんかは常連顔して出ているのですが、ただ一つだけ市の指定文化財となった絵柄天神の「詩板」なる代物が加わっているだけで、10年一日のごとく変わり映えしないコレクションでしたああ。

ここの学芸員は暇でいいだろうなあ。こちらは来る6月3日まで。

もうひとつは小町通り左入るの「鏑木清方記念美術館」です。

こちらは開館20周年記念の特別展「鏑木清方の芸術展」を今月23日までやっていますが、今まで見たことのない個人蔵の作品がいくつか並んでいるくらいで、普段とさしたる違いなし。

まあこういう日本画家ですから、横山大観と違って年代別に作風が激変したわけでもないので、仕方ないと言えば仕方がないのでしょうが、こちらの学芸員も暇でラクチンそうで羨ましいなあ。

乞い願わくば、いついつまでもこの偉大なるマンネリを貪り続けてほしいものです。


  我見れば必ず吠える犬がいてその都度思う「ぶっ殺したろか」 蝶人

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三角みづ紀著「カナシヤル」を読んで

2018-05-19 11:08:14 | Weblog


照る日曇る日 第1068回



2005年に中原中也賞を受賞した若き詩人による、2006年に刊行された詩集です。

「かみさまと花豆」と「素晴らしい日々」の2つの作品から構成されていますが、私が気に入ったのは、後者の先頭を飾っている「しゃくやくの花」という詩です。

 安物のベッドが
 壊れてしまいそうな
 セックスの夜
 むかしのこいびとのもんだい
 を吐き出したおとこは
 わたしに
 プロポーズした

で始まり、

 次に桜が唄う頃
 わたしは
 よめになるのだ

 しゃくやくの花
 とても死ぬ きれいね

で終わる、全部で44行の詩は、とてもシンプルだけれども律動を力強く刻み、それまで著者を抑圧してきたものをば、一挙にはね返す力に充ち溢れていて、素敵だなあと思いました。


 転調をすればするほど哀しくてミシェル・ルグラン「シェルブールの雨傘」 蝶人

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高橋源一郎著「ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた」を読んで

2018-05-18 11:04:41 | Weblog


照る日曇る日 第1067回



源ちゃんが脳白紙状態の子供たちの領域に降り立って、一緒に国や憲法についてゼロから考える本ですが、これをいま話題の「道徳」の時間のテキストにするといいのではないでしょうか。

例えば、こんなことがサラっと書いてあります。

「モンテヴィデオ条約第一条」によれば、「国orくに」、であるための条件は、
 1)そこに住人がいること
 2)そこに場所があること。
 3)そこに政府があること。
 4)他の国orくにと関係を結ぶ能力があること。
の4つであり、他に条件はありません。

 また同条約の第3条は、
「国orくにには、他の国orくにによって承認されなくても、存在している。だからいつでも自由にその国orくにの権利を行使して、国orくにとしての仕事をすればよろしい。

どうやら国orくにというものは、それほど肩を怒らせ、悲壮な決意を固めなくても、気軽に作ったり、やめたりしていい制度のようですね。

本書によれば、実際に1973年にはジョン・レノンとオノ・ヨーコ両選手が「ニートピア」という領土のない国を創立し、その国旗は「白いハンカチ」だったそうです。

また2014年には、米国ヴァージニア州アビンドン在住のエレミア・ヒートンさんが、彼の7歳の娘のエミリーちゃんが、「わたし王女様になりたいワ」というので、エジプトとスーダンに挟まれた砂漠の中の「主権空白地」に、エミリーちゃんがデザイした「国旗」を立てて、「北スーダン王国」を樹立したそうです。

本邦では、かつて井上ひさし選手が、伝説の「吉里吉里国」を旗揚げしたのも記憶に新しいところです。

そういえば、現在の沖縄は、かつて琉球王国であった時代が長く続いていましたから、そろそろ悪辣非道な安倍蚤糞が独裁するヤマトンチュウの版図から軛を脱して、軍事基地ゼロの「沖縄共和国」などに変身してみてはいかがでしょう。


 「国」よりは「くに」の方が柔らかで自由な組織のような気がする 蝶人

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野坂昭如著「火垂るの墓」を読んだり、日向寺太郎監督の「火垂るの墓」をみたり

2018-05-17 13:12:57 | Weblog


照る日曇る日 第1066回&闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1342



野坂の原作は、句点を省略して読点を多用した新発明の文体が、煩わしくて今なお読みづらい。

著者の告白によれば、(義理の)妹を手厚く介護しないままで死なせてすまった供養が、本書の執筆の動機だというから、ある種の照れが、いわば副産物としてのこういう西鶴もどきの奇妙な文体をうみだしたのだろう。

原作では、いきなり主人公の死が読者に伝えられるが、さすがに映画では時系列から追う形になる。蛍が印象的だが、原作では「平家蛍」と書いてあるから、いくらなんでもあんなに巨大な光芒を放つはずがないが、次々に作られていく蛍の墓の隣の妹の土饅頭が悲しい。

映画では、悪役を演じる松坂慶子が好演。こういうおばさんは、今度の戦争でも仰山登場するに違いないが、その戦争を防止するための手立てとしては、この種の悲劇映画はもう無効になってきている。

なお単行本「火垂るの墓」には、表題作のほかに「アメリカひじき」「焼土層」「死児を育てる」「ラ・クンパルシータ」「プアボーイ」が収められているが、後の作品ほど出来栄えは優れている。

    死病とてライフル銃で心臓を2度撃ち貫きて死せる人あり 蝶人
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ヴェーグ・カルテット(Vegh Quartet)の10枚組CDを聴いて

2018-05-16 13:18:38 | Weblog


音楽千夜一夜 第411回


お馴染みの独廉価版ドキュメント盤で、例によって録音はあまり良くないモノラル盤ですが、ベートーヴェンとバルトークの弦楽四重奏曲の全曲を聴くことができます。

若き日のシャンドール・ヴェーグに率いられた名門カルテットの演奏は明晰にして柔軟なアプローチを心していることで、アルバンベルク以降の心身を異常なまでに張りつめた神経質な演奏の対極をいくものですが、かといって例えばオルランド四重奏団の弛緩した演奏とはまるで異なる、なんというかヒューマンな感覚の親しみやすい演奏です。

ベートーヴェンもいいですが、お国もののバルトークは、それこそ自家薬籠中の手に入った素敵な演奏を繰り広げています。


  市議選が近づけば自公共産がやって来るなり我が家めざして 蝶人
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