あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

「暮しの手帖91 12-1月号」を読んで

2017-11-30 11:07:30 | Weblog


照る日曇る日第1010回



このたび恵贈にあずかった「暮しの手帖」の今月号の目玉は、なんと敬愛する奥村晃作氏の人と作品の特集「暮らしの短歌」でした。

庭でバットを振り、居室でギターをつまびく今年81歳の歌人の近影に挟まれて、氏の「ただごと歌」の代表作50首が紹介されています。

  ゾウを見てゾウさんと呼びトラを見てトラさんとふつうの人は呼ばない
  死ぬほどの勉強オレはしたからに東大受かった三十年前

「ただごと歌」とは、なんでもない事柄を詠った歌で、その根本は「心の短歌」、「生命の歌」である、と氏はいいます。

  海に来てわれは驚くなぜかくも大量の水ここに在るのかと
  犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの

人間は絶えず外界に触れて五感が、心が動いている。その五感が捉えた事柄をちゃんと観察して写し取る。

  結局は傘は傘にて傘以上の傘はいまだ発明されず
  水に色なけれど全く色なしと言へるかどうか色とは何か

動いた心を、自分の手持ちの言葉で、表現する。五七五七七の定型を守りつつ、「テニオハ」の選択に至るまでぎりぎりまで推敲せよ、と老師は銘じます。

  運転手一人の判断でバスはいま追越車線に入りて行くなり
 「東京の積雪二十センチ」といふけれど東京のどこが二十センチか

「感動や発見があれば、爪のアカについても歌はできる」、「1つの歌にベストの形は1つしかない」、と奥村氏は断言するのです。

 居ても居なくてもいい人間は居なくてはならないのだと一喝したり
 一回のオシッコに甕一杯の水流す水洗便所恐ろし
 
 本号ではその奥村晃作氏への核心をついたインタビューも掲載され、「空」という字が入った短歌募集も行われていますので、みなさまお見逃しなく。

ところで「暮しの手帖」のいまの編集長は、なんと元ブルータス編集部で旧友の澤田康彦さんです。

私は以前、彼が主宰するfax短歌誌「猫又」に誘われ、「「人名」を入れ込んだ歌を作れ」と命じられて次のような2首を投稿したところ、判者の穂村弘氏に選ばれて大喜びしたのが、私の短歌歴の超遅いはじまりだったことを、はしなくも思い出しました。

  「狂犬病の注射に出頭されたし。佐々木ムク殿」と鎌倉保険所は葉書を寄越せり
  耕ちゃんがもし障害児じゃなかったら眞とは別れていたよと美枝子いいけり

末尾ながら奥村特集以外にも「暮しの手帖」は数多くの読み物を載せていて、その中では原由美子さんの服飾の名文と、岡本仁さんの名古屋買い物紀行の奮迅の取材ぶりに感嘆いたしました。

  「広告がゼロの雑誌は気持ちがいいね」と広告一筋の男いうなり 蝶人

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夢は第2の人生である 第48回

2017-11-29 13:47:14 | Weblog


西暦2016年霜月蝶人酔生夢死幾百夜


私が乗った船が遭難して沈没しそうになったので、SOSを発信すると、「遭難マニュアルをよく読め」という返信があったので、読んでいるうちに、船は沈んでしまった。11/1

私は理科部長に部活の時間と場所を訊ねたのだが、教えてくれない。どうやら私は、部長に嫌われているようだ。11/1

僕らのパーティーは、都内のホテルの小さな一室で開かれていたが、隣の大広間では、集英社の大パーテイが同時に開催されており、ちらとそちらを見ると石井さんの姿もあったが、あの人たちは家族同伴でやって来ているようだった。11/1

町内でいつも面白い話をしている、おじいさんがいて、「わしの名前はシュニッツエルじゃ。誰かわしの話を記録しておいてくれないか。あとで1冊の本になれば、皆の衆が喜んで読んでくれるだろうからな」と語った。11/3

雛段の真ん中よりやや右側が、彼女の定位置で、ここで美しきヒロインは、くつろいで飲み食いしたり、客とおしゃべりしたり、調子に乗ると、その場でセクスしたりするのだが、だんだん疲れて嫌になって来ると、右端の個室に退くのである。11/4

久しぶりに会ったオオミチ君が、「会社のノルマで追い詰められているから、この中元セットを買ってくれ。1個1500円だ」というので、10セット買ったら、とても喜んでくれた。働くのって大変だ。11/7

男子学生たちはみな同性愛者だったので、女子はみな老学生の私の部屋に押し寄せたが、いくらなだめすかしても、肝心の一物が物の訳に立たないので、頭に来て、全員立ち去ってしまった。11/8

おりしもそのマンションでは、子供たちと大人の女性テームとの野球大会が開催されていた。11/9

買ったばかりの冷蔵庫からかなり離れたところで、その家の息子が、なにやら懸命に工事をしていた。窓際に佇んでいる彼女に近づこうとしたが、彼女が待っているのは、私ではないと分かったので、そのままにして別れてしまった。11/10

長い間隣国に占領されていた私たちは、ようやく解放された後も、彼らに対して屈折した感情を長く懐いていた。11/11

課長が出張先でレンタカーを借りて、ものすごいスピードでぶっ飛ばしたために、事故ってしまった。幸い怪我はなかったが、車は大破してしまった。クワバラ、クワバラ。11/12

疲労困憊した私は、もうすべてにおいて投げやりになって、国家機密事項を平文のウナ電で全世界に発信してやった。いい気味だった。11/15

夕方、会社から帰ろうとエレベーターを降りたら、ナベショーがお客さんに「すんまへん、こんな時間に来ていただきまして」と謝っていた。この男は、大物ぶっていつでもダブルブッキングしているから、こういうことになるんだ。11/16

その男は、いい女だと思うと、ダンスに誘ってチークダンスをするのだが、彼奴は踊りながら、膨らんだ局部をやたらとこすりつけるので、女たちは嫌がって、たちまち逃げ出してしまうのだった。11/16

砲撃を受けると、そのたびにコンクリートのフロアが崩れ落ちる。次の砲弾がどこに落ちるか分からないので、運を天に任せて、思い思いの場所に佇んでいると、目の前でドカンという音がして、私らは最上階から地下室まで猛烈な勢いで落下していった。11/17

ダリ展の隣で開催されている展覧会は、奇妙だった。会場はだだ広いのに、何ひとつ展示物も説明パネルがない。にもかかわらず、ダリ展より高い入場料を取られるので、みんな頭にきているのだ。11/19

ちょっと油断していると、野良猫と野良犬と野良詩集が家じゅうに氾濫して、足の踏み場もない。そこで私は、我が家を犬猫詩集叩き売りショップにすることに決めた。11/19

我われの明日の計画を、カーテンの向こうで盗み聞きしている奴がいたので、妖刀村正をギラリと引き抜いて、グサリと突き刺すと、アベノシンタロウが朱に染まって斃れていた。ザマミロ、ふてい野郎だ。11/20

長い間行方不明になっていたクラタ氏が、突然この世に戻ってきたのだが、無気力そのものだし、眼は死んだ魚のようだし、どうも様子が変だ。11/21

「恒例の社長年頭訓示によると、最近のわが社の業績は非常に好調らしい」、と海の底で立ち泳ぎしながら、時々あくびして、常務が教えてくれたが、本当にほんとだろうか。11/21

ある夏の日に、黄色いワンピースを着た痩せた女がやって来て、挨拶抜きに「ポコペン」というたので、私はなにもいえずに、その場に立ち尽くしていた。

その翌日、ブーベリックという男がやって来て、やはり挨拶ぬきに「ポコペン」というのだったが、私が彼と一緒に村のあちこちを散歩していると、村人たちもいつしか「ポコペン」「ポコペン」と挨拶するようになってしまった。11/22

ある朝、関東平野を3.1で揺らしながら、地震は、「今度は6.0だぞ」と脅かすのだった。11/23

その男は、「私は、生涯で2度もサルガッソーの海で死にかけたことがある」と語った。11/25

原発事故による放射性物質で汚染されたというのに、この病院では、いつもと同じように安気に無警戒に業務を続けているのだが、それは病院長をはじめ首脳陣がどのように対応したらいいのか、てんで分からないからだった。11/27

小津監督が、新しい映画のエンディングの音楽のために、大太鼓を買って来たのだが、実際に使ってみると、うまくいかなかったので、ヤオフクに出したが、誰も応募してこないいようだ。11/28

滔々と落下する千尽の滝壺を茫然と眺めていたら、隣に立っていた女が、私を背後から抱きかかえたまま、青い水底へ飛び込んだ。女は、大蛇のような両腿で、私の下半身をがっちりと締めあげ、両手を背中に回して身動きできないようにしてから、私の唇に舌を差し込んだ。11/29

私とセイさんが、どの席に座ればよいのかを巡って、その料亭の女将と若女将が喧嘩し始めたので、私らは、いつまでたっても座ることができなかった。11/30



     貴乃花白鵬鶴竜稀勢ノ里みな引退せよ相撲界のため 蝶人


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アントン・チェーホフ著・原卓也訳「チェーホフ全集第1巻」を読んで

2017-11-28 14:27:22 | Weblog

照る日曇る日第1009回



これは昭和36年に刊行された中央公論社刊チェーホフ全集の第1巻で、1880年から82年までのロシアの「たそがれの時代」に刊行されたアントン選手の若書きを、32編おさめてあります。

私は勉強不足で、チェーホフといえば「3人姉妹」や「桜の園」で有名な劇作家であると思っていたのですが、そしてそれはそれで間違いではないのですが、私が持っている「中公版チェーホフ全集」全16巻のうち、戯曲はたったの3巻で、書簡と伝記と「サハリン島」を除く大半は、ことごとく短編小説に充てられています。

だからというわけでもないのですが、チェーホフ選手は戯曲家という以上に小説家、しかも尋常ならざる面白さの短編小説作家なのでありました。ああ知らんかった。恥だった。

初期だけにかなり実験的な習作も含まれていて、例えば2番目の「小説の中で一番多く出くわすものは?」では、「伯爵、伯爵夫人、隣人の男爵、リベラリストの文学者、零落した貴族、外国人の音楽家、単純な召使たち、乳母、住み込みの女家庭教師、ドイツ人の執事、大地主、アメリカから遺産を受け取る男etc」、以下チェーホフ自身も世話になったことのある典型的な登場人物のリストがえんえんと続き、「最初に7つの大罪、そして最後には結婚」で終わっている。まことに才気煥発の文筆家であったことがわかります。

こういう軽妙な小品ばかりではありませぬ。
興に乗ってどんどん読みすすんでいくと、何度も映画化されたという「不必要な勝利」、お馴染み駄目ロシア人の心底をえぐった「生きた商品」、ああ堂々の構成を備えた波乱万丈の一大悲恋物語「咲きおくれた花」、などなどの見事な中編小説の秀作にぶちあたって、おお。これはこれは!とうならされてしまうのでした。

ところで巻末の原卓也氏の解説によれば、ロシア史上1880年代は「たそがれの時代」と称されているそうです。

バクーニン一派から分裂した過激派の「人民の意志派」が、1881年にアレクサンドル2世を爆殺したのですが、それ以降、ロシアの自由と民主主義は消沈し、すべてが絶望と沈滞に閉ざされた。

そんな本邦の昨今にちょっと似た状況の中で、チェーホフ選手の作品を深夜ぼちぼち読んでいると、なにか胸に迫って来るものがあります。



   曇天に北風吹きて胸重し嗚呼この国も「黄昏の時代」か 蝶人
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加藤治郎著「歌集 噴水塔」を読みて詠める

2017-11-27 11:55:48 | Weblog


照る日曇る日第1008回



12年1月から14年12月までの350首を収めた第9歌集

ある個所は岡井隆風またある個所は寺山修司されどまぎなく加藤風の最新歌集

ある時は修正アララギまたある時は柔軟口語さすがは「ニューウェーブ短歌」の元祖なり

90年代は遥に遠くニューウェーブ10年代には新古典となる

ニューウェーブの後には新波来て大波小波超ニューウェーブ来襲

ヌーヴェルヴァーグ去りニューウェーブも去りて海は凪ぎ大航海者尽く死滅す

むらぎものこころに響く低音は全首を貫く孤独と不安

伝統を変革する者の常として最新変革者共と戦わねばならぬ

14年1月28日尊父死しその日より始まる父との対話

ちちのみの父死しここだも歌生まる父子を嘉して賦活する歌

フィクションで父の死詠みし者ありき あれらはただのフィクションだった

在りし日の父上偲びて歌生まる末尾の晩歌本書の白眉

父看取り父を喪い父想う末尾の詠草茂吉の響き

茂吉より心に沁みる挽歌あり父の死すでに虚構にあらず

ポップとは命を賭したサーカスよジャンプできねばピエロとなるのみ

たそがれの夕べを迎えおもむろに歌人はおのれの晩歌を呟く

三十年歌い続けてきたのだからたまには喉腫れ咳も出るだろう



教科書に加藤治郎(一九五九~)と記されて没年はまだ夏雲のなか 加藤治郎



  三十年歌い続けてきたとしても明日も新たな歌うたうべし 蝶人
 
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ウィリアム・ビー作・たなかなおと訳「かえる ごようじん」を読んで

2017-11-26 11:59:26 | Weblog

照る日曇る日第1007回



森の傍に住んでいる臆病なおばあさんのところへ、森の奥深くからやって来る恐ろしい魔物たちを、その都度ぱっくんと退治してくれるかえる君。

ところが絵本の最後になると恐るべきドンデンガエルが起こって、その頼もしいかえる君が………

いちばん弱そうな存在が、いちばん強い身近な存在を一挙に打ち負かすという逆転の不条理は、ウィリアム選手の見果てぬ夢、あるいはこれから大人の世界へ出てゆく子供たちに対する、ウィリアム選手のいっぷう変わった励ましなのかもしれませんね。

いかにも英国人らしいブラックな皮肉とユーモアを賞味する、大人な絵本ずら。



 なんとまあ「逗子岡崎」が閉じるというこれからカーテンどこで買うのか 蝶人


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伊吹和子著「われよりほかに~谷崎潤一郎最後の12年」を読んで

2017-11-25 10:37:38 | Weblog


照る日曇る日第1006回


1953年(昭和28年)、当時68歳だった谷崎は、右手を痛めて自筆では書けなくなったために、「潤一郎新譯源氏物語」以降の作品制作は、ことごとく口述となった。
そしてこの偉大なる国民作家が、亡くなる1965年までの大部分の口述筆記と個人秘書を担当した人物こそ、本書の著者なのである。

1929年に京都の呉服屋の娘として生まれた著者は、京都大学国文研究室に勤務していたところを澤潟久孝の紹介で谷崎と相まみえ、以後12年の長きにわたって、神経をすり減らすようなサーカスの綱渡りのようなきわどい交際を続けることになったのである。

谷崎という人は無類の女好きで、次から次に好みの若い女中を傍に置き、その中のお気に入りを、才覚と教養がなければけっして勤まらない個人秘書や口述筆記役に据えようとするのだが、なにせ極端に我儘で神経質な芸術家だから、最初はうまくいっても長続きしない。

ところが最後まで作家の愛玩物にはならなかった、あるいはなりえなかった著者だけが、作家の負託に立派に応え、最後まで作家の右腕、いや一心同体となって至難の職責を全うできたことは、ひとえに著者の寛容と忍耐、仁徳の賜物と褒めたたえるべきだろう。

松子夫人は別格として、いや松子夫人ですら容喙できない1対1の真剣勝負の時間と空間から観察された文豪の偽らざる実像は、その正確無比、沈着冷静な記述とあいまって真に迫ってものすごく、自決間際の三島由紀夫が「早く書け書け」と督促したのも無理からぬ興味津津の内容が展開される。

とりわけ病で倒れる直前に構想されていた2つの作品、「猫犬記」と「天児閼伽子の小説」(「瘋癲老人日記」の続編にして松子夫人一族への決別を告げる)が未完に終わったことは、悔やんでも悔やみきれない本邦文学の一大損失であったと言わざるを得ない。作家生活最後の創作意欲に燃えていた時期に、どうして三度目の谷崎源氏などに精力を注いでしまったのかと、著者ともども歯噛みしたくもなるのである。

そのほか、文豪は、最後まで京および京都人を愛したり深入りしたりせず、さながら観光客のような目で眺めていたこと、三度も「源氏」を翻訳しながら、光源氏と紫式部をてんで好きではなかったこと、けれどもそれらをば、おのが作家活動の素材として徹底的にしゃぶり尽くしたこと等々、興味深い指摘が続出して、研究者ならずとも谷崎ファンのわれらを喜ばせてくれる、じつにかけがえのない貴重な書物である。

最後に特筆したいのは、著者の知情意が一体となった見事な散文で、こういう凛とした日本語を、当節もっとも不感症にして醜悪な作文屋である「ダダダの塩野七生」に煎じて飲ませたいものダ。

  我といふ人の心はたゞひとりわれより外に知る人はなし 潤一郎「雪後庵夜話」


  平成も間もなく終わりそうなので西暦1本に切り替えませんか 蝶人

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エリザーベト・レオンスカヤのシューベルト選集6枚組を聴いて

2017-11-24 10:40:41 | Weblog


音楽千夜一夜 第401回

グルジア生まれの女流ピアニスト、レオンスカヤによるシューベルトの作品集です。

7つのピアノソナタをはじめ、2つの「4つの即興曲集」、さすらい人幻想曲、それにアルバンベルクとの共演による「鱒」などの有名曲がぜんぶ入ってお買い得の廉価盤です。

が、よく言えば心穏やかにして軽快、悪く言うときまぐれな表現がところどころにあって、わたくし的には、かのリヒテルや内田光子、ルプー、ブレンデルなどの演奏には一籌を輸すると言わざるを得ない。内田選手ほどではなくとも、もっとシューベルト最晩年の黒い孤独と絶望に寄り添ってほしかったなあ。

   鎌倉の中央図書館の受付ですんごい美人を見かけたような 蝶人

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由良川狂詩曲~連載第18回

2017-11-23 09:49:17 | Weblog


第6章 悪魔たちの狂宴~ライギョ来襲



ライギョと呼ばれる魚には、驚いたことには、なんと2種類があるそうです。

台湾からやってきて大阪、京都、兵庫などの湖沼で大繁殖したタイワンドジョウ、それからアジア大陸の東部が原産地で、北は黒竜江から朝鮮を経て、南は揚子江付近まで分布し、日本には朝鮮半島から到来、現在では北海道を除くほぼ全土に繁殖して平野部の浅い池沼に棲むカムルチーの2種がごっちゃにされているようですが、彼らがやたら大食いで、食洋魚を食害する点では共通しているのです。

ライギョ(雷魚)という魚が、小魚はもちろんエビ、カエル、フナ、コイ、ウナギ、さらにはイヌ、ネコ、ヘビ、鳥類など、自分と同じかあるいはそれ以上の大きさの動物すらぱっくりと食べてしまう、ものすごく獰猛な魚であることは、ケンちゃんも理科で勉強しました。

でもケンちゃんは、今まで由良川では、ライギョなど見たこともありません。

―――待てよ、あれはもしかしたらライギョじゃなくてソウギョじゃないかしら?

と、ケンちゃんは泳ぎながら考えました。

あれが中国原産のソウギョなら、由良川にいる可能性はある。だけどソウギョは名前の通り、アシとかマコモとかの葉や茎を食う雑食魚だし、ソウギョと混同されるアオウオにしても、川底の小動物を食べることはあっても、牛の肉までは食べないだろう。
でも、今そこで泳いでいるあの姿、あのかたちは、絶対にソウギョじゃない……

―――しかしライギョがなんで由良川にいるんだろう?

ケンちゃんの疑いは、深まるばかりです。

その間も、ライギョたちの悪魔の狂宴は、えんえんと続いています。

彼らがやることは、まるでピラニアです。でもピラニアはちっぽけな魚です。ピラニアの何百倍も大きなライギョたちが、飢えた食人ザメのように水中でガツガツと音を出して、牛の肉を、筋を、臓物を貪り喰っているのです。

その、この世のものとも思えない残酷な光景を見せつけられたケンちゃんが、もうそれ以上正視できずに、そろそろ引き返そうと身を翻そうとしたとき、ケンちゃんのスニーカーの右足が牛の白骨化した横隔膜にゴツンと当たりました。

すると百匹以上のライギョの大群が、一斉にホルスタインの死骸から湧きだすように飛び出して、ケンちゃんめがけて襲いかかってきたのです。

―――どひゃーあ、こりゃマイッタ。許してくれえ!

と叫びながら、ケンちゃんは、鎌倉スイミングスクール小学生の部グランプリに輝く素晴らしいピッチ泳法をフルに駆使して、全速ダッシュ!現場からの緊急離脱を試みましたが、牛の血潮に狂ったライギョたちは、「次の獲物はアイツだあ!」とばかりにケンちゃんめがけて殺到。

この前の日曜日にお母さんがヨーカ堂のバーゲンで買ってくれたばかりの白いスニーカーは、哀れライギョの鋭いひとかみでザックリと食いちぎられてしまいました。
ケンちゃんは大慌てでクロール泳法からドルフィンキックに切り替えながら、もう片っぽうのスニーカーをできるだけ遠くのほうへ投げつけると、ライギョたちは一瞬勘違いして、みんなそちらのほうへ気を取られる。

その間一髪のあいでにケンちゃんは必死のドルフィンキックを連発して、ようやく由良川の浅瀬にたどりつくことができたのでした。
 
ほうそのていで命からがら由良川の汀まで疲れきったからだを引っ張り上げることのできたケンちゃん。
真昼の太陽に背中をじりじりと焼かせながら、ケンちゃんはじっと考え込みました。

―――どうやったら奴らを倒せるだろう。どうしたらあの獰猛な敵をやっつけることができるだろう?

その間にも太陽は、ますます赤く、真っ赤に燃えたぎりました。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、さらにさらに燃え上がり、灼熱の炎、紅蓮の炎をコロナのように、赤い渦巻きのように空高く巻き上げ、強力無比な太陽風を嵐のように銀河系全体に叩きつけましたが、惑星間の事象を背後から強力に支配するダークマター(暗黒物質)の妨害にあって、怒りのあまり暴発しそうになりました。

がしかし、われらのケンちゃんは、1時間経っても2時間経っても、太陽が真っ赤な顔をして怒り狂ってもいっさい関係なく、じっとじっと考えにふけっています。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

太陽は、ますます赤く赤く、真っ赤に燃えたぎります。
ケンちゃんは、なおも深く深く深く考え込んでいます。

                                  つづく


 ごみ袋を突き破りそうなので大きな骨は捨てなかった白石容疑者 蝶人


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シリーズ偽主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々満載挨拶スピーチ実例集!」No.15

2017-11-22 11:45:26 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.273


第15回 告別式で会社同僚の自殺を悼む弔辞



黒田三郎さん、いま私はあなたの突然の訃報に接し、大きな悲しみとポッカリ穴の空いたような虚しい思いにとらわれています。

*1顧(かえりみ)れば、あなたと私が南海商事に同期で入社してからおよそ30年の歳月が流れました。それがあなたにとってどのような時間の積み重ねであったのか、今となってはもはや誰にも分かりません。

*2あなたはシステムひとすじ、私は総務畑でいっしょに仕事をしたことはなかったけれど、ウダツの上がらぬサラリーマン同士、月に一度は有楽町のガード下の焼き鳥屋で一杯やってささやかに憂さ晴らしをし合う仲でした。

*3黒田さんの最後の半年は、皆さんもご存知のようにまことに壮絶なものでした。
21世紀の勝組み企業にふさわしい

*4 SCMとEMCSをIT装備し、設計、生産、部品調達から、販売現場、流通、在庫管理までを最新鋭のコンピュ―ターシステムで一元管理するソフトウエアを3ヶ月以内に完成せよ、と会社から厳命された黒田さんにとって寧日(ねいじつ)はなく、休日もありませんでした。
早朝から深夜まで精魂傾けて働きつづけ、すべてを投げ打って会社に尽くしました。

この正月も、元旦に休んだだけでずっと会社でパソコン相手に設計図を描いていたようです。どれほどのストレスが彼の心身を苛んでいたことでしょう。猛烈な企業戦士でありながら、古武士さながら彼は決して弱音を吐きませんでした。
その誇り高い男らしさが、彼を取り返しのつかない悲劇に彼を追いやってしまったことを思うと、彼の近くにいた友人の一人として悔やんでも悔やみきれません。

*5しかし、彼はもはや我われの世界における戦いを終えました。
善戦健闘あっぱれよくぞここまで戦った、とわたしは掌が破れるような万雷の拍手を黒田三郎さんに贈ります。

人生わずか50年、夢幻の如く也、といいます。
確かに黒田三郎さんは、この世での50年の生涯を終え、彼の霊は、いま彼岸に向かって飛び立ちました。
しかし彼の生涯は決して夢や幻のように儚いものではありませんでした。
彼の真っ向から唐竹を断ち割ったような潔い生きざまは、永遠にリアルなものとして私たちの記憶に留まり、私たちが彼を想起するつど、彼は生者のように此岸(しがん)へと回帰するのです。

私は黒田さんと、このようにして、ずっとずっと末長くお付き合いを続けて参りたいと祈念しております。


○ アドバイス
1) 亡き同僚に対する弔辞である。弔辞は、他のあいさつも同様であるが、形式に顧慮する必要はない。個人を追悼する真心さえあれば、どんな拙い表現であろうとも聴衆の胸を打ち、遺族の悲しみを和らげてくれるのである。
2) 故人と話者との関係を明確にすることで、そのあとに続く文脈と心情の吐露を分かりやすくする。
3) 自死の背景を暗示する話者は故人の親友なのであろう。痛憤を交えた語り口は迫力がある。
4) CMは企業活動の川上から川下までの物流を一括管理する新システム。EMCSは製品設計から生産、顧客サービスまで一貫してがけるシステム。いずれも企業が争って開発導入を図っている。
5) 親友の死に対して、話者なりの解釈と受け止め、これからの生き方を思い切ってスピーチした点は新鮮であり、単なる言葉の羅列以上の踏み込みを感じさせる。


  背走しまた背走しジャンプして逆シングルでキャッチした日よ 蝶人
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由良川狂詩曲~連載第17回

2017-11-21 13:24:59 | Weblog

第6章 悪魔たちの狂宴~由良川のギャングたち



大広間の天井にへばりつくようにして、この異様な光景のいちぶしじゅうをのぞきこんでいたケンちゃんは、びっくりしました。
突然自分の名前が持ち出され、しまいにはケンちゃんコールまで由良川一帯にとどろきわたってしまったんですもの……
しかし、これでどんなに由良川の魚たちが困っているのか、なぜケンちゃんの到着を待ちわびているのかがよくのみこめてきました。
のみこめたのはいいのですが、ケンちゃんはだんだん途方に暮れてきました。
自分はどうやったらこのピンチを救うことができるんだろう?
あんなに魚たちから期待されているのに、由良川のギャングどもを向こうに回して、12歳の少年がたったひとりで何ができるというのでしょう?
ケンちゃんは考えれば考えるほどますます不安に駆られてきました。
数千、数万の魚たちが酔っ払ったように由良川音頭を合唱している大広間をそっと離れて、ケンちゃんは、まるで誰かから呼び止められるのを恐れながら逃げ出すようにして、由良川の本流めざしておおきく複式呼吸をしながら、ゆっくりゆっくり泳いでゆきました。
少し頭を冷やしながら、じっくり考えてみようと思いましたが、哀しいことにいくら腹式呼吸を繰り返しても、いくらひとかきひとかきゆっくり泳いでも、頭の中には何のアイデアのひとかけらさえも浮かんでこないのです。
その時でした。
――おや、あれは何だろう?
ケンちゃんの前方およそ5メートルほどのところから、なにやら白く光る2本の棒がこちらに向かってきます。白く、先端が湾曲した、なにか骨のようなもの……。
左右とも2.0の自慢の視力で透かしてじっと見つめると、それはなんと牛の角でした。
角だけではありません。肉がそげ、きれいに白骨化した大きな牛の頭骸骨が、見えない虚ろな眼で、じっとケンちゃんを睨んでいるようでした。
次の瞬間、その眼はギロリと動きました。
ギロリ、ギロリ、ギロリ……それは、牛の眼ではありません。
牛よりももっと小さく、しかし、もっと不気味で狡猾そうな2つの眼が、ホルスタインの眼窩の奥から、じっとケンちゃんを睨みつけているのです。
ギロリ、ギロリ、ギロリ……、黒く悪賢そうな小さな眼は、2つ、4つ、6つ、8つ、……もっともっと光っています。
暗い水の中で、何十、何百の暗い眼たちが黒い縞模様を右に左に反転させながら、次々に白いしゃれこうべの下へと消えてゆくのです。
このホルスタイン種の乳牛は、おそらく先日の台風の時、上流の上林村あたりから、生きたままモウモウと鳴きながら、ここまで流されてきたのでしょう。
ケンちゃんは、さらに牛の死骸のほうへと近づいてゆきました。そしてそのすさまじい光景を見た途端、アッと叫び、叫んだ口の中から侵入した泥混じりの水を思いっきり飲んでしまいました。
真っ暗な由良川の河底に横たわるホルスタインの死骸を、何十、何百匹ものライギョと思われる魚たちが、するどいギザギザの尖った歯をきらきら光らせながら、夢中になって食らいついているではありませんか。
全長40センチから、大きい奴は1メートル以上もある青ずんだ黒い色をした川の盗賊ライギョは、背びれと臀ビレをゆらゆらグルメの快楽にうち震わせながら、狂ったようにホルスタインの雌牛のやわらかな臓物に突撃しては、獲物をナイフのように鋭い歯で斬りとり、そのたびに微小な肉片と鮮血が濁った水を赤々と染めてゆきます。
―――カムルチーだ! タイワンドジョウだ! ライギョだ! こいつら、由良川のギャングたちだ!


 キセノサトそれでもお前は横綱か格下相手にころころ負けて 蝶人
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シリーズ偽主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々満載挨拶スピーチ実例集!」No.14

2017-11-20 10:48:57 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.273



第14回 交響楽団の後輩の病死を悼む芸術監督の弔辞


僅か33歳で身罷(みまか)ったピアノの名手ディヌ・リパッティ、35歳でウィーンの土となった作曲家のモーツァルト、そして39歳でパリに客死したショパン……いずれも夭折の天才ですが、若干26歳はいかにも早すぎる。若すぎる。

神様、どうして弦の国ニッポンが生んだ不世出のヴァイオリニスト天地龍太郎をかくも短期間で天に召されたのですか?

*1花も実もある未来の大演奏家として生育しようとしていた美しい栴檀(せんだん)が、香しい双葉の時期に無残にも手折られてしまった悔しさと無念の思いがいまも私の胸から消えません。

*2天地龍太郎は、1975年に長崎に生まれ、上京して東京藝術大学音楽部でヴァイオリンを専修、1997年からブリュッセルの国立音楽院に入ってイザイ、デュボア、アルチュール・グリュミオーゆかりのフランコ=ベルギー派の優れた伝統を身につけ2000年の夏に帰国し、ただちに我が「湘南カンマームジーク」のコンサートマスターに就任いたしました。

*3そもそもわが国の弦楽器教育は、まずは「型」から入る技巧中心の教育法が主流で、そこから、正確無比に指は回るが肝心の音楽には不感症、という日本人の演奏家特有の欠陥が生まれました。首席指揮者の私とコンマスの天地のコンビは、技巧は2の次、3の次、心で感じる演奏だけを心がけて参りました。

その結果が徐々にあらわれ、神奈川県のみならず、関東全域のクラシックファン、古楽器ファンの好評を博していた矢先でした。ヴュータン、ルクー、フランク、ラベル、ドビュッシーなどの演奏にかけては右に出るものなしとの高い評価を得て、天地龍太郎の名声は日の出の勢いで隆盛を極めつつあったのですが、突然の病魔には勝てませんでした。

お医者さんの話では、喫煙とスポーツを好む長身痩躯の若者が何かの拍子で自然気胸に罹り、突然死に至るケースがままあるようです。

演奏の傍ら登山とマラソンを楽しみ、1日50本のヘビースモーカーであった天地君の悲劇が二度と繰り返されないことを祈るとともに、私どもは、夭折した天才が果たせなかった新しい課題、すなわち技能や形式主導の演奏を廃し、

*4かのヴェートーヴェンが願った「心より心へ」通ずる演奏術をさらに極めて参りたいと思います。

*5さようなら、龍太郎。どうか天上でこれからの私たちを見守っていてくれたまえ。


○ アドバイス
1) 愛弟子を失った先輩指導者の哀惜の念が思わずほとばしり出る無念やるかたない弔辞である。「栴檀は双葉より芳し」とは、香木であるビャクダンは発芽の時から早くも香気があるように、大成する人物は幼い頃から衆に抜きん出ている、という意味のことわざである。
2) 故人の来歴が簡潔に要約して紹介される。フランコ=ベルギー派は現代では少数派である。
3) 西洋古典音楽の後進国としては、ある意味ではやむを得なかった手法であるが、実際多くの識者から指摘されている欠点である。天地龍太郎は、ある意味では高機能かつ無個性なグローバルリズムの演奏との戦いに短い生涯を捧げたと言えよう。
4) 「心より出でて、心に至らんことを」――晩年の傑作『荘厳ミサ曲』の楽譜に楽聖自らが記した言葉として有名である。
5) 万感胸に迫れば、惜別の言葉はおのずから二人称になる。


   創業者急死して内紛続くという大戸屋にて昼食を取る 蝶人

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島内景二著「塚本邦雄」を読んで

2017-11-19 11:07:50 | Weblog


照る日曇る日第1005回


偉大な前衛の傍近くで兄事した著者が、膨大な作品のなかから50首を精選し、全霊を込めて解釈解説した「超」の字がつく力作です。

いきなり目が走ったのは、この和洋新旧折衷の歌。つい最近「運慶展」に出品されていた金剛峯寺の「八大童子像」を鑑賞したばかりでしたので。

 サッカーの制吒迦童子火のにほひ矜羯羅童子雪のかをりよ

この人の夢、それはは現実の写生の埒外に新たな現実、新たな美の王国を構築することだったようです。
 突風に生卵割れ、かつてかく撃ち抜かれたる兵士の眼
 錐・蠍・旱・雁・掏摸・檻・囮・森・橇・二人・鎖・百合・塵
 革命歌作詞家に倚凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ

前衛歌人という名にふさわしい前衛的な作品が多いが、万葉古今新古今流の古典的な伝統を踏まえた作品もあります。
 桐に藤いづれむらさきふかければきみに逢ふ日の狩衣は白
 夏死に死に死に死にてをはりの明るまむ青鱚の胎てのひらに透く

業平や三代将軍、菅公への愛
 昔、男ありけり風の中蓼ひとよりもかなしみと契りつ
 右大臣は常に悲しく「眼中の血」の管家「ちしほのまふり」實朝

男の純情
 さらば百合若 驟雨ののちをやすらへる味爽の咽喉ゆふぐれの腋

フランスと数字、時間へのこだわり
 一月十日 藍色に晴れヴェルレーヌの埋葬費用九百フラン

愛と憎悪、自己対象化の徹底
 われがもつとも悪むものわれ、鹽壺の匙があぢさゐ色に腐れる
 にくしみに支へられたるわが生に暗緑の骨の夏薔薇の幹
 馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ

革命的な、あまりにも革命的な
 炎天ひややかにしづまり終の日はかならず紐育にも❢爆
 おほきみはいかづちのうへわたくしの舌の上には烏賊のしほから

この歌人は、短歌のみならず散文、書簡に至るまで「正字正仮名」で徹したというのですが、さすがです。もし私が文語短歌を採用するなら、鵺のような中途半端を排し、正調塚本流で行きたいものです。

それはともかく、文語一色で「正字正仮名」の歴史的正統を貫いた歌人の最初期と最晩年には口語調が頻出し、魅力的である。そして著者が示唆するように、この古くて新しい塚本口語調こそが、「サラダ短歌」「ニューウエーヴ短歌」「ケータイ短歌」の新潮流の源流となったのではないでしょうか。

 モネの偽「睡蓮」のうしろがぼくんちの後架ですそこをのいてください
 讃岐白峰わが胸中にふぶきおり必殺の和歌みせてやらうか

最後に、わたしのお気に入りの三首を。

 ディヌ・リパッティ紺青の樂句斷つ 死ははじめ空間のさざなみ
 日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも
 枇杷の汁股間にしたたれるものをわれのみは老いざらむ老いざらむ


ああ運慶 おお塚本 君らのそのエランヴィタールよ シュトルムウントドラングよ 蝶人

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都美術館にて「ゴッホ展」をみて詠える

2017-11-18 09:40:50 | Weblog


蝶人物見遊山記 第263回


我が国の浮世絵がゴッホに及ぼした 影響を探る展覧会とぞ

広重や英泉がゴッホの造形に影響を与えた それがどうした

「ジャポニスム」なんちゅう言葉は災いだ 君の頭を灰色に汚す

絵というは黙ってみれば分かるもの 妙な知識は鑑賞の妨げ

「巡りゆく日本の夢」なんかどうでもよろし なにも思わず画幅に向え

「美は僕たちに沈黙を強いる」小林秀雄の名言身に沁む

幾たびもまた幾たびもこの青緑 ゴッホの色はあまりにも美し

青緑黄白黒赤茶美しすぎて バックハウス弾くベーゼンドルファーの音色

「アーモンド」*一樹百花斉放なれば三千世界一度に開く

「草むらの中の幹」*がばと身起こし 生への賛歌 歌うこの時

アルルなる六畳一間に盤踞するシングルベッドの独白を聴け

部屋の前ゴッホがキャンバス拡げれば 机が歌い 椅子踊り出す

「オリーブの園」のうちなるオリーブ 天に憧れ 地を這いまわる

「下草とキヅタのある木の幹」よ 画家の心を緑が満たす

友は去り「蝶舞う庭の片隅」に 包帯捲ける絵描きがひとり

サン=レミのサン・ポール・ド・モソル病院に「ヤママユガ」一頭静かに憩う 

描きたり 描けど描けど絵は売れず フィンセント斃れテオも斃れる

医師ガッシュの息よりゴッホ作品の大量購入を勧められしがなんで買わなんだ山本發次郎



ダ・ヴィンチも フェルメールもなににせん ゴッホの一枚あらばよし 蝶人



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「トーキョーアーツアンドスペース本郷」で「不純物と免疫」展をみて

2017-11-17 11:39:22 | Weblog


蝶人物見遊山記 第262回



秋晴れの好日、お茶ノ水と水道橋の真中あたりにある東京都が運営するトーキョーアーツアンドスペース本郷で現代美術の展覧会を見物しました。

新進気鋭のインディペンデント・キューレーターの長谷川新氏がパンフレットに書かれた言葉を自由に引用させて頂きます。

氏によれば、「ますます複雑化し混迷を極める現代社会において、「共存」の技法を模索するために「不純物」と「免疫」という概念を導入する展覧会を企画した。自分たちの固有性や純粋性を適度に守ろうとする結果、かえって自分たちを死滅させてしまう文明のありようをイタリアの哲学者ロベルト・エスポジトは「免疫」という概念を用いて活写しているが、「そういう悲惨な現実に徹頭徹尾向き合うこと」が本展の目的」なのだそうです。

3階の会場には佐々木健氏の異色の絵画をはじめ、大和田俊、谷中佑輔、仲本拡治、百頭たけし、迎英理子各氏のインスタレーションが展開され、「文明の自己免疫化」に対して思い思いに警鐘を鳴らしていました。

この展覧会は10月14日から始まったそうですが、すでに入場者1000名の多きを数え、今月26日までの展示を終えた後は沖縄に巡回。最終日とその前日には特別イベントも実施されるようなので楽しみです。無料ずら。


 「忠犬」は何十億ドルの戦闘機などを「狂犬」から買うと約束したそうだ 蝶人



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シリーズ偽主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚葬祭その他諸々満載挨拶スピーチ実例集!」No.13

2017-11-16 17:22:33 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.272



第13回 研修会/コンビニエンスストアの主任のスピーチ



テーマ=新人をリラックスさせながら研修のオリエンテーションをする


*①皆さん、本日は遠路はるばるご苦労さまでした。
わたしたちは、今日から三日間ここメルシーストアの研修センターでコンビニエンスストアの実務について総合的に学習いたします。

*②わが社は大会社ではないので、有名な講師の先生を招いて高尚なお話をしてもらうようなカリキュラムはいっさい組んでおりません。

*③そこで具体的な講習の内容ですが、まず第一に、オン・ザ・ジョブ・システムといって、実際的に普段の仕事をするなかで重点的に気をつけなければいけないこと、こういう風にすればもっともっと大勢のお客さまに喜んでいただけるようなポイントを、この機会にたくさん身につけていただこうと考えています。

第二に、モラルアップです。お店の周りにあるごみをきれいに掃除すると、自分もまわりも心身ともにクリーンアップされるでしょう。そういう意識を身につけるトレーニングです。

*④それから最後の夜は、カラオケ大会をやりますので楽しみにしていてください。
さあ、それでは三日間頑張りましょう!

○ スピーチのポイント
① 遠距離から集合した場合は、その労をねぎらいましょう。
② 研修会はけっこう緊張するもの。ちょっとしたユーモアを交えて出席者をリラックスさせる心遣いも必要です。
③ ここから具体的にカリキュラムを紹介し、緊張をほぐしながら、分かりやすく説明してあげましょう。
④ 最後は元気良くムードを盛り上げましょう。


   こんなんで加計の闇を暴けのるか与党80分野党160分 蝶人

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