goo blog サービス終了のお知らせ 

あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

岩波文庫版・柳井滋校注「源氏物語五」を読んで 

2019-04-30 15:33:43 | Weblog


照る日曇る日第1246回

岩波文庫版は全九冊ですが、この「梅枝-若菜下」を収めた第五巻はちょうど折り返し点に当たり、とりわけ「若菜」の上下は、長大な源氏物語の白眉というてもよろしいでしょう。
なんせ権勢を極め尽くした源氏の光に急激に影が差し、天国から地獄への転落がここから始まるのですから。

よせばいいのに、またぞろ年甲斐もなくスケベ心を起し、兄朱雀帝の要請を受けて、女三宮の降嫁を引き受けたのが最悪だった。これが愛妻、紫の上のプライドをずたずたに引き裂き、結婚後7年目の柏木による強姦事件を惹き起こします。

心身ともに疲弊した紫の上には、六条御息所の怨霊が襲いかかり、あろうことか女三宮は猫の因果で妊娠してしまう。父桐壺帝の愛妃、藤壺宮を犯して不義の子をなした若き日の所業を、そのまま仕返しされた、いわば自業自得の悪夢の日々を、晩年の光源氏は生き続けなければならない。ザマアミロ、これすべて紫式部選手の因果応報の手腕です。

強姦された衝撃の余り無言をつらぬく女三宮を、両の腕で抱いて部屋の外に出たが、まだあたりは暗いので、柏木は格子を引き上げて女の顔を見ようとするのですが、その気持ちは分かります。

けれどもその後柏木はおのが密通の罪深さに怯えて、「空に目つきたるやうにおぼえ」ていくのですが、ウディ・アレンの映画を思わせるリアルな表現ですね。



   平成も4月も尽きてJing Jing Jing 蝶人
   平成も令和も知らず今日もまた施設で働く我が家のコウ君

春のいろいろ映画劇場5本立て! 

2019-04-29 15:36:58 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1985~1989

1)ロバート・ワイズ監督の「ヒンデンブルグ」
ジョージ・C・スコット扮する主人公のゲシュタポが飛行船の爆発で死んでしまうとは思わなかった。地上150mで大爆発したのだから無理もないが船長などは奇跡的に生き残ったのだから驚く。原因については諸説あるなか、爆破説をとっているが映画だから仕方がないずら。

2)ジョン・バダム監督の「ハード・ウエイ」
マイケル・J・フォックスがジェームズ・ウッズと共演した3流のドタバタ刑事物語。フォックスはちょうどこの頃パーキンソン病にかかっていたが、その兆候を窺い知ることはできない。

3)ヘンリー・ハサウェイ監督の「ロンメル軍団を叩け」
英国軍コマンド部隊のロチャード・バートンがロンメル将軍の戦車軍団を相手に大暴れする漫画的戦争映画。監督がハサウェイだから完全に西部劇のノリずら。

4)ティム・バートン監督の「エド・ウッド」
とは何者かも知らないで見物していたが、「史上最低の映画監督」と称されたエド・ウッドをジョニー・ディップが好演。フランケンシュタイン役者、ベラ・エルシドとの生涯にわたる交友が泣かせる。これはティム・バートンの最高傑作かも。

5)ウォルター・ラング監督の「王様と私」
ミュージカル映画は苦手なので敬して遠ざけてきたのだが、なんせ名作だそうなので、3倍速で飛ばし鑑賞してみました。シャム(タイ)の王室に家庭教師としてやってきた英国人の家庭教師の話なので、いろいろ悶着を経て王様のユル・ブリンナーがヒロインの凡優デボラ・カーと結ばれるのかと思っていたら、突如ユル・ブリンナーが死んでしまう。

カーちゃんが野蛮な後進国の流儀を非難したらそのショックでノイローゼになって死んでしまったらしいのだが、あのトランプのような独裁者が、んなわけないだろう。どうにも納得のいかないお話でしたが、「シャルウイダンス」だけは名曲なり。


  ホカホカの大便入れたマッチ箱振り回しつつ学校行きしが 蝶人


深沢七郎著「深沢七郎人間滅亡的人生案内」を読んで 

2019-04-28 15:38:50 | Weblog


照る日曇る日第1245回

令和ならぬ昭和46年、すなわち1971年にまだ千駄ヶ谷ではなく神田小川町にあった河出書房新社から出版された深沢七郎の人生相談本である。

「風流夢譚」事件の後、諸国を放浪していた深沢七郎は埼玉県南埼玉郡菖蒲町上大崎に落ち着き、1965年にここでラブミー牧場を拓き、1987年この牧場の土間の椅子に座ったまま昇天するが、その間に「話の特集」誌上で若者たちの問いかけに応答していたのである。

学生運動が盛んな当時、激変する社会環境に対抗して若者たちは焦り、苛立ちながらも自らの生き方を模索し続けていた。
例えば1967年秋、羽田にむかう三派全学連の闘争に参加しようと駒場に行った当時21歳の大学4年生が、その場の雰囲気に違和感を覚えて立ち去り、再び一日中寝たままの怠惰な生活に戻ってしまう。

そんな自分でいいのかと問う若者に対して、深沢は別にデモをする学生に反対はしないが、「一日中寝ているほど楽しいことはないじゃないか」と逆ねじを喰わせる。
たまたまこの日のデモに私は違和感を覚えつつも参加して機動隊の吶喊を前に逃げ帰ったのだが、後から思えば、深沢がいうように下宿の布団で寝ていても、所詮は同じことだったのだ。

悩める若者たちの一人一人に対して、深沢は懇切丁寧に「ボーとしてなにも考えず楽しく生きようという」彼の人間滅亡哲学の極意を対置していくのだが、これは、半世紀の間にいかに日本人が変わってしまったか、人生相談のありようがいかに変わってしまったかを示すバロメーターのような本でもある。


 安倍蚤糞に期待しないくせに現政権をやっぱり支持するとはこれいかに 蝶人

2002年版「誰もが泣いて喜ぶ冠婚葬祭その他諸々スピーチ集」第29回

2019-04-27 10:55:23 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.308



○異業種交流会/参加者のあいさつ

こんにちは、私はインドからやって来たサタジット・ネールです。

*1デリー大学でIT関係のソフトウエアの勉強をしたあと、この春の新学期から東京工業大学の情報工学研究室の助手をしています。まだ日本語がうまく話せませんがどうぞよろしくお願いします。

*2私たちの国インドは、21世紀の国家政策として政府がIT立国を宣言し、ここ数年インターネット電話サービスや光ファイバー網の整備に乗り出し、国家予算の多くをITのインフラ整備と技術者の養成に振り向けています。

パソコン所有者は、2005年には3500万人となり、ネット関連市場は中国に次ぐスケールに成長するはずです。GM、AT&Tなど米国の大手企業と提携した携帯や衛星回線事業も盛んです。

*2私は世界で2番目の経済大国でブロードバンド時代のデジタル・コミュニケーションとりわけBtoB、BtoCの電子商取引についてのソフトを研究し、将来日印両国のITの掛け橋となりたいと念願しています。どうぞよろしくお願いします。

○ アドバイス
* 1これは珍しくもIT立国を目指すインドのエリート・テクノクラート参加者のスピーチである。まず参加者は、簡単な経歴と現在の仕事、を簡潔に伝えること。
* 2メンバーへの希望や将来の抱負などがあれば、この場を利用すると今後の活動のてがかりとなるだろう。事実、異業種交流会からは思いがけない収穫が続々生まれている。


    窓開き「新生だ」と一言し北原白秋57歳で逝く 蝶人

藤子・F・不二雄著「ドラえもん心ほっこり!超感動!!編」を読んで 

2019-04-26 15:11:50 | Weblog


照る日曇る日第1244回

珍しくコウ君が漫画を買ってきて、時々読んでいるのでなんだろうと手に取ってみたらば永遠の名作「どらえもん」でした。今年の3月27日初版の大回顧ベストチョイス本です。

巻末には「エスパー魔美」のおまけもあるという全1巻でしたが、「ドラえもん」では「てんとう虫コミックス第18巻」収録の「タンポポ空を行く」に感動しました。ドラえもんから「ファンタグラス」を借りて山川草木悉皆成仏の思想に目覚めたのび太が、一輪のタンポポの生死に日夜思いをつのらせ、最後に母タンポポから旅立つ綿毛に寄り添ってタケコプターで飛翔するシーンは涙が出てきます。

「てんとう虫コミックス第25巻」収録の「羽アリのゆくえ」も身近なところに生きる昆虫の生態を我々の生活と重ね合わせた意欲作で、「スモールライト」で小さくなったドラえもんやのび太たちは、地下のアリ王国に潜り込んで、庭からアリさんたちによって運び出されたクロシジミの幼虫を発見します。

この幼虫は、アリに育ててもらうお返しに、甘露のような甘い体液を提供しているのです。

「てんとう虫コミックス第33巻」収録の「さらばキー坊」は地球の環境問題を扱ったSF大作で、緑を大事にしない地球人をやっつけに来た植物型宇宙人とドラえもんたちとの対話が意義深い。確かに植物がない地球では動物は死んでしまう。最後に仲介役のキー坊が宇宙船に乗り込むところは映画「未知との遭遇」を思わせる。

    道端で我に出会えば驚きて耳に蓋して走り去る長男 蝶人


春のクラシックCDいろいろ 

2019-04-25 15:16:00 | Weblog


音楽千夜一夜 第428回

1)エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツで「モーツァルトのオペラ集」18枚組

1990年代にガ氏がガシガシ録音したモザールのオペラ大全で、「イドメネオ」、「後宮からの誘拐」、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コシファントッテ」、「皇帝ティースの慈悲」、「魔笛」の7つのオペラを、これでもかこれでもかと指揮棒振り回すが、古楽器の単調な音色が気になって、大好きなモザールなのに、だんだん聞くのが嫌になる。どれを聞いても英国の悪い方の無個性丸出しで、まるで同じ曲を18枚ぶっつづけで聴いているようだ。どたまに来たのでお隣の犬に呉れてやったずら。

2)オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア&ニュー・フィルハーモニア管の「バッハ、ラモー、ヘンデル、グルック、ハイドン集」8枚組

バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」の全曲を、ちっぽけな木造モルタルの我が家がゆっさゆっさと揺れるくらいのステレオ大音量大編成演奏で聴いたら、久しぶりにバッハを聴いた感がした。私は古楽器演奏が大嫌いだ。おっと、ハイドンの後期の交響曲も素晴らしいぜ。

3)カール・ベーム指揮「リヒアルト・シュトラウス・オペラ全集第2部」10枚組

「ナクソス島のアリアドネ」「エレクトラ」「影のない女」「ダフネ」の4つのオペラ全曲にボーナスCDが1枚おまけについたお馴染み独ドキュメント超廉価盤10枚組なり。
すべてモノナル録音だが全盛時代のベームの指揮が素晴らしい。1954年のザルツブルク音楽祭の「ナクソス島」ではデラ・カーザが超絶的な名唱を聴かせてくれる。
ちなみにこの全集の第1部の「アラベラ」の1947年ザルツブルクのカーザも凄いでっせ。

  晩餐はバイキングなるが和洋中華すべてを喰わんとする余の浅ましさ 蝶人


ギュスターヴ・フロベール著・生島遼一訳「感情教育」を読んで

2019-04-24 15:23:50 | Weblog


照る日曇る日第1243回


ともかく一旗上げようと、何となく花の大都会に打って出て、生き馬の目を抜く商売人やライヴァルの若者や上流階級や女たちの前で右往左往する田舎者のダサイ青年、フレデリック・モロー。我々はそんな漱石の三四郎のような主人公とともに、仏蘭西の疾風怒濤の19世紀中盤を生きていく。

1830年の7月革命、32年の6月暴動、そして48年の2月革命で共和派がルイ・フィリップのオルレアン朝を打倒した民衆の喜びと感激。それから徐徐に反革命派が力を取り戻し国民議会を制圧してナポレオン3世独裁への道を拓くまでのブルジョワ社会の動乱が、これくらい生き生きと描かれた小説も少ない。大革命時代に生きる人々を描いたアナトール・フランスと双壁だろう。

浮世の荒波に揉まれるうちに、巴里三四郎は世の中の裏表を知り、3人の女と付き合うなかである種の感情教育を施され、生涯の恋人、美彌子ならぬアルヌー夫人に純情の誠を捧げるが、結局は不本意な半生を送ることになる。その姿は時代と場所を越えてまるで我々のようだ。

この小説には「ある青年の物語」という副題がついているが、ある青年とは作家自身だろう。「ボヴァリー夫人は私だ」とフロベールは断言したが、同じように「フレデリック・モローは私だ」というたはずである。

蛇足ながら生島遼一の翻訳はどこか無神経で作者への敬意を欠き、所々ぞんざいな言葉遣いもあって、あまり感心しない。きっと若気の至り、アルバイトの御金稼ぎで書き飛ばしたのだろう。

   1人でも20人でもギャラは同じ後ろで踊る阿呆莫迦を消せ 蝶人

橋上女~これでも詩かよ第257回 

2019-04-23 12:15:37 | Weblog


ある晴れた日に 第566回

見ろよ イズミ橋の橋の上
今日も佇む 橋上女
降っても 照っても
一日に 何度も 何度も
近所の石橋の上に 佇んで
いつまでも いつまでも
あらぬところを 見つめている

歳の頃なら 五十 六十
身につけているのは 垢で汚れた紅色のダウン
水色のウールのパジャマの 上下をまとい
もっともらしく 両腕を 組んで
足には 黄色いサンダル 履いて
いつまでも いつまでも
あらぬところを 見つめている

それとなく 近寄って 眼鏡の下の 薄汚れた顔を 見れば
小さな 両の目玉は 灰色に濁って
さながら M.ジャクソンンの「スリラー」に出てくる ゾンビのよう
これでは どこを 眺めても 何も見えないだろう
ところが そうではなかった
彼女は 恐ろしい真実を 見据えていたのだ
ギリシア神話に出てくる カサンドラのように

私はその時、むかしアメリカで撮影した たくさんの写真を持っていた
すると 橋上女は 私を 呼びとめて
「その写真を 見せて おくれな」というた
それで 私が 写真を渡すと 彼女は 物珍しそうに見つめていたが
「ほら この写真を じっと見ていて ご覧な」というた
1968年、78年、88年、98年に NYの ブルックリン橋を
私がおなじ場所、おなじ角度で撮った 4枚のカラー写真だ

橋上女が 橋の上で 1968年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1978年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1988年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

続けて「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1998年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

私は、橋上女から取り戻した 4枚の写真を 矯めつ眇めつ 何度も何度も見つめたが
そのどこにも ブルックリン橋は映っていない。同じような どろりとした茶色の印画紙が 掌から突き出た 4枚のトランプのように 並んでいるだけだ

この時遅く かの時早く 私は気が付いた
1968年と 1978年と 1988年と 1998年に撮影された写真は なぜか見つめられると 粒子が荒れて 映像がとろけ出し 膨れ上がって 土の色に戻ることを

西暦の末尾に8が付く写真は 10年毎に見つめられると ピンボケになってしまうのだ
それはあたかも 大きな栗の木を 輪切りにした時 その年輪が 10年ごとに膨れ上がっているような ものなのだ

ユーレカ! ユーレカ! これぞ世紀の大発見 ではないか!
手の舞い 足の踏むところを 知らなくなった 私は
かの 橋上女に その 驚きを伝えようとしたが 彼女の姿は どこにもない

橋上女 ことカサンドラは いつのまにやら 姿を消した
さらば さらば 謎の女 カサンドラよ!
お前の 灰色に濁った 両の眼は 誰にも見えない 真実を見ていた


   靖国にあらず我が庭の桜咲く日が開花記念日 蝶人

春の邦画劇場6本立て!

2019-04-22 12:18:03 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1979~1984

1)新藤兼人監督の「女優」
1956年製作のモノクロ映画で乙羽信子が失明した新派の女優森嚇子の半生を映画化。実在のモデルがいるとは知らなんだ。そしてこの森嚇子選手が「書きますわよ」と名台詞を吐いて原作本を執筆したことも。

2)「小さいおうち」
中島京子の原作を山田洋次が巧みに脚色4映画化。黒木華の名演もあって、忘れがたい佳作となった。

3)松岡錠司監督の「深夜食堂」
漫画が原作だが、「バタアシ金魚」の松岡監督が巧みに映画にしている。やはり主役の小林薫がいいな。

4)上田慎一郎監督の「カメラを止めるな!」
ゾンビ映画の痛快作。ワンシーン、ワンカットを40分間続けることによって思いがけない映像力を獲得した。ヒロインの秋山ゆづきがいい。

5)増村保造監督の「『女の小箱』夫は見た」
若尾文子を素っ裸にして前から後から舌舐めづりしながら迫る増村保造選手! 映画監督のお手本のような人だ。

6)山田洋次監督の「キネマの天地」
藤谷美和子が降番したので有森也美がヒロインになったというがまあ詰まらない映画。大船松竹50周年記念映画というのだが、いまはその撮影所は鎌倉女子大になっている。この女子大は以前は京浜女子大という名前だったが、改名して盛り返したようだ。


  「京浜」を「鎌倉」に変え偏差値を大きく上げし姑息な女子大 蝶人

家族の肖像~親子の対話その45 

2019-04-21 10:52:42 | Weblog


ある晴れた日に 第565回



お母さん、一部って、なに?
全部じゃなくて少しってこと。

圧死って、ぺっちゃんこになることでしょ?
そうだよ。コウ君、すごいこというね。誰が圧死したの?
分かりませんお。

立って、立って。立ってご覧って、気をつけのことだよ。
立っては、起立することだよ。
立って、立って。立って、立って。

マサミ先生、町田だったでしょ?
そうだね。
マサミ先生、亡くなったでしょう?
そうだね。

お父さん、SMAPやめたの?
うん、解散したよ。

「転校生」で、蓮佛さん、死んじゃったでしょう?
うん、死んじゃったね。
かずおとかずみ、入れ換わったちゃったでしょう?
うん。入れ換わったね。

お父さん、ぼく常用漢字と人名漢字好きですお。
そうなんだ。当用漢字は?
常用漢字と人名漢字ですよ。

ぼく、タマネギ好きですお。
そう、良かったね。カレーライスにいっぱい入ってるよ。

お母さん、しょっぱいって、なに?
塩からいことよ。
お父さん、しょっぱいの英語は?
ソルティだよ。

お母さん、サトイモ煮るの?
そうよ。

あ、ドッコイ、ドッコイ。
ドッコイ、ドッコイ。

お母さん、ヒロシさん「オトナ高校」見た?
見たでしょう。

お母さん、素晴らしいって、なに?
すごくいいことよ。

ミワさん、良くなりますように! お母さん、ぼく、言いましたよ。
ありがとう。

ぼく、アキちゃん、好きですお。
そう? お母さんもよ。

お母さん、ガラクタって、なに?
いろんなもんがいっぱい、よ。

お父さん、ぼく、先に帰ります。
分かった。気をつけてね。

神さまって、なに?
上の方で、私たちのことをみているひとよ。
神さま、神さま。

お母さん、セデス、頭痛いときでしょう?
そうね。

お父さん、キクチモモコ、脳溢血で亡くなったよ。
そうなんだ。何のドラマで?
「ダイアリー」だよ。

お父さん、脳溢血の英語は?
はて脳溢血、脳溢血、脳溢血ねえ。分かりません。

お母さん、おじいちゃん、どこに勤めていたの・
電電公社よ。
デンデンのデンは電気のでん?
そうよ。

お父さん、先輩の英語は?
そうねえ、シニアかな。
なに、なに?
それともオオビーかな。
なに、なに?

お父さん、あした11時に、大船の「とん田」に行きますよ。
そう。一緒に行こうね。

お母さん、セイザブロウさん死んで、ミワさん泣いてた?
泣いてたと思うよ。

ぼくは高田馬場好きですよ。
そうなの。
高田の馬場。高田のばばあ。
高田の馬場に、何があるのかなあ?
高田のばばあ。高田のばばあ。

なお、ってなに?
そして、だよ。

お母さん、夏はナツミの夏でしょう?
そうだね。
お父さん、ぼくはナツミです。
こんにちはナツミさん。

お父さん、11時に「とんでん」行きますよ。
うん、行こうね。

お父さん、どっちみちの英語は?
エニイウエイかな?
どっちみち、どっちみち。

ぼく、「おっとっと」好きですお。
そう、良かったね。

お父さん、金八先生、「学校へ帰ってこいよ」といいましたよ。
そうなんだ。誰に向って。
みんなに。

人名用漢字、印刷して、お母さん。
はい。
お母さん、もう終わりにしてね。人名用漢字よ。

お母さん、「我々は破壊しなければならないのだ」てなんのこと?
「我々は壊さなければならない」、ということよ。

お母さん、様々って、なに?
色々ということよ。

お母さん、堤供ってなに?
差し上げることよ。

お母さん、「わろてんか」おもしろかったよ。
お母さんも、おもしろかったよ。
わろてんか、わろてんか。

京王線、ちょっと揺れる?
うん、ちょっと揺れるね・

人工呼吸って、なに?
自分で呼吸できなくなったら、機械で呼吸出来るようにすること。
人工呼吸、くるしいの?
さあ、どうかな。

お父さん、バージョンって、なに?
そうねえ、いろんなタイプのことだよ。

たもつって、なに?
元気でいることよ。

お母さん、前カラオケで、ピッピとやりました。
そう。
ピッピ、ピッピ。

リョシュウて、なに?
どういう字を書くの?
旅の愁だお。
それはね、旅をしていて悲しくなることだよ。

京浜東北線、新しい駅ができるの?
え、山手線じゃないの?
高輪ゲートウエイ、京浜東北線だよ。
そうなんだ。

お父さん、タケの英語は?
バンブウだよ。

お父さん、カエデ、もみじでしょ?
そうだね。

お母さん、オオヤさん、好きになったんですよ。
そう、良かったね。お母さんも好きよ。

お父さん、綾部におばあちゃん2人いた?
いたねえ。

お父さん、ぼく、トノサキさん、好きですよ。
そう。お父さんも好きだよ。

ぼく、「醜いあひるの子」好きですお。
どんなおはなしだったっけ?
分かりませんお。

ぼく、四国好きですお。
そうなんだ。四国のどこが好きなの?
ぜんぶ好きですお。
そうかあ。

今日、豚汁とお赤飯にしてね!
分かりました。

せめてって、なに?
それだけでも、よ。

お父さん、ミイラ、骨だよね?
そうねえ、だいたい骨だね。

お母さん、ぼくねえ、ナデシコ好きですお。
そう。お母さんもよ。
ナデシコ、ナデシコ、ナデシコお。

お父さん、大杉漣、怒ってたよ。
そう。怒るなよ、っていいなよ。
大杉漣、大杉漣、大杉漣。

ミワさん、採血した?
したと思うよ。

綿はオクラに似てるでしょ?
うん、似てるね。

お母さん、収穫って、なに?
えーと、得るものよ。

経験って、なに?
やってみることよ。

朗らかって、なに?
明るくニコニコしていることよ。コウ君朗らかだよね。
朗らか、朗らか、朗らか。

ずいぶん大きくなったね、とユカリさんいったよ。
いつ?
だいぶ前に。

サッチャン、幸せでしょ?
うん。
サチ、サチ、サチ。

お父さーん、「任侠ヘルパー」のメイサ、怒っちゃったよ。
そうなんだ。

コウ君、お父さんはコウ君のこと、大好きだよ。分かってますか?
はい、分かってますよ。
あなた、あんまりそおゆうこと言わない方がいいわよ。

お母さん、一晩中てなに?
ずーーーと、よ。

どうやって水を湛えればいい?
お水を入れればいいのよ。

お父さん、ごはんにしよ。
はい。
お父さん、ごはんにしよ。
はい。
お父さん、ごはんにしよ。

    道端のゴミを拾いて滑川に捨てて立ち去るウチの長男 蝶人


2018年版日本聖書協会共同訳「聖書」で旧約聖書続編「シラ書」「バルク書」「エレミヤの手紙」「ダニエル書補遺」「エズラ記」を読む

2019-04-20 11:36:07 | Weblog


照る日曇る日第1242回


ペルシアのアケメネス王朝は、キュロス、ダレイオス、クセルクセスと続き、クセルクセス王は紀元前480年のサラミスの海戦でギリシア軍に大敗するが、この間なぜかユダヤに対しては好意的で、「バビロン捕囚」を解いて彼らをイスラエルに帰国させたのはキュロス王だった。

「エズラ記」を読むと、ゾロアスター教を奉じるこうしたペルシアの王様たちの、ユダヤ教とユダヤ人に対する好意が、縷々記述してあるのだが、紀元前5,6世紀のこの頃、歴史も宗派もまるで水と油のように異なる両者の間に、どうしてそのような友好的な関係が成立したのだろう。

おなじ「エステル記」に登場するユダヤ人の美姫エステルへの愛は、確かにクセルクセス王のハートを射止めただろうが、もしもアケメネス王朝の支配者のいずれかが、諸国の諸民族の間にちらばって異端の法を護持するユダヤたちを、ほんの気まぐれにでも滅ぼそうと思ったら、10ちゅう8.9そうなったであろう。

実際に信頼する大臣ハマンの甘言に乗ったクセルクセス王は、ユダヤ人殲滅と財産没収の法令に自らの指輪で印さえ押したのだから、エステルとその養父モルデカイの機転と勇気がなかったら、この時彼らは皆殺しにされていただろう。

ところがその後も世界の強大国の利害と思惑に翻弄されながら、放浪と苦難の遍歴を辿った弱小民族が、紀元前330年に滅亡したアケメネス朝ペルシを尻目に、21世紀の今日もしたたかに生き残って、むしろ多民族に強圧を加えているのは「奇跡」というよりも、歴史の神様の悪戯としか言えないだろう。


  人間は腹の底では何を考えているか分かったものじゃない君も私も 蝶人


永劫回帰の歌~これでも詩かよ第256回 

2019-04-19 10:12:15 | Weblog


ある晴れた日に 第564回



ケーシー高峰 死んぢゃった
シーモア・カッセル 死んぢゃった
アニエス・ヴァルダも 死んぢゃった
どんどん どんどん 人が死ぬ
じゃんじゃん じゃんじゃん 人が死ぬ
次に死ぬのは 誰だろう?
有名人は 別として
歳の順から いくならば、
我が家で死ぬのは ボクだろう
確率的には ボクだろう

その次 死ぬのは 妻だろう
ぜったいに 死んでほしくない 妻だろう
遺されるのは 長男 次男
長男なんか 障害者だから
次男は さぞや 困るだろう
困るだろうけど なんとか ぐあんばれ
天からエールを 送りましょう
無我夢中で ぐあんばれば
そのうち なんとか なるだろう
ふと気がつけば あの世のひとかも

死んでしまえば こっちのもの
もう障害も 健常も 
金も 名誉も 地位もなく
生まれたまんまの 裸になって
肉も 脂肪も 溶け去って
堅い骨さえ 灰となり
土に混ざって 炭となり
雨に打たれて 花となり
ある晴れた日に 宙に舞う
万歳 万歳 宙に舞う

宙に舞え舞え カタツムリ
成層圏から銀河系
そのまた先の ブラックホール
ここは「事象の地平線」*
真っ暗くらの 穴の中
身動きできない ほら穴で
コウちゃん ケンちゃん ミエコさん
可愛いムクも 加わって
今宵ここでの 花盛り
夢にまで見た 一家団欒

そこに かあさん おとうさん
じいちゃん ばあちゃん ひいじいさん
おじさん おばさん 親戚一同
向こう三軒 両隣
みんな揃って 顔を出し
やあ こんにちは ひさしぶり
みんな 元気か 変わりはないか
なんの 変わりがあるものか
生きるも 死ぬも 夢の中
生きるも 死ぬも 夢の中

この世も あの世も ひとつながりで
どんどん死ねば どんどん生まれる
誰一人 失われるものは ない
何一つ 失われるものは ない
回れや 回れ 極楽メリーゴーランド
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
みんなを乗せて ぐるぐる回れ!
回れや 回れ 極楽メリーゴーランド
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
みんなを乗せて ぐるぐる回れ!


*「事象の地平線」
物理学における相対性理論に基づいた概念の一。光や電磁波などの観測によって情報を知りうる領域と、そうでない領域の境界。ブラックホール周辺で、光が外部に逃れられない範囲の境界面。また、膨張する宇宙で、観測者から遠ざかる速度が、光速を超えている領域との境界線。「デジタル大辞泉」


どうしてもクラナミ眼科ではだめだった妻の左目のゴミをたちまち取り出したる大船中央病院 蝶人

岩波版「北原白秋全歌集Ⅲ」を読んで 

2019-04-18 13:56:19 | Weblog


照る日曇る日第1241回



この全歌集の最終巻は、今から思えば若くして死んだ白秋の最晩年の歌集「渓流唱歌」「橡」「黒檜」「牡丹の木」を収め、全短歌の索引と年譜が附録されている。

「渓流唱歌」は昭和9年から12年、「橡」は昭和10年から12年、「黒檜」は昭和12年から15年、「牡丹の木」は昭和15年以降の作品を収めている。当時白秋は、眼を患っており、日常生活に不自由を来たしていたことから、鑑真和上を再三再四にわたって詠んでいるのが同病相哀れむという趣で印象に残るが、作風としては従前と変わらぬいわば可もなく不可もない淡々とした詠みぶりである。

ところが「黒檜」の下巻の「戦時雑唱」に入ると、昭和13年9月の大日本聯合青年団第10回大会の「感激」辺りから徐徐に戦時詠が平静と安寧を乱し始めるのだが、それは同年初夏に彼の一族の陸軍少佐が中国で戦死したことも影響しているに違いない。

 我が族すでに一人はいさぎよしくわうくわうと空に散りつつ消えぬ

この傾向は「黒檜」以後の作品を収めた「牡丹の木」において最高潮に達し、白秋はまるで人が変わったように、熱烈な戦争賛歌を連発し、なかには「歌壇のさる長老に」と題して戦時へのアクションが鈍いと罵る歌までつくっている。

 天皇は戦宣らしあきらけし乃ち起る大東亜戦争
 天のむた亜細亜のみ海統べしらす大き構想はたぐふすべなし
 神怒り大いに下る冬の晴ホノルル爆撃の報爆ぜたりぬ
 神を見るこの驚きを我が云はば道直にしてとほる大やまと
 八紘宇とおほはむ大きなるゆゆし御稜威を仰ぎみまつる 
 事に誓ひただちに忘るる耄けざまを老いのよぼろといふにかあらし
 天皇の大みいくさの行くところ神ましませり向ふ敵無し
 国いまぞ挙げて戦ふ必定は筆に死ぬせむ奮え我がどち

そして全巻の掉尾を飾る!?のは、なんと東条首相への賛辞であるから、何をかいわんや、である。

 東条秀機うたば響かむ鉄石のこの肝にしてこの秋やすし

北原白秋は、1942年11月2日未明、家人に窓を開かせ、「新生だ」との一言を遺し、午前7時50分に逝った。享年57歳であった。

しかし、戦時にも平時と同様、高度の技巧を駆使し、より情熱を込めて、巧みに歌を詠う白秋のような歌人なら、令和の世にも掃いて捨てるほどいそうである。


 「このへんで復興支援はいいだろうあとは自分でなんとかし給え」 蝶人

大江健三郎著「大江健三郎全小説15」を読んで 

2019-04-17 14:02:30 | Weblog


照る日曇る日第1240回


大江の最後の長編「さようなら、私の本よ!」と「晩年様式集」をふたつながらに収めた万人必読の大小説である。

「取り替え子」「有憂い顔の童子」に続く「さようなら、私の本よ!」でも、著者の分身である作家、長江古義人選手が、年寄りの冷や水を自認しながらも、孤立無援、命懸けの反体制テロルに捨て身で躍り込む。

この「命懸け」とか「捨て身」という過激な言葉は、物語の登場人物たちの行動の形容詞のようにみえて、さにあらず。死を決意した老作家の自爆的文学冒険、というより、清水の舞台から飛び降りてみせた一世一代の大バクチというても構わないだろう。

ともかく一度は文学と決別したはずの人物が、これほどアクチュアルな全体小説を、全身全霊でぶちまけた蛮勇に、読者は頭を垂れて拝読するほかはない。

2005年の第3部が出版され、誰もが、もう大江はこれで文学に「さようなら!」を告げたと思った。

ところがその6年後の東日本大震災と福島原発事故の衝撃を真正面から受け止めた作家は、突如棺桶の蓋を破って息を吹き返し、翌2012年から新しい、そして文字通り最後の小説を、雑誌「群像」に連載しはじめ、それは13年8月に堂々と完結した。「晩年様式集」である。

これは、それまでの大江の小説とはおおいに異なっている。大江自身を思わせる老作家が物語の全体を仕切るのではなく、従来の彼の小説の素材として思う存分恣意的に活用されてきた、彼の妻や妹や娘という女性3人組に加えて、障害を持つ息子までもが、わが専制君主に対して反撃するという「異議申し立て小説」、「小説が小説を壊す小説」なのである。

70年代の老境に入ってから身心共にボロボロになった主人公は、外部の敵に加えて、身内からの鋭い糾弾を受けながら、ある時は激高し、またある時は身も世もあらぬ声をあげて自己批判する。それはもはや小説というよりも激流に翻弄される老残の魂のハチャメチャな実況中継ドキュメントみたいなものである。

そしてそれが詰まらないかというと、大江のこれまでのいかなる整然とした大ロマンよりもはるかに魅力的で求心力があり、読む者の内胸に食い入り、まるで不死身のゾンビのごとく暴れまわるから、始末に負えない。

そしてこの前代未聞の大小説は、散文ではなく、すでに2006年に書かれていた感動的な長編詩「私は生き直すことができない。しかし、私らは生き直すことができる」の引用をもって大団円を遂げるのだが、これは作家大江健三郎の文学の本質が、詩人大江健三郎にあったことの証明ではないだろうか。

    宗教では我がやおろずの神様が一番いいと妻と一致す 蝶人

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓六腑の疲れである」 第71回

2019-04-16 13:31:50 | Weblog


西暦2018年神無月蝶人酔生夢死幾百夜



「君らしい仕事を思いっきりやりたまえ」と、イデ君を激励すると、彼は満面に笑みを浮かべて頷いた。10/1

「夢百夜物語」のエスペラント語の新訳には、頁ごとに写真が添えられていたが、これは右翼でファシストの有名カメラマンの作品だった。10/2

ともかくそこはとんでもない変態高校で、ビキニ姿の女子学生たちが、集団で新米の男性教師に襲いかかるので、みな戦々恐々としていた。10/3

ぼくらは、5人で新曲の「凍れる流れ」を演奏したのだが、意外にも満場の拍手喝采を浴びていたく驚いた。10/4

砂漠の真ん中で、100名の全裸の美男美女たちが、二手に分かれて粛々と行進し、双方が出会った地点で、激しく性交している姿は、壮観というも愚かであった。10/5

「おらっちはNY医科大首席卒業のDrヤマガタ、手でも足でも乳でもなんでもかんでもバッタバッタと斬っちまう。人呼んで日本のベン・ケーシーだあ」と、その白覆面の男は、ふんぞり返った。10/6

「星屑兄弟の伝説」の続編が公開されたが、これが圧倒的に素晴らしいので、未完成の作品であるにもかかわらず、カンヌ映画祭でグランプリに輝いた。10/7

来年度の事業部ごとの会社案内の作成をするために、某事業部長を撮影しようとしたら、「来年は、わいらあこの事業部からおらんようになってしまうんやけど」と寂しく呟くので、人物写真の代わりに事業部ごとにいろんな花を載せることにした。10/8

御茶ノ水からどんどん歩いてくると、法政大学の辺の並木道にさしかかった。一緒に歩いてきた学生が、「僕らはここで別れますが、良かったらこれを」というて、何かを手渡した。見るとトリスタンだったので、「ありがとう」というて受け取った。10/9

彼女は、上から命じられると、次次に誰とも知らない人物を暗殺しているテロリストだったが、いつ自分が消されるかと戦々恐々としていた。10/9

その古本屋のおやじ、といってもまだ若いのだが、は、毎週水曜日の夜を相談日にしていて、若い女性の身の上相談に乗っていたのだが、相談相談といいながら、結局は彼女たちと寝ているのだった。10/10

今日から新学期の授業が始まるというので、久方ぶりにキャンパスを訪れたが、あまりにも広大で、どこが自分の教室だかさっぱり分からない。それに自分の講義のタイトルすら忘れていることに気付いて、私は途方に暮れた。10/11

おらっちは、企画室主催の講演会場へ潜り込んだが、入場券がなかったので、ホールの天井に寝転がって、トップデザイナーのパリコレ話を聞き流していた。10/12

大島に半年間滞在している間に終戦となったので、我々はさながら逃亡者のように元町港へ急いだが、芋を洗うような人混みで、なかなか前に進めない。ふと見ると、誰かが私の右手をしっかり握りしめて、一歩も動こうとしないのだ。10/13

昨日、長屋の奥の奥に閉じこめられていた老人が、いきなり陽の光の下に引き出され、あっという間に、細い首をちょん切られたが、あれは、どうも自分だったような気がしてならぬ。10/14

死の瀬戸際から何とか持ちこたえ、安蒲団の中に横たわると、いきなり床の絨毯が立ちあがってきた。10/15

俺は、2人の男を殺したようだ。1人はムジカル、もう1人はオフリング、2人合わせると「音楽の贈り物」になることを、後で知った。10/16

商品企画室へ行くには、小さなエレベーターに乗るしかなかったが、これが古色蒼然とした一時代前のオンボロのくせに、猛烈な勢いで乱高下するので、今では企画室のスタッフが、恐る恐る利用するだけになってしまった。10/17

私らは、その占い師を有名にするために、まず伯爵夫人から、女王に面会の糸口をつけてもらおうとしたのだが、なかなかうまくいかないので、往生している。1018

築地駅からに乗り込んだクボナオコをやっとつかまえ、白い二の腕をぐいと引っ張ったら、万事休すと観念したのか、彼女は、籠の中のタイやヒラメやブリやカツオを、満員電車の中にぶちまけたので、大騒動になった。10/19

大川の土手の上を、オオミチ君と一緒に歩いていたら、後から「時計じかけのオレンジ」のような悪童たちが追っかけてきたので、2人とも必死に逃げたが、気がつくと、オオミチ君の姿が、見えなくなってしまった。(続く)

仕方がないので、そのまま土手の道を歩いて行くと、行き止まりになってしまい、そのどんづまりでは大田、山田、広田の3名が押しくら饅頭をしていたので参加したいと思ったが、私の名前は吉田ではなくササキなので、諦めて料亭の二階から見物していた。10/20

リーマン時代の私が、どれくらい忙しかったかというと、トイレで小便をしたあと、チンポコをしまい忘れたことを知りつつ、それを収納している時間が勿体ないので、そのまま歩いていたくらいだった。10/21

今度のCEOは月曜に来るというので、みんなで待っていたが、来ない。あちこち探すと、地下12階の窓のない部屋にこもって、「しこくCEOしごく地獄さ」という死のような詩、詩のような死を垂れ流していた。10/22

ふと思いついて、「わたしらにとって懐かしいところ、心のふるさとのごとき場所をたった一字で表すとすれば、それは「玄」ではないか」、というと、セイさんが「なるへそ、それは面白いねえ。銀座で一杯やりながらゆっくり伺いましょ」というて、タクシーを呼んだ。10/23

その日の結びの一番で、物凄い八百長大相撲が行われたので、一部の客が「八百長だあ、八百長だあ!」と抗議の声を上げたが、幸か不幸か、その日はスコットランド愛鳥協会の客が大半を占めていたので、全体としてはあまり問題にならなかった。10/24

イデア師は、自分のお腹に画かれた難解な図像で、今後の世の中の推移を示していたが、それは、知る人ぞ知る叡智と霊感に満ち溢れた内容だった。10/25

時々ユビ王がやってきて、イデア師のお腹を触ると、たちどころに前代未聞の不思議なアートが飛び出してきて、それらが民草の暮らしに、大きな幸いを授けてくれるのだった。10/25

ホームラン王のクワタは、時々ベースを踏むのを忘れて、せっかくのホームランをふいにしてしまうことがあるので、私は彼に頼まれて、いつも彼と一緒に走りながら、彼の足がちゃんとベースを踏んだか否かを、確認するのだった。10/26

広報担当のヒトミ君とランチしたあとで、「お茶」しに行った。分かれ道で「右はらんぶるだから話ができませんよ」とヒトミ君がいうので、左を進むと映画館がカフェをやっていた。若い女性客が多く、映画館ほど暗くはないが、かなり薄暗いカフェである。10/27

客が横並びに座っていると、店の女の子が端から次々におせんやキャラメル、蓋にストローを突き刺したカフェオレなどを持ってきて、これをリレーして、お好きな物を取ってくださいという。妙な仕組みを考えたものだ。

せっかく映画館に入ったのだから、「マルクス兄弟の映画でも見せろ!」と怒鳴ったら、「マルクスは危険だから、チャップリンにして」という黄色い声が聞こえ、拍手が起こった。民度の低い奴らだと軽蔑していると、隣から妙なものが廻ってきた。(続く)

生きものである。目を凝らしてよく見ると、赤ちゃんである。躊躇ったが覚悟を決めてダッコすると、ニコニコ笑っていたが、そのうちむずかって泣きだしたので、隣の客に渡そうとしたが、誰もいない。ヒトミ君もいない。ワアワアと泣き喚く赤ん坊を抱いた私は、無人の映画館で途方にくれた。10/27

われわれは、首をチョン斬られた20人の兵士と、斬られなかった2人の兵士を見せられたが、どうしてそうなったのかと訊ねても、その理由は説明してもらえなかった。10/28

偉大なる王、トクシカの最期を看取った私の見聞記は、パリ支店のPCが不調で、どこにも発信されることはなかった。10/28

プロデューサーの私は、ある時ふと思いついて、映像製作中の現場に総合アートディレクターとしてキタムラ・ミチコ氏を迎えたのだが、彼女が姿を現わしただけで、現場の空気がガラリと変わり、その効果たるや驚くべきものがあった。10/29

陥落寸前の城塞だったが、少年兵の私は、たった一人で城門にバリケードを張って、雲霞のごとく押し寄せる敵兵に立ち向かおうとしていた。10/30

原口村の原口村長は、芸術愛好家なので、自分が経営している原口旅館に、世界各地の有名無名の詩人、作家、画家、アーティストを招待していたが、その中にランボーならぬランホオが混じっていることを、誰も知らなかった。10/31

私が会社のPCに打ち込んだ「これでも詩かよ」という原稿が、全社員に向けて発信されてしまったので、私は一躍、会社随一の「これでも詩人」と目されることになってしまった。10/31


  ホロヴィッツはラフマニノフの娘婿とFMで解説する青澤隆明 蝶人