あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2016年葉月蝶人花鳥風月狂歌三昧その3

2016-08-31 14:00:42 | Weblog


ある晴れた日に第397回



台風が来ないと心配していた奴がいたけれどほら見ろどんどんやってきたじゃないか

髭剃れば「2001年宇宙の旅」に出てくる胎児のような目で我を見る耕君

われもまた恥多き人世を生きてきて墓場の中まで持ってゆくかな

何回映像を見てもさっぱり分からないひねり王子のくねくね着地 

リオにまで飛んで醜い顔晒す安倍蚤糞の破綻は近い

キンチョウの蚊取線香はすぐ効くが電気蚊取器はさっぱり分からん

母親が不肖の息子の不行跡を朝っぱらからひたすら詫びてる

裁判官に成り変りたるマスコミが哀れな母を弾劾するよ

兜太氏は健在なりやカンナ咲く

去年今年蝉声粛々鳴き渡る 

千円でかくも巨大な西瓜とは

台風の風の合間に栗を取る

道の辺に死者累々と今日の夏

障害者は生きていてもしょうがないと思う健常者なんて生きていてもしょうがないとおもわないか

ある夕べヒトラーの亡霊が舞い降りて障ぐわい者を殺せと囁く

もしかして長男も殺されていたかもしれない同じ神奈川の施設で寝ていて

朝早くガビチョウとアブラゼミが鳴き叫ぶのでとてもじゃないけど寝て居られない

イエーーー、イェイツ! 生も、死も、君のように冷たい目で見たいもんだ

この国には優れた女性がいっぱいいるのに屑ばかり選んだ安倍蚤糞

本当においしいのかどうかは知らんけどうまいうまいと騒いでいる番組

やまゆり園、内閣改造、広島の後はリオ五輪かせいぜい馬鹿騒ぎしてろ無節操マスコミ

月火水木金土日の繰り返し耐えきれないで我らは狂う

世界中のネコをじゃんじゃん撮りまくる世にも不思議な番組をみる

安倍に告ぐ戦争によって平和を作ることなんてできはしない

熊本や福島で地震があったとてもはやなんとも思わぬわたくし


  イチローのヘルメットの下から現われた胡麻塩頭にあっと驚く 蝶人




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西暦2016年葉月蝶人花鳥風月狂歌三昧その2

2016-08-30 14:02:44 | Weblog


ある晴れた日に第396回


昨年と同じ油蝉が鳴いている
明るさも暗さに似たり「明暗」の道
敗荷やなおも支えむ阿弥陀仏
不揃いの餃子を喰うや五人組
轟々と万物流転す葉月尽
円高く株安くなり安倍蚤糞自爆する日近し葉月尽
漱石もモリエールもドストエフスキーも借財王
雄ゼミがあの声この声で迫るのを雌ゼミは黙って聞いている
カツカツと蹄の音を立てながら次郎は主人の後ろを歩く
研いたらばきっとピカピカするのだろうがあえて稚拙にとどめる我が歌
何もかも絶望的な世の中なれどなにか面白きことあればとさ迷い歩く
血を血で洗うがごとし次々にCDを買いてちびちび聴くということは
犬猫は自分も他人も殺さない人間は犬猫にも劣る
いくら応援してもみじめにころころ負ける稀勢の里
よろよろと老婆が歩いたその場所を3秒経ってダンプが過ぎる
熊本ではまだなにも復興していないのに知らん顔している安倍蚤糞
戦前のなんたるかも分からぬ阿呆莫迦に国を聾断させている悲喜劇
深々と胸に刺さった蕪矢は取ろうとしても取れない
大笑い愛想笑い嘲笑い朝から晩までテレビは笑う
嘲笑い愛想笑い呵呵大笑朝から晩までテレビは笑う
大笑いうすら笑い愛想笑いテレビは朝から晩まで笑っている
追従笑い高笑い馬鹿笑いテレビは朝から晩まで笑っている
馬鹿笑い愛想笑い抱腹絶倒テレビは朝から晩まで笑っている
テレビは朝から晩まで笑っているテレビは朝から晩まで笑っているテレビは
戦争で平和を作ることなんて未来永劫出来ないだろう
列島の至る所に隠された防犯カメラが僕らを狙う 
アマゾンでお坊さんが買えるようになりました次は神様を売ってください
トイレットペーパーなどもより柔らかなものを求めてしまう我らの贅沢
早く早く蝶が来てるわよと妻がいういま玄関から飛び立つは瑠璃タテハ
あの日から五年が経ちて今もなお海山の間を彷徨う人々
誰知らぬ前代未聞の情報を求めてぼくらネットの海行く
春ですねわが脳内にモンシロがはらはらひらひら飛んでいる
らあらあと叫びながら男が歩いてるなんとなくその気持ちは私にも分かる
アンドロイドが市役所の行方不明アナウンスをしている
いいかげんそのニュースはもうあきた次なる惨事よ起これ
事件が起こるたびに地球最後の日のように騒ぎ立てる新聞
金さえあれば通販でなんでもかんでも買うてやろうじゃないか
遊んでも遊んでも義務として遊んでる日本人は哀しいなあ

出る映画出る映画みな「沈黙」を強いられて苦笑いしているスティーブン・セガール 蝶人

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西暦2016年葉月蝶人花鳥風月狂歌三昧その1

2016-08-29 11:52:34 | Weblog


ある晴れた日に第395回


鮎一尾天啓の如く閃きぬ 
イチローはなんでスタメンを外される
右左右翼ばかりで葉月尽
貧乏人に小銭を恵む安倍蚤糞
わが足の小指の爪の小ささよ
物食うて「うまいうまい」という番組どのチャンネルでもやっているなり
あきらかに俺より長生きするだろうLED電球なんて使いたくない
精米をした日が古い米は一列下に並べられおなじ「ななつぼし」でも100円安い
この節の人気者よりもいつの間にか姿を消した役者の行方が気になる
なにゆえに年下の人が先に逝く年上が逝くのも悲しいけれど
いいねいいねいいねいいねに応えていいねするのは今風の無償の贈与
まだ月曜日なのに「金曜日には迎えに来てね」と妻にじゃんじゃん電話する耕君
いくたびも受話器を握りしめ頭を下げている妻
風呂桶の裏側の汚れを指差してここも洗えと指摘する妻
ジャパンアズナンバーワン肩パッドなど入れて突っ張っていた80年代の俺たち
どんどんと近付いてくる知り合いにいつ挨拶しようかと計算している
浄妙寺で降りる客の大半が浄明寺に行かずに報国寺へ行く
韓国のドラマを愛する人はおそらくは嫌韓派ではないのだろう
この国の復活はありやなしや大音響で鳴らすマーラー交響曲第2番
「私って馬鹿じゃないですか」そうですかあんたは馬鹿なんですか
田中よりダツビッシュよりイチローより応援しているのはマリナーズの青木と岩隈
細君が出かけたので大音響でジャズを鳴らしているとなりのオッサン
ママアママアと隣のおやじが叫んでいるあんたの奥さんは母親じゃないだろ
弱き者をいちばん大切に守るべき人間が夜郎事大に弱者を殺す
障害者を一番わかっているはずの人物が障害者を皆殺しする皮肉
ポケモンGOにうつつを抜かしているうちにどんどん人が殺されてゆく
パリ、ミュンヘン、ブリュッセル、ニースと次々に自他滅却の爆発地獄
今日もまた世界のどこかで爆発している自他滅却の無間爆弾
粋筋の綺麗どころが映るので一入楽しい大相撲観戦
ある朝真っ赤に塗られた52円葉書が届いた
勢は勢いよくタオルを取りに行く制限時間はいっぱい
またしてもヤマダ電機が呉れました「鶴太郎」特製器は誰も要らない
バス停にただ一人立つ女ありほっそり長いSの字になって
古風なる日本人ゆえ「真逆目線立ち位置」こんな言葉は死ぬまで使わぬ 
これ以上日本語嫌いにさせないでくれ「真逆目線よかったでしょうか」
出る映画みな「沈黙」を強いられて苦笑いしているスティーヴン・セガール
お馴染みの吉永小百合のCMを流してる元ニッポンの家電メーカー
マリナーズからタコマに落ちた屈辱を晴らさんものと青木踏ん張る
助手席に息子を乗せて県道を仕事に向かう畳店の父


このおれは燃えるゴミだろうか燃えないゴミかどっちにしても消えてゆくゴミ 蝶人


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由良川狂詩曲~連載第2回

2016-08-28 09:57:21 | Weblog


第1章 丹波人国記~性霊のささやき  
 

 丹波の国は、いまは京都府と兵庫県に分かれていますが、古くから京の都のすぐ近くにあって、山城、摂津、播磨、但馬、丹後、若狭、近江の7カ国に接し、わが国の分国のなかでも重要な国のひとつでした。
 しかし江戸時代のはじめに関祖衛という人が著したといわれている『人国記・新人国記』で紹介されている丹波の人々の印象は、けっして好ましいものではありません。
「この国の風俗は、人の気懦弱にして、めいめい自分勝手、己れを自慢し、他人の非を謗り、他人の素晴らしいところを悪くいい、まるで女の腐ったような心を持っている。百姓は農業だけを専らにしないで商売を兼業し、金もうけしようとする。すべてに勇気を持つこと少なく、やたらに人に諂い、昨日の味方も今日は敵となり、あわれむべき世渡り第一主義といえる。
 思うに、この国は四方が山々にとりかこまれ、みな谷間の人家である。冬の雪も北国ほどではないにしても相当なものだ。偏屈で了見が狭いのは、そんな風土からきているのであろう。人の性格が堕弱なのは、この国が都に近く、その乱れた風俗を見るにつけ自然と気持ちがくずれて素朴で飾らない気質を失ってしまったのであろう。
 とくにひどいのは婦人のだらしない風俗であって、どうしようもないほどである。しかし能力のある人が生まれてきたならば、気持ちの柔らかな意地で成立している社会であるから、無双の人も出現するだろう。戦乱の世にあってこの国を治めようとすれば、たった5日でおさまってしまうであろう」
 と、ほぼ全面的にコテンパンであります。
 この女性の風俗の乱れについては相当有名だったようで、おなじ江戸時代の中期に諸国の民謡を集めた『山家鳥虫歌』では、前の著作をなぞるように、
「此の国都に近く其の風を倣ひ、とりわけ婦人の風締りなし。此所に多く蚕を飼ふ」とありますが、「締りなし」と書かれるくらいですから、それ相応の事実がその当時にはあったのでしょう。
 ところで丹波の国の綾部というところは、この国のひとつの中心地として大和朝廷と共に栄え、奈良時代に入ると由良川沿いの低地では桑が栽培され、養蚕業が盛んになりました。
 養蚕機織を主な生業とする秦氏、漢(あや)氏がこの地に渡来し、大きな勢力を持っていたといわれ、「綾部」という地名も、江戸時代のはじめまでは「漢(あや)部」と記されていたそうです。
 時代がさがって明治に入ると、綾部の養蚕業は次第に盛んになり、明治29年には波多野鶴吉という人が、郡是製糸という会社を創設しました。現在の「グンゼ」ですね。
 この波多野鶴吉翁の鼻の欠けた立派な銅像が、綾部の市街地を見おろす寺山の麓に立っています。なぜ鼻が欠けているかというと、翁は若き日にさんざん女道楽をして性病に罹ってしまい、鼻はその後遺症だというのです。
 いわば身から出た錆で自業自得なのですが、それからが凡庸な私たちとはまったく違います。この不名誉な事件に懲りた翁は一念発起し、この地方有数の養蚕教師となって何鹿(いかるが)郡蚕糸業組合を設立。丹波の綾部の養蚕技術を日本全国にとどろかせたのでありました。
 またこの実業家は熱心なキリスト者としても有名で、彼が設立した前述の「郡是」という会社は、単なる製糸会社ではなく、一面では人格の陶冶のための宗教的組織、他の面では地域社会における経済的文化的拠点という要素を兼ね備え、何鹿(いかるが)郡のセンターに屹立していました。 
 明治という時代の特性を頭においても、この時代のこの国に、これほど浪漫的で理想主義的な企業はそれほど多くはなかったでしょう。
 まあそんな次第で、「蚕都」綾部を代表する「無双の人」のこそ、この波多野鶴吉翁に他ならなかったのです。(じつはこの盆地には、あの大本教を立ち上げた出口王仁(わに)三郎というもう一人の「無双の人」がおりましたが、彼についてはまた改めてお話したいと思います。)

 ところで、さきほど引用した『山家鳥虫歌』は、丹波の女性の風紀と養蚕を結び付けて奇妙にエロティックな記述をしています。
「前に出でてあるものに感ずるといふ事、不思議なるものなり。蚕は性の霊なるものにて、物に触れ形をなす」
 さあ、これはいったいどういう意味なのでしょう。ちょいと飛ばして、次を読んでみましょう。
「中国の漢の時代にある寡婦が、ある夜どうも寝られないので、枕によりかかって自分の家の壁が崩れているところから、お隣の家で蚕を飼っているのをなんとなく眺めていた。その蚕はちょうど繭を作っているところだったが、出来あがった繭を見ると、その女の姿形によく似ていた。目許、眉のかかり具合などははっきりしないが、物思う女の形をしていたのを、琴の名人の蔡中郎(さいちゅうろう)という人が金に糸目をつけずに買い求めてきて、その琴の弦にして弾いたところ、その音はじつに哀れに聴こえた。
 その寡婦が蚕になったのではない。ただ蚕の性の霊のせいだ。人間は万物の霊である存在だから、いろいろ奇怪なことを引き起こすと思うかも知れないが、そんなものは表面だけのことであって、いちばん奇怪なるものの正体は、『陰陽二気』だけだという事をしっかり考えるべきべきだ」
 読みながら私は、ある夏の日の午後、丹波の綾部の蚕糸試験場の無人の一室に放置された何千何万という蚕たちの純白の群れが、上になり下になり、鈴なりになってムシムシと不気味な音をたてながら、桑の葉をむさぼり食う光景を見て、なぜか心が凍るような戦慄を覚えたことを思い出しました。
 このように、蚕に“性霊のささやき”が天与されていて、一種の性的な霊媒の気を持つ怪しい虫であることは、かなり早くから世に知られていたのです。
 みなさんの中には今村昌平監督が1963年にメガフォンを取った『にっぽん昆虫記』で、左幸子さんの左肢の内側のところを秘所に向かってゆっくりと這い上ってゆく第五齢の白い蚕の姿を覚えている方がいらっしゃるかもしれません。
 あれなんかも、蚕が性の霊なるもので、物に触れ、形をなす、その寸前の怪しい雰囲気をなかなか巧みにとらえていたと思います。
 ともあれ、丹波の国に綾部という町があり、その綾部の中心に一匹の巨大な蚕が蠢いていて、その蚕の中心に性霊が渦巻き、その渦巻きの中心にひとりの哀しい女が佇んでいる。
綾部という言葉を耳にすると、私はどうしてもそんなイメージが浮かんでくるのです。

                                 次回へつづく

 恥ばかり多き人世を生きてきて墓場の奥まで辿りゆくかな 蝶人

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吉増剛造著「怪物君」を読んで~これでも詩かよ第188番

2016-08-27 09:54:40 | Weblog


照る日曇る日第891回

この世に、果てしなく外部へ拡散していく詩と、限りなく内部へと沈潜していく詩と、永久にその場所に佇む詩の三つの詩があるとすれば、吉増選手のこのたびのLineは、1番線からの衝動的発車だろう。

駅には電光表示板に「アリス、アイリス、赤馬、赤城、イシス、イシ、リス、石狩乃香、兎!巨大ナ静カサ、乃、宇!」という行先が電光表示され、怪物君は自家製のドローンかスペースシャトルのようなものに跨って、全世界から全宇宙の隅々までも軽やかに飛翔する。

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

怪物君は、怪物くんかもしれないし、最シン・ゴジラかもしれない。
怪物君は、あの手この手の禁じ業、とっておきの奥の手を使って、喚きに喚く。
私たちは、怪物君から放射される無慮無数のLine攻勢を全身に浴びて、至る所で棒立ちになるだろう。

しかし孤独な怪物君は、私たちにいちいち応答を求めているのではない。
虚空に向かって彷徨しながら、ただラアラアと咆哮しているだけなのだ。

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

これはいったい何なんだ?
タダのダダの言葉遊びか? 時代遅れのシュルシュルレアリスム?
それとも全地球詩緊急一時回想録?

東北の被災地に生きる人々やその記憶、オリーヴと白桃、阿弥陀仏と孝標女の対話などがアラエッサアサアとばかりに繰りだされてくるが、だからといって怪物君はそこに長く滞在する訳ではない。

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

蜜を求めて花から花へと移る気まぐれな蝶のように、あちらこちらにフラフラ立ち寄りながら、限りなく自らを他物と他者に憑依する寄生虫怪物君!

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

怪物君は、ひとたびは個我を放棄することによって、世界を豊かに彩る装飾の一部と化し、またしても壁画から飛び出して全世界を遊覧し、随所でコブラがえって痙攣し、股股情動しつつ、スペースシャトルのようにGo!Go!いくたびも発射台に立ち戻る。

「ひーひやら、何ぞ馬鹿囃子!」*
そう、「詩人は考ヘルまへに、歌ッていた」*
これが「おまえの一生ノ音楽だッた」*
それらは全部、詩人の寝息であったのかもしれないネ。

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!

「手を翳しているだけで、それでよい」*
「手を翳しているだけで、それでよい」*

ウッ、ウッ、ウッ! ワッ、ワッ、ワッ!


  *は詩集からの引用です。


   兜太氏は健在なりやカンナ咲く 蝶人
   台風の風の合間に栗を取る
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芝崎で泳いだ後で葉山美術館で「クエイ兄弟-ファントム・ミュージアム」を見物するの記

2016-08-26 10:49:54 | Weblog


蝶人物見遊山記第214回&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 240


久しぶりに帰宅した次男と葉山の海で今年最後の海水浴を楽しむ。海岸に人出少なし。

陽は勁く、白亜の入道雲宙天に高く、波穏やかにして水あくまで清く、潜れば大なる魚が悠々と回遊している。

左は三浦半島の先、右は逗子、江の島、鎌倉、ちがさきの奥を回って伊豆半島の全容がくっきりと見える。こんな晩夏の好日はまたとないだろう。

近くの一膳飯屋で次男は刺身定食、私は今日の煮魚定食を頼んだらなんと立派な鯛が出てきた。こんなに骨が少なく美味しい鯛は食べたことがない。おそらくさっき私の目の前を悠々と泳いでいた奴だろう。

満ち足りたお腹をさすりながら2人が目指したのは近所の神奈川県立近代美術館葉山。水着の入場は禁じられているのでシャツを長く垂らしてごまかして入場す。1947年に米国フィラデルフィア州ノーリスタウンに生まれた一卵性双生児クエイ兄弟の怪奇劇場である。

どこかチェコの人形劇に出てくるような造型を主人公に、アニメーションと動画を融合させたような懐かしくも偏執怪奇の映像が会場の至る所で上映されている。いずれも2分を超えない短尺の作品ばかりだが、恐らくは兄弟が見た怖い夢を多少の演出と技術を介在させつつ再現したのではないだろうか。

「フランツ・カフカの兄弟殺し」、「デュエット」「砂男」、コムデギャルソンのイメージCM「ワンダーウッド」などが面白かったが、久しぶりに映像の圧倒的な力を見せつけられた展覧会だった。

    母親が不肖の息子の不行跡を朝っぱらからひたすら詫びてる 蝶人
    裁判官に成り変りたるマスコミが哀れな母を弾劾するよ
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死者と語れば~これでも詩かよ第182番

2016-08-25 09:40:46 | Weblog


ある晴れた日に第394回


総務課の川口課長から電話があって「ちょっと話がある。今すぐ行くから」というので、部下の酒井君と待機していると、来期の経費計画をすぐに出せという。

「おらっちはよう、安倍蚤糞は失敗すると読んでいるけどよお、株式の投資が莫迦当たりしたんでよう、売り上げも利益も全然駄目だけど、経費だけは削らなくてもいけそうだと、社長が言うんだよ」

「だからあんたの課も、大至急予算計画を出してほしいんだ」という不景気な中にも景気の良い話なので、私が「そんなら念願の新規ブランドの立ち上げが織り込めそうだ。酒井君と相談して一発どでかい計画をぶち上げてみましょうか」

といいながら、目の前の川口さんの顔を見ると、顔と目鼻の輪郭がどんどん霞んでいる。

「おうそうよ、どうせ会社の金なんだからバンバン使いまくってくれよ」という声だけが聞こえてきたので、私はハタと気づいて、
「でも川口さん、あなたはもう10年、いや20年近く前に亡くなっていますよね。そんな人がどうして来年の予算を担当しているんですか?」と尋ねると、

「いやあそういう小難しい話はよお、おらっちもよく分かんないんだけどさ、まあいいじゃん。あんまり堅く考えないで柔軟に対応してよ、柔軟に」
と相変わらず昔風の横浜訛りの元気な声だけが聞こえてくる。

「そんなこと言われてもなあ、酒井君」と後輩の顔を見ると、彼もまたなぜだか目鼻立ちが急激にぼうっとしてきているので驚いたが、じっと見つめているうちに、彼はおととしの今頃入浴中に急死していたことを思い出した。

生き急いでいる人間だから、真夜中に死者と仕事をすることだってあるさ。




      生き急いでいる人間だから真夜中に死者と仕事をすることだってあるさ 蝶人
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イングマール・ベイルマン監督の「野いちご」をみて

2016-08-24 09:39:33 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1067


普通の映画監督なら最晩年に撮れたら以て瞑すべしというようなシンプルに完成された作品をベルイマンはその初期につくりあげてしまっていた。

主人公の老人を演じる名優ヴィクトル・シェストレムはじめイングリッド・チューリン、脇役の若者などの役者がぜんぶいい。

冷厳な現実を見据えながら、ひとすじのほのかな安らぎの光が差す。野いちごとは、死にゆく老人への愛の捧げもの。

 
  キンチョウの蚊取線香はすぐ効くが電気蚊取器はさっぱり分からん 蝶人

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夏の終わりのそんなこんな映画ずら

2016-08-23 09:39:02 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1064、1065,1066


○デヴィッド・フィンチャー監督の「パニック・ルーム」をみて

引っ越したばかりの高級マンションに侵入してきた悪者たちをジョディ・フォスター母子が命懸けで撃退する話ずら。

いくらお買い得だか知らないが普通の人ならこんな薄暗くてけたくそ悪い家なんか買わないだろうな。ジョディ・フォスターの元夫が物凄い爺なので驚いたずら。


○デビッド・O・ラッセル監督の「ザ・ファイター」をみて

実在のプロボクサー兄弟の王者獲得までの山あり谷あり涙ありの苦楽を描くボクシング根性物語ずら。されどもうなにもかも忘れてしもうた。


○ベン・アフレック監督・主演の「ザ・タウン」をみて

あの綺麗なボストンの街にこういう犯罪地区があるとは知らなんだ。被害者が犯罪者を恋する話はよくあるが、こういう酷い目にあわせた男に惚れ続けるとは女心の摩訶不思議なことよ!


  何回映像を見てもさっぱり分からないひねり王子のくねくね着地 蝶人
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真夏の夜の夢~これでも詩かよ第187番

2016-08-22 11:26:31 | Weblog


ある晴れた日に第393回


ある日のこと、金に困って往生していたら学生時代の友人にぱったり出くわしたので、これ幸いと窮状を打ち明けたら「万事俺に任せろ」という。

友人はその場で茂原印刷の茂原社長に電話して、「いつものように、あれを印刷してやっとくれ」と頼んだ。

おいらが「あれって何だ?」と尋ねると、「ほら、これと同じ偽札だよ」と言って、本物そっくりの1万円札を見せた。

「2時間ほど経ったら、茂原印刷へ行ってみな。出来たての新品が100枚、首を揃えて待ってるぜ」というので、白山下まで行ってみると、果たしてその通りだった。

やった、やった、ヤシカがやった!

鬱から躁に舞いあがったおいらは、かつて同じクラスのマドンナだったつうちゃんとまりちゃんを電話で呼び出し、久しぶりに酒池肉林の宴を開いたんだ。

そしてピン札で勘定して、ご祝儀に2人に10枚ずつプレゼントしてから、らりらりらあんと歌いながら帰宅したんだ。

ところが翌日のお昼ごろ、おいらは、突然土足で踏み込んできた刑事に叩き起こされた。

なんと、つうちゃんとまりちゃんが、今朝横浜銀行の窓口で、おいらの渡した万札を、別のお札に両替してくれと頼んだ、というのだ。

そこでおいらは、「だから良家の御嬢さんは嫌いだよ」とぼやいたが、後の祭りだった。


   リオにまで飛んで醜い顔晒す安倍蚤糞の破綻は近い 蝶人



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ウォン・カーファイ監督の「恋する惑星」をみて

2016-08-21 12:46:38 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1063


ブレる映像、疾走する俳優、そこにはポップなアメリカンニューシネマやヌーベルヴァーグの残映もスパイスされていて……元気いっぱいの時期の香港とそこに生きる若者たちを象徴するような青春映画ずら。

当時のウォン・カーファイがうんと背伸びして撮ったいわゆるひとつの「オサレ」な映画で、いまみると気恥ずかしい。いまでは逆立ちしたってこういう映画をつくることは無理だろう。時の流れは恐ろしい。

原題は「重慶森林」という有名なビルの名前で、邦題とはなんの関係もない。




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鴨長明「方丈記 発心集」を読んで

2016-08-20 14:36:04 | Weblog


照る日曇る日第890回 



もはや棺桶に片足をつっこんでいる歳ともなれば、とっくにこの世を去ったこの国の達人たちの遺文を熟読翫味するのがいちばん身に添う業ではないだろうか。

鴨長明の「方丈記」は、吉田兼好の「徒然草」とともにそんな読書には最適の友だが、同じ長明選手の作とされる「発心集」はこのたび初めて読んでなかなか面白かった。

発心というのは要するに出家の発心である。平安時代から鎌倉時代にかけては武家や公家の権力闘争の巷であると同時に出家全盛時代でもあったことが、この本を読むとよく分かる。

法華経を唱えつつ西方浄土に無事に往生することは宮廷や荘園で出世するのと同じくらい重要な人世の課題であり、それは信心深い高貴な貴族や僧侶、武士のみならずひろく百姓、乞食にとっても同様だった。

彼らはこの世からただちに繋がっている来世とそのもっと先の世の中の実在をかたく信じていたから、現世での短い幸不幸や貧富にまつわる有為転変は比較的かんたんに飛び越えることができた。

本書には田を鋤く牛が滅多打ちされる姿を見て「自分は牛がこんな酷い目に遭わされていることも知らずに米を口にしていた罪深い人間だ」と気づいてすぐに出家したひじりなどそれらの発心の具体例が数多く披歴されているが、とりわけ胸を打つのは次のケースである。

「鷹を好み飼ひける時、その餌に飼はむとて、犬を殺しけるに、胎みたる犬の腹の皮を射切りたるより、子の一つ二つこぼれ落ちけるを、走りて逃ぐる犬の忽ちに立ち帰りて、その子をくはえて行かんとして、やがて倒れて死にけるを見て、発心せり」(15「正算僧都の母、子の為に志深き事」)

この姿を見てすぐに出家した人物、そしてそれを記録にとどめて後世に伝えた鴨長明の繊細で明敏な感受性をば、私はじつに尊いと思うのである。



  世界中のネコをじゃんじゃん撮りまくる世にも不思議な番組をみる 蝶人
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村井章介著「シリーズ日本中世史④分裂から天下統一へ」を読んで

2016-08-19 11:26:35 | Weblog


照る日曇る日第889回 


岩波新書による「シリーズ日本中世史」の最終巻。戦国の世が信長、秀吉、家康の天下人によって統一され中世が幕を閉じるまでを描いている。

本巻では「琉球」や「対馬」、「アイヌ」が本土の権力者にきちんと正対して戦ったり外交手段を駆使してきたことが具体的に述べられていて参考になる。列島には複数の民族と政治権力がいまなお存在している歴史的な所以が明らかにされている。

第2章「銀と鉄砲とキリスト教」で触れられている倭寇の実態もじつに興味深い。彼等は中国、日本、東南アジア諸国をまたにかけ、国家や民族の「境界域」に生きた自由と貿易と武力の集団であった。

第4章「16世紀末の大東亜戦争」における秀吉の粗雑な海外認識と世界制覇構想、イトレルにも似た狂気の武力進出の経緯にも改めて驚かされる。

こういう独裁的な天下人にとって、部下や民草は単なる将棋の駒のような存在であるが、とりわけ他国の民草への想像力を欠く点において政治家としての致命的な欠陥を内蔵しており、結局は2度に亘る朝鮮侵略が一族の死滅に直結していくのである。

こういう自己中心的な感性は、どこか現在の宰相にも共通しているようでないやら恐ろしい。

本書を含めて本シリーズのこれまでの4冊はそれぞれに面白かったが、4人の著者による時代区分の方法論や論述の力点、殊に文体があまりにもてんでばらばらで、全体的な統一感がまるでないことに驚く。

いったいこの節の新書の編集担当者は、どういう仕事をしているのだろうか。通史がこういう散漫な展開に終わるなら、いっそ同じ著者に委ねたほうがいいのではないだろうか。


  月火水木金土日の繰り返しに耐えきれないで我らは狂う 蝶人


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家族の肖像 その11~これでも詩かよ第181番

2016-08-18 11:30:22 | Weblog


ある晴れた日に392回


「お母さん、ぼく、さいたま市好きですお」
「そう、それは良かったね」
「さいたま市は、浦和、大宮、与野市からできたんだよ」
「そうなの?よく知ってるね」

「お父さん、京王線、京浜東北線に似ていたよ」
「へえ、そうだった?」
「そうですよ」

「お父さん、「再び」は再放送の再でしょ?」
「そうだよ」

「お父さん、無理しちゃだめでしょ」
「そうだよ」
「お父さん、無理の無って無いの無でしょ?」
「そうだよ」
「僕、無理しなかったよ」
「そうかい」
「無理よ、無理よ、無理よ」

「お父さん、小田急の回数券買った?」
「買ったよ。今日藤沢まで行って11枚買ってきたよ」

「お父さん、みなさんの英語は?」
「レディーズ・アンド・ジェントルメンだよ」
「みなさん、みなさん」

「おとうさん大弱りってなに?」
「とても困ってしまうことだよ」
「大弱り、大弱り」

「お母さん、コレステロールてなに?」
「血液の中のあぶらのことよ」
「コレステロール、コレステロール」

「お父さん、ちょっと待ってねの英語は?」
「ウエイト・ア・モーメントだよ」
「ちょっと待ってね」

「ぼく、明日ふきのとう舎から帰ってきますよ! 帰ってきますよ!」
「耕君、ほんとうはファミリーナ宮下行きたくないの?」
「行きたくないお」

「ぼく「トイレの紙そんなに使うな」って言われちゃった」
「そうなんだ」
「「耕さんダメ」っていわれちゃったの」
「それでファミリーナ行かないの?」
「そうだお」

「お母さん、戦争ってなに?」
「国と国とが戦うことよ」
「戦争嫌ですねえ」

「お母さん、崖好きですお」
「ガケ?」
「崖、高いですお」

「お母さん、ぼく常用漢字いっぱい書きますよ」
「いっぱい書いてね」

「お母さん、哀愁って悲しいことでしょう?」
「そうよ」
「あいしゅう、あいしゅう」

「お母さん、侮辱ってなに?」
「馬鹿にすることよ」
「侮辱、嫌ですねえ」

「ハヤシさんの心臓止まったの?」
「そうよ」
「心臓止まるの、嫌ですねえ」

「お父さん、ワイドドア凄いよね」
「どこのワイドドア?」
「小田急だよ」

「お母さん、志ってなに?」
「想い、よ」
「こころざし、こころざし」

「お父さん、分かりませんの英語は?」
「あいどんとのお」
「分かりません、分かりません」

「お父さん、入るときはお邪魔します、失礼しますでしょ?」
「そうだよ」
「失礼します」

「お母さん、火元責任者ってなに?」
「火の管理をするひとよ」

「お母さん、マナーモードってなに?」
「電車の中でうるさくしないようにすることよ」
「マナーモード、マナーモード」

「お母さん、マナーモードってなに?」
「携帯が聞こえないようにするのよ」
「耕君、マナーモードをやめる?」
「いやだお」

「お母さん、心配の配ってくばること?」
「そうかあ、心をくばることが心配するってことなんだ」
「そう、そうですお」

「お母さん、麻薬ってなに?」
「痛い時のお薬よ」
「伊藤蘭が「麻薬なら私のところにあるわ」って言ってたよ」
「へええ、そうなの」

「こうぞうさん、先生だったでしょ?」
「そうよ」
「体調崩したのはこうぞうさんでしょう?」
「そうよ」

「横須賀って防衛大学があるとこでしょう?」
「そうよ」

「お父さん、いとこの英語は?」
「カズンだよ」
「いとこ、いとこ、いとこ」

「お父さん、さらには、ってなに?」
「もっと、だよ」
「さらにさらに」

「お父さん、陰は山陰線のかげだよね?」
「そうだよ」

「お父さん、残酷ってひどいことでしょ?」
「そうだよ。良く知ってるね」
「ざんこく、ざんこく、ざんこく」

「お父さん、意地っ張りって、頑固なことでしょう?」
「そうだよ」

「お父さん、約束の英語はなに?」
「プロミスだよ」
「僕、約束守るよ」

「お母さん、デートてなに?」
「待ち合わせて好きな人と会うことよ」
「ぼく、デート好きだよ」

「お父さん、正面てなに?」
「wwww」

「お父さん、要らないの英語は?」
「ノット・ネセサリーかな」

「お母さん、圧死ってぺっちゃんこになることでしょ?」
「えっ、どうしてそんなこと知ってるの?」
「アッシ、アッシ、アッシ」

「お母さん、早くいらっしゃいって、早く来なさいのこと?」
「そうよ」

「お母さん、つまらないってなに?」
「面白くないことよ。耕君、つまらないの?」
「つまらない、つまらない、つまらない」

「お父さん、支えるって助けること、でしょ?」
「そうだよ。耕君、誰を支えますか?」
「ぼく、お母さん支えますよ」

「お母さん、おっかさんてなに?」
「おかあさんのことよ」

「お母さん、バクダンってなに?」
「バクダンはねえ、バーンていうやつよ」
「バクダン、嫌ですねえ」


  安倍に告ぐ戦争によって平和を作ることなんてできはしない 蝶人
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SEON 盤Excellence in Early Music全22枚組CDを聴いて

2016-08-17 11:13:11 | Weblog


音楽千夜一夜 第373回

バッハからヘンデル、ヴィヴァルディ、テレマン、コレルリ、スカルラテイ、ハイドン、モザール等々の名曲をレオンハルト、ビルスマ、クイケン等の優れた演奏と録音で聴く古樂コレクションずら。

ある日突然ブリュヘンの指揮ではなく笛の演奏を聴きたくなって中古盤をネットで衝動買いしてしまったが、そのほかの演奏もみな素晴らしく大満足の全85枚組であった。

解説資料を抜粋すると、「セオン」は、テレフンケンの「ダス・アルテ・ヴェルク」シリーズのレコード・プロデューサーであったヴォルフ・エリクソンが1969年に設立したレーベルで、その録音活動は1983年まで続き、第2次大戦後に興ったバロック音楽やオリジナル楽器演奏への関心を継承し花を開かせ、現在の古楽ブームの隆盛へつなげる原動力の一つとなったそうだ。

私は古楽器による演奏はあんまり好きではないが、こういう音楽を85枚も立て続けに聴いていると、だんだんそうでもない気持ちに感化されていくから不思議なもんじゃのう。


髭剃れば「2001年宇宙の旅」に出てくる胎児のような目で我を見る耕君 蝶人


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