あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2013年葉月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2013-08-31 09:43:24 | Weblog



ある晴れた日に 第150回



青山の独り暮らしのマンションで骨とスープになりしモデルよ

「お世話になりましたみなさまの幸福を祈ります」と書き遺し大仏次郎息絶えたり

人は死ぬと寂しいよねえと呼びかける長男に誰も答えぬ小林理容室

今日中にドストの「貧しき人々」を読んで原稿を書けなんて西村君そんなこと出来ないよ

笑うにも値せぬ由無き事どもを無二無三に笑っているよ「笑っていいとも」

かけるも阿呆答えるほうも阿呆なり新聞社の機械式電話アンケート

もののふの「箱根八里」を吟じつつツキノワグマを即捌きけり

物欲を煽るは時代の流れに逆行している高田明その口舌を閉じよ

鎌倉の「野中ゆり展」でみた「デカルコマニー」シュルレアリスムお得意の転写画なるとよ

六十八年戦争被害者を出さざりし日本国憲法はありがたきかな

終戦忌原爆忌児戯に類せし六十八年

夏祭り君は六十八の娘なり

夏祭り君は十五の娘なり

油蝉喨々と鳴く真昼かな

刺青を避けて泳ぐや海水浴

ミンミンの声で目覚める午睡かな

油蝉の断末魔聴く昼下がり

楠の大樹の下で蝉浴びて

日経を節約のために已む七月尽

老舗滅び月下美人咲く夕べかな

黒揚羽七月二〇日生まれなり

文月やなぜ善き人の召さるるか

ただひとりバーキン乗せてエアフラは放射能の島に舞い降りたり

「早撃ちハッシー」いつのまにか巴里の細道を描く売れっこ画家になられました 

文は人なりとはいうがそは質料のこと形象のあまりに酷きは目を瞑りて過ぐ

ありとある記憶が消えずに残っているんだ自閉症者の地獄のような苦しみ
 
1クラス39名の学生が向かい居て私の最後の試験問題

ウラギンシジミとルリシジミが並んで水を吸っている。ああ、大きなヨットと小さなヨットの白帆のようだ。

ハイドンの一撃に震撼させられしはいつの日かさらばわが青春の東京カルテット

昂然と鎌首もたげ水切ってドクダミの森に上陸せし蛇 

残念だが君たちとは全然考え方が違うと言い放ちて一人帰りきぬ

月に一度君と二人千五百円のイタリアン食べる程度のしあわせ

市議選で一票投じた若き候補者たった7票差に泣きたり

たった七票差で市議選に敗れた若者四年後に備えその翌日から動いており

藤圭子よ、今宵冥界からの「夢は夜開く」を聴かせてよ

母の娘であることを誇りに思います。ヒカルの一言に以て瞑すべし藤圭子

健ちゃんがとげぬき地蔵で買ってくれた真っ赤なパンツで父は頑張る

愛したること愛されしことも忘れ果てなお歩むべしこの薄明の道

 

えいやえいやと浮輪潰せば今年も耕君の夏休み無事おわんぬ 蝶人


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アンソニー・ハーヴェイ監督の「冬のライオン」をみて

2013-08-30 09:52:01 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.552


ピーター・オートゥールの老いたるヘンリー王とキャサリン・ヘプバーンのやはり老いたる王妃が、3人の息子の王権相続と若い愛人を巡って知恵の限りを巡らし、愛憎の限りを尽くし、火花を散らして戦う政治人世映画の傑作です。

男も女も歳をとれば気力体力容色も次第に衰えて老醜無惨となり果てるは已むを得ざる仕儀であるが、しかし手塩をかけて育てたはずの息子たちが、帯に短し襷に長しで、いずれもイングランドの王にふさわしくない碌で無しばかりと知った時の王の失意と落胆はいかばかりであったろう。

王の絶対権力に歯向かい続けるので孤塔に幽閉されている王妃とその王妃しか心のよりどころがないと知った「冬のライオン」のごとき傷心の王が、名残を惜しみながら別れを告げるラストは感銘深いものがある。





      笑うにも値せぬ由無き事どもを無二無三に笑っているよ「笑っていいとも」 蝶人
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ビレ・アウグスト監督の「マンデラの名もなき看守」をみて

2013-08-29 08:52:02 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.551

ネルソン・マンデラは30年近く牢獄に入れられていたが、そのかんよくも殺されなかったものだ。南アの悪名高きアパルトヘイト政策を解消させるために生涯に亘って闘い続けたマンデラはもちろん偉大だが、強権保守政治家のボタ大統領の後を継いでマンデラを釈放し、民族和解路線へ踏み出したデクラーク大統領こそは、時代遅れの頑迷なる無法状態に終止符を打った真の功労者ではないだろうか。

そんな政治的大転換を背景に、この映画ではマンデラに対して終始好意的でありつつも、彼の息子や戦友の死に責任があったであろう1人の看守の悩み多き生涯を辿っている。

いつの時代も独裁的な権力の主流に棹さすことはたやすく、いささかでも歯向かうことは命懸けの難事業であることをこの映画は教えてくれる。


母の娘であることを誇りに思います。ヒカルの一言に以て瞑すべし藤圭子 蝶人
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『短歌』編集部編「鑑賞日本の名歌」を読んで

2013-08-28 13:57:18 | Weblog


照る日曇る日第616回&バガテル-そんな私のここだけの話op.170


本書の末尾に大辻隆弘氏が選ばれた短歌が二首並んでいて、複雑な感慨を呼ぶ。

子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え 俵万智

逃げないんですかどうして? 下唇を噛む(ふりをする)炎昼のあり 高木佳子

なにせ史上前例のない大きな原発事故である。事情さえ許せば、誰だって逃げ出したいに決まっている。私はこの災害と死の脅威から逃れるために「西へ西へ」と脱出した人のことをとやかくいおうとは思わないが、それ以上に、諸般の事情やみずからの信念において現地にとどまった人、とりわけ「東からやって来た人」のことを長く記憶に留めておきたいと望むのである。

福島で原発事故が起きた時、当然多くの外国人が来日を取りやめたが、なかには私の大好きなジェーン・バーキンやシンディ・ローパーのように、万難を排して震災直後のわが国にやって来てコンサートを開いたり、激励のメッセージを私たちに伝えてくれた勇気あるミュージシャンもいた。

当時原発事故の様子は、本邦よりも西欧諸国のメディアのほうがより深刻に報道されていたはずだから、「万難を排して」というのは単なる形容詞ではなく、彼らは恐らく文字通りみずからの生命の危険を賭して飛んできたに違いないのである。

実際ジェーン・バーキンが乗り込んだ成田行きのエアフランス機には、彼女以外の乗客は一人もいなかったそうであるが、この便がパリに戻るときには大勢の乗客で満席だったはずで、その中には本邦を逃げ出そうとする日本人もいたに違いない。

なぜジェーンがそういう命懸けの向う見ずな行為に及んだのかは私にはよく分からないが、思うに彼女は愛する日本人のことが心配で心配で仕方が無かったのではないだろうか。テレビで第一報に接してすぐにシャルル・ドゴール空港に向かおうとする異邦人の心の底には、日本人と自分を同一視し、この最大の苦難の時をともにしたいという国境を超えた同胞愛のようなものが点滅していたに違いない。

「朋あり遠方より来たる」と孔子は言うたが、同胞からおのれを切断する悲愴な決意を固めて西に飛んだ友人の代わりに、新しい東方の友人を迎えた人たちは、百万の味方を得た思いで「楽しからずや」だったのではなかろうか。


   ただひとりバーキン乗せてエアフラは放射能の島に舞い降りたり  蝶人

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リチャード・エア監督の「アイリス」を見て

2013-08-27 10:30:52 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.550

若き日のアイリスにケイト・ウィンスレットが出ている2001年製作の英国映画。ヒロインとヒーローのカッコ良さげな悲劇よりも、彼らの傍にいて彼らをもっと愛していたはずの男女の哀しみに想いを致したくなる作品だった。

アイリスというから、あやめやカキツバタなど紫色の植物を想像していたら、いきなり裸のおばあちゃんとおじいちゃんが水の中を泳いでいて、お互いに「アイ・ラブ・ユー」と水を飲みながら呼びかわしているので驚いたが、しばらく見ていると英国の女流作家アイリス・マードックを主人公とする夫婦の愛の物語なのであった。

あれほど頭脳明晰で素晴らしい小説を書いた人が、自分のことも夫のこともどんどんどんどん忘れて、ただの動物のような存在に戻ってゆく。その世の中のどこにでもある悲劇を映画は彼らの若き日の愉しい回想をインサートしながら淡々と描いてゆく。

きっと私たちもあんな風になってしまうのだろうが、それも含めてのわれらの人世なのだ。



愛したること愛されしことも忘れ果てなお歩むべしこの薄明の道 蝶人


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サム・メンデス監督の「レボリューショナリー・ロード」を観て

2013-08-26 08:27:36 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.549


 外見からはなにひとつ苦労がなさそうで万事順調とうつる人にも意外や意外大きな陥穽が隠されているものだ。

 ここではないどこか、ならきっと達成されたはずの成功や幸福を生涯にわたって夢見たり、それが叶えられなかったからといって激しく後悔したり恨んだりする人は大勢いるんだろうが、この映画の若夫婦もその典型。(このようにやたら体言で止める表記が新聞などで頻用されているが、これってせっかちで醜い日本語だから出来るだけやめようね)

 戦後間もない50年代のパリで、恐らく高い学歴もなく語学も出来ない女性が、簡単に仕事を見つけて夫を養うことなど出来るのかと心配になるが、NY近郊の高級住宅街を飛び出してパリにいけば、思い通りの人生が展開するに違いない、と思いこめるのも若さの特権だから、思い切ってとびこめば成否は別にしてこんな悲劇は起こらなかったのにね、といいたくなるのだが、それだとこの優れた映画は成立しなかったことになる。

しかしそういう理想と現実の落差に激しく一喜一憂する悲劇的な2人を、ケイト・ウィンスレットとディカプリオが体当たりで熱演していて好感が持てる。サム・メンデスの演出も素晴らしい。と他ならぬこの私が書いているのだが、ああもうだめだ、またしてもその映像をことごとく忘却してしまっている健忘症の私。なのであったあ。


藤圭子よ、今宵冥界からの「夢は夜開く」を聴かせてよ 蝶人

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中上健次著「中上健次集7 千年の愉楽、奇蹟」を読んで

2013-08-25 10:12:20 | Weblog


照る日曇る日第615回&「これでも詩かよ」第19番&ある晴れた日に第149回


偉大なる路地の作家に、露地の歌にて返礼す。


月見町に月が出た



ハア、どっこいせえ、こらっせ、とこどっこい、ちょいのおちょいのちょい、月見町にでっかい、まあるい月がでたあ。

ハハア、ちょいと出ました、丹波盆地は田舎村の西本町

露地の一本裏手の月見町は、山の麓の色街でのお。出口なおはんとは、生まれも身分も違うにわか分限者どもが、夜な夜な処女の生き血を吸いにやってきたもんよ。処女の生き血を。

ハア、どっこいせえ、こらっせ、とこどっこい、ちょいのおちょいのちょい、月見町にでっかいまあるい月がでたあ。

ほんで月見町きっての美形のボンは、生まれた時からええ匂いがしてのう、
呼びもせんのに女どもが寄って来て、めろめろ腰を落としくさってのお、「まるで光源氏のようじゃ」と囁かれながら育ったもんじゃ。光源氏のお。

ハア、どっこいせえ、こらっせ、とこどっこい、ちょいのおちょいのちょい、月見町にでっかい、まあるい月がでたあ。

まだ童貞じゃった頃のボンは、芸者の落としたルージュがなにをする道具とも分からず、露地の道路に殴り書き、次いでおのれの口に入れた途端、その蕩ける血のような味に、たまらず射精したそうな。射精のお。

ハア、どっこいせえ、こらっせ、とこどっこい、ちょいのおちょいのちょい、月見町にでっかい、まあるい月がでたあ。

小学ではなんの勉強もせえへんおとなしめの小僧じゃったんじゃが、中学ではなんと生徒会長になりおおせ、ヤクザの見習いのくせして生徒の首根っこを押さえ、教師や校長にもいちもく置かれるいっちょまえの若衆に成り上がった。若衆にのお。

ハア、どっこいせえ、こらっせ、とこどっこい、ちょいのおちょいのちょい、月見町にでっかい、まあるい月がでたあ。

しゃあけんど、ボンが本物の暴力団の親分に見込まれ、大阪の本部に呼ばれて盃を交わして若頭に就任したと聞いた村の衆は、「さすがはボンじゃあ、えらい出世したもんじゃあ」と褒めそやしたげな。若頭のお。

ハア、どっこいせえ、こらっせ、とこどっこい、ちょいのおちょいのちょい、月見町にでっかい、まあるい月がでたあ。

月見町からはるばる大阪まで訪ねていった自称“恋人”は、二年後に小さな女の子を連れ、大きな腹をして帰ってきた。なんでも「お前には飽きた。はよ月見町へ帰れ」と言われたそうな。大きな腹でのお。

ハア、どっこいせえ、こらっせ、とこどっこい、ちょいのおちょいのちょい、月見町にでっかい、まあるい月がでたあ。

ボンが出入りで血祭りにあげられたのは、それから間もなくのこと。なんでも神戸の日本一の暴力団の若いもんに、出会いがしらにドスで刺されて絶命したそうな。ドスでのお。

ハア、どっこいせえ、こらっせ、とこどっこい、ちょいのおちょいのちょい、月見町にでっかい、まあるい月がでたあ。


     処暑にして駒をはやめて亀山へ月見町に出でしまろき月かな 蝶人
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クラッシュ!

2013-08-24 09:49:53 | Weblog


「これでも詩かよ」第18番&ある晴れた日に第148回


ポール・ハズキ監督の「クラッシュ」という映画の感想文をSNSにアップしたら、親切な読者の方から、「ハズキではなく、ハギスではないのか。あなたは先日もテリー・ミリアス監督をミリアムと誤って書いていた。ちと気をつけなさい」と注意された。

早速ウィキで調べてみたら指摘された通りだったので、有り難く感謝しながら急いでお詫びと訂正をさせて頂き、それはそれでいちおう事なきを得たのだが、じつはもっと大きな問題があった。

私はかなり以前、たぶん半年ほど前に、以下のような感想文を書いたことは覚えている。

「老いた父親の介護に明け暮れ、他民族の進出がアメリカ人の職場を奪っていると確信する警官マット・ディロンが、救ってしまうのは昨日自分が職務を違反して暴行を加えた有色のインテリ女性。

その人種差別主義が嫌でペアを離れた若き警官が、ふとしたはずみで殺してしまうのは、チンピラ盗人の黒人。そこから打ち出の小槌のように繰り出されてくるのは、おのれの出世と引き換えに大事なものを失おうとするロス市警のエリート刑事、妻を凌辱から救えなかった自分を憎み、そのプライドを取り戻そうとあがく黒人映画監督、ささいなことから鍵修理職人を殺そうとして天使に救われたペルシア人……。

アメリカの白人や黒人、中国人やイラン人、アフリカ人、プエルトリコやメキシコ人などの混血……、生きるさまざまな民族や混血人たちの間に起こる「衝突」を重層的に描くことによって、この映画は人種のるつぼでもある魔都ロサンジェルスの見知らぬ明日を指差そうとする。」

 きのう私は、書きっぱなしでしばらくそのまま放置していたその短文をアップするために久しぶりに読んだのだが、そのとき、肝心の映画そのものの記憶が完全に欠落していることにはじめて気付いたのである。

 処暑蝉どもが絶叫するなか、私は何度も何度もこの詰まらない文章を読むのだが、鳴呼ハズキ、いなハギス監督が苦心惨憺撮り上げた「クラッシュ」のほんの1コマの断片さえも覚えていないのだ。

ああ、これぞクラッッシュ! クラッッシュ! クラッッシュ!
忘却とは忘れ去ることなり、という言葉はまだ忘却していない私だが、いったいこれからどうなっていくのだろう? 
私はとうとうアルツハイマーになったのだろうか? それとも健忘症に?

アルツハイマーと健忘症はどこがどう違うのかはいざ知らね、私はグリコのおまけは右の掌にあるのに、グリコ本体を食べた記憶の無い少年のように呆然と立ち尽くしていた。


    ありとある記憶が消えずに残っているんだ君の地獄のような苦しみ 蝶人
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ポール・ハギス監督の「クラッシュ」を見て

2013-08-23 10:49:16 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.548

老いた父親の介護に明け暮れ、他民族の進出がアメリカ人の職場を奪っていると確信する警官マット・ディロンが、救ってしまうのは昨日自分が職務を違反して暴行を加えた有色のインテリ女性。

その人種差別主義が嫌でペアを離れた若き警官が、ふとしたはずみで殺してしまうのは、チンピラ盗人の黒人。そこから打ち出の小槌のように繰り出されてくるのは、おのれの出世と引き換えに大事なものを失おうとするロス市警のエリート刑事、妻を凌辱から救えなかった自分を憎み、そのプライドを取り戻そうとあがく黒人映画監督、ささいなことから鍵修理職人を殺そうとして天使に救われたペルシア人……。

アメリカの白人や黒人、中国人やイラン人、アフリカ人、プエルトリコやメキシコ人などの混血……、生きるさまざまな民族や混血人たちの間に起こる「衝突」を重層的に描くことによって、この映画は人種のるつぼでもある魔都ロサンジェルスの見知らぬ明日を指差そうとする。


    1クラス39名の学生が向かい居る私の最後の試験問題 蝶人
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独Documents盤「Die sconste Ballettmusik」10枚組CDを聴いて

2013-08-22 09:28:08 | Weblog

音楽千夜一夜第313回


お馴染み独Documentsからの1枚100円の廉価盤バレエ名作選である。

ほとんどがモノラル録音であるが、ストコフスキーやモントゥーの「白鳥の湖」やフリッチャイ&リアスのストラビンスキー、アンセルメ&スイス・ロマンドの「春の祭典」などはそれなりに面白く聴ける。

バーンスタイン自作自演の「ウエストサイド・ストーリー」「オン・ザ・タウン」なんかも入っているが、彼の保守的な交響曲やミサ曲と同様詰まらない。現代音楽は彼の中庸折衷的な作風をアンゴロメダ星雲の彼方に放置してどこか遠い世界に遠征に行っているのだ。


    もののふの「箱根八里」を吟じつつツキノワグマを即捌きけり 蝶人

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ジョン・ミリアス監督の「風とライオン」を観て

2013-08-21 09:55:52 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.547


時は20世紀の冒頭、「ライオン」はモロッコの砂漠を駆け抜けるアラブの怪傑ハリマオ、「風」は植民地闘争の全世界をつむじ風と共に制覇する米国の大統領セオドア・ルーズベルト。

この2人が、誘拐されたキャンデイス・バーゲンとその子供の解放を巡って敵対しながらその雄々しい生き方に共鳴し合うという西洋任侠物語である。

ルーズベルトは日露戦争を調停した「とめ男」としても知られているが、やるときはやる決断と実行のカウボーイぶりが全国民的な人気を呼んだらしい。この映画で描かれているようにけっこう国際的な慣行を無視した無茶苦茶な武力行使を辞さない男だったようだ。

一方ショーン・コネリー扮する族長はアラーの大義に生きる痛快無比な冒険者で、その男らしさにキャンデイス・バーゲンが惚れるのも無理からぬカッコ良さがある。

いずれにせよいかにも反共右翼を旗頭にするジョン・ミリアス好みの世界を股にかけた熱血男の友情国際国姓爺合戦噺で、かの石原慎太郎、安倍晋三一派なぞはその国粋的&武断的&八紘一宇的大東亜共栄圏的雄大スケールに泣いて喜ぶかもしれないが、粗い脚本のあちこちに歴史的事実を無視した荒唐無稽なヒロイズムが垣間見られ、心ある映画ファンの眉をひそめさせずにはおかないのである。


    六十八年戦争被害者を出さざりし日本国憲法はありがたきかな 蝶人
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エドワード・ドミトリク監督の「ワーロック」を見て

2013-08-20 09:50:58 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.546


悪党どもがのさばるワーロックの小さな宿場町に集結したヘンリー・フォンダ、アンソニー・クイン、リチャード・ウィドマークの3人が、女と友情と正義とを巡ってしのぎを削って争い戦う。こういうのを本物の西部劇というのだ。

斜に構えた謎の渡世人クインとフォンダの奇妙にねじれた友情が伏線となって物語が進行するが、3つのガンファイトが大きな見どころ。ウィドマークvs悪漢、フォンダvsクインの決闘も見ごたえがあるが、フォンダvsウィドマークのラストの対決がまことにカッコいい。

拳銃を早く抜くことよりも正確に射当てることのほうが遥かに大切である、と説くフォンダ理論を映像が裏付けているあたりも心憎い限り。そういえばリーマン時代にアメリカ出張の折に靴底に隠して密輸入した本物の拳銃を、鏡に向かってフォルダーから素早く抜く練習を毎日のようにやっていた上司がいたなあ。



「早撃ちハッシー」いつのまにか巴里の細道を描く売れっこ画家になられました 蝶人

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佐藤優著「同志社大学神学部」を読んで

2013-08-19 08:50:32 | Weblog


照る日曇る日第615回

外務省に入って大騒動をやらかした著者の青春学問哲学飲酒大活躍大発展回顧録です。

本書には、「フィールドはこの世界である」と宣言するチェコの神学者フロマートカの神学思想の影響を受け、教授や先輩たちの「大学に残れ」という声を押し切ってあえて外交官となってチェコ赴任を目指した若者の思想的な悩み、混迷と不信の時代のただなかにあって普遍の神を求め、他者、政治経済社会の総体と熱く対峙しようとする若き学徒の鮮烈ないき方が活写されています。

また「教師と教え子」という世間並みの枠組みを大きく逸脱して、おのれの実存を熱く曝け出す神学部の教授と学生たちの「夢中になって学び合う姿」は感動的で、その戦中派の老教授の中にかつて郷里の丹陽教会で牧師を務められたわが懐かしき緒方純雄先生の優しくも厳しい顔貌が再三にわたって登場するのが、殊に印象的なのです。

それにしても、日本全国では60年代の狂騒は遠く夕景の彼方に飛び去ったというのに、80年代の偉大なる田舎、京都の中の小さな田舎共同体、同志社大学神学部においては、ほとんど浮世離れした「自由と友愛の奇跡的な小宇宙」が実在していたことに驚かされます。今も昔も京は魔都なのです。


     物欲を煽るは時代の流れに逆行している高田明その口舌を閉じよ 蝶人
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ティム・バートン監督の「エド・ウッド」を観て

2013-08-18 07:58:13 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.544


資金、納期、スタッフ、どれをとっても最悪の環境の中でそれでもなんとかハチャメチャの作品を撮りおおせていく三文映画監督の生涯を面白おかしく描いて観衆を楽しませてくれる映画だ。

全篇フィクションかと思っていたら「エル・ウッド」はなんと実在の映画監督だったので驚いた。麻薬中毒で死んでしまう往年の名フランケンシュタイン役者(マーティン・ランドー)との生涯に亘る交友はいたく泣かせるし、速攻で量産される映画は常識的にはパルプフィクションなのだろうが、見方によっては超個性的なげいじゅつ映画とも受け取れる。

映画と女装を愛するそんな伝説の「アメリカ史上最低の映画監督」を偏愛するティム・バートンの複雑に入り組んだ映画への偏愛を「亡霊のように顔の無い」ジョニー・ディップがそれなりに好演している。


通りすがりに子供の頭をポンと叩くポンタのおじさんいずこへ行きしか 蝶人


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ヘルマ・サンダース=ブラームス監督の「クララ・シューマン愛の協奏曲」を観て

2013-08-17 08:38:14 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.543


1850年にドレスデンからデッセルドルフに移住した頃のシューマン夫妻と若きブラームスの交渉を描いている。ヒロインのクララは実に美人で豊かな胸の持ち主のように描かれているので、画面を眺めているだけで快感があるが、夫のロバートはもっとハンサムな役者を使うべきだろう。

17歳年上でロベルトと8人の子をなしたクララをまるで天使のようにあがめ、「奴隷のように仕えた」というブラームスも、後年のでっぷり肥った重厚長大な髭オヤジの面影のかけらもなく、やたらひょうきんで軽佻浮薄な恋する若者として描かれている点にも違和感がある。

もっともこの2人の恋愛関係にかんする事実や証言はまるで残されていないそうなので、この映画自体が虚構そのものと評してもよろしいのである。

しかしシューベルトと同様梅毒が原因で精神病院で死ぬロバートが、あまりにも頭痛が酷いのでアヘンチンキに依存したり、ライン河に投身するくだりなどは、うむ、いかにもと思わせる。

ロベルトは指揮が下手くそだったから、ようやく完成した交響曲3番「ライン」の初演を、滅茶苦茶な棒を振る夫の前で、妻のクララがまるで二人袴のように上手に指揮するくだりも、聾になったベートーヴェンのそれを思わせ、真に迫って面白かった。

 なお監督のヘルマ・サンダース=ブラームスは、作曲家ブラームスの末裔らしく、ラストでクララが彼の最初のピアノ協奏曲を弾くあたりのキャメラにその思い入れが感じられる。



ハイドンの一撃に震撼させられしはいつの日かさらばわが青春の東京カルテット 蝶人

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