あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2014年卯月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-30 10:07:34 | Weblog


ある晴れた日に第230回


なにゆえに今年の春はまだ来ない我が家の桜がまだ咲かぬから

なにゆえに右の毛だけが禿げたのか耕君がそこを激しく叩くから

なにゆえに急に耕君はドモルようになったのか悪いやつらが圧迫したから

なにゆえに阪神は万年駄目トラなのか虚人を巨人と勘違いしているから

なにゆえにわが長男は自閉症になりしやわがニコチンを胎児に喫ませしゆえ

なにゆえに消費税をまた上げる民草の生きる力をまた奪うため

なにゆえにS席のみ売れ残りたるコンサートなにゆえC席をもっと増やさぬ

なにゆえに2時半に夕刊を配るオートバイいくらなんでも早すぎないか

なにゆえに短歌入選で葉書10枚プレゼントこれが朝日と日経の違いか

なにゆえに真夜中に短歌は生まれるさあ飛び起きて手帖に記せ

なにゆえにまずモザールを愛さぬかバッハを好みアルバンベルク聴くとふ岡井隆

なにゆえにハンミョウを有毒という毒々しけれど無毒の昆虫なるに

なにゆえに過去の記憶がまたよみがえるあらゆる記憶を蓄積し続ける君

なにゆえに神戸の街はハナミズキだらけ安藤忠雄がそう決めたから

なにゆえにおかしくもないのにゲラゲラ笑うそれも処世の知恵かも知れぬ

なにゆえにときおりは立ち上がってワオワオグワアアと吼えぬか三越のライオン

なにゆえに大阪では街中にプールが多いのか「モータープール」とは駐車場なりき

なにゆえに煙草の煙を憎むのかそれが障がい児を生んだと信じるゆえに

なにゆえに子猫を殺したと新聞に書く作家以前の人間がおかしい

なにゆえに子猫を殺したと新聞に書く百のノラ読み給え

なにゆえにピリオド楽器の演奏は嘘臭いのか古楽器自体が胡散臭いから

なにゆえに豚の丸焼きを無理喰いしたのか膵炎になって死んでしまった藤巻百貨店

なにゆえに密室で歌だけを詠んでいる原発にも秘密保護法にも口を噤んで

なにゆえに外の世界ばかり追いかける心の奥に沈み行くべし

何ゆえに蓮の葉っぱをちょん切って川に捨ててしまうのか依然謎多き我が家の自閉症者

なにゆえに心かくは羞じらう心は七彩のアジサイの花ゆえに

なにゆえにしょうぐあいしゃのむすこをもつきみがしょうぐあいしゃになってしょうぐあいしゃのははをかいぐぉしているそれもしょうぐぁないことなのか 

なにゆえに私は歌をうたうのか愛する天使を讃えるために

なにゆえにコンピューターにプロ棋士が負けるのか機械に負ける人間あわれ



なにゆえにそんなガラケーを大事にしてるガラパゴス島が大好きだから 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋谷には、行ってはならない。~「これでも詩かよ」第78番

2014-04-29 09:32:04 | Weblog


ある晴れた日に第229回


渋谷には、行ってはならない。
とりわけ渋谷の地下に降りてはならない。

行ってはならぬといいながら、私は渋谷に近づいてゆく。
どんどんじゃんじゃん近づいていく。

JRのすぐ傍にかつて東横線があり、東横線の下には東急のれん街があった。
ある日私がのれん街を足早に歩いていると、どういう風の吹きまわしだか
誰かの髪の毛を覆っていたネットの細かい糸が、私の上着の右のボタンに絡んでしまった。

いったいどうしてそんなことになったのか、どうしてそんなことがあり得たのか、いま考えても不思議で仕方がないのだが、実際にそれは起こってしまったのだ。

「アイタタタ、イタタタ」という悲鳴に、私がその声の主の傾いた顔を見ると、知り合いの広告会社のおばさんだった。
ちょっと狆のような顔をした私の苦手な粘液質タイプの営業ウーマンだった。

私が懸命にネットとボタンのもつれを解消しようと悪戦苦闘している間も、
おばさんは「アイタタタアイタタ」と悲鳴を上げていたから、
よっぽど痛かったのだろう。

やっとこさっとこもつれにもつれた黒い糸を取り外すことに成功した私が、改めて彼女に「申し訳なかった」と詫びていると、狆顔のおばさんはわが社に営業に来る時とはうって変わった怒りに満ち満ちた凄い顔付きになって、挨拶もせずにJRの通路の方へ立ち去った。

おそらく、私がどこの誰だか、気が付きもしなかったろう。
一人暮らしの彼女が強盗に押し入られ、殺されたと聞いたのは、それからまもなくのことだった。

渋谷には、行ってはならない。
とりわけ渋谷の地下に降りてはならない。

行ってはならぬといいながら、私は渋谷に近づいてゆく。
どんどんじゃんじゃん近づいていく。

渋谷の地下へ降りてゆけば、すぐさま西も東も分からなくなる。
たちまち自分が自分でなくなってしまうのだ。

地下には真昼間でも誰もいない。そのかわりにいつでも見えない亡霊のようなものがいて、君のすぐ傍を歩いている。

亡霊のようなものの数は、夕方になるとどんどん増加して、夜ともなれば暗闇の中で、うじゃうじゃしている。三々五々相当不気味な会話を交わしている。

われ亡霊に語れば かれまたわれに答う
われ亡霊に微笑めば かれもまたわれに微笑む
われ亡霊に近づけば かれまたわれに近し
かくて日一日刻一刻とわれらが再会の時近づきぬ

渋谷には、行ってはならない。
とりわけ渋谷の地下に降りてはならない。

行ってはならぬといいながら、私は渋谷に近づいてゆく。
どんどんじゃんじゃん近づいていく。


なにゆえに心かくは羞じらう心は七彩のアジサイの花ゆえに 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エドワード・ズウイック監督の「ブラッド・ダイヤモンド」をみて

2014-04-28 08:10:08 | Weblog


bowyow cine-archives vol.638


先進国の都会のショーウインドウを華麗にきらめいているダイアモンドは、じつはアフリカの貧困国の貧しい労働者を血祭りにあげ、徹底的に搾取するグローバルな経済構造の中から誕生していることをあばく社会派ドラマである。

テーマは立派なものであるしレオナルド・ディカプリオ選手が熱演しているが、映画としてはつまらない。こういう場合には「お疲れ様互でした」と言って別れることにしようではないか。



なにゆえに豚の丸焼きを無理喰いしたのか膵炎になって死んでしまった藤巻百貨店 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本周五郎著「ながい坂上下巻」を読んで

2014-04-27 09:16:21 | Weblog


照る日曇る日第670回&671回


著者が、生涯の最後に遺した大長編小説である。

小さな藩の平侍として生を享けた主人公三浦主水正が、さまざまな艱難辛苦に耐えながら、みずからの望みではなかったが、ついに城代家老の要職に就くまでの、ある意味で立身出世の、またある意味では江戸時代を懸命に生きた青年のビルダングスロマンである。

主人公が長い坂を登るようにしてゆるゆると登りつめてゆく道中には、太刀廻りあり恋の鞘当てがあり、謀反や大陰謀が待ち伏せしているという波瀾万丈の物語であるが、主人公の妻であるつるの、男勝りの外観に秘められた女の生と性の激情が、はじめは処女の如く終わりは脱兎の如く描かれていて、いわゆるひとつの周五郎節のあざやかな展開と演奏には脱帽せざるをえない。

しかしここでもっと注目すべきは、「ながい坂」という題名である。いや題名で使用されている「ながい」という形容詞の表記だろう。

小説でもエッセイでも文章で重要なのはその内容であるが、その内容をきわだたせる為の文章表現も劣らず大事である。この点に関しては(かの悪名高き塩野七生をのぞく)大多数の作家がひとしく留意しているが、とりわけ意識的で敏感だったのは、昔なら夏目漱石、最近では吉本隆明と司馬遼太郎ではないだろうか。

漱石ははじめ「心」というタイトルで連載していた新聞小説を岩波書店から出版するときには「こころ」ならぬ「こゝろ」という表題に変更した。

司馬遼太郎は、みずからの文章をおおむねひらかなを主軸としたやわらかな喋り言葉で書きながら、論旨のエッセンスに該当するような箇所にはあえて難解な名詞を漢字で書き込み、それが中心点となるグラフィックの世界をページ毎にレイアウトしていった。

またわが国を代表する詩人でもある吉本隆明が、彼の評論を記述する際に、その論旨の要点を文章の周縁部から劇場的に際立たせるために、「ちいさい」という形容詞や「ひとつふたつ」という数詞、あるいは動詞にもあえてひらかなを多用したことは良く知られている。

こういうやりくちをもちろん熟知していた山本周五郎は、この小説の題名を「長い坂」とせずにあえて「ながい坂」とヒラクことによって、主人公ともはや完全に一体化した長期に亘る激烈な心身の争闘のながさと重さに、私たち読者が想いを馳せ、それを体感してもらうおうと願ったのである。


     なにゆえにピリオド楽器の演奏は嘘臭いのか古楽器自体が胡散臭いから 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢は第2の人生である 第11回

2014-04-26 10:29:10 | Weblog


西暦2013年霜月蝶人酔生夢死幾百夜


久しぶりに音響の不気味なサントリーホールへ行ったら、背中どころかケツ丸出しの超妖艶女流ピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリ嬢が髪振り乱して演奏していたので、超興奮した私が舞台に上がってバックからクイクイ犯したのに、平然とリストを弾いているのだった。11/30

みなし子ハッチになってしまった私の遺産を狙って、親戚の者たちがいろんな悪さや嫌がらせをしていたが、私はじっと我慢を続け、いずれは彼らを見返してやろうと虎視眈々とその機会を窺っていた。11/28

お尋ねものとして放火、窃盗、恐喝、婦女暴行などをやりたい放題の乱行を繰り広げていた私。とうとう十手のお縄を頂戴して市中引き回しの上磔となったが、なんの後悔もなかった。11/28

私を「どうしようもないデクノボウで世界一卑怯な奴!」と罵ったその最高権力者めがけて突進した私は、その憎らしい顔を靴で踏みにじり、足蹴にして川に突き落とすと、まわりの連中は、あっけに取られてお互いに顔を見合わせるのだった。11/27

ダイアナ妃ともども我々は山中で孤軍奮闘したのだが、多勢に無勢武器弾薬も尽きたので、次第に前線から後退を余儀なくされていたが、そのときどこからともなく飛来した敵弾が、しんがりの中尉の頭を貫通したので、彼の頭は柘榴のようにはじけた。11/26

いろんなメディアで短歌や俳句を募集しているというので、どんどんネットで応募していたが自宅の電話番号を間違えたまま投稿してしまったことに気が付いた。自分としてはかなり自信作だっただけに、悔しいというか、耄碌したというか眠っていながら目の前が暗くなる想いだった。11/25

マムシは危険だし好きではないが、こいつに出会うと捕まえてすぐに叩き殺すか、体調が良く元気な時は、彼奴の頭を口の中で噛み切ることにしている私だった。11/24

海に向かって開かれた細長い洞窟が、私の住居だった。「ここは狭いから、余計なものは全部捨てるんだ」と隊長がいうとおりにしていたのだが、次々に宅急便がいろんな物を送り届けたので、すぐに手狭になってしまった。11/23

私たちはその海岸で多くの魚を捕まえたが、隣の北朝鮮の倉庫には魚どころかなにも置いてなかったので、彼らを魚料理の宴に招いたのだが、誰もやってこなかった。11/22

戦争の捕獲品をラクダに乗せて帰国した私たちだったが、その配分を巡って仲間がいちゃもんをつけてきたので、私は頭にきて「それなら全部お前たちにくれてやる」と怒鳴って席をたった。11/20

展示会が終わったら好きなCDを貰っていいといわれた」とイケダノブオがいうので、私は「誰から?」とにらみをきかせ、それらのCDを全部ゼンタロウに渡して「お前が入用な奴を抜いて残りを俺に返せ」と冷たく言い放った。13/11/19

出版社の入社式の夜に出来て仕舞った知花クラクラ嬢は美術雑誌課に、私は文藝誌課に配属された。広大な編集部の真ん中にビオトープの池があり、昼休みに私が茶色い亀を放り込むと、大口を開けた鰐がたちまちそいつをかっ喰らったので、クラクラ嬢は失神してしまった。11/18

地方から出てきたばかりの私が、どの列車に乗ればいいのか東京駅で迷っていると、いかにも洗練された親切な青年が、「これに乗ってここで降りなさい。僕も一緒に途中まで行きますから」と言ってくれたが、発車しても姿が見えないと思いきや、ホームの先端で飛び乗って来た。11/17

その若い男の本当の職業は実は投資家で、「2千万の原資でたちまち2億2千万円を手にしたことがあります。もしあなたがお金に困っていたら私がなんとかしてあげますからそう言ってください」と朗らかに語るのであった。

「どんな難しい命題でも即座に読み解いてみせましょう」と自信満々で請け合うので、私が気になっていた禅の公案の意味を問うと、その男は私からかなり離れた場所にどかりと腰をおろし、無言のまま部厚い唇をゆっくりと動かすのだった。11/17

信じなければならないのにどうしても信じきれない仲間に対する乾坤一擲の犠牲的精神を発揮して、私は腹腹爆弾のスイッチをその仲間に託し、権力の中枢部へと単身突入していった。13/11/16

突然変異が起こったのか、従来の日本人が備えていた構成要素以外の遺伝子を持つ子供たちがどんどん生まれるようになってしまったので、全国民がパニック状態に陥った。11/15

街の外れの公園で野球が始まった。バッターの私が強い打球を放つと1塁手のノノヘイが球を後逸したので、私は溝蓋のベースを蹴って全速力で2塁に向かったが、いくら走ってもベースがないし2塁手もいない。仕方なく後戻りしたらノノヘイにタッチされて、アウトになってしまった。11/14

みたこともない美しく巨大な蝶が止まっていた。鮮やかな紅色の羽根を静かに動かしている彼女の胸を、右手の親指と人差し指でそっと挟んで、三角形の硫酸紙に収めようとしていると、翼の中からやはりみたこともない美しい中小2匹の蝶が飛びだした。11/14

東京駅の近くでまたしても私は迷子になってしまった。行けども行けども横須賀線のホームに辿り付けず、おまけに私は自転車に乗ったままなのである。ようやくたどり着いた改札口の若い女性の前で法外な運賃を要求された私は、ブチ切れた。11/13

私たち南軍と東軍は激戦を繰り広げていたが、武器ではなく野球の試合で決着をつけようということになり両軍18名の選手が白熱のシーソーゲームを展開したが、9回裏の最後の攻撃で私の一打が劇的な本塁打となりついに結着がついたのだった。11/12

こうして私たちが東軍を従えていた間に、強大な北軍は西軍を屈服させ、一路南下していたが、単身丸腰で敵地に乗りいれた私の無益な戦いはやめようという提言が受け入れられ、しばしの平和が訪れたのだった。11/12

授業をしようといったん教室に入った私が、忘れ物をしたので引き返して戻ってくると、そこは文化祭の準備をする学生たちで超満員だった。机の上に立ったカトリーヌ・スパーク似の長身の学生から「センセ、ちょっとこのスカートの長さを見て下さい」と頼まれたので私は赤面した。11/11

なんのこれしきの軍勢あっという間にねじ伏せてやる、といきまいて敵陣に襲いかかった我が軍であったが、圧倒的な数を頼みにしゃにむに攻めに攻めても強固な砦を落とせず、どんどん死傷者が増えていくのだった。11/11

私は甘い顔をしたドライバー、通称「甘顔ドライバー」なのだが、レースの途中でいつもガードレールに突っ込むので、協会ではわざわざ私のために「甘顔ドライバー・スイート・スポット」という特別コーナーを作ってくれた。11/9

若い女性ばかり100人くらいが住んでいる女語ケ島にでは毎月リーダーが替わってうまく運営されていた。138/11/8

私は何週間もかけて、南北ベトナムやアフリカの僻地を行き来している。はじめそれは仕事だったはずだが、いまではそれは自分の趣味というか、それなしではおのれを制御できない生き方の基軸規範のようなものになってしまい、いったいいつになったら故郷に帰れるのか見当もつかない。13/11/7

懐かしい故郷を離れ、遊撃隊の隊長として戦場に出てから永い歳月が経ったが、久しぶりに国境の南のわが牧場に戻ると、真っ先に私を見つけた愛犬ポスが猛烈な勢いで私の胸に飛び付いたので私はその場でひっくりかえってしまった。11/6

急に戦争になってしまったので、交通網も大混乱している。ようやく新横浜までやって来たのだが、ホームに止まったまま新幹線は定時になってもさっぱり動かない。もてる限りの疎開用の荷物を車内に担ぎこんだ乗客たちは、疲れ切った表情でねむりこけていた。13/11/5

1台の砲車と1個小隊を率いた私は、敵軍が占拠する皇居目指して突撃を敢行したが成功せず、敵の砲撃で壊滅的打撃を蒙りながらもなおも旺盛な闘志を燃やしていた。13/10/5

高台にある住宅街の広場の一角に住民たちが購読しているいろんな新聞が並んでいて、住民たちはそれらを手に取りながら、ゆっくり読んだり、感想を述べ合ったりしながら、日曜の朝のひとときを楽しんでいました。13/11/3

私と近所のおばさんたちが立っている道路の目の前でタクシーが停まり、お向かいの寺尾さんの奥さんが降りるときに、座席に落ちていた千円札を「忘れ物ですよ」といって運転手に渡したので、それを見ていたおばさん連中は「偉いわねえ」と感嘆していたが、私ならそうはしないなと思った。13/11/3

大阪での打ち合わせの帰り、電車の中でまたしても例の女が「あたしもうすぐロスに行くからあんたにあげてもいいよ」と囁くのだが、私はその手は桑名の焼き蛤と思いつつ急速に暮れなずむ十三の夕景を眺めていた。13/11/2

草原に火を放たれたために、黒い煙と紅蓮の炎が私に向かって押し寄せた。もうどこにも逃げ場はない。完全に退路を断たれた私は、いよいよその時が来たと覚悟を固めた。13/11/1



なにゆえにしょうぐあいしゃのむすこをもつきみがしょうぐあいしゃになってしょうぐあいしゃのははをかいぐおしているそれもしょうぐあないことなのか 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母に捧げる歌 自西暦2009年至2014年

2014-04-25 08:40:14 | Weblog



ある晴れた日に第228回


天ざかる鄙の里にて侘びし人 八十路を過ぎてひとり逝きたり

日曜は聖なる神をほめ誉えん 母は高音我等は低音

教会の日曜の朝の奏楽の 前奏無みして歌い給えり

陽炎のひかりあまねき洗面台 声を殺さず泣かれし朝あり

千両万両億両すべて植木に咲かせしが 金持ちになれんと笑い給いき

白魚のごと美しき指なりき その白魚をついに握らず

そのかみのいまわの夜の苦しさに引きちぎられし髪の黒さよ

うつ伏せに倒れ伏したる母君の右手にありし黄楊(つげ)の櫛かな

我は眞弟は善二妹は美和 良き名与えて母逝き給う
 
母の名を佐々木愛子と墨で書く 夕陽ケ丘に立つその墓碑銘よ

太刀洗の桜並木の散歩道犬の糞に咲くイヌフグリの花

犬どもの糞に隠れて咲いていたよ青く小さなイヌフグリの花

千両、万両、億両 子等のため母上は金のなる木を植え給えり

滑川の桜並木をわれ往けば躑躅の下にイヌフグリ咲く

犬どもの糞に隠れて咲いていたよ青く小さなイヌフグリの花

頑なに独り居すると言い張りて独りで逝きしたらちねの母

わたしはもうおとうちゃんのとこへいきたいわというてははみまかりき

わが妻が母の遺影に手向けたるグレープフルーツ仄かに香る

瑠璃タテハ黄タテハ紋白大和シジミ母命日に我が見し蝶

犬フグリ黄藤ミモザに桜花母命日に我が見し花

雪柳椿辛夷桜花母命日に我が見し花

真夜中の携帯が待ち受けている冥界からの便り母上の声

われのことを豚児と書かれし日もありきもういちど豚児と呼んでくれぬか



一本の電信柱の陰にして母永遠に待つ西本町二十五番地 蝶人



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐々木愛子歌集

2014-04-24 16:18:14 | Weblog


ある晴れた日に第228回


昨日は私の母愛子の命日でしたので、その冥福を祈るために生涯アマチュアの歌詠みであった彼女の全歌集をここに採録しておきたいと存じます。母の霊よ安かれ!


つたなくて うたにならねば みそひともじ
ただつづるのみ おもいのままに   

七十年 生きて気づけば 形なき
蓄えとして 言葉ありけり 
    
1995年4月
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ
 小さく青き 星にあいたく
                   
1992年5月
五月晴れ さみどり匂う 竹林を
ぬうように行く JR奈良線

なだらかに 丘に梅林 拡がりて
五月晴れの 奈良線をゆく

直哉邸すぎ 娘と共に
ささやきのこみちとう 春日野を行く

突然に バンビの親子に 出会いたり
こみちをぬけし 春日参道

          
1992年7月
くちなしの 一輪ひらき かぐわしき
かをりただよう 梅雨の晴れ間に

梅雨空に くちなし一輪 ひらきそめ
家いっぱいに かおりみちをり


15,6年前の古いノートより
いずれも京都への山陰線の車中にて

色づける 田のあぜみちの まんじゅしゃげ
つらなりて咲く 炎のいろに

あかあかと 師走の陽あび 山里の
 小さき柿の 枝に残れる

山あひの 木々にかかれる 藤つるの
 短き花房 たわわに咲ける

谷あひに ひそと咲きたる 桐の花
 そのうすむらさきを このましと見る

うちつづく 雑草おごれる 休耕田
 背高き尾花 むらがりて咲く

刈り取りし 穂束つみし 縁先の
 日かげに白き 霜の残れる

PKO法案
あまたの血 流されて得し 平和なれば
 次の世代に つがれゆきたし

もじずりの 花がすんだら 刈るといふ
 娘のやさしさに ふれたるおもひ

うっすらと 空白む頃 小雀たち
 樫の木にむれ さえずりはじむ

1992年8月
娘達帰る
子らを乗せ 坂のぼり行く 車の灯
 やがて消え行き ただ我一人

兼さん(昔の「てらこ」の番頭さん)の遺骨還りたる日近づく
かづかづの 想い出ひめし 秋海棠
 蕾色づく 頃となりたり

万葉植物園にて棉の実を求む
棉の花 葉につつまれて 今日咲きぬ
 待ち待ちいしが ゆかしく咲きぬ

いねがたき 夜はつづけど 夜の白み
 日毎におそく 秋も間近し

なかざりし くまぜみの声 しきりなり
 夏の終はりを つぐる如くに

わが庭の ほたるぶくろ 今さかり
 鎌倉に見し そのほたるぶくろ

花折ると 手かけし枝より 雨がえる
 我が手にうつり 驚かされぬる

なすすべも なければ胸の ふさがりて
 只祈るのみ 孫の不登校

1992年11月
もみじ葉の 命のかぎり 赤々と
 秋の陽をうけ かがやきて散る

おさなき日 祖父と訪ひし 古き門
 想い出と共に こわされてゆく

老祖父と 共にくぐりし 古き門            
 想い出と共に こわされてゆく

1992年12月
暮れやすき 師走の夕べ 家中(いえじゅう)の
 あかりともして 心たらわん

築山の 千両の実の 色づきぬ
 種子より育てし ななとせを経て

手折らんと してはまよいぬ 千両の
 はじめてつけし あかき実なれば

師走月 ましろき綿に つつまれて
 ようやく棉の 実はじけそむ   「棉」は綿の木、「綿」は棉に咲く花

母の里 綿くり機をば 商いぬと
 聞けばなつかし 白き棉の実

1993年1月 病院にて
陽ささねど 四尾の峰は 姿見せ
 今日のひとひは 晴れとなるらし

由良川の 散歩帰りに 摘みてこし
 孫の手にせる いぬふぐりの花

みんなみの 窓辺の床に 横たわり
 ひねもす雲の かぎろいを見つ

七十年 過ごせし街の 拡がりを
 初めて北より ひた眺めをり

今ひとたび あたえられし 我が命
 無駄にはすまじと 思う比頃

1993年2月
大雪の 降りたる朝なり 軒下に
 雀のさえずり 聞きてうれしも

次々と おとないくれし 子等の顔
 やがては涙の 中に浮かびぬ

くちなしの うつむき匂う そのさがを
 ゆかしと思ふ ともしと思ふ
                    「ともし」は面白いの意。
十両、千両、万両  花つける
 我庭にまた 億両植うるよ

命得て ふたたび迎ふる あらたまの
 年の始めを ことほぎまつる

おさな去り こころうつろに 夜も過ぎて
 くちなし匂う 朝を迎うる

炎天の 暑さ待たるる 長き梅雨
            

1993年9月
弟と 思いしきみの 訃を知りぬ
 おとないくれし 日もまだあさきに

拡がれる しだの葉かげに ひそと咲く
 花を見つけぬ 紫つゆくさ

拡がれる しだの葉かげに 見出しぬ
 ひそやかに咲く むらさきつゆくさ

水ひきの花枯れ 虫の音もさみし
 ふじばかま咲き 秋深まりぬ

ニトロ持ち ポカリスエット コーヒーあめ
 袋につめて 彼岸まゐりに

久々に 野辺を歩めば 生き生きと
野菊の花が 吾(あ)を迎うるよ

うめもどき たねまきてより いくとしか
 枝もたわわに 赤き実つけぬ

露地裏に 幼子の声 ひびきいて
 心はずむよ おとろうる身も

戸をくれば きんもくせいの ふと匂ふ
 目には見えねど 梢に咲けるか

秋たけて ほととぎす花 ひらきそめ
 もみじ散りしく 庭のかたえに

なき人を 惜しむように 秋時雨

村雨は 淋しきものよ 身にしみて
 秋の草花 色もすがれぬ

実らねど  なんてんの葉も  あかろみて

病みし身も 次第にいえて 友とゆく
 秋の丹波路 楽しかりけり

山かひに まだ刈りとらぬ 田もありて
 きびしき秋の みのりを思ふ

いのちみち 着物の山に つつまれし
まさ子の君は 生き生きとして      雅子さんご成婚か、不詳

カレンダー 最後のページに なりしとき
 いよよますます かなしかりける

虫の音も たえだえとなり もみじばも
 色あせはてて 庭にちりしく

深き朝霧の中、11月27日 長男立ち寄る
ふりかえり 手をふる車 遠ざかり
 やがては深く 霧がつつみぬ
            
1994年4月
散りばめる 星のごとくに 若草の
 野辺に咲きたる いぬふぐりの花

この春の 最後の桜に 会いたくて
 上野の坂を のぼり行くなり

春あらし 過ぎてかた木の 一せいに
 きほい立つごと 芽ふきいでたり

1994年5月
浄瑠璃寺に このましと見し 十二ひとえ
 今坪庭に 花さかりなり

うす暗き 浄瑠璃寺の かたすみに
 ひそと咲きたる じゅうにひとえ

あらし去り 葉桜となる 藤山を
 惜しみつつ眺む 街の広場に

級会(クラスかい) 不参加ときめて こぞをちとしの
 アルバムくりぬ 友の顔かほ        「をちとし」は一昨年の意

萌えいづる 小さきいのち いとほしく
 同じ野草の 小鉢ふえゆく

藤山を めぐりて登る 桜道
 ふかきみどりに つつまれて消ゆ

登校を こばみしふたとせ ながかりき
 時も忘れぬ 今となりては

学校は とてもたのしと 生き生きと
 孫は語りぬ はずむ声にて

円高の百円を切ると ニュース流る
 白秋の詩をよむ 深夜便にて      「深夜便」はNHKラジオ番組

水無月祭
老ゆるとは かくなるものか みなつきの
 はじける花火 床に聞くのみ       「水無月祭」は郷里の夏祭り  

もゆる夏 つづけどゆうべ 吹く風に
 小さき秋の 気配感じぬ

打ちつづく 炎暑に耐えて 秋海棠
 背低きままに つぼみつけたり

衛星も はた関空も かかわりなし
 狂える夏を 如何に過すや         

草花の たね取り終えて 我が庭は
 冬の気配 色濃くなりぬ

1995年4月
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ
 小さく青き 星にあいたく



なにゆえに私は歌をうたうのか愛する天使を讃えるために 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

檸檬~「これでも詩かよ」第76番

2014-04-23 08:33:08 | Weblog


ある晴れた日に第216回


檸檬檸檬、檸檬は苦いか酸っぱいか

京都三条麩屋町、丸善書店の本の上に置かれた檸檬爆弾

10月8日、快晴の羽田で配られた黄色い檸檬

ゼームス坂の高村邸、智恵子さんがむしゃむしゃ食べてしまった檸檬

昨日、我が家の奥さんが潰してジャムにした檸檬

檸檬檸檬、檸檬は苦いか酸っぱいか



何ゆえに蓮の葉っぱをちょん切って川に捨ててしまうのか依然謎多き我が家の自閉症児 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

J.D.サリンジャー著村上春樹訳「フラニーとズーイ」を読んで

2014-04-22 11:15:37 | Weblog


照る日曇る日第669回

こういうすんごい短編だったとは知らなんだ。まるでドストエフスキーの大審問官の巻のような強い衝撃を感じた。

素材としてはキリストとか宗教問答とかを取り扱っているのだけれど、それは表面だけのこと。

兄のズーイが落ち込んだ妹のフラニーをあの手この手で立ち直らせようと懸命に言葉を尽くしているうちに、突然「イエス・キリストその人」が、うすっぺらい文庫本の吹けば飛ぶような頁から、まるで不動明王のように如意輪観音のように立ち上がってくるのは、まさしく文学の奇跡、芸術家の魔術としか思えない。

まっことJ.D.サリンジャー恐るべし! これは「ライ麦」どころの騒ぎではない。

私はここで、彼の作品を新たに翻訳し、私の衰えた生命力を蘇らせてくれた村上春樹選手に心からお礼を申し述べたい。

ありがとうサリンジャー! ありがとう村上春樹! ありがとう文学! ありがとう私の残り少なくなった人世!



なにゆえに外の世界ばかり追いかける心の奥に沈み行くべし 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダミアーノ・ダミアーニ監督の「群盗荒野を裂く」をみて

2014-04-21 07:41:45 | Weblog


bowyow cine-archives vol.637


大きな状況としてはメキシコの貧農と大ブルジョワの階級闘争があり、権力者に歯向かう主人公たちの政治的立場が暗示されているが、小さな状況としては、金欲や性欲や権勢欲、それに不可解な男同士の友情などが月に群雲花に風であり、映画としてはもっぱら後者の軋轢や盛りだくさんないさかいをゴキブリホイホイのように喜んで追いかけているのだが、やっぱり最後は悠久の大義、偉大なる正義の大思想の突如本家帰りしてしまうというまことに格調高いというかけったいな映画であった。

小状況の世界ではやたら根拠もなく人を殺すのに、大状況の世界に入ると、もったぶった人殺しの理屈をでっちあげるところが不可解であり躓きを覚える。



なにゆえに右の毛だけが禿げたのか耕君がそこを激しく叩くから 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古井由吉著「鐘の渡り」を読んで

2014-04-20 14:51:53 | Weblog



照る日曇る日第669回


いまは平成の御代であって平安時代ではないのに、引っ越しの前夜に引っ越し先とは方角が異なる場所で夜を明かす「方違え」、頭のうちそとで幻の寺の梵鐘が微かに鳴り響く表題作も面白かったが、本書に収められた最上の短編は疑いもなく最後におかれた「机の四隅」であろう。

芭蕉最晩年の「入月の跡は机の四隅哉」という一句を枕に語り起こされるこの魂の遊離、静かな離魂の物語は、十年一日のごとく机に向かって端坐している主人公が、梅雨時の夕べにふと思い立って、家の向うの林の中の紫陽花の花盛りのほの暗い路を辿るうちに、時と所の感覚を失い、やがて元の住処に戻ろうとゆるゆら歩みながら無人の座敷の机の四隅を幻視するところで、われひと共に虚無の天地に暗溶してゆく一種の怪奇噺でもある幻想譚で、末尾には「紫陽花にわれも机の四隅かな」という一句が終止符のようにさりげなく置かれている。

著者得意の神仙自在境の魔術といえばその通りだが、人世の機微についてこれほど深々と余韻を残す短編を描ける作家はいまどきどこにもいないだろう。






なにゆえに偶には立ち上がってグワアグワアと吼えぬか三越のライオン 蝶人



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小山田浩子著「穴」を読んで

2014-04-19 08:44:27 | Weblog


照る日曇る日第668回


はじめは都会暮らしの働く女性の苦労話かと思わせておいて、ヒロインが田舎の夫の実家の傍に住むようになった段階から突如雲行きが怪しくなる。

彼女の回りでは蝉が狂ったように泣き喚き、至るところにあいている穴だの正体不明の奇妙な人物や黒い獣!までが登場するところはさながら泉鏡花お得意の怪異小説の世界を思わせる。

しかし著者の視線はあくまでも冷静であり、ホラー小説や怪奇小説を書こうとしているのではなく、とある田舎の、とある住民たちに混じって生活している若い「嫁」の日常をあるがままに叙述しているに過ぎないのだが、そうでありつつも常に漠然とした不安と狂気、何らかの異常を孕んだ不穏な空気が漂っているのが恐ろしいのである。

表面は恐ろしくないけれど、ひと皮めくればたちまち戦慄に貫かれるようなこの恐ろしさは、どこかスタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」の世界にも似ているようだが、この物語はその映画のような阿鼻叫喚をちらりともほのめかさず、じつにあっさりと終わってしまうのであって、じつはそこが「シャイニング」より一層怖いところなのである。


なにゆえに大阪では街中にプールが多いのか「モータープール」とは駐車場なりき 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢崎泰久著「人生は喜劇だ」を読んで

2014-04-18 11:23:12 | Weblog


照る日曇る日第667回


かつて一世を風靡した「話の特集」の編集長による自称、辞世の書である。

これまで波瀾万丈の人世を送ってきたが、いよいよ年貢の納め時なので、付き合いのあった著名な作家たちの人となりについて、嘘偽りを交えずにありのままを告白すると前書きしてある。

ではその内容はといえば、惚れっぽい岩城宏之の最後の相手は俵万智であり、彼女は一子をなしたが岩城はパイプカットしていたので恐らく彼の子ではないだろうとか、

山口瞳は直木賞のキングメーカーであり、色川武大を受賞させたが超多忙で遅筆の彼はその負担に耐えきれず早世したとか、

五味康佑はイカサママージャンで泣く泣く80万円の罰金を払い、柴田錬三郎はイカサマトランプで大儲けして、ために生島治郎は家を売ってその負けを払ったとか、

伊丹十三と梶山季之は誰かに殺されたとか、寺山修司はマゾだとか、大江健三郎は変節漢で、瀬戸内寂聴はエロ女の破戒僧だとか、

これまでに文化勲章を辞退したのは大江健三郎のほかには小沢昭一、永六輔、杉村春子、千田是也、岸田今日子、吉行淳之介がいるとか、

革自連設立の張本人である五木寛之は、すべての準備を著者にやらせておきながら、その旗上げの日にどこかへとんずらしてしまったとか、

まあ恐らくは本当のことなのだろうが、私にしたら「それがどうしたの?」と言いたくなるような裏話がどしどし登場する。

それよりも本書の前書きで、自分はこれまで数多くの友人知己に莫大なお金を無償で貸し与えてきたが、それらの多くが亡くなってしまい、もう取り返すすべもなくとうとう無一文になってしまった。どうしたらよいかと途方に暮れたが出版社に前借したお金で最後の本を書くことにした、と書いてあるのだが、

ではこの本が売れなければこの人はいったいどうするのであろうか。人ごとながら心配である。



なにゆえに煙草の煙を憎むのかそれが障がい児を生んだと信じるゆえに 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美神たちの黄昏 第十夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-17 14:51:12 | Weblog


ある晴れた日に第226回


「いやぁ短歌っていいですねえ」と水野晴郎さんのように言ってみる

苔がむすただ一瞬の隙もなく古希爺どもの石は転がる

糟糠の妻の水着は赤か青か三度迷いて赤を推したり

これだけは成熟したくないと思うことあり胸のうち

灰色の空より狒狒のごとく落ちてくる霏霏として降りつづく雪

如月の雪降りしきる大通り素足剥き出し女子高生が行く

凶悪犯らしき顔は二、三人指名手配の十三のうち

鎌倉の私立二小のガードレール白菊の花が飾られていて

そこのけそこのけ王様が通る我こそは右翼の国家主義者の最高権力者

どのような乱行沙汰を仕出かそうととどのつまりは想定内予定調和劇

つきつめたうえで極論言うならば写真はモノクロ音楽はモノラル

難病物と刑事物はもうやめなさいなんのカタルシシにもならないので

数知れぬ勇者が競って押しあげてそのてっぺんを金メダルという

大それた罪を犯して謝らぬ愚かな子にもみな両親はある

「殺すのは誰でも良かった」と嘯いているあの子の親が私だったら

どのような凶悪犯人にも親ありて息子に代わりて血の涙流す

トイレから出てきた妻とハイタッチ今夜も交す午前零時の安眠儀式

邪悪なる者どもによって日夜激しく汚染されつつあるこの世界よ

お隣の子供は可愛いが五月蠅うちの子供もさぞやしからむ

寂しくて空しき日には裏庭の土を穿ちて歌の井戸掘る

勤労奉仕てふ古き言葉を思いつつ雪掻きしたり向こう三軒両隣

雪庭に眠る愛犬引き具して本年も二月は疾く遠ざかる

突出せるいぼ痔を切るべきか切らざるべきか一〇キロを抱え込んだ洗濯機が呻いている

特攻隊の命中率は0.9%敵鑑撃沈率は0.08%てふ数字を知ってから泣くべきものを

一番嬉しかったのはアリストテレスが問いかける三角形の定義に正しく答えられた時

親知らずを抜くべきか否かとぐろを巻いた蝮が飛びつこうとしている

誰からも介護される当てのない君が日々黙々と母を介護す

介護される親は良けれど介護する子が介護される当て無きが悲しき

小止みなく霏霏として降る雪の片障がいの吾子もまた天の贈物


なにゆえに神戸の街はハナミズキだらけ安藤忠雄がそう決めたから 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美神たちの黄昏 第九夜~西暦2014年弥生蝶人花鳥風月狂歌三昧

2014-04-16 11:26:17 | Weblog


ある晴れた日に第225回


坂道を転げ落ちるな菜の花忌

アンドラという小国くらいがよし

DJが歯の浮くような英語で一曲紹介

ヒエラルキーの最上層ほど悪い奴下には無力なリトル・ピープルばかり

見てご覧屑でしかない人間が星屑のように輝く姿を

アバド指揮モーツアルトのレクイエムを聴く予め用意された告別の歌

またしてもニッポンチャチャと浮かれるのか北の国にて五輪はじまる

球形の荒野の果てに生きる日よ穴を穿ちて歌を埋める

ランランのピアノは影の無い太陽ひんやりとした月影が恋しい

軽々に人間の屑呼ばわり出来る人自分が屑とは知らないのではないか

自称右翼の国家主義者が積極的平和主義を唱えるとは絶対矛盾の自己同一

町内の見知らぬ人と少しずつ知り合いになるうれしさ

小泉の自立支援法のせいで障害者はひどいめにあっていると和枝ちゃんは言う

コジュケイの大家族が大島さんちから平尾さんの庭へトラップファミリーのように移動していった

カシミアの柔らかさに慣れてしまったこの私もはやアクリルを着ることはできない

それでもなおこの惑星は浮いている誰かが愛の力を信じているから

コルトーのショパンあくまで暖かく禍福はあざなえる縄のごと

性交のあれやこれやをレポートするここは恥知らず人世劇場

ビヨンセが全身の汗を拭いて投げ捨てたタオルを口に押し当ている男

結社にて三々五々俳句を詠む人よ国家秘密に抵触するにあらずや

「次の順番はこのムシュウーでしょう」と巴里の八百屋にマダム言いけり

若獅子の7機がジェラルミンの盾をもてわが額を斬り裂きし傷いまも残れり

かわかわのくこうくんといいながら往来をぶらつく人となりにけり

八十を過ぎたる歌人が性交の後の思いを詩に綴るその繊細なる放胆さ

故郷の仏壇の下の暗がりに怪しく輝く紫水晶ぷんと匂う

物置に安置してあるイマージュを取り出してはまた元に仕舞う

ぺらぺらと善からぬ企てしゃべりおる顔も口調も嫌いなこの国の宰相

良心に照らしていささかも恥じることなきや外国人蔑視差別

あれだけのことしてやった見返りがただこれだけとはあれでも人かよ

最新型のゴジラが突如現れて憎まれ者の顔踏み潰すだろう

瞬きしかできぬ身体になりつつもなお悪巧みする心の暗闇



    なにゆえに子猫を殺したと新聞に書く百のノラ読み給え 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする