あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2023年師走蝶人映画劇場その5

2023-12-31 11:11:48 | Weblog

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3471~75

 

1)ガブリエル・レンジ監督の「スターダスト」

デビッド・ボウイの2020年の自伝映画なり。

 

2)パク・ヌリ監督の「金の亡者たち」

2020年の面白い韓国映画。ただ金持ちになりたかった青年が実際に金持ちなるまでをドラステイックに描く。

 

3)ウェス・アンダーソン監督の「グランド・ブダペスト・ホテル」

2013年製作のどたばたコメディ。ツバイクの原作らしいが、いったいどこが面白いんだか。寝る。

 

4)デスティン・クレットン監督の「黒い司法」

無実の民を死刑にするアラバマ州の黒人差別と不法と断固として戦う黒人弁護士の感動的な2020年の実話映画。

 

5)スティーヴ・マックィーン監督の「シェイム」

物凄いセックス依存症が出てくる2011年製作の英国映画。もはやセックスに依存しなくなった老残のみゆえ羨ましいくらいだが、まったく共感するものがないずら。

 

    マリオ・トラベルソーてふ言葉がふと浮かぶ70年代イタリアの婦人服なりしが 蝶人

 

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「祖父佐々木小太郎半生記」~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-12-30 09:39:54 | Weblog

 

遥かな昔、遠い所で 第118回

第4話 株が当たった話 その4

 

私の貧乏あずりは、父が隠岐へ逃げた大正元年と翌二年とが最もひどく、三年を境目に下駄屋の方がだんだん順調にいきだして、だいぶん楽になり、四年、五年と大いに株で儲けて株成金といわれるまでになったのである。

 

父については次節で述べるが、大正元年に隠岐へ逃げて四年越して五年には失敗して家へ帰ってきた。この父に対して、私はまだ十分打ち解けることはできなかったけれど、父の代に重なった大変な借金ももはやきれいに返してしまったし、最初差し押さえの封印を解いて貰う時には、随分無理を言ってまけてもらった借金もあるので、そうした向きへは後から改めて挨拶し、どちらへ向いてもアタマのあがらんようなところはなく、帰ってきた父としても肩身の狭い思いをせずに済むように、世話になった人には、十分の上にも十分の感謝をし、親戚、知友、隣近所の人たちにも、私たちのよろこびをともに喜んでもらおうと思い切った大祝いをした。

 

まず一石の餅を一週間かかって搗き、その頃の銘酒「正宗」と「福娘」の樽を二挺買い込み、親族故旧、隣保朋友を交々招き、毎日芸者三四人をあげて、一週間の盛宴を開いた。株券や銀行の預金帳を三宝に載せ、「これだけが私の財産です」とみんなに公然と披露した。

 

私は、決してこんなことを、見栄や自慢でやったのではない。いわんや、さんざん苦しめられた債権者や困った時何の助けもしてくれなかった親類にあてつけでしたのでもない。あの時すげなくされたことは、皆私にとって薬だった。

 

父の道楽が、私を貧窮のどん底に陥れたことも、同じく私への良薬だった。甘やかされずに神の試練を満喫させられたからこそ、私も発奮し、神も助け給うたのである。

かく思う時、今は何もかも感謝であり、その感謝の微衷を表すだけのことをしたのである。

 

この時芸者を大勢呼んだものだから、私は急に芸者にもてるようになり、付きまとわれだした。私は三十三でまだ若かったし、ウカウカするとこの誘惑に陥って、父の二の舞をやりはしないかと、我ながら心配になった。

 

宴会に出たり、人を呼んだり呼ばれたり、押しかけ客もあったりして、酒を用いる機会が非常に多くなって、時間と金銭の浪費がおそろしくなった。かねて何事も波多野翁を目標とし、翁に倣っていけば間違いないと信じていた私は、翁の信仰するキリスト教に心を惹かれていた。

 

翁の受洗したのは、今の私と同じ三十三の年だった。私もここで入信して、シッカリと身を固めようと思い、教会通いを始めた。私は「波多野翁から洗礼を受けたい」と無理をいっていたが、大正七年二月二十三日、翁は突如として脳溢血で急逝されたので、その直後の三月十日、私は丹陽教会牧師、内田正氏から洗礼を受けた。

 

いわば悪魔よけにキリスト教に入ったといえば、いえないこともない。世間からもそう見られたようだが、思えば十二才の時母の眼病を観音様に祈った時から、苦しい時の神頼みに、稲荷様、金毘羅様、座摩神社、北向きのえびす様と、種々雑多の神様、仏様を祈ったものだが、いずれもそれぞれ奇跡的の感応を受け、「祈らば容れられる」という私の幼稚なおすがり信仰が、波多野翁崇拝と結びついて、私をキリスト教に行かせたのであって、結局「行くべき時、行くべきところに行きついた!」のである。

 

これこそ神の御摂理である。今の私は、信ずることによって、いかなる苦痛困難も、必ずみな喜びと感謝に代えて下さる神の御恵みを思い、ますます信仰より信仰へと努めはげみ、取るに足らないこの身ながら、聊かにても神の御栄光を顕わすことに精進して、神と人への奉仕に努力している。

 

「ゆううつ」とか「憂うつ」ならば普通だが「憂鬱」ならば本物の鬱 蝶人

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「祖父佐々木小太郎半生記」~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-12-29 10:28:49 | Weblog

遥かな昔、遠い所で 第117回

第4話 株が当たった話 その3

 

この時翁は、右の宥座の器の訓に次いで、「積極と消極」ということについて教えられた。この言葉は当時一般の人にはまだ耳うとい、いわば知識人に使われていた新語といったようなもので、翁はこの新語解説にことよせて、私に処世の要諦を説いたのである。

 

「積極」については、「自分に確信があったら、冒険と思われるようなことでも、勇気を奮ってドンドンやれ!」と説かれたものだ。この時私の持っていた七拾八株は主として在来の旧株ばかりで、少数の優先株が交っていた程度だったが、この頃はすでに郡是はつぶれない、きっとよくなる、という確信と、私の財力にも多少の余裕が出てきた関係から、引き続き優先株買いに狂奔することができたのである。

 

それがためには随分剣の刃を渡るような冒険もやったものだ。津山の武蔵野旅館に泊まった時も、最初百円のチップと偽装札束を預けていちおう大尽風を吹かせてみたものの、着替えの時、旅館が蒔絵の美しい衣装箱に入れて出したのは、黄八丈のドテラにコリコリした縮緬の兵児帯、私の脱いだのは袖口の切れかけた袷にヨレヨレの木綿の帯! それを女中が丁寧に畳んで衣装箱に納める時には、私は冷や汗が出た。

 

そんなことから偽装札束のトリックがばれはしないかと、毎日気が気でならなかった。時々金庫から偽装札束包みを出してもらって、大きくしたり、小さくしたりして預け替えた。

 

金のやりくりには格別苦心したもので、店で使っていた二三人の若者を、津山、綾部間を往復させて株の売り買い、その他金策を機敏にやらせたもので、丹波紀文はついに化けの皮を現さずに最後までやりおおせて、まず存分に儲けたものだ。

 

それもこれも若さのさせたことではあるが、一は私の波多野ビイキ、郡是ビイキのさせたわざ、なお波多野翁積極の教えに刺激され、元気づけられたことも多く、やはりこの時も何ものかが乗り移っていたような気がする。

 

こんなわけで私は、案外早く貧乏あずりから脱することができて世間が明るくなり、私自身にも元気が出、青年仲間からも立てられて、その頃選挙の取り締まりが苛酷で、町の高倉平兵衛氏などが選挙違反で検挙された時、義憤に燃えて私が急先鋒になり、年長者で声望のある医師吉川五六氏を会長とし、町内青年の幹部を糾合して大いに官憲の横暴を鳴らし、間もなく今度は郡是応援の町民大会を開き、これには大島実太郎氏のごとき名士も同調し、波多野翁も演壇に立って声涙共に下る感謝の演説をされたもので、これが優先株の引き受けを容易にして、郡是の危機を救う上に役立ったものである。

 

これが二日会の発端となり、この二日会は今日も続いて市民の健全かつ有力なる世論機関となっている。数奇な運命に弄ばれ、しばしば逆境に苛まれつつも、まんざらすくんでばかりもいず、私は私なりに青年時代にふさわしい血の気の多い思い出もある。

 

    大谷や藤井について語りつつ我亡き後の未来を語る 蝶人

 

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「祖父佐々木小太郎半生記」~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-12-28 14:31:20 | Weblog

 

遥かな昔、遠い所で 第116回

第4話 株が当たった話 その2

 

一方、蚕具の方も専門技術者に好評を博し、郡長から町村長への紹介状を貰って売って回ったのだから、これもよく売れた。

 

戦局が進むにつれて、世界の金が米国に集まり、米国の好景気を反映して、糸況も日を追って好転し、郡是株もメキメキあがった。津山ではまだ十二円五十銭で楽に買えるのに、綾部ではすでに二十円もするようになり、毎日綾部から電報で相場をいってくるのを見て、「今日は一億円儲かった」と思った日が、三日も四日もあった。

 

蚕具の方は、後に大成館が会計の不始末で破産同様になり、私は旅費を出してもらったくらいのことで、売上から貰うはずの割り前は一文も貰えなんだが、そんなことは何でもなく、片手間仕事の株買いで大もうけをして、昨日の貧乏から一躍して、小型ながら株成金と地元の人から謳われるようになった。

 

郡是は翌五年には百億円近い大儲けをして、一挙に頽勢を挽回し、五月には優先株を抹消し、資本金二百億円となり、将来の大飛躍が約束され、株価はグングンあがった。まったく波多野さんの手腕と徳望の然からしむるところ、私の予想はちがわなんだ。

 

大正五年三月の郡是株主名簿を見ると、三千余の株主中、私は第二十五位の大株主になっていた! といっても持ち株はわずか七拾八であるが、この時の郡是は、まだ何鹿郡以外には出ていない時で、私以上の二十四人の株主といえば、波多野さんをはじめ葉室一統の人々、その他地方にソウソウたる素封家揃い! 私などとは提灯と釣鐘以上に何もかも段違いの人たちばかりだったのである。

 

昨日まで借金取になやまされて、日本一の貧乏人だと思っていた身で、「いったいこんなことでいいのか」と私は迷った。そこでさっそく波多野さんのところにお礼かたがた相談に行った。(この一条は「波多野鶴吉翁伝記」にも載せられている。以下これを引用する。)

 

……すると翁は、ありあわせの紙に宥座の器を描き、「この器は平生は傾いておる。水を注いで半ばに達すれば、正しく真直ぐになる。なお注いで一杯にすれば、覆ってしまう。君も自分の財産との釣り合いを考えて、ほどほどに株を持っとれば好い。私などはしょうことなしに今度はたくさんの株を持たされて、払い込みの準備などあるわけでなく、全く困っている。君もいつ払い込みがあっても構わぬ程度の株を持っとるのでなくてはいけない」といわれた。

 

なお宥座の器のことは荀子宥座篇にあり、魯の恒公の廟にあるもので、孔子がこれについて教えを垂れている。ただし翁は、その愛読せる「二宮翁夜話」にこの記事あるに拠ったものであろう。

 

     韓国の漁船に釣られ我が国の沼津でヒライたアジの開きだ 蝶人

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「祖父佐々木小太郎半生記」~佐々木小太郎古稀記念口述・村島渚編記「身の上ばなし」より

2023-12-27 09:26:28 | Weblog

 

遥かな昔、遠い所で 第115回

第4話 株が当たった話 その1

 

親戚 哉 賜る

大正3年、欧州戦争が勃発して糸値暴落し、郡是製紙会社は払込資本金十四億円余に対して、三十億余円の大損をした。「郡是はつぶれる」という噂が高く、二十円株が四、五円の安値に落ちた。

 

波多野翁に満幅の崇敬と信頼を払い、大の郡是ビイキだった私は情けなくてたまらなかった。波多野さんほどの人のやる仕事がつぶれるような気づかいはない。今悪くてもきっと立ち直ると私は確信し、金があればあの際限もなくさがっていく株を片っ端から買って、郡是を救いたい。波多野さんを助けたいと思ったが、まだ借金地獄にあえいでいる私に、株を買うような金なんて一文だってありはしない。

 

その頃、蚕業講習所拡張のため、そばにある私の所有地、三畝歩あまりの桑園を売ってくれと教師の西村太洲君から話があった。

 

その時私は、ようやく差し押さえをといてもらうだけの返済は果たしていたが、まだ残りの借金が山ほどあって、この桑園も二重三重の抵当に入っていたから、西村君に「売るにしてもこの借金払いをしてからでなくてはいけないし、そんなことをしたところで、私の手に入る金よりも債権者に払わねばならん金の方が多いにちがいないから、余裕のない今の私にはとてもできない」というと、西村君は、「そこはうまくやるつもりだから、まかしてくれ」という。

 

しばらくすると西村君がやってきて、「万事うまくいって、これだけ余った」といって、五十四円という少なからぬ金を、私に呉れたのである。まるで夢のような話で、何だかタダからお釣りをもらったような気がした。

 

この天から降ったような金で、私はドン底まで下がり切って捨て値になっている郡是株を買いあさった。百姓は株がきらいで、タダにならぬ間にと誰も彼も売り急いでいた。

私は綾部付近から和木、下原の方へ行って買った。買った株はすぐ抵当に入れて金を借り、その金でまた買い買いした。高木銀行がよく便宜を図ってくれた。

大正四年になると、郡是は窮余の策として六十億円に増資し、優先株を発行したが、その優先株が非常に有利な条件がついていたにもかかわらず、すっかり嫌われて、払い込みの十二円五十銭ならいくらでも買えた。

 

その頃私は、蚕具の催青器を発明し、続いてオタフク懐炉を発明して実用新案をとり、これは波多野さんに推奨されて大成館(蚕種製造会社、郡是の別働隊)から発売され、私はその宣伝のために各地を回った。

 

そのついでに私は、三丹地方ばかりではなく、その頃分工場や乾繭場が新設されて、郡是の新株式の特に多い津山、木津などへ行って、優先株を買いあさった。津山では武蔵野という一流旅館を本陣とし、いきなり女中に百円のチップを渡し、紀の国屋文左衛門の故智?に倣って、実は新聞紙が中身の札束包みを主人に預け、その主人の紹介で津山製紙会社の重役をしている田中、倉見という地元に信用のある人物を頼んで、地方の株主が売りたがっている優先株を、当時地方値は払い込み以下であったが、すべて払い込み額十二円五十銭で買うことにし、両氏は熱心に活動してくれて、買うて買うて買いまくったものだ。

 

    轢かれたのが軽だから助かった普通車ならば死んどったろう 蝶人

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鎌倉芸術館で「小津安二郎とブンガク展」をみて

2023-12-26 09:25:53 | Weblog

鎌倉芸術館で「小津安二郎とブンガク展」をみて

 

鎌倉ちょっと不思議な物語第455回

 

生誕120年を記念して去る19日まで開催されていた小津安二郎(1903-1963)のイササカ文学方面に偏らせた小さな展覧会でした。

 

これは本来ならば鎌倉文学館主催のイベントですが、生憎文学館は長期改修工事中なので、急遽別会場での開催となったのでしょう。

 

小津は映画監督として見事な花を咲かせましたが、会場に飾られた書画や手帳、時計、家具、愛蔵品などを一覧すると、絵画や美術、デザイン関係でもかなり良い仕事ができた人ではないかな、という気がします。

 

彼の代表作に登場した赤い薬缶ひとつとってみても、彼の洗練された色彩感覚と北欧調のデザイン趣味は凡百の映画監督、作家、クリエーターの美意識の水準を遥かに凌駕しており、それはお気に入りの英国製懐中時計ベンソンや超細字のモンブランで克明に手帳に記された日記を見れば一目瞭然。

 

これらの遺品は、彼が中原中也の黒いマントや夏目漱石の美しい名刺と並ぶ高等遊民のセンスの良さの持ち主であったとことを雄弁に物語っているのでした。

 

    昭和30年鎌倉市北鎌倉だけで小津安二郎に届いた志賀直哉の手紙 蝶人

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鎌倉市鏑木清方記念美術館で企画展「春を待つ―清方が描いた新春」をみて

2023-12-25 09:13:07 | Weblog

鎌倉市鏑木清方記念美術館で企画展「春を待つ―清方が描いた新春」をみて

 

鎌倉ちょっと不思議な物語第454回

 

毎度お馴染みの清方展、そして毎度お馴染みの新春待望展でござんす。

 

毎回展示される清方の原画を名匠永井周山が12の羽子板に意匠化した押絵羽子板「明治風俗十二ケ月」が本日の目の御馳走。

 

地球温暖化の悪影響で本邦から春も秋もなくなりつつある今日この頃、由緒正しい四季折々の風情がみられるのは、この狭くて小さな日本画家の旧居だけになったというても過言ではないでしょう。

 

大正7(1922)年の「ためさるる日」は右隻のみの出品ですが、では長崎の丸山遊郭の芸者がキリシタンか否かを試される「踏み絵」に足を置く左隻が展示されていないのが残念でした。

 

なお当展は来る1月8日まで開催中ずら。

 

鳥肌が立った立ったと騒いでる鳥肌なんか見たことないのに 蝶人

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西暦2023年師走蝶人映画劇場その4

2023-12-24 09:09:13 | Weblog

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3466~70

 

1)ランド・ノヴィッチ監督の「ノイズ」

宇宙飛行士のジョニー・デップと妻のシャーリーズ・セロンの1999年のSFサスペンス映画で暇つぶしに良い。

 

2)今村昌平監督の「神々の深き欲望」

1968年の今村昌平の大傑作。よくもこんな映画を撮ったもんだ。

 

3)今村昌平監督の「豚と軍艦」

1961年の今村の秀作。ラストは予定通りの迫力が生まれ残念だったろうが、まあたいしたもんだ。

 

4)今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」

63年左幸子主演の女の一生もの。冒頭で左幸子の太腿を蚕が上るアップがあったはずだが、今見るとないのはなぜだ?

 

5)ニック・カサヴェテス監督の「きみに読む物語」

同名の小説が原作。認知症の母に自分たちの物語を読み聞かせる娘。監督はあのカサヴェテスとジーナ・ローランズの息子ずら。

 

貯えを 取り崩しつつ 生きている ナムアミダブツ ナムアミダブツ 蝶人

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市川沙央著「ハンチバック」を読んで

2023-12-23 09:10:36 | Weblog

 

 

照る日曇る日 第2000回

 

ハンチバックって、何? 聞いたことないなあ、と思って和英で変換してみたらhunchback.すなわちせむし、だというので、誰が?と思ったら、作者自身がせむしのごとき形状の背中を持つ重度の身体障碍者なのだった。

 

自分の惨めな病態を、あえて自虐的に自分が書く小説の題目に据えるとは、いい度胸だ。

 

いわゆる障碍者文学というのは、ハンセン氏病をはじめ本邦の文学史を病者の光学とでもいうべき、特別に病的な色合いで染めてきたが、いずれもどこか憂鬱で物悲しく、孤絶と悲愴の陰影で、読む者の心を暗くさせてきた。

 

ところがこの小説の主人公は、自分の重篤な障害に四六時中死ぬほど苦しめられながら、終始意気軒高として精一杯背筋を伸ばし、傲岸不遜な健常者どもに対して、爽やかに啖呵を切って喧嘩まで売る始末だ。

 

身体的に大いなるハンディキャップがあるにもかかわらず、その弱みを逆手にとって、対等どころか、さらにその上に立とうとすらしている彼女の雄姿に、おらっち思わず涙がこぼれる。

 

ではなかった、この逆だちした構図こそ、我が国の身体障碍者文学が、史上初めて獲得した一世一代の晴れ姿ではないか、と思うのである。

 

あっ晴れ、石川沙央嬢! されど身体ならざる精神的の文芸界の暗闇は、いつの日にか晴れるのだろうか?

 

    言葉には絡みとられずぬるぬると逃げ出していく様々な夢 蝶人

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井上光貞編「日本書紀下」を読んで

2023-12-22 09:53:59 | Weblog

 

照る日曇る日 第1999回

 

下巻では巻第17の継体天皇から巻30の持統天皇を収める。

 

継体没後、安閑、宣化、欽明までの皇位継承にあった内紛の紆余曲折を書かない「日本書紀」には政治的忖度の問題があるようだが、この継体から巻21の崇峻を経て持統に至る帝紀じたいは、おおむね史実に即しているようだ。

 

そのつもりで読んでみると、継体・欽明期における新羅による任那の滅亡、天智期における百済滅亡と白村江の戦における日本水軍の全滅が、(あくまでも他人事ながら)致命的な軍事外交的失敗として浮かび上がってくる。

 

当時朝鮮半島に任那という強固な橋頭保を確立していた日本国は、近隣の百済、新羅、高句麗からも毎年のように貢物を受け取り、半島において自他ともに認める圧倒的な存在感を発揮していたわけだから、この6世紀の100年の指導者の無為無策と外交政策のでたらめさで、営々と築き上げた政治的優位性と植民地をずるずる失っていく道行には、(あくまでも他人事ながら)歯がゆさを覚えてならない。

 

内政面ではやはり百済からの仏教伝来に崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏、中臣氏の対立抗争だろうが、廃仏派に勝利した渡来人の蘇我一族が政治を独裁し、厩戸皇子の息子の山背大兄子を虐殺するくだりは何度読んでも切歯扼腕する。

 

山背大兄子というのはマハトマ・ガンジーの先駆者あり、日本国憲法憲法第9条の先進的体現者ではないだろうか。

 

    安倍蚤糞を支えたこんな人たちが腐肉を貪る禿鷹みたいに 蝶人

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谷川徹三編「宮沢賢治詩集」を読んで

2023-12-21 15:09:39 | Weblog

 

照る日曇る日 第1998回

 

 いかりのにがさまた青さ

 四月の気層のひかりの底を

 唾し はぎしりゆききする

 おれはひとりの修羅なのだ (「春と修羅」より)

 

おお、なんとまあカッコいいんだろう、宮沢賢治の「春と修羅」は。

 

 わたくしといふ現象は

 假定された有機交流電燈の

 ひとつの青い照明です

 

という超有名な序文、妹トシの末期を絶唱する「永訣の朝」「松の針」、そこからの再起を願った樺太紀行咏を含む「春と修羅」第1巻は、中原中也が買い漁って友人に配りまくった逸話で知られるように、詩集の中の詩集である。

 

ここには孤独な魂の繊細な心象スケッチも、イーハトーヴの土と光と風も、全宇宙を一挙に感得する破天荒の悟性も、天才詩人の創造の秘密がすべて内包されている。

 

賢治の童話も、科学も、宗教も、農事活動も、広大無辺な宇宙への愛の彷徨も、すべての活動の源泉は、この第1部の数百行の詩編から発している。

 

    大学の生協でも売られる我が詩集そおーゆー本ではないんですけど 蝶人

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穂村弘著「もしもし、運命の人ですか。」を読んで

2023-12-20 13:00:16 | Weblog

穂村弘著「もしもし、運命の人ですか。」を読んで

 

照る日曇る日 第1997回

 

「嫌いな相手とふたりで食事をすることはないだろう。だが、嫌いでない相手とセックスしてもいい、の間には深い溝がある」

 

ふむふむ、そりゃそうじゃ。んで、それからどうなる?

なんちゅう方向性についてあれこれ具体的にモノガタル随筆の名手、穂村選手による名品の数々がずらずら。

 

とりわけ女性をホテルに誘おうとする男性の内心を、鋭くも悲しく、面白くもおかしく描き切っている超絶名人芸には、なるほど、にゃるほど、といたく感嘆した。

 

さだめし年季の入った実人生の実体験のなせる業なのだろうが、それをこれくらい軽妙洒脱に書ききる剛腕はただ者ではない。

 

作者が焦って飛び込んだラブホテルのロビー。「そこで真剣に部屋を選んでいる杖を突いた高齢の男性と銀髪の女性の横顔を見て、圧倒されながらなにか感動に近いものを覚えた」と書く作者は、こんな短歌を載せている。

 

 四十になっても抱くかと問われつつお好み焼きにタレを塗る刷毛 吉川宏志

 

短歌もなかなかに凄いが、エッセイの切れ味はさらにその上を行く穂村選手なのであったあ。

 

     スマホにもAIさんの世話にもならずわが生涯をゆるゆる終える 蝶人

 

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柴田翔著「地蔵千年、花百年」を読んで

2023-12-19 13:30:15 | Weblog

柴田翔著「地蔵千年、花百年」を読んで

 

照る日曇る日 第1996回

 

巻末付録で著者が評論家の菅野昭正と対談していて、それによると最初は夕暮れの吉祥寺北口の商店街を短編30枚で綴ろうとしたものが、1年半かけて書いているうちに570枚の大作になったというのだが、その原核にあるのは下駄屋の奥に座っている男のイメージである。

 

「その主人が戦争に行った経験があって戦地でどうも悪いことをした。でも今になってみると、皆結局は過ぎたことだなあと思いながら、みんな靴しか買わなくなって寂れた下駄屋の奥で、人通りを見ている」「ただそういうことをした人が、本当にそれだけで済むものなのかな、という疑問も残っていて」、それを書いたのが本作であるという。

 

なんとなく丹波の山奥の下駄屋の主人として一生を終えた父を思いながら本書を読んでみると、敗戦から高度成長を経て長い下降期に沈んでいくこの国の奔流に押し流されながら、本当の自分を死ぬまで追い求める主人公の、孤独な戦いの手記なのであった。

 

      逝きし世を死者たちも見る「徹子の部屋」 蝶人

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西暦2023年師走蝶人映画劇場その3

2023-12-18 14:20:23 | Weblog

西暦2023年師走蝶人映画劇場その3

 

闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.3461~65

 

1)西川美和監督の「すばらしき世界」

佐木隆三の原案を役所広司主演で2021年に映画化。刑務所を出た元ヤクザが正業に就くことが「いかに至難の業かを切々と描くが、瞬間湯沸かし器の役所の演技がとてつもなく素晴らしく、障碍児を虐める職員をやっつけるところなど殆どまた人殺しをしたみたいである。長澤まさみはここでもミスキャストだけれど、全体的にまことに素晴らしき映画なり。

 

2)黒沢清監督「地獄の警備員」

黒沢のくだらなさここに極まる1992年の阿呆莫迦スリラー映画。

 

3)中平康監督の「狂った果実」

1956年の日活映画。裕次郎のガハハという嘘くさい阿呆莫迦笑いに興ざめして見るのをやめる観客は多いだろう。

 

4)市川昆監督の「ビルマの竪琴」

竹山道雄の原作を安井昌二主演で1956年に映画化。感動的だが、あんな風に音大出の隊長に率いられていつも合唱する兵隊なんていたんだろうか?

 

5)鈴木清順監督の「密航〇ライン」

1960年の国際密輸組織と戦う新聞記者、長門裕之大活躍映画ずら。

 

     あの日にはもう誰一人戻れないHISの細野忌野坂本 蝶人

 

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クガタチ*

2023-12-17 11:36:02 | Weblog

 

これでも詩かよ 第304回

 

西暦20××年、とうとう日本国憲法が改訂された。

詩文が死文と化した第9条の代わりに、なんとなんと、「クガタチ条法」が制定されたのである。

 

イスラム教の「目には目、歯には歯」に似ているが、もっとラジカルな内容だ。

犯罪の容疑者は最高裁にいくと、最後、クガタチによって有罪か無罪かが決まるのだ。

 

沸騰した湯の中に手をつこんだらどうなるかは、泉下の愛犬ムクでも、近所のジョージ君でも知っている。

 

「日本書紀」には3か所でこのクガタチが出てくるが、こいつが出てきたら最後、いくら天祐があっても、無事に無罪放免されるやつなんて、古今東西ただの一人もいない。

みな有罪となり、つまりは死刑に処せられて、「ジ・エンド」になるのだ。

 

早速、最高裁に送られたジミントウ・アベノミクソ派の「5人組」が、クガタチの刑に処せられた。

 

5つの洗面器の中でギンギンに沸騰した湯に突き入れられた、5つの拳固と25本の左指は、たちまち茹でた伊勢海老のように真っ赤っかあになって、5種類の苦悶の叫びが、法廷狭しと響き渡った。

 

「さあ、お前たち、いくら裏金をもらったのか、ありていに白状せよ!」

閻魔様ならぬ裁判長の厳命が下るや否や、

 

キャイーン、キャイーン、ギャイーン、ギャイーン!

「イッセンマン、ニセンマン、サンゼンマン!」

「ヨンセンマン、ゴセンマン、ロクセンマン!」

「ジュウネン、ナナオクドル、イッセンジュウヨンオクエーン!!!」

青白い自白が、悲鳴といっしょに半蔵門の夕空に発せられていく。

 

お次はまるで節操なき異次元男、もとい「令和の火の玉男」の番だ。

 

そもそもお前さんは、確固たる主義主張もなく、ただオメイを総理にしてくれた男のことだけを大切に思って、天下国家、もとい、諸国民のさいわいのことなぞ、これっぽっちも眼中になく、ショもないことを世界中でペラペラぺらぺらしゃべり倒して、それが政治家の仕事と心得違いして、いままで生きてきたのよ。

 

どうじゃ、相違ないか。

なぬ、小生意気に異議があると?

では、早速このクガタチの試練を受けてみよ! 

本当のことを言うものは爛れない。嘘を言うものはきっと爛れる!

 

キャイーン、キャイーン、ギャイーン、ギャイーン!

青白い自白が、悲鳴といっしょに半蔵門の夕空に発せられていく……

 

 

さはさりながら、何千何万位の無辜の民を圧殺してきた最悪の凶器クガタチも、コウ君のようなノンサンス自閉症児にだけは歯が立たなかった。

 

「人殺しをやったろう」と強弁されたら、「人殺しをやりましたあ」。

「お前、おらっちが大事にしまっておったアイスを食べたろう」と迫られたら「食べましたあ」とあらぬ告白。

 

「お前、おらっちが隠していた千円札を盗んだろう」と詰め寄られれば、にっこり笑って「あい、あい、あい」

 

なんでもかんでも、「やりました、食べました、盗みました」と平然と答えていたコウ君を、なんかい伝家の宝刀クガタチにかけても、両手はまったく火傷することなく、天神地祇のまん前で、見事にその無罪を証明してみせたのである。

 

 

*クガタチ(盟神探湯)は古代日本で採用された真実追及の手段。神に誓願してから手を熱湯などに入れ、焼け爛れた者を邪とする一種の神判である。「日本書紀」の応神天皇9年4月条、允恭天皇4年9月条、継体天皇24年9月条にその具体例が記載されている。

 

      香港に戻らぬという周庭を生涯追うと行政長官 蝶人

 

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