これでも詩かよ 第304回
西暦20××年、とうとう日本国憲法が改訂された。
詩文が死文と化した第9条の代わりに、なんとなんと、「クガタチ条法」が制定されたのである。
イスラム教の「目には目、歯には歯」に似ているが、もっとラジカルな内容だ。
犯罪の容疑者は最高裁にいくと、最後、クガタチによって有罪か無罪かが決まるのだ。
沸騰した湯の中に手をつこんだらどうなるかは、泉下の愛犬ムクでも、近所のジョージ君でも知っている。
「日本書紀」には3か所でこのクガタチが出てくるが、こいつが出てきたら最後、いくら天祐があっても、無事に無罪放免されるやつなんて、古今東西ただの一人もいない。
みな有罪となり、つまりは死刑に処せられて、「ジ・エンド」になるのだ。
早速、最高裁に送られたジミントウ・アベノミクソ派の「5人組」が、クガタチの刑に処せられた。
5つの洗面器の中でギンギンに沸騰した湯に突き入れられた、5つの拳固と25本の左指は、たちまち茹でた伊勢海老のように真っ赤っかあになって、5種類の苦悶の叫びが、法廷狭しと響き渡った。
「さあ、お前たち、いくら裏金をもらったのか、ありていに白状せよ!」
閻魔様ならぬ裁判長の厳命が下るや否や、
キャイーン、キャイーン、ギャイーン、ギャイーン!
「イッセンマン、ニセンマン、サンゼンマン!」
「ヨンセンマン、ゴセンマン、ロクセンマン!」
「ジュウネン、ナナオクドル、イッセンジュウヨンオクエーン!!!」
青白い自白が、悲鳴といっしょに半蔵門の夕空に発せられていく。
お次はまるで節操なき異次元男、もとい「令和の火の玉男」の番だ。
そもそもお前さんは、確固たる主義主張もなく、ただオメイを総理にしてくれた男のことだけを大切に思って、天下国家、もとい、諸国民のさいわいのことなぞ、これっぽっちも眼中になく、ショもないことを世界中でペラペラぺらぺらしゃべり倒して、それが政治家の仕事と心得違いして、いままで生きてきたのよ。
どうじゃ、相違ないか。
なぬ、小生意気に異議があると?
では、早速このクガタチの試練を受けてみよ!
本当のことを言うものは爛れない。嘘を言うものはきっと爛れる!
キャイーン、キャイーン、ギャイーン、ギャイーン!
青白い自白が、悲鳴といっしょに半蔵門の夕空に発せられていく……
さはさりながら、何千何万位の無辜の民を圧殺してきた最悪の凶器クガタチも、コウ君のようなノンサンス自閉症児にだけは歯が立たなかった。
「人殺しをやったろう」と強弁されたら、「人殺しをやりましたあ」。
「お前、おらっちが大事にしまっておったアイスを食べたろう」と迫られたら「食べましたあ」とあらぬ告白。
「お前、おらっちが隠していた千円札を盗んだろう」と詰め寄られれば、にっこり笑って「あい、あい、あい」
なんでもかんでも、「やりました、食べました、盗みました」と平然と答えていたコウ君を、なんかい伝家の宝刀クガタチにかけても、両手はまったく火傷することなく、天神地祇のまん前で、見事にその無罪を証明してみせたのである。
*クガタチ(盟神探湯)は古代日本で採用された真実追及の手段。神に誓願してから手を熱湯などに入れ、焼け爛れた者を邪とする一種の神判である。「日本書紀」の応神天皇9年4月条、允恭天皇4年9月条、継体天皇24年9月条にその具体例が記載されている。
香港に戻らぬという周庭を生涯追うと行政長官 蝶人