あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

鎌倉百景その3~西暦2018年師走蝶人花鳥風月狂歌三昧 

2018-12-31 11:29:24 | Weblog


ある晴れた日に 第538回



凶悪な台湾リスを放置する八幡宮の慈愛は深し

なにゆえに日にいくたびも訪れるここ和泉橋に佇む女

「いつでもお寄りくださいな」と誘ってくれる横浜銀行鎌倉支店のN嬢

申し訳ないけどテレビで鎌倉を取り上げるのはやめてください

これでもかこれでもかとテレビ局は鎌倉のあじさいを取り上げる

どの局も鎌倉の路地の隅まで入りこみ物干しパンツをテレビは映す

我が家には4票あるが長男はいつも棄権す勿体ないなあ

自閉症のワタナベ君は選挙では毎回ワタナベと書いて投票します

世の中でいちばんの幸せは台所で歌う妻の声を聞くこと

百千の鎌倉蝉を道連れに清水家豪邸更地となれり

鈴木商事の2トン車が運びし土くれを軽トラで売る高木建材

鎌倉の市花はリンドウなれどほぼ絶えて我のみぞ知る崖下に咲く

深々と掘り下げられたる北条時房邸 小町通りの観光客は目もくれず過ぐ 



「良い年を」とはなかなか良い言葉なり「皆さん良い年をお迎えください」 蝶人
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いよいよ押し詰まってここへきて安倍蚤糞糞ズマリ 歳末店じまいシネマ大特集15本立てずら

2018-12-30 13:13:58 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1920~1934


1)ルキーノ・ヴィスコンティ監督の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」
4度映画化されいるがこれは1942年の2度目のもの。因果応報を地でゆくが、ヒロインのクララ・カイマイはなかなかよろしい。
そして映画のどこでも郵便配達はベルを鳴らさない。

2)ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」
冒頭から流れるマーラーの交響曲第5番のアダージェエットが、美貌の少年に殉じてベニスに死んだ作曲家の悲劇を見事に象徴しているようだ。
ラストで夕焼けの海辺に佇むビヨルン・アンデルセンを、末期の眼で収めながら死んでいくダーク・ボガードほど、しあわせな男はおるまい。

3)アントニオーニ監督の「欲望」
原題は「欲望」ではなく「拡大」。
それまでは加納典明みたいなジコチュウワンマンカメラマン行状記だった映画が、ちょうど半分過ぎたあたりでミステリーになる。
偶然撮影した写真を次々にブロウアップするなかで、秘められた殺人事件の謎が浮かんでくるところはスリリング。

4)ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「大陽はひとりぼっち」
鬼才アントニオーニが、愛人モニカ・ヴィッティを、いかに謎めいて美しく撮るか!ということだけを考えて作り上げた、謎めいて美しい映画である。

5)デヴィット・リンチ監督の「ロスト・ハイウェイ」
無実の罪を着せられた死刑囚がある日突然あ隗赤の他人とすり変わってしまう。
1人の男と1人の女が、2人の男と2人の女に拡大転移されて性交と殺人が繰り返されているのか。
と考え込んでも無意味な、いつものリンチ一流のオカルト映画ずら。
しかしおらっち、ファマウ・ファタール役のパトリシア・アークエットなんかには、全くそそられないな。

6)デヴィット・リンチ監督の「ブルーベルベット」
カイル・マクラクランのあやしの目と、異常なまでの好奇心に誘われて、観客はデニス・ホッパーとイザベラ・ロッセリーニの変態的ファックを盗み見するという特権にあずかる。いやあ眼福、眼福!

7)デヴィット・リンチ監督の「イレイザーヘッド」
全編にわたって不気味でシュールだが、2人の間に出来た化け者のような赤ん坊が相当無気味なり。
こういう子供ができたら、私たちは愛せるのか?
思い余った主人公は、それを殺してしまったがゆえに、地獄に堕ちたともいえよう。
「2001年宇宙の旅」の影響も感じられる、記念碑的な前衛映画である。

8)デヴィット・リンチ監督の「ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間」
テレビの長編ドラマの前日譚を映画化。
いっけん清純そうなローラちゃんは、クスリとセックスに溺れる、とんでも女高生だった。そんな我らがヒロインを殺したのは、いったい誰か?
そりゃあデヴィット・リンチに決まっとるがな。

9)ゴダールの「男性・女性」
60年代中葉のパリと若者たち、そしてベトナム闘争に少し揺れる世界。
つまリ「コカコーラとマルクスの子供たち」の物語だが、ゴダールしてはおとなしい。元気な頃のレオの、煙草の銜え方がいいね。
シャンタル・ゴヤの母はカンボジア人で、彼女の歌は下手うまだが、可愛い。

10)ゴダールの「彼女について私が知っている二、三の事柄」
映画の中のただのセリフなのに、「なぜかここには人間の真実があって、本当の会話がなされている」と感じるような映画は、ある時期のゴダールしか作れなかったと思うのです。

11)エリック・ロメール監督の「木と市長と文化会館」
教師が小学生に、「条件法の従属副詞節」について説明する所から始まり、登場人物がシャンソンを歌うところで終わる、ロメールらしいおしゃれな映画ずら。
結局文化会館はお流れになるが、それは、どうでもいいのら。

12)エリック・ロメール監督の「緑の光線」
ロメールの映画では、登場人物たちの演技をそれと感じさせない自然さとじつに骨のある対話が大きな特徴だと思う。
本作は私の最愛の監督による愛の感動作だが、なんというてもラストが素晴らしい。ヒロインが、出会った男とこれからどうなっていくのかは、てんで分からないけれど、じつに浪漫的な映画だとみるたびに思う。
この映画では着色していると思ったが、じつは私もむかしLAのベニスで本物の「緑の光線」を見たことがある。

13)ペキンパー監督の「わらの犬」
沈着冷静なインテリゲンチャンの宇宙数学者!ダスティン・ホフマンが、忍耐の末にならず者の暴挙に対して、ついに立ちあがって、妻の助けを得て、なんとかかんとかやっつけてしまうまでの、「眼には眼を、歯には歯を」映画ずら。

14)ナンシー・マイヤーズ監督の「マイ・インターン」
古稀を迎えたデ・ニーロが、新規一転アパレルのヤングレディ社長に仕えて奮闘努力する話。
こんな映画に出るなんて、デニーロってホントに映画が好きなんだなあ。それともお金?

15)ロバート・アルトマン監督の「ザ・プレイヤー」
有名スター続々登場のハリウッド映画界内幕暴露殺人ミステリー事件発生。
アルトマンが、楽しみながら映画を遊んでいる、ことがよくわかる。
グレタ・スカッキって嫌いじゃないけど、伸び悩んでるなあ。

  ネトウヨの祖先を辿ればアラマあらまっチョン彼奴らが嫌う中国朝鮮 蝶人
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東京のまん中にある空虚な場所

2018-12-29 13:26:24 | Weblog


音楽千夜一夜第422回&これでも詩かよ第251回



東京のまん中にある空虚な場所が、ようやく民草に返還されたので、長らく皇族だけの特権であった乾門の紅葉などをはじめて見物してから、御成門に廻り、そこからまっすぐ東京駅に向かいました。

駅の上の煉瓦色のホテルが、私ら夫婦の定宿です。
部屋の窓からは、むかしこのホテルの216号室に住んでいた江戸川乱歩のように、8つの干支のレリーフに飾られた天窓付きのドーム、そしてその下に広がる大きなホールを見下ろすことができます。

大勢の人々が旅立ち、あるいは、さんざめきながら、帰ってくる。
私は、彼らがいそいそと改札口を出入りしている姿を、眺めるのが好きなんです。
それ自体が、さながら一幅の絵、あるいは舞台で演じられる無言劇のようにおもわれるのです。

そういえば昔から、このホールではさまざまなコンサートやお芝居、ライヴやパフォーマンスが行われてきました。
今宵はそんなお話でもいたしましょうか。

コンサートの中で特に印象に残っているのは、dip in the pool(ディップ・イン・ザ・プール)という男女2人組の演奏です。
ボーカル担当は、若くて、すんなり痩せた背が高い女性でしたが、その声は繊細で、文字通り“水の中に溶け入るような”あえかな響きでした。

ところが、なんてこった!
彼女が歌っている最中に、心ない罵声が飛んだのです。「これでも音楽か!」というような。一瞬にして氷のように緊張が張りつめたホールに、静かな、けれども凛とした女性の声が響き渡りました。
「すべてのみなさんに、気にいってもらえないかもしれません。でも、これが、私たちの音楽なんです」

するとどうでしょう。
ホールには、たちまち彼女を励まそうとする声が飛び交い、少しは余裕を取り戻したのでしょうか、彼女はかすかに微笑んで、再びプールの中へ、まるでオフィーリアのように、ゆるゆると沈んでいったのでした。


さてそうなると、もっと過激なミュジシャンの、激しい怒りに触れた日のことも、思いださずにはいられません。

青森生まれのそのフォークソング歌手は、彼の得意のギターの弾き語りで「開く夢などあるじゃなし」という怨歌を、強い感情をこめて唄っていました。

しばらくして勤め帰りに一杯やったとおぼしきリーマンたちが、あざけるような笑いを洩らした瞬間、彼は歌うのをやめ、彼らを睨みつけると、青森訛りの押し殺したような低い声を、濡れた雑巾のようにぶつけました。

「俺の歌が気に入らないのは、構わない。しかし俺は、君たちに尋ねたい。君たちに、君たち自身の歌はあるのか?」

たちまちにして凍りついた会場の、一触即発の異様な雰囲気に耐えきれず、リーマンたちはこそこそと退散してしまいましたが、半世紀以上も前に放たれた、「君たちに君たち自身の歌はあるのか?」という彼の問いかけは、その後も不意に蘇って私の胸を刺すのです。

でもその反対に、いま思い出しても胸の中が明るくなるような、楽しいコンサートもありました。アメリカからやってきたNYフィルが、陽光眩しい夏の昼下がりに行った演奏会です。

7月4日はアメリカの独立記念日で、全米各地でパレードやお店のセールやお祭り騒ぎが開催されるのですが、たまたまちょうどその日に演奏旅行をしていたアメリカ・ナンバーワンのオーケストラが、このホールに立ち寄ったというわけです。

本当は人気者のバーンスタイン氏が来日する予定だったのですが、突然キャンセルとなり、ピンチヒッターに立ったエーリッヒ・ラインスドルフという年寄りの、しかし溌剌とした指揮者が、私たち聴衆に向って語りかけました。

「ご来場の紳士淑女の皆さま、本日は私たちの国の独立記念日です。そこで演奏会のはじめに、まずこの曲をお聴きください」
いうやいなや、楽員の方を振り向いて指揮棒を一閃。ホールに洪水のように流れてきた音楽は、スーザの「星条旗よ永遠なれ」でした。

その日のプログラムも、その演奏もすっかり忘れてしまった私ですが、ラインスドルフの颯爽たる指揮ぶり、そしてスーザのマーチの、あの前へ前へと進みゆく重戦車のような咆哮は、いまだに耳の底に残っており、「ああ、これがアメリカの能天気なんだ」と妙に納得させられたことでした。

やはり所もおなじ大広間に、昔懐かしいヒンデンブルグ号が、超低空飛行で飛び込んできた日のことも、忘れられません。

誰彼時ゆえ、上手なかじ取りが、舵を繰りそこなったのでしょうか?
海の外から何カ月もかけて東京にやってきた巨大な飛行船が、何を血迷ったのか、このホールに迷い込んできたのです。

慌てふためいたヒンデンブルグ号は、なんとか出口を探そうと前後左右に身もだえするのですが、そのたびに膨らんだ船体のどこかが壁にぶつかって大きな衝撃を受け、いまにも墜落しそうになります。

やがてようやく体制を立て直した飛行船は、まるでシロナガスクジラが、閉じ込められた内海から逃れるように、よたよたとホールの外へよろめき出ましたが、おそらく船長さんは、自分たちのことをクジラではなく、井伏鱒二の小説に出てくるサンショウウオになってしまうのではないか、と思ったに違いありません。

さて今夜は、いま話題のはあちゅうさんが、AV俳優のご主人に抱かれるかも知れない!という興味津々のライヴがあるようですが、いかがいたしましょうか?
乱歩のように、カーテンの陰から覗くべきか、はた覗かざるべきか、悩ましい選択に迫られそうです。


  数名の巡査だけが立っている東京のまん中にある空虚な場所に 蝶人
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アリス・マンロー著・小竹由美子訳「ピアノ・レッスン」を読んで 

2018-12-28 13:24:04 | Weblog


照る日曇る日 第1185回

1931年にカナダのオンタリオ州で生まれ、2013年にカナダ人初のノーベル文学賞を受賞した「短編の名手」アリス・マンローの処女作が、これまた翻訳の名手小竹由美子さんの手で邦訳されたので、早速読んでみました。

「ウオーカーブラザーズ・カウボーイ」から表題作「ピアノ・レッスン」まで、全部で15の短編が並んでいます。さすがに栴檀は双葉より芳し。マンローらしい鋭い切り口が、あちこちで柘榴の実のようにパックリ赤く開いています。

私が気に入ったのは、マンローを思わせる主人公が、小説を書くために自宅とは別のアパートに部屋を借りる「仕事場」。主人公に接近してくる家主の男のけたくそ悪さと孤独が、いやらしいくらい描写されています。

母親お手製の趣味の悪いドレスを仕方なく一着に及んで渋々Xマス・ダンスパーテイに出席した女学生の一夜の出来事を物語る「赤いワンピース―1946年」も面白い。

「壁の花」になりたくなくてトイレに逃げ込んだ彼女は、男の子にモテることなぞ歯牙にもかけない自立した女性と出会って意気投合するのですが、2人で脱出しようとした刹那、伸びてきた男性の腕に攫われて踊ってしまう「わたし」の情けなさが、それを読んでいる男のわたしにも切なく迫ってくるのです。

そんな秀作ももちろんあるのですが、彼女のその後の比類ない傑作の数々と比べると、プロット、文章とも総じてどことなく試行錯誤するようなぎこちなさが感じられたのは、やはり極度の緊張のもとで書かれた処女作ゆえなのでしょうか。

それと表題作「ピアノ・レッスン」は、なんか映画のタイトルみたいなので、原題の直訳、でなければ、「聖霊の踊り」にして欲しかったですね。

余談ながら印刷について一言。私はこの新潮社のクレストブックは、文芸専科の選定とお洒落な装丁ゆえに気に入っているのですが、本書で使われている活字は色が薄すぎて、黄昏時の読書には苦労しました。
しかし本書の290ページの冒頭の数行の活字が他より1級大きく、書体も異なっているのはいかなる仕儀なのでしょうか?



    蒲焼の臭いがすれば蒲焼に喰らいつくのが検察だろうが 蝶人
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半蔵門国立劇場で「通し狂言増補双級巴」千穐楽をみて 

2018-12-27 13:20:19 | Weblog


蝶人物見遊山記第299回


三世瀬川如皐作の御存じ石川五右衛門の物語です。
五右衛門に扮するのは中村吉右衛門。此下藤吉郎に扮した「下町ロケット」の尾上菊之助と丁々発止と渡り合うところは素晴らしい見ものでした。

が、もっと凄かったのは74歳にして空中の葛籠から飛び出す吉右衛門の葛籠抜けの宙乗り。
きっと両目を見開き、大空を両手でかき分けながら悠然と進みゆく雄姿を見ながら、鳴呼! およそ半世紀も前に文学部に向かうスロープで優雅に佇んでいたあの青年が、と、しばし涙が止まりませんでした。

3幕目の第3場で、天下を騒がせる五右衛門の波乱万丈の大活躍は、ぬあんと「夢のまた夢」だったという恍けたアンチクライマックスとなり、大詰では旧友藤吉郎の縛につくのですが、まあこれは無くもがなの2場でしたね。

   あんれまあ世界中で出てきたよ「オラが国サ」の大統領が 蝶人
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金原瑞人編訳・岩波少年文庫「南から来た男 ホラー短編集2」を読んで 

2018-12-26 13:15:52 | Weblog


照る日曇る日 第1184回


全部で11の怖い短編が並んでいるが、あまり怖くないのもある。名作として名高いフォークナーの「エミリーにバラを一輪」なんかも映像になれば(もうなっているのかも知れないが)怖さが迫って来るのかも知れないが、読んでる限りではそうでもない。

怖いのは本書の表題になっているロアルド・ダールの「南から来た男」だ。ジャマイカの海岸沿いのホテル(おそらくモンテゴベイ)で南米からやってきたかと思われる老人が、ライター(おそらくジッポーの)アメリカの若者をつかまえて、賭けをしないかと提案する。

若者のライターが、10回連続で火がついたら、緑のキャデラックの新車をあげる。が、もし点かなかったら若者の左手の小指をもらう、という賭けだ。

主人公の「わたし」は「馬鹿馬鹿しいからヤメロ」と忠告するんだが、いろいろあって結局若者は賭けに乗り、「わたし」は立会人になる。

肉切り包丁が登場して「7回、8回」とカウントするあたりの恐怖は、読んでいても文字通り手に汗を握る。さて、いったいどういう結末になるのか? そしてその前に、もう一度怖い怖いお話が待っている。

ダールは、「チャーリーとチョコレート工場」の作者として知られるダールは、元イギリス空軍の戦闘機のパイロットで、「007は二度死ぬ」の脚本も書いた才人だった。

   犬猫はしばらくすると人になりやがては立派な家族として死ぬ 蝶人
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安西水丸作・画「水丸さんのゴーシチゴ」を読んで

2018-12-25 13:21:08 | Weblog


照る日曇る日 第1183回

水丸さんが俳句を読む人だとは知らなかったので、たいそう驚きました。
親友だった嵐山光三郎選手の序文も胸を打ちますが、「あとがき」を書いているのが平山雄一選手だったので、また驚いた。

道造も中也も一人風車
いい奴が不良ぶってるネギ坊主
待つよりは待たせる辛さ春の月
雨ゆきて蜘蛛の圍真珠つらねおり
里山に遠く笛きく祭かな
佐原なる小江戸歩きや遠花火

私がポップスに夢中になってコンサート通いをしていた2年間、毎晩のようにご尊顔を拝し奉った音楽評論家は、なんと吉田鴻司氏に師事した俳人で、水丸さんと一緒に吉田氏が主宰する俳会に出ていたというのです。

立秋やうたたね女のふくらはぎ
夕立や左のピアス探してる
光る歯のビーチボーイはよろしくと
ポケットの穴に指ふれ九月の雨
秋の水に映りし空を鯉泳ぐ
女朗花庭のいつもの場所に咲く

句集の中ほどには、作者の事務所があった青山近辺の手描きの「散歩地図」がありますが、「嗚呼、彼はここら辺を毎日散策していたんだあ」と、やにわにありし日の故人の面影が浮かび上がってきました。

青蜜柑ころがる先の日向かな
朝の夢セーターの中で想い出す
山茶花や今日また咲いてまた散って
北風や習いはじめし触太鼓
姿見には初湯まといし裸身かな
夏の蝶追うて果てなき空の青

昨今の俳人というより廃人の抹香臭い作風と正反対の清新な詠みぶりは、さすが水丸選手。
一句ごとに色鮮やかな画伯の挿絵付きで、未発表のものも多いのです。

なにを隠そう、私は潰れた下駄屋の3代目なので、最後はこの2句にて締めたいと存じます。

泡雪や下駄の音ゆく上七軒
酔いざめに芸者の下駄のあざやかさ

  本当に世の中が変わるのではないかと思ったよ1960年 蝶人
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自由律詩歌 その38 

2018-12-24 13:21:54 | Weblog


ある晴れた日に 第537回


ぬゆぬゆぬゆ
ぬよぬよぬよ
ぬわぬわぬわ
ぬをぬをぬを
ぬんぬんぬん
はあはあはあ
はいはいはい
はうはうはう
はえはえはえ
はおはおはお
はかはかはか
はきはきはき
はくはくはく
はけはけはけ
はこはこはこ
はさはさはさ
はしはしはし
はすはすはす
はせはせはせ
はそはそはそ
はたはたはた
はちはちはち
はつはつはつ
はてはてはて
はとはとはと
はなはなはな
はにはにはに
はぬはぬはぬ

「ササキ君、カラヤンてメクラなの」と尋ねしは芸大デザイン科出身のカモシタさん
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東直子著・及川賢治絵「そらのかんちゃん、ちていのコロちゃん」を読んで 

2018-12-23 11:07:40 | Weblog


照る日曇る日 第1181回



空のうえ、ふわふわ雲のうえで暮らしているかんちゃんと火山の底に住んでいるコロちゃん、氷の国のレンちゃんが仲の良いお友達になって、たのしく遊ぶ夢のようなものがたり。

お互いの連絡は、こうもりつうしん、パラシュートたっきゅうびん、ちていほたるかいちゅうでんとう、わたぐもパラシュートメールなどでいたします。

くものわたあめ、やきわたぐも、にじのかけら、オレンジのおさかなパイ、スニークリームにじシチュウー、しずくジュース、いなずまバターがおいしそう。死ぬまでにいちど食べてみたいな。

 気違いのトランプ選手が気違いと名指しする人は気違いではない 蝶人
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高橋源一郎著「ゆっくりおやすみ樹の下で」を読んで

2018-12-22 11:11:01 | Weblog


照る日曇る日 第1180回


「日本文盛衰史」の傍流から派生した、タカハシ源ちゃん、はじめての童話ずら。

良い子の皆さんに読んでもらう小説だから、これまでになく時間をかけて慎重にプロットを練ったそうですよ。

舞台は鎌倉で、ミレイちゃんが夏休みに訪れる先祖代々の旧家には、上空で芳香を放つサルスベリの赤い花や、ぬいぐるみのテディペアや、主著の「日本文盛衰史」ゆかりの文芸ネタやさきの戦争の生々しい体験や記憶、おまけにチャーミングなオバケまで登場するのです。

が、それがあまりにも盛沢山で、物語としては複雑かつ重層的な構造なので、頭の良い中学生はともかく、昔のぼくみたいなボケっとした小学生なんか、大丈夫だろうか?ついていけるだろうかという、いささかの懸念はありまする。

  またしても「我良し」の世になりたれば思わぬ戦も起こるであろう 蝶人
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善の研究~これでも詩かよ第250回 

2018-12-21 13:43:51 | Weblog


その1 「リューとピンとポンとパン」


おじいさんは朝から山へ薪を取りに、おばあさんは川で洗濯しておりました。
お昼に家に帰ったふたりは、軒先に置いてあった水盤の中の金魚が1人もいないことに気付いて、薪も洗濯物もその場に抛り投げて、おいおいと泣きだしました。

子供のいない2人は、4人の金魚にそれぞれ名前をつけて、とても可愛がっていたのです。小さな金魚ですが、その中でも一番大きい先輩格のリューは、ピンとポンとパンの小さな3人が入ってきたときには、面白半分に追い回していじめたりしていたのですが、しばらくすると、とても仲良しになりました。

おばあさんが4人の名を呼びながら、水盤のふちをコツコツ叩くと、4人は一斉に水面に飛び出して、餌をせがんだものでした。
リューとピンとポンとパンは、いつも一緒に餌を食べ、夜は一緒に眠り、それはそれは仲良く暮らしていたのです。

それなのに今日、おじいさんとおばあさんが、腰を曲げて、水盤をなんべん覗いても、リューも、ピンも、ポンも、パンもいないのです。
きっとこのへんを夜な夜なうろついているアライグマに、パクリと食べられてしまったに違いありません。

ああ、なんて可哀想なことをしてしまったことよ!
水盤を外に出さず、家の中に縁側に置いておけば、こんなことにはならなかったのに!

そう思うといっそう可哀想で、可哀想で、最愛の4人を喪った悲しみは、歳月が流れ流れてもいつまでも続くようでした。



その2 「ひとかけらの純なもの」


樹木希林が、とうとう本当に死んでしまった。
全身ガンに冒されながら、この人はいつまでも死なないのではないか、と思いはじめていたが、やっぱり不死身ではなかったのだ。

それにしても、と私は思う。
樹木希林と内田裕也の関係は、どんなものだったのだろう?
どうして「あんな」男と、最後の最後まで付き合っていたんだろう?

「どうしてあんな人と、まだ付き合っているの?」
と訝しむ娘也哉子に、樹木希林は、
「だってお父さんには、ひとかけらの純なものがあるのよ」と言って、黙らせたそうだ。

確かに金も、仕事も、ヒット曲もないのに、Love&Peace!を振りかざし、
ロックンロールがビジネスになってしまった時代を憂う、寂しいお父さんの内田裕也には、ひとかけらの純なものがあった。

ロックのためにはエンヤコーラ! 
ロックのためにはエンヤコーラ! 
ロックのためにはエンヤコーラ!

とつぜん東京都知事選挙に立候補して、プレスリーの「今夜はひとりぼっちかい?」を歌う内田裕也の姿には、ひとかけらどころか、ふたかけら、みかけら以上の、純なるものが輝いていた。

けれども悲しいことに、「ロックの時代」はいつの間にか終わってしまった。
ロックの車輪がロクに回らなくなって、路肩に乗り上げてグルグル空回りしている。
それでも内田裕也は、あなたのために「今夜はひとりぼっちかい?」を歌うだろう。

ヘップ! ヘップ! ヘップ!
ヘップ! ヘップ! ヘップ!
ヘップ! ヘップ! ヘップ!

この国の恐らく最後のモヒカン・ロケンローラー、内田裕也に万歳三唱!!!
君の至純のロック魂を、天上の樹木希林は、いつまでも温かく見守っていることだろう。
Love&Peace! いつまでも!



その3 「ロタ島のにわか雨」


毎日まいにち、暑い日が続いていました。
そんなある日のこと、久しぶりに大学生の次男が帰宅したので、家族4人で小さな食卓を囲みました。

すると、生まれた時から脳に障がいのある長男のコウ君が、
「コウちゃん、いい子? コウちゃん、いい子?」と、何回も私たちに訊ねます。
この問いかけに「ウンウン」と肯定してやると、彼は深く安心するのです。

はじめのうちは「コウちゃん、いい子だよ」と、いちいち答えていた私たちでしたが、
こんな幼稚な問答を切り上げ、はやく食事に取り掛かろうとして、私はほんの軽い気持ちで、「コウちゃん、悪い子だよ」と言ってしまったのです。

「えっ!」と驚いた長男の反応が面白かったので、次男もふざけて「コウちゃん、悪い子だよ」と言いました。
そして妻までもが、「コウちゃん、悪い子」と、笑いながら言ってしまったのです。

長男は、しばらく3人の顔を代わる代わる見つめていましたが、
やがてこれまで見たこともないような真剣な顔つきで、
「コウちゃん、悪い子?」と、おずおず尋ねました。

調子に乗った私たちが、声を揃えて「コウちゃん、悪い子!」と答えたその時でした。
突然彼の両頬から、大粒の涙が、まるでロタ島のにわか雨のように、テーブルクロスの上におびただしく流れ落ちました。

それは、真夏の正午でした。
その時、セミはみな死んでしまった。
私たちは息をのんで、滴り落ちるその涙を見つめていました。

それは、生まれて初めて見た、コウちゃんの涙でした。
そうして私たちは、無知で無神経で傲慢な大人が、ひとつの柔らかな魂を深く傷つけてしまったことを、長く長く後悔したことでした。

  長男は「4人暮らしです」という 次男はよそで暮らしているのに 蝶人

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入沢康夫著「わが出雲・わが鎮魂」を読んで 

2018-12-20 13:46:52 | Weblog


照る日曇る日 第1179回

今年86歳で泉下の人となった著者の代表作です。1968年に出版され、2004年に復刻された梶山俊夫氏の挿画入りの豪華版を一読しましたが、今となっては普通の「帰卿譚」であり、きわめてオオソドックスな現代詩のひとつだと思いました。

巻末には「古事記」とか「日本書紀」とか「出雲風土記」などの引用参考文献がいろいろいわくありげに掲げてあり、それぞれにもともらしい自註なぞも記されているのですが、これって私も「由良川狂詩曲」でも使ったある種のハッタリで、誌の本質とはてんで関係がないずら。

でも特筆すべきは著者の視点がきわめて自由で流動的に古今東西現在過去未来を去来すること。書いている当の本人ですら訳の分からない難解な現代詩と違って嫌な感じのひとつもなく、楽しく読むことができました。

Ⅱ章で登場する片腕を銜えたい犬なんて黒澤の映画に似ているし、犬と言えばホメロスの「オデュッセイア」を思い出したりもする。

Ⅸの章にて、気の狂った母を追って飛びだせば、

 十何万のがぜる群 角をふり立て ががががが
 十何万のがぜる群 角をふり立て ががががが

なんて個所は、何回もの朗読、朗唱に耐えるけど、ⅩⅡ章で活字を裏返すなんて「見え透いた」ことは、できればやめてほしかったずら。

   元号も皇族なども打ち捨てて民草のみで進みゆくべし 蝶人
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黒澤明7連発ずら

2018-12-19 14:34:07 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1912~1919


1)黒澤明監督の「虎の尾を踏んだ男達」
頼朝に追われ安宅の関を越えんとする義経一行。狂言回しの榎本健一はちとうざったいが、弁慶役の大河内傅次郎が存在感を示す。

2)黒澤明の「生きものの記録」
原水爆と核汚染の恐怖に怯え一家移住を図る頑固爺を若い三船がふけ役で熱演。しかし今ではブラジルに移住したって地上に安住の地なんかないとことが判明してしまった。それでも我々が火山の噴火口の上で踊り狂っていることには変わりない。

3)黒澤明の「どん底」
三船敏郎、香川京子は別にして鴈治郎、五十鈴をはじめ豪華けんらん脇役陣がこれでもかこれでもかと芸を見せつけるが、なんというても左ト全が素晴らしい。

4)黒澤明監督の「静かなる決闘」
西部劇かと思ったらそうではなくて、戦地の外科手術で梅毒に冒された外科医の三船敏郎が帰国してからもスピロヘータのために婚約者を失うなど懊悩の極みに至る悲劇。生と性の絶対矛盾を吐露する三船の告白はいたく胸を打つ。

5)黒澤明監督の「醜聞(スキャンダル)」
被告人に買収された原告側弁護士志村喬が最後の最後で「星」になる。
理想主義者、黒澤の面目躍如たる一本。三船は初々しいが山口淑子はなんだか薄汚れた感じ。
6)黒澤明監督の「酔いどれ天使」
若き三船敏郎のなんと瑞々しい色男であることよ。唱徐少女役の久我美子のなんと初々しいことよ。現代の赤ひげ、正義の味方を演じる志村喬のなんとたらこ唇なことよ。
木暮実千代のなんと妖艶なことよ。笠置シヅ子のヴギのな~んとパンキッシュなことよ。冬なのに夏の設定なので白い息を吐きながら団扇をあおいでいる中北千枝子のいじらしさよ。

7)黒澤明監督の「天国と地獄」
初めて見た時は横浜の黄金町の麻薬中毒者や新幹線を使った身代金強奪などに瞠目させられたが、いま見るとそういう衝撃はない。最後の最後まで犯人はクールにワルを貫いて欲しかったずら。
共犯者が住んでいた江ノ電鎌倉高校前のあたりはこの映画では宅地開発が始められていたが、今ではマンションやホテルも建っている。しかし潮風が強くて洗濯物が乾かないのが難点である。

   平成も昭和も明治もなににせむ西暦のみで足りる世の中 蝶人

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イングマール・ベルイマン5連発ずら

2018-12-18 14:36:56 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1908~1912


1)イングマール・ベルイマン監督の「魔術師」
放浪の魔術師団が訪問先で繰り広げる悲喜劇だが、最後はハッピーエンドになる。
ベルイマンにしては珍しくコミカルな作品。

2)イングマール・ベルイマン監督の「鏡の中にある如く」
神はあるのかないのか分からない。しかしある種の人にとってはある。それがどんな神だか分らないが。
そしてこの世の中は、神があろうがなかろうが、あるかの如く振舞わねば人間界の秩序は崩壊してしまうのだろう。

3)イングマール・ベルイマン監督の「沈黙」
仮令神があろうがなかろうが、肉体派の妹と理知派の姉は憎み合い、姉妹の肉体に蠢く肉欲は存在を最深部で貫くのである。
夜の街に出現する戦車は、すべての矛盾に沈黙を続ける神の比喩か。

4)イングマール・ベルイマン監督の「仮面/ペルソナ」
舞台女優のリヴ・ウルマンと看護婦のビビ・アンデショーンが対峙しながら、人格的にほとんど一体化していく。人の心の不思議さよ。

5)イングマール・ベルイマン監督の「叫びとささやき」
確かに叫びも囁きも最後には沈黙と化すのではあるが、この長女と三女よりも召使のマリアのほうがはるかにまっとうな人間である。
いや、そうではない。彼女こそはマリアだったのだ。


  念力を送ることしかできません寝たきりになったあなたのために 蝶人
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新潮日本古典集成新装版「太平記三」を読んで 

2018-12-17 11:20:54 | Weblog


照る日曇る日 第1179回


本書では、巻16から22を収め、建武3年2月(1336年)から康永元年(1342年)頃までに相次いで生起した歴史的武力抗争を扱う。

御醍醐帝側の官軍は、なんとかかんとか足利尊氏兄弟を京から追い払ったが、九州で実力を蓄えた反乱軍は、破竹の勢いで東上する。しかし側近の公家どもは楠正成の「一旦叡山退却」のまっとうな提案を退けたために、無類の忠臣を湊川でむざむざ死なせてしまう。

その後も御醍醐帝とその取り巻きは、明確な軍事方針を実行できず、結局は正義の味方新田義貞に命運を託すが、北国に落ちて捲土重来を図っていた義貞ときたら、血気に逸ってむこうみずに単騎敵軍に突入し、哀れ集中放火を浴びて泥田で無様な最期を遂げる。

勇躍東北から殴り込みをかけて京まで迫っていた北畠顕家も、その義貞に手柄をなさしめるのは嫌だと幼児のようにごねて連携を拒否したために、足利軍を一掃する千載一遇のチャンスを逃したのみならず、これまた流れ矢を浴びて頓死する。まるで馬鹿みたい。

かくて天下の形勢は次第に足利軍に傾くのであるが、反乱軍の陣中では仲間割れも起こっている。

実力ナンバーワンで無類の色好みの高師直は、味方の武将塩治判官の美人妻に懸想して寝とろうと画策し、ついに夫婦ともども死に至らしめるという不祥事を引き起こす。ところで「徒然草」の作者である吉田兼好は、このとき高師直に雇われており、その艶書を書いてそうだ。

さぞや達筆の名文だったに違いないが、肝心の思い人は、折角のラブレターを読みもしないで捨ててしまったために、兼好は首になったというのである。(巻21)

やがて追われて吉野の陋屋に逃げ込んだ御醍醐は、尊氏憎しの血判をつき、悔し涙を流しながら野垂れ死ぬのであるが、そもそもこういう無慙な仕儀に立ち至ったのは、彼が愛人廉子の言いなりになって超優秀な皇子護良親王を死に追いやったからであって、「まあなんといいましょうかあ(by小西徳郎)」、いわば自業自得でしょうな。

「太平記」の著者は誰か分からないが、とりあえず官軍の側に立っているようにみせて、ときおり天皇にも、将軍や公家、貴族の女に対しても、「やれやれしょうがないやっちゃ」とでもいうような、冷徹な視線を、敵味方を問わずに飛ばすのが印象に残る。

  7億円の大当たりが出た鎌倉の籤売場にて連番買いけり 蝶人
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