あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

由良川狂詩曲~連載第7回

2017-03-31 10:07:43 | Weblog


第3章 ウナギストQの冒険~アサラーム・アライクン!
                     


(そういえば、こいつはあの時のウナギにちょいと似てやしないか?)

 ケンちゃんは急いで水盤の中で悲しそうに尻尾を巻いてじっとしているウナギの尾ひれを見つめました。
 するとそこには、あきらかに独逸ゾーリンゲンの特製ハサミで突起を3本ゾリッとカットした跡があったのです。
「やっぱりこいつは、ウナギのQちゃんだったんだ。去年の夏、綾部の最後の晩に由良川へ逃がしてやったQちゃんだね? あんときボクは、お前に神聖な命名式を行ったあと、ユダヤ式の割礼をドイツ製のハサミで断行し、そのあとで「アサラーム・アライクン! 平安御身にあれ!」と3度唱えてから、夕闇せまる由良川にお前を解放してやったんだ」
 ウナギのQちゃんは、ケンちゃんお得意の挨拶「アサラーム・アライクン」を3回耳にするやいなや、反射的にふたたびみたびウナギのぼりのジャンプを試みました。
 そして3回目にちょうど目の高さのところまで大きくジャンプしてきたQちゃんを、ケンちゃんは、しっかりとつかまえました。
「ようよう、元気かよ。ちびのQちゃん。どうして最初から名乗りを上げないんだよお」
すると全身をギュッと握りしめられたウナギは目を白黒させて、「そんなこと、ボクのシッポを見ればわかるじゃないですか。でも、あんときは命を助けてくれてありがとう! 本当に本当に助かりました!」
「お礼なんていいってことよ。それよか、あれから1年近く経ったのに、どうしてまだこんなチビちゃんなの? どうして背ビレも尾ひれもこんなにボロボロになっちゃったの? よっぽど苦労したんだね」
「そのとおりなんです。ボクは本当に苦労してきたんです。一口では言えないほど……」
「そうなのか。それより、この物語の最初の話の続きだけど、君たちを襲ってきた怪物って、いったいどんな奴なの?」
「いままで僕たちが見たことも聞いたこともないくら、超ドーモーなやつらでした。こう、気色の悪いどす黒い色ををしていて、まるで殺人鬼のような冷たい目で、こっちをジロリと睨むんです。そして目が合ったが最後、どこどこまでも僕たちを猛スピードで追いかけてくる。その早いのなんのって、アユさんより2倍から3倍のスピードがあるうえ、こおーんなデッカイ口を、ガバーと開いて、その口の中には、ナイフのように鋭い牙がいっぱい。手当たり次第口当たり次第に、なんでもかんでも、その大きな口で、パクリパクリと噛みついたら最後、いっきにムシャムシャむさぼり喰ってしまう。もう僕たちの仲間が、何千何万と喰い殺されてしまいました。これは魚の口から言うのもなんなんですが、皆殺しのジェノサイドです。このままいけばあのギャングどもにみんなやられてしまいます。魚類浄化です。お願いです。ケンさま! 神さま! 仏さま! どうか由良川の魚たちを助けてください!」

 Qちゃんの涙ながらの訴えを聞いて、ケンちゃんの気持ちは、ぐらぐらと揺れ動きました。ケンちゃんは今年小学6年生。来年は中学だといういのに、勉強は全然やりません。学校から帰るとカバンを玄関に投げ出して、そのまま遊びに出かけます。
 昨日の午後も、学校の帰りにヒロユキ君とタケちゃんの3人で、学校の近くを流れている滑川に入って、夕闇が迫ってくるのも忘れて、素手で夢中でウナギ摑みをしていました。
ところがてっきりウナギだと思ってむんずとつかんだマムシが、ヒロユキ君の右腕にガブリと噛みついたからたまりません。ベルトで止血したり、救急車を呼んだりの大事件を起こしてしまったので、3人とも家族から大目玉をくらい、当分は3人組での活動は絶対禁止、まかりならぬと言い渡されてしまったのです。
 いらいお父さん、お母さんからのダブルチェックも入るし、来週からは試験も始まるし、生物クラブの部活も忙しくなる。「僕ウナギの仲間を助けるために綾部へ行って来るよ」などと口走ろうものなら、すぐにも戸塚ヨットスクールか風の子学園に入れられるかもしれません。とても由良川どころではないのです。
 首をガックリとうなだれ、小さなエラをひくひく動かして、微かに空気呼吸をしているウナギのQちゃんを見ているうちに、ケンちゃんは、ふとあることに思い当りました。
(Qちゃんは、いったいどうやって鎌倉の僕の家のまでやってくることができたのだろう? )
 そこでケンちゃんは、Qちゃんに尋ねました。
「Qちゃん、Qちゃん、お前はどうやって僕のお家までやってきたの?」
 するとQちゃんは答えました。
「ケンちゃん、理科の授業で習わなかったの? 僕たちウナギストは世界中どこでも旅行できるってことを」
「君たちが太平洋の遥か彼方、マリアナ海溝の奥深くで産卵してから稚魚となり、次第に成長しながら2000キロも海流に乗って日本にやってくるという話は、理科のクロサカ先生から聞いたけど」
「その通り。でも、それだけじゃありませんよ。僕たちは、海でも川でも自由自在、世界中どこへでも旅行できるんだよ。すべての道がローマに通じているように、僕たちウナギストにとって、すべての水が綾部に通じているのさ」
「うそだあ、そんなわけのわからない話って、はじめて聞いたよ。でもQちゃん、丹波の由良川って、日本海に注いでいるよね。そこからどうやって太平洋までやってこれたの?」
「そんなのオチャノコサイサイさ。まずせんげつ吉日、綾部の由良川で、ほらケンちゃんが去年僕を逃がしてくれた井堰のところで、お父さんとウナギストたちの仲間が、僕の壮行会をやってくれたわけ。それでね、その日のうちに由良川の大きな波に乗って、スメタナの「モルダウ」をBGMにしながら、君美の里をほぼ直角に左折して、下流の大きな街、福知山からは進路を北東にとって、♪長田野こえて、駒を速めて亀山へ、あ、どっこいせ、あ、どっこいせ、どっこい、どっこい、どっこいせ、ちょこちょいに、ちょいのおちょいのちょい、大江山ゆく野の道はとおけれど、まだふみもみず天の橋立、を遥か北北西に遠佐渡海峡粛々と通り過ぎ、山椒大夫の屋敷があった丹後由良の浜までは、鼻歌をうたいながら「朝寝して時々起きて昼寝して宵ネするまで居眠りをする」ってな具合で、風のまにまに波まかせ、のんびり、ゆっくり流されて来たっていうわけ」
                                  つづく

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ポール・オースター著・柴田元幸訳「冬の日誌」を読んで

2017-03-30 13:08:25 | Weblog


照る日曇る日第957回


林住期を迎えた作家が、厳冬のNYで勤勉に書き綴った過ぎ去りし日の思い出の数々。

とはいうても単なる回想録ではなく、時系列などは無視して、感興の赴くがままに主としておのが肉体に刻まれた思い出、例えば怪我や病歴、事故歴、住居歴、性愛歴、旅行歴等々を蝋燭の火をついでいくように訥々と語る。

家族一緒に乗っていたトヨタの車が、作家の運転ミスに拠って車体がグチャグチャになる交通事故を起こすシーンは身の毛がよだつ。

この事故に限らず、誰しもがほんのちょっとした偶然で死んでしまったり、九死に一生を拾ったりするのだ。私も昨夜はかなりヤバイことになりかけたが、幸い無事に終わって良かった。

それにしても21もの定住所をかくも克明に記憶しているとは、さすが作家だ。
私なんかは郷関を出て京都(田中西大久保町)、東京(奥沢、滝野川、東伏見、鶴巻町、大京町、四谷三丁目、代々木、千歳烏山、永福町)、横浜弘明寺、鎌倉の11か所にすぎないし、今となっては、その地のどこのアパートであったかも定かではない。

この本を読むと作家も何度か生死の境を彷徨っているようだ。
2002年にはパニック発作を起こしているが、それは極度に追い詰められた精神を、身体がその身代わりになって斃れてくれた所為だと語っていて、この解釈は私をおおいに頷かせた。

じつは私も彼と同じ2002年の5月に神戸で斃れて救急車でERに運ばれ、なんとか事なきを得たのだが、それは多忙の極にあって頭で受けた嫌で嫌で仕方がない仕事を、肉体が引き受けた結果であったということが、今になって分かったのである。もう遅過ぎるが。

蛇足ながら、1954年のNYワシントンスクエアのアンドレ・ケルテスの装丁写真が素晴らしい。


   3月も終わりに近づき朝ドラは連日回顧に専念している 蝶人
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明治座で「細雪」をみて

2017-03-29 14:36:28 | Weblog


蝶人物見遊山記 第236回


 親切な親戚から切符を譲って頂いたので、上演回数がなんと1500回に達したという谷崎原作のお芝居を見物することができました。

 脚本はかの菊田一夫ゆえん芝居の骨格が頑丈に出来ているからこれほど長持ちしたのでしょうが、文豪の原作には出てこないような台詞で歌舞伎風の見えを切っているのはちょっと気になりました。

 市川昆の映画のヘンデルに対抗するように、水谷幹夫の演出は、この芝居を名家の没落と残照とエレジーとしてとらえ、バッハのブランデンブルク協奏曲を挽歌として流していましたが、原作者谷崎の眼は、ラストのヒロインたちが東京に出てからの奮闘努力に愛情深く注がれていることを忘れてはならないと思います。

 しかし考えてみれば、この谷崎の代表作のメインテーマは、「ある魅力的な女の永久に完結しない恋の遍歴の物語」であり、だからこそこの長い小説は、どこまで書いても未完で終わるべき麗しくも悲しき宿命を帯びているので、それをたった3幕のお芝居の内部で自己完結させるのは土台無理な話なのかもしれません。

出演は、長女鶴子が賀来千賀子、次女幸子が水野真紀、三女雪子が紫吹淳、四女妙子が壮一帆でしたが、次々に着替えては登場する着物姿の素敵なこと。市川昆の映画のそれのえげつなさに比べると雲泥の差で、これは我が国が世界に誇る和服文化の素晴らしさを堪能するお芝居というても過言ではないでしょう。

なお本公演は4月2日まで浜町にて華やかに開演ちう。


またしても電気仕掛けのレプリカントがアンケートに答えよと電話してくる 蝶人


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洋画3本立劇場ずら

2017-03-27 11:27:39 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1144、1145、1146


○ロバート・アルドリッチ監督の「ロンゲスト・ヤード」をみて

1974年製作のバート・レイノルズ主演の映画である。

刑務所の中の看守と囚人の両チーム同士で戦われる練習試合が、権力と反権力の戦いを超えて男の人生の生甲斐と男の意気地を問われる命懸けの戦いになっていく。

しかし勝利者は残る長い牢屋の中の人生をいかにして凌いでいくことができるだろうか。劇的な逆転勝利の祝杯の後が気になる名作である。


○スタン・ヴァンス監督の「星空の用心棒」をみて

ジュリアーノ・ジェンマのマカロニ・ウエスタンには、なぜかエロクてエグイ女優が登場するが、お楽しみはそれだけ。

こういう映画は自宅で録画したものを3倍速で遠望するからまあいいが、こんな下らない映画を劇場でみせられたら腹が立つだろうな。

そういう碌でもない娯楽?映画を乱発したから邦画は廃れたのであって、テレビのせいではない。


○デルナー・デイヴィス監督の「カウボーイ」をみて

グレン・フォードとジャック・レモンが共演する異色の西部劇。

グレン・フォードのカウボーイに憧れたホテルマンのジャック・レモンが、その野蛮で過酷な生活を体験するうちに、何事かの悟りを開くというビルダングス・ウエスタンずら。

    二つ勝ち必ず優勝してやると決意していた一人の男 蝶人

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潜水艦

2017-03-26 10:01:34 | Weblog


これでも詩かよ第202番&ある晴れた日に


あなたは、潜水艦を見たことがありますか?
私は、時々それを見るのです。
はじめて実物を見たときは、ちょっと驚きましたが。

それは横須賀の岸本歯科へ行くとき。
JRの横須賀駅で降りて、すぐ左手のヴェルニー公園まで歩くと、
そいつはいつでも、ずんぐりむっくりとした怪異な姿を、浮かべているのです。

潜水艦は、今日も波穏やかな軍港に停泊していました。
珍しく大勢の人々が艦橋に乗って、なにやら作業をしていました。
今日明日にも、出港するのでしょう。どこへ行って、なにをするのか知らないが。

潜水艦を見るたびに、私はヨシナガさんを思い出します。
ヨシナガさんは、戦争中、潜水艦に乗っていたそうです。
「伊○○号」とかいう名前がついた、日本帝国海軍の潜水艦に。

誰でも思うことですが、潜水艦の中は、きっと狭くて暗かったことでしょう。
航海中は、酸素や電気や食料を浪費してはならないから、
乗組員は、腹を空かせた酸欠状態の金魚みたいに、息苦しかったに違いない。

そして、そんな息詰るような極限状態の中で、
ヨシナガさんは、戦った。
朝から晩まで、見えない敵と戦ったのです。

ヨシナガさんが、どうして海軍に入って潜水艦に乗るようになったのか、私は知らない。 
どんな恐ろしい目に遭い、あるいは敵にそんな目に遭わせたかも、知りません。
でも彼は、恐らく死とすれすれの危険な目に、遭ったのではないでしょうか。

しかし、もし私がヨシナガさんだったら、
冷たい水の奥底で、人知れず死ぬことだけは避けたい、と思ったことでしょう。
せめてさんさんと降り注ぐ太陽の下で、新鮮な外気を吸いながら死んでいきたい、と願ったことでしょう。

さいわいなことに、ヨシナガさんは、死ななかった。
奇跡的に生き延びて、無事に内地に帰還したヨシモトさんは、基督者となった。
そして私の郷里の丹陽教会で、毎週日曜日の礼拝にご夫婦で出席されていました。

日曜日以外のヨシナガさんは、町の外れの醸造会社で働いていて、
当時私たち子供が夢中になって集めていた、「ヒガシマル」などの醤油瓶の
商標シールを、自由に採取させてくれました。

いつもかすかに微笑みながら、
「ほら、そこにもあるよ。取っていいよ」
と、優しい声で教えてくれるのでした。

だから私は、横須賀で黒塗りの潜水艦を見るたびに、ヨシナガさんを思い出す。
ヨシナガさん、あれからどうされただろうか?
もしかして、まだ生きておられるのかしら?


  その老婆潜水艦が潜望鏡を上げるがごとく腰を伸ばせり 蝶人

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♪パパパ~横浜の県民ホールでモーツァルトの「魔笛」を視聴する

2017-03-25 09:49:29 | Weblog


蝶人物見遊山記 第235回&音楽千夜一夜第385回


西暦2017年の3月19日、私は横浜の県民ホールで、モーツァルト最晩年のオペラ「魔笛」を鑑賞しました。

王子パミーノと夜の女王の娘パミーナ、鳥刺しのパパゲーノとその恋人パパゲーナが、魔法の笛と愛の力で数々の試練を乗り越えて結ばれる「夢幻秘教劇」で、その最大の聴きものは夜の女王の2つのアリア、それからパパゲーノとパパゲーナによって歌われる「パパパの二重唱」です。

前者の超絶技法も凄いけれど、後者のまるでこの世のものとも思えない純真無垢な歌声を耳にすると、薄命の天才が夢見た人類の楽園が、いまそこに花開いているような気がして、いい演奏に出会うと思わず涙があふれ出るのです。

その日も私はひそかに「パパパ」を楽しみに、横浜の山下公園のすぐ傍の会場までやって来ました。

私にとって生涯忘れがたい感動的なチェリビダッケと読響の一期一会のコンサートは、この県民ホールで行われたのですが、あれからおよそ半世紀の歳月が流れたのだと思うと感無量でした。

さて当日の演出・装置・照明・衣装は勅使河原三郎という人でしたが、全体的にはこのオペラの本質をわきまえない小賢しい仕事ぶりでがっかり。終演後にブーが出たのは当然といえましょう。

照明・衣装・装置はさすがに小奇麗でしたが、ドラマの狂言回しに伊東利穂子というバレリーナを起用し、主要な歌手を差し置いてほぼ出ずっぱりでオペラのあらすじを説明させたり、音楽に合わせてやたらくねくれと踊らせたりするのは、いったいどういう了見なのでしょう。鑑賞の妨げになること夥しいものがありました。

かつて亡きニコラス・アーノンクールとクラウス・グートのコンビが、2006年のバイロイトの「フィガロの結婚」で舞台にケルビーノの分身ケルビムを登場させた時にも感じたことですが、「魔笛」の主人公は、あくまでもモーツァルトの音楽なのです。
過ぎたるはなお及ばざるがごとし。下手に余計な演出をしないほうが観客の心に届くのです。

装置は天井から吊るされた大中小の金属製のリングが、舞台転換に合わせてさまざまに組み合わされるというスタイルでしたが、以前どこかのワーグナーの「ニーベリングの指輪」で見たような気がする既視感の強いもので、まあ可もなく不可もないというところでしょうか。

さて肝心の音楽ですが、初めて耳にした神奈川フィルのフルートの名演には唸らされました。以前同じ舞台で演奏したオトマール・スイトナー指揮のベルリン国立オペラの室内楽なアンサンブルには及ばないものの、神奈川フィルは、N響のような官僚的なオーケストラと違って、やる気と適応力、そして管弦楽の高い技術と合奏能力を兼ね備えていたのはうれしい驚きでした。

問題は指揮者です。このオケの首席の川瀬賢太郎という1984年生まれの若手指揮者は、バロック時代の音楽、しかもオペラを、ロマン派の乗りで振っているようで面喰いました。
有名な「魔笛」の序曲を重苦しく響かせるのは構わないが、テンポがいかにも遅すぎるし、遅くしたからといって、クレンペラーのような秘儀的な壮重さが醸し出されていたわけでもない。第1幕全体がそんなペースですから、歌手はきっと歌いにくかったに違いありません。

ところが休憩をはさんだ2幕に入ると、なぜだかテンポが速くなりました。
もとより「疾走する悲しみ」と称される作曲家の音楽ですから、早いところで早くてもいっこうに構わないけれど、フリーメイソンの神聖な儀式の音楽を、まるでドボルザークのスラブ舞曲のすたすた坊主のように通り過ぎてもらっては困るのです。
現代詩と違って、古典音楽にはそれにふさわしい形式と表現方法があるということを、この人は誰からも教わらなかったのでしょう。

いま世界中のオーケストラが資金難に陥り、ギャラの高い中堅以上のベテランを敬遠して若手指揮者を抜擢しているのですが、同じ若手でも、ちゃんとした音楽的素養と伸びしろのある前途有為な人材を登用してもらいたい、と思ったことでした。

歌手については夜の女王を歌った高橋維選手が素晴らしかった。たった2曲でオペラ全体の出来栄えを左右する重要な役どころですが、立派に重責を果たしていました。

パミーナの幸田浩子は、やはり高音部で声を張り上げると斑があり、終始部で音程がふらつく癖がありますが、弁者&神官の小森輝彦という歌手よりは遥かにましでした。
ザラストラの清水那由太、タミーノの金山京介、パパゲーノの宮本益光、モノスタトスの青柳素晴、三人の侍女と童子は二期会合唱団の面々ともども健闘していたと思います。

最近は主に東欧から二流三流の歌劇団がやって来て、かなり高額な料金で円をかっさらって行くけれど、あんなのに比べたらこちらのほうが遥かにレベルは高いと私はなんでも鑑定団いたした次第です。

とまあかなり辛口の感想になってしまいましたが、この「魔笛」の演奏はオペラの複雑な性格もあってなかなか難しい。私もこれまで国内外の公演を実演、録画録音を含めて数多く見たり聞いたりしてきましたが、これこそ最高というものにはまだお目にかかっていません。

強いて挙げればヴォルフガング・サバリッシュ指揮N響が1991年10月29日に上野の文化会館で公演した「魔笛」でしょうか。主要な歌手はクルト・モルなどの外国人、演出は江守徹、衣装はコシノ・ジュンコ、照明は吉井澄男などの日独共同制作でしたが。

私はサバリッシュもN響もあまり高く評価もしていないのですが、この一期一会の名演、とりわけパパゲーノとパパゲーナの「パパパの二重唱」にはいたくいたく感動したことでした。

*「パパパの二重唱」
https://www.youtube.com/watch?v=FZkLDInGzEQ

*夜の女王のアリア「復讐の炎は」
https://www.youtube.com/watch?v=dpVV9jShEzU


    赤信号で停まるたんびにエンジン止める京急バスの律儀を愛す 蝶人
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母を思う歌~西暦2017年初春版

2017-03-24 09:53:27 | Weblog


ある晴れた日に 第439回


天ざかる鄙の里にて侘びし人 八十路を過ぎてひとり逝きたり  

日曜は聖なる神をほめ誉えん 母は高音我等は低音

教会の日曜の朝の奏楽の 前奏無みして歌い給えり

陽炎のひかりあまねき洗面台 声を殺さず泣かれし朝あり

千両、万両、億両 子等のため母上は金のなる木を植え給えり

千両万両億両すべて植木に咲かせしが 金持ちになれんと笑い給いき

白魚のごと美しき指なりき その白魚をついに握らず

そのかみのいまわの夜の苦しさに引きちぎられし髪の黒さよ

うつ伏せに倒れ伏したる母君の右手にありし黄楊の櫛かな

我は眞弟は善二妹は美和 良き名与えて母逝き給う

母の名を佐々木愛子と墨で書く 夕陽ケ丘に立つその墓碑銘よ

太刀洗の桜並木の散歩道犬の糞に咲くイヌフグリの花

犬どもの糞に隠れて咲いていたよ青く小さなイヌフグリの花

滑川の桜並木をわれ往けば躑躅の下にイヌフグリ咲く

犬どもの糞に隠れて咲いていたよ青く小さなイヌフグリの花

頑なに独り居すると言い張りて独りで逝きしたらちねの母

わたしはもうおとうちゃんのとこへいきたいわというてははみまかりき

わが妻が母の遺影に手向けたるグレープフルーツ仄かに香る

瑠璃タテハ黄タテハ紋白大和シジミ母命日に我が見し蝶

犬フグリ黄藤ミモザに桜花母命日に我が見し花

雪柳椿辛夷桜花母命日に我が見し花

真夜中の携帯が待ち受けている冥界からの便り母上の声

われのことを豚児と書かれし日もありきもういちど豚児と呼んでくれぬか

一本の電信柱の陰にして母永遠に待つ西本町二十五番地 

なにゆえに私は歌をうたうのか愛する天使を讃えるために 

土手下に真昼の星は輝きぬ小さく青きイヌフグリ咲きたり 

人の齢春夏秋冬空の雲過ぎにぞ過ぎてまた春となる 

春浅き丹波の旧家の片隅で子らの名呼びつつ息絶えたるか

おかあちゃんはたった一人で逝きはったわいらあなんもしてやれんかった 


   籠池か首相の妻かわたくしは7割方は理事長を信じる 蝶人
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母の歌~佐々木愛子没後15周年の日に

2017-03-23 09:58:38 | Weblog


ある晴れた日に 第438回


つたなくて うたにならねば みそひともじ
ただつづるのみ おもいのままに   

七十年 生きて気づけば 形なき
蓄えとして 言葉ありけり 
    
1995年4月
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ
 小さく青き 星にあいたく
                   
1992年5月
五月晴れ さみどり匂う 竹林を
ぬうように行く JR奈良線

なだらかに 丘に梅林 拡がりて
五月晴れの 奈良線をゆく

直哉邸すぎ 娘と共に
ささやきのこみちとう 春日野を行く

突然に バンビの親子に 出会いたり
こみちをぬけし 春日参道

          
1992年7月
くちなしの 一輪ひらき かぐわしき
かをりただよう 梅雨の晴れ間に

梅雨空に くちなし一輪 ひらきそめ
家いっぱいに かおりみちをり


15,6年前の古いノートより
いずれも京都への山陰線の車中にて

色づける 田のあぜみちの まんじゅしゃげ
つらなりて咲く 炎のいろに

あかあかと 師走の陽あび 山里の
 小さき柿の 枝に残れる

山あひの 木々にかかれる 藤つるの
 短き花房 たわわに咲ける

谷あひに ひそと咲きたる 桐の花
 そのうすむらさきを このましと見る

うちつづく 雑草おごれる 休耕田
 背高き尾花 むらがりて咲く

刈り取りし 穂束つみし 縁先の
 日かげに白き 霜の残れる

PKO法案
あまたの血 流されて得し 平和なれば
 次の世代に つがれゆきたし

もじずりの 花がすんだら 刈るといふ
 娘のやさしさに ふれたるおもひ

うっすらと 空白む頃 小雀たち
 樫の木にむれ さえずりはじむ

1992年8月
娘達帰る
子らを乗せ 坂のぼり行く 車の灯
 やがて消え行き ただ我一人

兼さん(昔の「てらこ」の番頭さん)の遺骨還りたる日近づく
かづかづの 想い出ひめし 秋海棠
 蕾色づく 頃となりたり

万葉植物園にて棉の実を求む
棉の花 葉につつまれて 今日咲きぬ
 待ち待ちいしが ゆかしく咲きぬ

いねがたき 夜はつづけど 夜の白み
 日毎におそく 秋も間近し

なかざりし くまぜみの声 しきりなり
 夏の終はりを つぐる如くに

わが庭の ほたるぶくろ 今さかり
 鎌倉に見し そのほたるぶくろ

花折ると 手かけし枝より 雨がえる
 我が手にうつり 驚かされぬる

なすすべも なければ胸の ふさがりて
 只祈るのみ 孫の不登校

1992年11月
もみじ葉の 命のかぎり 赤々と
 秋の陽をうけ かがやきて散る

おさなき日 祖父と訪ひし 古き門
 想い出と共に こわされてゆく

老祖父と 共にくぐりし 古き門            
 想い出と共に こわされてゆく

1992年12月
暮れやすき 師走の夕べ 家中(いえじゅう)の
 あかりともして 心たらわん

築山の 千両の実の 色づきぬ
 種子より育てし ななとせを経て

手折らんと してはまよいぬ 千両の
 はじめてつけし あかき実なれば

師走月 ましろき綿に つつまれて
 ようやく棉の 実はじけそむ   「棉」は綿の木、「綿」は棉に咲く花

母の里 綿くり機をば 商いぬと
 聞けばなつかし 白き棉の実

1993年1月 病院にて
陽ささねど 四尾の峰は 姿見せ
 今日のひとひは 晴れとなるらし

由良川の 散歩帰りに 摘みてこし
 孫の手にせる いぬふぐりの花

みんなみの 窓辺の床に 横たわり
 ひねもす雲の かぎろいを見つ

七十年 過ごせし街の 拡がりを
 初めて北より ひた眺めをり

今ひとたび あたえられし 我が命
 無駄にはすまじと 思う比頃

1993年2月
大雪の 降りたる朝なり 軒下に
 雀のさえずり 聞きてうれしも

次々と おとないくれし 子等の顔
 やがては涙の 中に浮かびぬ

くちなしの うつむき匂う そのさがを
 ゆかしと思ふ ともしと思ふ
                    「ともし」は面白いの意。
十両、千両、万両  花つける
 我庭にまた 億両植うるよ

命得て ふたたび迎ふる あらたまの
 年の始めを ことほぎまつる

おさな去り こころうつろに 夜も過ぎて
 くちなし匂う 朝を迎うる

炎天の 暑さ待たるる 長き梅雨
            

1993年9月
弟と 思いしきみの 訃を知りぬ
 おとないくれし 日もまだあさきに

拡がれる しだの葉かげに ひそと咲く
 花を見つけぬ 紫つゆくさ

拡がれる しだの葉かげに 見出しぬ
 ひそやかに咲く むらさきつゆくさ

水ひきの花枯れ 虫の音もさみし
 ふじばかま咲き 秋深まりぬ

ニトロ持ち ポカリスエット コーヒーあめ
 袋につめて 彼岸まゐりに

久々に 野辺を歩めば 生き生きと
野菊の花が 吾(あ)を迎うるよ

うめもどき たねまきてより いくとしか
 枝もたわわに 赤き実つけぬ

露地裏に 幼子の声 ひびきいて
 心はずむよ おとろうる身も

戸をくれば きんもくせいの ふと匂ふ
 目には見えねど 梢に咲けるか

秋たけて ほととぎす花 ひらきそめ
 もみじ散りしく 庭のかたえに

なき人を 惜しむように 秋時雨

村雨は 淋しきものよ 身にしみて
 秋の草花 色もすがれぬ

実らねど  なんてんの葉も  あかろみて

病みし身も 次第にいえて 友とゆく
 秋の丹波路 楽しかりけり

山かひに まだ刈りとらぬ 田もありて
 きびしき秋の みのりを思ふ

いのちみち 着物の山に つつまれし
まさ子の君は 生き生きとして      雅子さんご成婚か、不詳

カレンダー 最後のページに なりしとき
 いよよますます かなしかりける

虫の音も たえだえとなり もみじばも
 色あせはてて 庭にちりしく

深き朝霧の中、11月27日 長男立ち寄る
ふりかえり 手をふる車 遠ざかり
 やがては深く 霧がつつみぬ
            
1994年4月
散りばめる 星のごとくに 若草の
 野辺に咲きたる いぬふぐりの花

この春の 最後の桜に 会いたくて
 上野の坂を のぼり行くなり

春あらし 過ぎてかた木の 一せいに
 きほい立つごと 芽ふきいでたり

1994年5月
浄瑠璃寺に このましと見し 十二ひとえ
 今坪庭に 花さかりなり

うす暗き 浄瑠璃寺の かたすみに
 ひそと咲きたる じゅうにひとえ

あらし去り 葉桜となる 藤山を
 惜しみつつ眺む 街の広場に

級会(クラスかい) 不参加ときめて こぞをちとしの
 アルバムくりぬ 友の顔かほ        「をちとし」は一昨年の意

萌えいづる 小さきいのち いとほしく
 同じ野草の 小鉢ふえゆく

藤山を めぐりて登る 桜道
 ふかきみどりに つつまれて消ゆ

登校を こばみしふたとせ ながかりき
 時も忘れぬ 今となりては

学校は とてもたのしと 生き生きと
 孫は語りぬ はずむ声にて

円高の百円を切ると ニュース流る
 白秋の詩をよむ 深夜便にて      「深夜便」はNHKラジオ番組

水無月祭
老ゆるとは かくなるものか みなつきの
 はじける花火 床に聞くのみ       「水無月祭」は郷里の夏祭り  

もゆる夏 つづけどゆうべ 吹く風に
 小さき秋の 気配感じぬ

打ちつづく 炎暑に耐えて 秋海棠
 背低きままに つぼみつけたり

衛星も はた関空も かかわりなし
 狂える夏を 如何に過すや         

草花の たね取り終えて 我が庭は
 冬の気配 色濃くなりぬ

1995年4月
いぬふぐり むれさく土手を たづね来ぬ
 小さく青き 星にあいたく

 春浅き丹波の旧家の片隅で子らの名呼びつつ息絶えたるか 蝶人


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谷崎潤一郎著「谷崎潤一郎全集第9巻」を読んで

2017-03-22 11:15:24 | Weblog


照る日曇る日第956回

谷崎といえば「細雪」と「源氏」の翻訳と相場を決めつけるのでなくて、本巻のような戯曲を読んでみると、その守備範囲の広さに驚かされることになる。

ここでは「愛すればこそ」「永遠の偶像」「彼女の夫」「或る調書の一節」「お国と五平」「愛なき人々」「本牧夜話」「白狐の湯」の8篇を取り上げているが、小説と同様の被虐趣味、愛の種々相、人間の悪魔性と天使性を、存分に味読堪能することが出来るだろう。

堕落した令嬢を死に物狂いで昆虫のように張りあう「愛すればこそ」や「永遠の偶像」の足フェチやマゾ男同士の意気投合も微笑ましい。

不良少女の食い物にされる悦楽を描破し尽くした「彼女の夫」、敵討ちと男女の愛欲が入り混じったモダンな時代劇の快作「お国と五平」、登場人物の大半が外国人という異色残酷物の「本牧夜話」、佐藤春夫への細君譲渡を思わせるの悲惨な結末こそは男女関係の悲愴の極まりと思える「愛なき人々」まで、いまどきのダルな芝居を吹き飛ばしてしまうような、異形のエロスと異様なエネルギーに圧倒される。

大正11(1922)年に執筆されたこれらの戯曲の多くは劇場で上演されたが、中には当局の忌避によって上演中止に追い込まれた作品もあることが、「「永遠の偶像」の上演禁止」などを読むと手に取るように分かる。

「お国と五平」を帝劇で上演した際に、警視庁の検閲係に多くの台詞を削られた谷崎は、「永遠の偶像」をなんとか無事に上演しようと眦を決して、検閲係の林警部、その上司、さらにその上司の保安部長の笹井幸一郎と何度も談判するのだが、部長から「あの脚本は面白くないからお止しになったらどうですか。法律上から禁止する程度のものでもないが」と言われて動揺する。

ネックになっているのは「僕はお前の体ならどんな細かい部分だって眼を瞑っててもハッキリと想い出せるんだ」とか「男って者は年を取ると猶しつっこくなるんだよ」とかの細部であり、それこそ法律上から禁止する程度のものでは断じてない。

けれども最後、「私には禁止する権限はない。警視総監に持って行かねばならない。しかし私の諫告(かんこく)に応じなければその手続きをする」と言われた作家は、要するにこれは字句の修正などの問題ではなく、当局は最初から上演禁止の方針なのだと悟って、「それじゃあいっそ禁止命令を出して下さい」とこの時点でケツを捲ったのである。

小説では出版を許した原作が、芝居になるというので差し止めるのは不可解であるが、要するに検閲の許可も不許可も、官憲の胸先三寸というのが当時の実態であったこと、そして軟体動物のように優柔不断と思われた谷崎が、あにはからんや国家権力と体を張って対峙したことが、この体験記を読めばよく分かる。

ちなみにあの第一次大本襲撃事件は、まさにこの文章が書かれた大正11年の前年に勃発し、3年後の大正14年には治安維持法が制定されている。

おりしも安倍蚤糞内閣が「共謀罪」法案を国会に上程をしようとしている春の朝、この作家の勇猛果敢な「政治的」闘争から学ぶべきことは少なくないだろう。


   生きること働くことと食べること愛し愛され死んでいくこと 蝶人

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家族の肖像その18~これでも詩かよ第209番

2017-03-21 11:18:01 | Weblog


ある晴れた日に 第437回

小さい、小田急線の「お」でしょう?

お父さん、横浜線八王子まで運転されるんですよ。
いつから?
平成3年からだよ。

お父さん、いとこの英語は?
カズンだよ。
カズン、カズン、ぼくいとこ好きだよ。

アドバイザーってなに?
教えてあげるひとよ。

お父さん、世間てなに?
世の中のことだよ。

いくじなしってなに?
いくじがないことだよ。

お母さん、置き去りってなに?
そのままになってしまうことよ。
おきざり、おきざり。

小田急、白に青い線でしょ?青と白。

箱根、高いとこ登れないでしょ?
うん。
それでスイッチバックでしょ?
そう。

お父さん、去年比嘉さん泣いちゃったよ。
でも今年は泣かなかったでしょ?
うん。

有楽町、宏さんが行ったとこだお。
お母さん、今度有楽町行きますお。

ようこちゃんもたくちゃんも子供生んだでしょ?
そうよ。

お母さん、にらんだらこまるようね。
そうよ。
ぼく睨まないようにしますお。

ミート君ぼく好きですお。
ミート君てだれ?
キンニクマンのだよ。

お父さん、背中の英語は?
バックだよ。

なんで森昌子、まったくうっていったの?
心配かけたからでしょ。
そうだよ。

快速、浜松町に泊るようになったんだよ。
どうして?
モノレールに接続するためだお。


 親会社は滅茶苦茶になったけどめげず頑張る我が家の東芝洗濯機 蝶人

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ザンドラ・ネッテルベック監督の「マーサの幸せレシピ」をみて

2017-03-20 10:49:11 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1143



事故死した姉の娘を引き取ったヒロイン(マルティナ・ゲデック)の愛と苦闘の物語。彼女の仕事はフランス料理のシェフなのであるが、そこに闖入してきたイタリア男(セルジョ・カステリット)との葛藤が興味深い。

それはドイツにおける移民の問題でありフランス料理とイタリア料理の対決でもあるからだ。

ラスト近くイタリア人の父親に引き渡した娘をヒロインは今ではなくてはならない存在になったイタリア人シェフと一緒に取り戻しにいくのであるが、その成り行きははっきりとは描かれずに映画は終わる。

役者、演出を含めてとてもいい映画だと思う。


  投稿しても投稿しても採用されない私の歌には欠陥がある? 蝶人

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マーティン・スコセッシ監督の「エイジ・オブ・イノセンス」をみて

2017-03-19 10:51:33 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1142

最後のクレジットによれば物語の主人公は彼の父親であり、その息子がマーチンその人であったと知れる。半世紀を超える恋の道行きをダニエル・デイ=ルイスとミシェルファイファーがまるで歌舞伎の千両役者のように演じる。

それにしても新大陸の社交界が欧州のそれよりも保守的であったとは意外だった。

もしもラストで3階の窓からいとしの想い人が顔をのぞかせたら、主人公は階段を上っていったのだろうか。さまざまな思いが胸をよぎる、映画的な、あまりにも映画的な幕切れだ。


ピンポン!「こんにちは越中富山の薬売りです。1箱置かせてくださいな」とビジネスマン 蝶人

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山田航編著「桜前線開架宣言」を読んで

2017-03-18 09:45:06 | Weblog


照る日曇る日第955回


私はすでに棺桶に片足を踏み入れた身なので、これまでてんで関心のなかった若手歌人を総特集した超便利なハンドブックずら。

若手というても無慮無数に散在しているので、それをなんと1970年代生まれ、80年代生まれ、90年代生まれの年代別にグループ分けして、それぞれの年代を代表すると編者が思った歌人の紹介とおよそ50首の作品を列挙して読者の便宜を図っている。

全部で40の名前があがっているが、そのほとんどが初めて聞く名前、初めて知る作品で、非常に面白く、また作歌上の多少の為になりました。いやならんかったかな。

その中で強いていうならば、花山周子、永井祐、望月裕二郎、吉岡太朗の4選手の作風が体に残りましたね。

 『現代日本産業講座』の角が頭に当たれば即死するなり 花山周子

  あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな 永井祐

 トランクスを降ろして便器に跨って尻から個人情報を出す 望月裕二郎 

 自転車のサドルとわしのきんたまとその触れ合いとへだたりのこと 吉岡太朗


こおゆうゆうぼうな若手たちが雨後のたけのこのごとく輩出してきているので、未来短歌界は安心じゃ。わいらあのよおなロートルは、まんず、あらエッサアサアと退場することといたしませう。


  2曲目の協奏曲の演奏が終ると必ずアンコールをせがむ聴衆 蝶人
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長田典子著「翅音(はねおと)」を読んで

2017-03-17 14:38:13 | Weblog


照る日曇る日第954回



2008年に砂子屋書房から出版されたこの詩集には、1997年から2006年までにさまざまな媒体に発表された11の詩篇が掲載されています。

本書の「あとがき」を読んだ私は、著者が1988年から1990年代の終わりまでの長い期間に亘って原因不明の難病に罹り、心因性の腹痛のために、仕事や日常生活に支障をきたし、多大な犠牲を払わざるを得なくなったことを知りました。

 「薔薇刑」という言葉が
  ふいに 掠めた     (「赤い花」より引用)


 こころや 身体や 自分という概念が
 宇宙よりも遠く
 ばらばらに ばらばらに
(中略)
 痛い、という真実だけがここにあって
 なにもかも
 理由もなく浮かんではすぐに消えていく気泡のよう (「すがた」より引用)

ものの本によれば、波羅蜜の彼岸に辿りつくまでには、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧. 布施の6つの修行が必要とされるそうだが、そういう意味では、本書は「痛みから生まれ、痛みと向き合ってきた」忍辱の詩篇といってよいだろう。

 「生きるんだよ
  長く 生きるんだよ」 (「迷路」より引用)

 そう念じつつ、そう記しつつ、ようやっと詩人は実り多き受難の川を渉り終えられたのではないだろうか。


べらなりてふ言葉を一度使ってみたかったべらなりべらなりも一度べらなり 蝶人


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鎌倉文学散歩で二階堂・浄明寺周辺を歩く

2017-03-16 13:28:22 | Weblog


蝶人物見遊山記 第235回&鎌倉ちょっと不思議な物語第377回


鎌倉文学館が年に3回主催する春の文学散歩に参加しました。

朝の10時に日本3大天神社の荏柄天神に集合して、鎌倉で一番古いお寺の杉本寺に詣で、宅間ヶ谷周辺をぶらついてから報国寺の竹林を回って昼前には解散という半日散歩です。

クーデターの冤罪で誅せられそうになった御家人の渋河刑部六郎兼守が荏柄天神に籠って10首の和歌を奉納したことを嘉せられ、一命を救われた実朝公はなんと男前な三代将軍であったことでしょう。感謝感激した兼守はお礼に鎌倉街道に「歌の橋」を架けたといわれ、それはいまも残っております。

鎌倉には鎌倉時代の寺社仏閣すらほとんど残っていませんが、奈良時代の創建にかかる杉本寺は、当地最古の寺院であるにもかかわらず、竹寺の報国寺に比べると訪れる観光客も少ないようで、大変結構なことです。杉本寺の本尊十一面観音と茅葺の本殿、緑に苔むした石段を賞美せずに浄明寺や報国寺に急ぐ人を愚か者というのです。

今度のツアーで初めて教えられたのが、滑川に架かる「華の橋」をまたいで報国寺に入るすぐ右手に建っている庚申塔。これは大正14年から昭和20年まで鎌倉に住んだ俳人、松本たかしがその「杉本寺」で触れている庚申塔です。

向かって右側面には「一はんすきもとのみち」、左側面には「二はんいはとのみち」と刻まれたこの塔は、坂東三十三箇所詣の道しるべの用も兼ねていたのです。

以前は杉本寺から逗子の岩殿寺に通じる古代からの巡礼道があって、源頼朝、政子夫妻が失恋に病んだ長女大姫の回復を祈願して毎晩お百度参りをしたという伝説が残されていますが、この由緒ある古道は西武グループの開発行為によって、残念ながらあえなく破壊されてしまいました。

雪の予報が外れた生憎の曇天でしたが、そのせいで人出が少なく、鶯の初音も聴くことができた半日のそぞろ歩きでした。


内田有紀鈴木蘭々スピード優香柴咲コウ松浦亜弥長澤まさみ竹内結子メイサ京香米倉涼子汐里麻友吉田羊エプソンのイメージキャラクターはじゃんじゃん変わる 蝶人


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