あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2012年如月 蝶人狂歌三昧

2012-02-29 08:47:19 | Weblog



ある晴れた日に 第104回


鬼は外福は内!無限の闇に投げました

マレーシアと中国の女子学生に「日本人なんかに負けるな」と就活アドバイスしているビミョウなわたし

耕君と雪の下の小林理髪店に行き同級生の小林君に散髪してもらいました。

ただひとりバーキン乗せてエアフラは放射能の島に舞い降りたり

一匹の山猫となりて巣に潜む

どうしようもなく雄どうしようもなく雌

一握りの名作あまたの凡作込みにして名人はつねに名人

凡歌あり駄作の山ありて秀歌あり

太刀洗泉に二個のおたまが浮かんでる如月十日は春の訪れ

遺産処分のため3333万円差し上げますてふメール連日来る三井香奈子そも何者

奇声上げらあらあ泣きながら走る人憎んでいるのはこの私とは

雲見れば心哀しむまして愛犬ムクの形なればなおさら

小泉岡松伊藤大木年明けてどんどん死ぬなり鎌倉十二所村住人

ジャブ、ジャブ、ストレート、アッパーカット! さあ生き抜くんだ俺たち!!

市民より情け無用にむしり取る鎌倉税務署に災いあれ

青空に孤蝶消えゆく寒さかな

要は国や世間や他人をあてにしないで歩き続けること

造花でも真花を超える花にせよ芸術は俗世を超えた仇花なれば

おお、今も昔も他人の花はなんと美しく見えることか! 

からくも冥界から蘇り宝石耀く朝を迎えし哉

カラヤンの濡れ手に粟のレガートの濡れ羽の色の気色悪さよ

国家など即「YMCA」に変えるべし全国民が立って踊って歌うだろ

横須賀のリンガハットでモザールのBGM聞きながら長崎チャンポン

横須賀の歯医者へ行けば何か出来ると思いきや一句も詠めずただ痛いだけ

われ俄かに和製サンテックスとなりてマライ半島を下りぬ

温かき布団に包まれ寝た夜に南太平洋複葉郵便機のパイロットになりし夢見る

神様の涙のようなペイズリー滅びゆく我らを優しく包まむ

コメントの無き日々に耐え日記書く

宙天に孤鳥嘯く冬の朝


吉田山田西田東田日本人は田圃の傍で生まれました 蝶人

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今村昌平監督の「にあんちゃん」を見て

2012-02-28 10:56:55 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.208

この作品は、佐賀県唐津の杵島炭鉱のある海辺の寒村で貧困にあえぐ在日コリアンの一家の物語を、猛将今村昌平が1959年に映画化したもの。原作は一家の次女である安本末子で題名の「にあんちゃん」とは次兄の愛称である。

両親に死なれたこの4人きょうだいを次々に襲う離散と差別、極貧の危機と苦難を、映画はこれでもか、これでもかとリアルに描くのだが、不思議なことに暗欝さはなく、どこにも希望の無さそうなこの現実と現在を達観し、目には見えないエーテルで昇華したような透明さが吹きわたっているのが不思議である。

眼前の海や池と見れば躊躇せずに真っ裸になって飛び込む幼い兄弟姉妹たち。
彼等には彼等のハンデイキャップを、社会や他人のせいにしない健康さと潔さがある。無一物の者だけに許された自由と果てしない未来への飛翔と投企がある。

被差別の最下層から上空を見上げれば、エネルギー政策の破綻に因る労働争議も、不当解雇も、恐るべき求職難も、いわば非現実界の仮相事象として無化され、原始的、動物的な人世根性論による限りない上昇志向だけがフォーカスされてくるのである。

どのような困難にもめげずボタ山の頂上めがけて登り続けるにあんちゃんの後ろ姿には、当時の貧しい日本国が盲目的に懐いていた漠然とした希望と無限のエネルギーが象徴され、そして例えばソフトバンク現社長の華々しい登場が予告されている。
役者は、長門裕之、松尾嘉代、吉行和子、殿山泰司などが出演しているが、北林谷栄の怪演が印象に残る。

要は国や世間や他人をあてにしないで歩き続けること 蝶人
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豊田四郎監督の「恍惚の人」を見て

2012-02-27 10:06:57 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.207


1972年の段階で老人性痴呆という医学を超えた社会問題に着目した原作者有吉佐和子の慧眼には驚嘆敬服のほかはない。

恐らくはそれ以前にも随所で発症していた障碍がこれで一挙に市民権を得た功績は大であるが、かといってその治療が大きく前進したり、家族などの介護者が楽になったという話はてんで聞かない。むしろますますその被害波及の度は増大しているように実感される。

さてこの映画では、認知症の老人が激しく物忘れをしたり、脱走・徘徊したり、入浴中に溺死しそうになったり、糞便を塗りたくったり、かなりショッキングな光景が繰り広げられるが、最終的には嫁の超人的な奮闘努力のお陰で、症者がなんとかかんとかそれなりに仕合わせな生涯を全うするという結末は、しかしいま今振り返ると、現実の酷薄さと悲惨さを直視しない曖昧模糊とした不透明さがあり、原作者の余りにも文学的&情緒的な視点が物足らない。

全ての症者が次第に理性と悟性を喪失して無垢の幼時へと退行したり、甲斐甲斐しく介護してくれる嫁を恋人や母親のように疑似童話風に思いなしたりすることはない。またあれほど迷惑を蒙った嫁が、死んだ老人を懐かしく回顧して落涙するラストも、かくあれかしと誰もが望むのは勝手だが、余りにもご都合主義だし浪漫的であり過ぎる。現実はあんな甘いものではないのである。

しかし小説や映画はあくまで現実とは異なる異次元の世界なので、本作が時代的な制約もある中で、ある種の予定調和的なエンディングに着地したのはやむを得ない仕儀とは言え、それなら、雨の降りしきる中で老人が見惚れる垣根の白い花が見え透いた造花であるのは少なからず観客の感興を殺いでいる。森繁久弥と高峰秀子の熱演は賞賛に値するが、豊田監督のぬるい演出には疑問符が付くのである。


造花でも真花を超える花にせよ芸術は俗世を超えた仇花なれば 蝶人
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フランクリン・シャフナー監督の「パットン大戦車軍団」を見て

2012-02-26 15:55:58 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.206

ジョージ・スコットが獅子奮迅の大活躍見せる第2次大戦のアメリカ陸軍大将軍物語です。

主人公の名前であり、この映画の原題でもあるパットンという将軍は典型的な体育会系の軍人で、戦争が大好き、戦史が大好きという風変わりな人物である。叩き上げの苛烈な軍人であるのみならず、カエサルやナポレオン、ライバルのロンメルの戦術論や戦闘記録も研究している立派な武人なのだが、惜しむらくは大局観と心身の冷静なバランスに欠け、一時の激情に駆られて取り返しのつかない軽挙妄動を引き起こすドンキホーテのような人物であったそうです。

彼はせっかくロンメル軍団をやっつけてイタリア戦線で赫赫たる成果を収めたというのに、野戦病院に収容されていた神経衰弱の兵士を腰ぬけ仮病人と罵って殴打したために左遷されるが、アイゼンハウアーの推盤でまた前線に再登場し、かつての部下であったブラッドレーの指揮下に入って欧州戦線でまたもや奇跡の大作戦を敢行します。

ともかくやたら好戦的で弱者への配慮どころか虐待を躊躇しない最低の人間ですが、東洋的な輪廻転生を信じ、おのれカルタゴのハンニバルの生まれ変わりと信じていたのは面白い。この映画では主演のスコットがまるでパットンの生まれ変わりのような名演技を披露しています。


カラヤンの濡れ手に粟のレガートの濡れ羽の色の気色わるさよ 蝶人
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花村萬月著「信長私記」を読んで

2012-02-25 14:21:43 | Weblog


照る日曇る日第497回

太田牛一の「信長広記」の向こうを張って、やさぐれのごんたくれ作家がいっちょでっち上げたる「信長私記」である。どうせ編集者の推挽で無理矢理書かされた連載小説なのだろうが、彼の血湧き肉踊る京都を舞台にした肉弾自叙伝と違っていまいち、いま二、いま三乗りが悪く愉しめなかった。

ごんたくれが尾張織田家のごんたくれになり代わって一族のみそっかすを打倒したり、斎藤道三の娘濃姫と濡れ場を演じたり、後年の前田利家の尻の穴を破ったり、後年の秀吉や家康の人となりを見抜いたりする戦国青春ヤッホーホイサッサのアホ馬鹿噺であるが、例に因ってくだんのごとし。面白くもおかしゅうもない。

 竹千代、すなわち当時織田家の人質になっていた家康が、「永久に戦のない世界を作ることが自分の願いである」、と語って、そんなことは阿呆鱈経の絵空事と考えている信長親子を驚かせるところが出てくるが、この家康流の信条って昔からNHKの大河ドラマの女流脚本家の決まり文句であるなあ、と思って軽くのけぞってしまいましたよ。まる。


           青空に孤蝶消えゆく寒さかな 蝶人
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鎌倉国宝館で「氏家浮世絵コレクション肉筆浮世絵の美」展を見て

2012-02-24 08:54:43 | Weblog


茫洋物見遊山記第78回&鎌倉ちょっと不思議な物語第256回


残念ながら既に終了してしまったが、今月の12日まで開催されていた恒例の「氏家コレクション」について走り書きしておこう。

「氏家浮世絵コレクション」というのは、浮世絵の海外流出を憂えた有徳のコレクター、氏家武雄氏が昭和四九年に鎌倉市と協力してここ国宝館に収蔵された世界的な浮世絵、なかんずく肉筆浮世絵の名品の数々で、今年も北斎、豊広、広重、雪鼎、長春、栄之の優品がおよそ五〇点展示されていた。

さすがに肉筆だけあって大量にプリントアウトされた通常の浮世絵とはその清新さにおいて断然優位に立ち、江戸期アーティストのカラフルで華麗な筆跡が生々しく目を射る。

どんな人物像を描いても生真面目で正攻法の硬さが抜けきらない大家葛飾北斎の「酔余美人図」や「桜に鷹図」、反対にどんな風物を描いても優雅なリリシズムを失わない広重の「御殿山の花図」、加えて西川裕信の「美人観菊図」や懐月堂安度の「美人愛猫図」など春近い古都で鑑賞するにふさわしい「無人の」展覧会であった。

それにしても、と私は思う。最近猫も杓子も大騒ぎのフェメールの良さなど私には皆目理解できず、タダで上げると言われても別に欲しくはないが、これらの肉筆画なら千万両を積んでも手元に置きたいと願うのだ。

こういう我々の先祖先輩が生みだした古拙な真の名人芸には目もくれず、舶来上等限定少数のフェルメール!?なぞにいともかんたんにうつつを抜かす軽佻浮薄な日本人のお芸術趣味が、明治以降の国産優品海外流出の惨を生んだのではないだろうか。 



おお、今も昔も他人の花はなんと美しく見えることか! 蝶人
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増村保造監督の「暖流」を見て 増村保造監督の「暖流」を見て

2012-02-23 10:27:05 | Weblog



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.205


原作は岸田國士だが、これは2回映画化されていまして、私が見たのは監督が増村保造、脚本は白坂依志夫、野添ひとみ、根上淳、船越英二、左幸子、山茶花究などが出演した2度目の1957年版です。

岸田は鎌倉の素敵な別荘に住んでいたので、当時の人跡稀な鎌倉や荒涼とした海岸が登場する。最後から2番目のヒロイン&ヒーローの印象的なロングショットもこのロケーションが見事に生かされておる。

お話としてはその鎌倉の名家が経営する古い病院の没落と内紛を主題としたもので、死病で余命いくばくもない病院長から経営の立て直しと一族の面倒を見ることを命じられた根上淳が獅子奮迅の大ナタ振るいをやってのけるのですが、結局やりての浪速商人の山茶花究によって追放されてしまうことになる。

 驚くべきは根上淳を異常なまでに熱愛して終始徹底的につきまとい、最後には男を根負けさせてしまう看護婦役の左幸子で、身体を張ったその猛烈な捨て身の演技は、彼女の代表作である今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」のそれにおさおさ劣るものではない。

増村のポップな演出も次第に盛り上がりをみせ、ナカンズク病院長のアホ馬鹿長男船越英二と継母がデユエットで歌うアホ馬鹿音頭のくだりは最高にシュールである。1939年に吉村公三郎監督、高峰三枝子主演で製作された第1回目の作品も、生きている間にこの眼で見たいものだ。



横須賀のリンガハットでモザールのBGM聞きながら長崎チャンポン 蝶人

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成瀬巳喜男監督の「おかあさん」を見て

2012-02-22 12:03:50 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.204

1952年新東宝製作の珠玉の名作です。

水木洋子の素晴らしい脚本と斎藤一郎の「いつでも晴れた」音楽、成瀬の練達のメガフォンの下で涙ぐましい演技を見せてくれるのは、お母さん役の田中絹代、お父さん役の三島雅夫、ナレーター役も兼ねる長女の香川京子、叔母さん役で私の大好きな中北千枝子等々です。

長男があっけなくみまかり、続いてクリーニング屋の父親も死んでいく。次女も口減らしのために親戚に引き取られていく。戦後間もないわが国の諸行無常の姿を、監督はじつにさりげなく描いています。

父親の軍隊時代の元部下で、クリーニングの仕事を手伝っていた加藤大介と田中絹代は本当は好き合っていたのですが、いっしょになればいいのになあと私などが思っていたのに、これもさりげなく別れの時が訪れるのが小津流。父を失った貧しい一家の大黒柱として田中絹代のお母さんは朝から夜中まで来る日も来る日も独楽鼠のように働き続けるのでした。

 香川京子の恋人役の岡田英二の明るく純情なパン屋の息子も好演。長女たちが映画を見にゆくと突然画面全体に「終」のタイトルが大映しになるので、こんなところでこの映画は終わるのか。さすがは小津だ。すごいカットをするもんだなあ、と驚いていましたら、それは上映中の映画が終わったのでした。

いろいろ人世花嫁御寮、見ながら3回は涙を絞らずにはいられない人情紙風船映画です。


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ジョージ・スティーブンス監督の「ジャイアンツ」を見て

2012-02-21 11:14:52 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.203

1956年に製作されたハリウッド映画の大作で、麗しのリズ・テーラーと岩のように頑丈なロック・ハドソン、そして本作を一期に泉下の人となったジェームズ・ディーンが競演しています。

人種差別を時代に先駆けて鋭く摘発したこの映画最大の見どころは、牧場王ハドソンに仕えるしがない農奴から一躍アメリカ西部を代表する石油王に躍り出たジェームズ・ディーンの嵐の中の大パーティ。ではなくて、小さなエピソードのように描かれているハドソン対バーガーインの頑固親父の人種偏見をめぐる乱闘で、溺愛する息子デニス・ホッパー。ではなくて、その妻のメキシコ人のために老体に鞭打って徹底的に殴り合うロック・ハドソンの姿と、そんな彼を熱愛するリズの夫婦愛は感動的なものがあります。

改めて鑑賞していて気がついたのは「陽のあたる場所」や「シエーン」の監督であるジョージ・スティーブンスの巧みな演出で、これによって2人の凡優の存在が見事に造形されたのでしょう。ちなみに原題は時代に抗して力強く生き抜く巨大な男ロック・ハドソンを意味する「GIANT」で邦題の「ジャイアンツ」は間違い。これでは日本プロ野球最大ののアホ馬鹿巨悪球団名になってしまう。

なおこの作品の撮影直後に急死してしまうジェームズ・ディーンは、直前の2作品に比べると背伸びした空回りの演技が目につきますが、長生きすればきっと米国を代表する名優になったことでしょう。


         からくも冥界から蘇り宝石耀く朝を迎えし哉 蝶人
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文化学園服飾博物館で「ペイズリー文様 発生と展開」展を見て

2012-02-20 07:28:39 | Weblog


ふぁっちょん幻論第67回&茫洋物見遊山記第77回

ペイズリー文様といえばただちに思い浮かべるのが1947年に製作された吉村公三郎監督の「安城家の舞踏会」。その前半部で原節子が着こなしていた大胆なペイズリー柄のワンピースであります。その大柄な装飾柄が、没落する桜の園でけなげに生きようとする彼女の役柄にふさわしい雰囲気を醸し出していました。

本展の資料によれば、ペイズリー文様の起源は、インド北部カシミール地方の可憐な花模様だそうですが、これがインドの染織品と共に18世紀に入った欧州で大流行を遂げ、それが更にアジア、アフリカ諸国の文様と複雑多岐に融合し、その混合物がまた全世界に波及するという一大トレンドを醸成したようです。

18世紀の末から19世紀はじめの欧州は、例のアールヌーボーの隆盛期だから、有機的なものと無機的なもの、植物と鉱物の融合を目指したこの歴史的な文化工芸運動とペイズリー文様はピッタシカンカンのコラボレーションを繰り広げたに違いありません。
当時英国で産声を上げたリバティプリント社や、のちのイタリア・エトロ社の装飾的なファブリックの源流も、すべてここから発しているのでしょう。

大きな涙を垂らしたようなペイズリー柄を見ると、生物のもっとも基本的な単位である細胞の顕微鏡写真によく似ています。ペイズリー柄は、生きとし生けるものの生命の原核を象徴するデザインであるだけでなく、それを身にまとう者に不滅の生命を賦活する呪術的な文様でもあるのでしょう。

人々と時代の生命力が限りなく沈滞し続けている現在、ペイズリー文様復興のビッグ・トレンドが深く静かに待機しているのかもしれません。なおこの展覧会は来る3月14日まで東京新宿の同博物館で開催されています。


神様の涙のようなペイズリー滅びゆく我らを優しく包まむ 蝶人
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ジョン・アーヴィング著「あの川のほとりで下」を読んで

2012-02-19 10:59:13 | Weblog


照る日曇る日第497回

76歳になる主人公の父親を執拗につけ狙ってきた87歳の元保安官代理は、コルト45の凶弾を胸にぶちこんでついにその黒い宿願を果たすが、58歳の息子であり作家でもある主人公の20口径のウインチエスター銃の3発の散弾を浴びて息の根をとめられ、親の因果が子に報いる因縁の復讐劇はとうとう幕を下ろした。

しかしいかに元警官が冷血漢で、己の愛人を寝取られ、その殺人の濡れ衣を着せられたとはいえ、およそ半世紀に亘ってその憎悪と殺意を持続し、あらゆる困難にもめげずにその復讐を貫徹できるものだろうか? 恐らくその凶悪な暗殺者の悪への暗い情熱は、同伴し続けた作者の内奥にも不気味に蠢めいているのであろう。良きものを大切に育もうとする作者の善き情熱と同じ重さで……。

哀れ我らが主人公は、父親ばかりか最愛の息子も事故で失う。そして父親の親友で主人公の親代わりだった偉大な樵ケッチャムの悲愴な最期、9.11後の母国アメリカを覆い尽くす亡国現象……相次いで襲いかかる死と人世の虚無と無常を、著者はこれでもかこれでもかと描きだす。そう。作者に指摘されるまでもなく、世界は確実に死と滅亡に向かっているのだ。

しかしながら極寒の吹雪の大空から天使が降臨し、絶望の淵に沈む主人公に愛の光を注ぎ入れるささやかな奇跡は、私たちがかつて映画「ガープの世界」の冒頭で見たみどり児のほほえみをただちに連想させ、まるでダンテの「神曲」のように地獄と煉獄をさすらうこの神話的な長編小説が、天国への見果てぬ夢を紡ぐひとの巨人的な幻想の産物であることを思い知るのである。

冬空の下、もういちど物語の素晴らしさを信じ、もういちどそれぞれの「人生の大冒険」を始めよう、と説く作者の孤独なアジテーションが、ボブ・ディランの嗄れ声のように寥々と鳴り響いている。


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岡井隆著「わが告白」を読んで

2012-02-18 09:34:17 | Weblog


照る日曇る日第496回


歌壇の孤峰にして泰斗である当年とって84歳の著者が、かのアウグスティヌス、スタンダール、森鴎外の顰に倣い、アナトール・フランスの「エピクロスの園」に霊感を受けてものした「コンフェシオン」こそが本書である。

なにせこれまで3人の女性と離別し、32歳年下の4人目の女性と共棲している平成の大歌人が、過ぎ越し方をばゆくりなく振り返って、常の人なら墳墓の奥底にまで引き摺りこんでゆこうとする忌まわしき己の所業その罪咎を、あますところなく暴露するぞお、なーんて、宣言するのだから穏やかでない。と同時に、ますます下賤の身ゆえの好奇心がくみ取り便所の蛆虫のように湧きだしたのだが、なまなかの私小説作家の赤恥物よりスキャンダラスで面白いことは請け合いである。

 しかし著者もみずから語っているように、2009年11月に日本芸術院会員に推されてからはメスの切っ先が鈍り、秘めたる暗所への自己切開に緩みが生じたのか、私がいちばん知りたかった彼の2度に亘る突然の出奔について全く触れていないのは、羊頭狗肉とは難じられないまでも、甚だ遺憾のコンコンチキである。

 それにしても、かつてのマルキストがあろうことか天皇皇后両陛下に親しく作歌を指導する宮廷第一等の桂冠歌人となりおおせた姿は、いかに思想の上下左右転回転倒は許されているとはいうものの、アホ馬鹿単細胞のわたくしには到底理解を絶したコンコンチキであった。

末尾の挑発的な「原発擁護論」も首をかしげてしまうような奇怪な論旨であるが、ゲーテが主唱した機会詩の今日的実践として自在に引用されている自作短歌の素晴らしさは、それらの瑕瑾を補って余りあるものだ。


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ヴィンセント・ミネリ監督の「花嫁の父」を見て

2012-02-17 08:08:18 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.202

私の大好きなスペンサー・トレーシーが主演する1950年ハリウッド製作のどたばたコメディです。

長年にわたって私財を蓄えてきた弁護士が、目に入れても痛くない愛娘エリザベス・テーラーが突然結婚すると言いだして連れてきた青年にパニックとなり、はじめは反対したり、次には簡素な式を、などと注文をつけていますが、娘と妻の連合軍のペースにはまってどんどん大規模かつ物入りの挙式となり、挙句に来場者で溢れかえったホームパーティの会場で娘と別れの挨拶も出来ないままに新婚旅行に旅立ってしまいます。

映画はそのランチキパーテーが終わってへたりこむ回想シーンから始まるのですが、「男は出て行って戻らないが女の子はいつまでも家にいる」と言って、初老なれどまだそれなりに若く、美しい細君とダンスを踊るラストが心に沁みます。

それにしても当時のアメリカでは、挙式費用は全部新郎側が負担したのでしょうか? わたしんときは確か折半でしたけど。



横須賀の歯医者へ行けば何か出来ると思いきや一句も詠めずただ痛いだけ 蝶人
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ジョン・アーヴィング著「あの川のほとりで上」を読んで

2012-02-16 07:17:51 | Weblog


照る日曇る日第495回


現代アメリカを代表する偉大な作家の最新作の上巻を読んだところです。

この長大な(私が思うに)ビルドゥングスロマンは、1954年4月、泥の季節のニューハンプシャー州の小さな町を流れる「曲がり河」の丸太の下に沈んだ一人の少年の挿話から始まります。

そして1967年のボストン、1983年のヴァーモント州のイタリアンレストランへと舞台を移しながら、その間、氷結した川の上で2人の男のまわりで典雅なスクエアダンス踊っていた主人公の美しい母親の突然の溺死、叔母とのめくるめく性愛、主人公の父と冷酷な治安管の共通の情婦!をクマの襲撃と勘違いして!フライパンの一撃で!死に追いやった主人公!の悲嘆と一家の逃亡などの悲話を、「これが小説だあ!」とばかり銀ぎら銀にさりげなくさりげなく織り込みながら、ゆらゆる不気味に昇りつめる後楽園のジェットコースターのように次第に加速し、薔薇色の生と性の喜びと黒い死のコントラストを、父母未生以前の本源的なものにしていくのです。

作家は自らの分身である主人公とその一族の途方もない来歴を、始めは処女の泉のごとく、次には次第に激しく流れる川のごとく、佳境に達すれば悠揚迫らぬ海の満ち引きのように自由自在に語るのですが、その語りの低音部でじわじわと高まって来るこの未聞の法螺話とホラーがアマルガムに合体した恐ろしさの正体はいったい何なのでしょうか? 

それは少年時代の漱石が我知らず釣り上げてしまった巨大な怪魚の恐ろしさに少し似ていて、かつてこの作家の先達であるポーやクーパー、ホーソーンやメルヴィル、フォークナーがそれぞれの流儀で描いた世界でもあります。

果たして主人公の父ドミニクは、冷血カウボーイの魔手から逃げおおせることができるのか? そして父親と共にあっちこっちを逃亡しながらいつしか著者を思わせる有名作家になりあがった我らが主人公の運命は、これからどのように変転するのか? 

本書の翻訳を担当されたわが敬愛するミク友「上野 空」さんの、セミコロン連発の複雑怪奇な原文をあざやかに紐解く達意の翻訳と相俟って、途方もない傑作への予感が胸を限りなくときめかせます。



われ俄かに和製サンテックスとなりてマライ半島を下りぬ 蝶人
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スピルバーグ監督の「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」を見て

2012-02-15 06:56:59 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.201

1989年製作のシリーズ第3作では、お馴染みハリソンフォードのジュニア時代役に急死したリバー・フェニックス、父親役にショーンコネリーが出演して一層のお楽しみ度を加えた。

ジェフリー・ボームによる脚本は、私にはなんの興味もないキリスト教の聖杯伝説にのっかった安直なナチス対決冒険譚であるが、冒頭ベネチアの図書館の地下に美女とスーツ姿で潜入して早速鼠や蛇や蠍に遭遇したり騎士の墓を見つけたり、ナチに追われて石油が燃える水面を潜ったり危機一髪一気呵成のローラーゲームに引きずりこむスピルバーグ一流のストーリー展開はめざましいものがある。

例によって例に終わるこの出来レースの中で出色の存在は紅一点、ナチの女マタハリ、ボンドガールならぬインディガール役を演じる理知的にして妖艶なるアリソン・ドウーディ選手。仕事のためにはなんとインディ・ジョーンズ親子丼を美味しく食べてしまうという積極性を示すのですからたまりません。

あとは例によって聖杯が隠されている神殿におけるナチスとの争奪戦やらミイラやら老騎士やら大崩壊やらなんやかやで、息もつかさずにラストまで引っ張ってゆきまする。


遺産処分のため3333万円差し上げますてふメール連日来る三井香奈子そも何者 蝶人
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