不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

西暦2011年卯月 茫洋狂歌三昧

2011-04-30 11:53:37 | Weblog


♪ある晴れた日に 第90回



一匹の大蛇の上の花見かな

この桜見せてあげたし二万人

非国民と言われし人の花見かな

わが庵に咲くやこの花オオシマザクラ

上野にて桜咲く日に母逝きたり

憂いつつタンポポの道を歩みたり

気前よくCD買うのも国のため

四月馬鹿慎太郎も馬鹿都民も馬鹿

人間はカッコつけたら終わりです

        *

四月は残酷な季節

朝はコーヒーとトースト、昼は「笑っていいとも」を見ながら生協の関西風キツネうどん、夜は肉じゃがとご飯とみそ汁とデザートにイチゴを食べて、寅さんの映画を一本見てからお風呂に入り、「いろいろあったけど、今日もなんとか一日終わったね」などと言いながら、親子三人枕を並べて朝の七時までぐっすり寝ていたかったという声も確かに聞こえた。

私には今日もいろいろあってそれなりに楽しかったが、そのいろいろが突然無くなる日が誰にも訪れると改めて知った。

しかし波一つない海岸には大きく傾いた一本の松の木だけがしきりにそよいでいるだけ。神の不在は、いつまでも続くのであるか。やはりこの世には神も仏もないのであろう。

四月は残酷な季節。太陽が宙天に達した頃、カワナゴの大群が少女たちの黒髪の林を潜り抜けていく。

        *

どの指導者もこんなもんだよ俺たちのその薄っぺらさにちょうど見合って

一票を投じた党の無様さは我等自身の無様さでもある

声高に時の政府をなじる人君ならもっとうまくやるだろ

あほばかは東京都に最も多しまたぞろあほばか都知事を担ごうとする

「慎太郎」ではなく「錆びたナイフ」と書け東京都民よ

なにゆえにあのげじげじむしにいれあげるとうきょうとみんのあんぐはてなし

わが講義欠席にして帰国する留学子女に語る言葉なし

脳味噌いっぱい花が咲くオレンジスイカバナナ咲く

きことわとはきこちゃんととわちゃんがとわにあいしあうはなしです

銀行に勤めておりしこの私利子を間違えうろたえる夢

闘牛に突き殺されし夢見たりビゼーの「カルメン」を聴きし夜

モーツアルトはパン、バッハはごはん、ベートーヴェンは肉、サティはワサビ

サティって何者なんやよお分からんわとぶつぶつ言いながら弾いてるからこーゆ録音になるんじゃチッコリーニ 

死地に乗りゆくあほばか兄弟てんで恰好よく死にたいな

聖地につき犬の散歩禁ずという霊園糞が嫌なだけなのに噴

天も照覧カズ一撃みちのくに届けダンスダンスダンス

イナックスの修理の人が掻き出す耕君が捨てし硬貨の数々

小説なんかより思想書を読むんだと言うておりし先輩東京高裁長官となりき



平尾由希仙台に去りて四月尽 茫洋




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メットのエド・デ・ワールト指揮「ばらの騎士」を視聴して

2011-04-29 19:07:32 | Weblog

♪音楽千夜一夜 第194夜

2010年1月19日にメトロポリタンオペラで上演されたシュトラウスの代表作をビデオで視聴しましたが、あまり景気のいい話は書けそうにありません。というものこのオランダの指揮者の音楽がリヒアルト・シュトラウスをまったく自家薬籠中に収めていないからです。

彼は長くオランダのロッテルダムのオケを率いていたベテランで、ワーグナーなどはなかなか聴きごたえのする音楽をやるのですが、終始平板な劇伴を垂れ流すのみでありました。

演出はナサニエル・メリルという聞いたこともない人ですがこのオペラハウスの巨大な空間の処理を持てあまして凡庸の極致ですし、侯爵夫人がルネ・フレミング、オクタビアンがスーザン・グレイアム、ゾフィーがクリスティーネ・シェーファー、男爵がクリティン・ジグムンドソンという布陣は、当代の歌手の水準としては上等の部類に属するのでしょうが、往年のシュワルツコップやルチア・ポップなどの歌声が焼きついた耳にとっては格別の感慨はさらさらなく、この程度の優等生的な節回しにブラボーの声を惜しまない当夜の観衆のおそまつさに呆れかえったことでした。

唯一の救いは当日のインタビュアーにプラシド・ドミンゴが登場したくらい。先だって見物した同じ劇場の「カルメン」が抜群の出来栄えだっただけに、残念無念の3時間となってしまいました。こんなことなら高橋源一郎でも読んでいたほうがよかったな。


闘牛に突き殺されし夢見たりビゼーの「カルメン」を聴きし夜 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホロビッツ爺の「独グラモフォン全集」7枚組を聴いて

2011-04-28 15:54:46 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第193夜


春って曙なら、ホロビッツって、顔も演奏も古狸だと思う。

ここにはその古狸がソニーから移籍して晩年に入れた7枚のCDが収められているが、どれもこれも不作為という名の作為に満ち満ちており、それが嫌になるとしばらく離れていたくもなるのだが、最近のピアニストのCDの作為がもっとあざといと気がつくと、またまた手に取ってしまうのです。

例えばカルロ・マリア・ジュリーニ&スカラ座と入れたモーツアルトのk488はまあ普通の出来だが、同時に収録されたk333は生気溌剌としている。この時の映像を見ると、古狸は「オケなんかうざったい。ソナタのほうがよっぽどいい」などと温厚なジュリーニに失礼なセリフをほざいて、収録寸前までk333をつまびいているのだが、その演奏のあざやかなこと。本番のテークよりもそっちのほうがよほどチャーミングで、そんなことはここに収められた「ホロビッツ・アット・ホーム」のビデオ収録の時も散見された。

同じライブでもかしこまった世紀録音ではなくて、ざっかけない試技の指のすさびに天才の霊感がほとばしる。モスクワでの一期一会のライブでシューマンのトロイメライを弾いたときに目をしばたたく中年の聴衆に感動した私だったが、映像なしの録音ではさほどの演奏とは思えなかった。かように音楽鑑賞には目が邪魔になることもある。


聖地につき犬の散歩禁ずという霊園糞が嫌なだけなのに噴 茫洋


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クララ・ハスキルの「デッカ・エディション」全11枚組を聴いて

2011-04-27 14:03:47 | Weblog

♪音楽千夜一夜 第192夜

心が乱れて落ち着きを失いそうになった日にはクララ・ハスキルのモーツアルトを聴くと、かなり効き目があるから不思議だ。そこには慌てず急がず、ゆっくりと己の信ずる道を歩んでいくおばあさん、酸いも甘いも嚙分けた媼の熟成の音が奏でられている。

若き血がたぎる青春の音楽はそこにはない。人生の黄昏の音楽、あるいはもはやその人は黄泉の国でみまかっていて、死から次の生への途次である中有に向かいながら二短調協奏曲のアレグロを弾いているのかも知れない。そんな音楽。

この選集にはモーツアルトのk271や466、491、459、488、595などのピアノ協奏曲がマルケビッチ、フリッチャイ、バウムガルトナー、スボボダなどの指揮で収められているが、録音の時期やオケの精度の違いはあっても、彼女の演奏の解釈はまったく変わることなく、この世の果ての中有の音楽を孤吟している。

同じモーツアルトのグリュミオーと入れた6つのヴァイオリンソナタも枯淡と優婉のあわいに絶望と希望が点滅するような演奏で、絶品というよりほかにない。そのほか彼女がかつてフィリプスに入れたシュウマン、シューベルト、スカルラッテイ、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ全集も楽しめるベスト盤といえるでしょう。


モーツアルトはパン、バッハはごはん、ベートーヴェンは肉、サティはワサビ 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダグラス・サーク監督の「翼に賭ける命」を見て

2011-04-26 16:56:06 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.119


ウイリアム・フォークナーの原作だというので期待して見た1957年製作のハリウッド映画でしたが、出来はいまいち、今二、今三ということでさっぱりでした。

主演はお馴染み大根ロック・ハドソン。新聞記者に扮して第一次大戦の撃墜王ロバート・スックに近づくがお目当ては彼の妻のドロシー・マローン。この三角関係を軸にしがない曲芸飛行士の愛と哀しみの人情ドラマが繰り広げられていくが、役者も演技もドラマにも深みがないので、読んだこともないがフォークナーの原作にまでけちをつけたくなる超B級の飛行機映画野郎譚でありました。

事故を起こしたパイロットが群衆が群れる場所を避けて海上に墜落死するという感動のラストは、むかし実際に静岡県で起こった米軍パイロットの英雄的な最期を思い出させてくれました。彼は市街地を避けて河川に降下して亡くなったわけですが。


銀行に勤めておりしこの私利子を間違えうろたえる夢 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「田村隆一全集」第3巻を読んで

2011-04-25 19:55:32 | Weblog


照る日曇る日 第426回&ある晴れた日に第89回


深い海の底で、もう一度桜を見たいねという声がした。

朝はコーヒーとトースト、昼は「笑っていいとも」を見ながら生協の関西風キツネうどん、夜は肉じゃがとご飯とみそ汁とデザートにイチゴを食べて、の寅さんの映画を一本見てからお風呂に入り、「いろいろあったけど、今日もなんとか一日終わったね」などと言いながら、親子三人枕を並べて朝の七時までぐっすり寝ていたかったという声も確かに聞こえた。

私には今日もいろいろあってそれなりに楽しかったが、そのいろいろが突然無くなる日が誰にも訪れると改めて知った。

しかし波一つない海岸には大きく傾いた一本の松の木だけがしきりにそよいでいるだけ。神の不在は、いつまでも続くのであるか。やはりこの世には神も仏もないのであろう。

四月は残酷な季節。太陽が宙天に達した頃、カワナゴの大群が少女たちの黒髪の林を潜り抜けていく。


憂いつつタンポポの道を歩みたり 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新国立美術館で「シュルレアリスム展」を見て

2011-04-24 11:22:41 | Weblog

茫洋物見遊山記第55回

パリ・ポンピドゥセンターに腐るほど在庫しているシュールリアリズム、ではなくてシュルレアリスム関連の絵画やドローイングや参考資料などがずらずら並んでいましたが、一等面白かったのはパリ・フォンテーヌ街にあったアンドレ・ブルトン邸のアトリエを撮影したヴィデオでした。

ここにはアジア、アフリカ、イスラムなど古今東西の美術品や骨とう品が所狭しと並べられ、しかもそれらの1点1点が展覧会の作品を超越するような無類の面白さで、この元祖シュルレアリストの眼力の凄さを雄弁に物語っています。ブルトンの如き既存の文明の価値観に属されない無垢の眼の持ち主であったればこそ、超現実主義なる独創的な美学を編み出すことができたということが如実にわかる映像でしたが、きけばこの貴重な世界文化財を2003年にオークションで解体してしまったとはなんと無法な振る舞いでしょう。馬鹿に付ける薬がないとはこのことです。

2番目の見ものは、ダリが脚本協力をしたルイス・ブニュエルの古典的名作「アンダルシアの犬」と「黄金時代」の映画上映です。冒頭で女性の眼球が剃刀で切断される前者の衝撃は制作されて83年後の今日もなお失せてはいませんし、ワーグナーのトリスタンとイゾルデの伴奏に乗って繰り広げられる「黄金時代」の抜粋は、たった5分間とはいえ当時右翼が爆弾を投げつけた理由が分かるような気がするキッチュな作品です。


肝心の本展の作品では、私の大好きなイヴ・タンギーを筆頭に、ミロ、マグリット、キリコ、ダリ、数は少ないですがピカビアとデルボーが展示されており、シュルレアリスムなどと粋がってはいても、後期印象派の明後日に描かれたことが明々白々なコレクションなのでした。


小説なんかより思想書を読むんだと言うておりし先輩東京高裁長官になりき 茫洋


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョン・マッデン監督の「恋におちたシェークスピア」を見て

2011-04-23 09:25:26 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.118



監督や主演俳優についてはヒロインのバルトロウの乳房の尖り方が美しいという以外に格別言うべきことはないが、「未来世紀ブラジル」や「太陽の帝国」の脚本を書いたトム・ストッパードの卓抜な思いつきが素晴らしい。

シェークスピアの「ハムレット」に拠る戯曲も書いている彼は、本作ではわが偏愛の奇書「ソネット集」をひとひねりして、若き日の沙翁の恋愛譚をこしらえた。

沙翁の「ソネット集」は謎の美貌の青年貴族とこれまた謎の「ダークレディ」への愛を描いているが、ストッパードはこの映画のヒロイン、ヴァイオラを男装させることによって、沙翁の両性愛、バイセクシュアリティをビジュアライズしようとしている。

すなわち、あのオスカーワイルドが着目した「ソネット20番」の、

姿かたちは男だがすべてのかたちをうちに従えている。
だからその姿が男の眼をうばい、女の魂をまよわせる。(高松雄一訳)

の艶姿に翻弄される沙翁を描こうとしたわけだが、それにしてはバルトロウも、ましてやジョセフ・ファインズも明らかに役(者)不足で、この優れたシナリオでの再映像化を望むこと切なるものがある。

しかしながら、沙翁の恋が「ロミオとジュリエット」の戯曲&上演と同時並行で生き生きと進行していくことや、ロミオ上演の成功が同時に2人の現世の恋の終わりであり、それを次作の「十二夜」のプロットへと接ぎ木していく脚本家のアイデアはこれまた秀逸で、沙翁への永遠の愛を胸に秘めたヒロインが、未踏の荒野に歩み去るラストシーンは、ほとんど感動的でさえある。



一票を投じた党の無様さは我等自身の無様さでもある 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シュテンファン・ルツオヴィスキー監督の「ヒトラーの贋札」を見て

2011-04-22 11:36:45 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.117


第2次大戦中に強制収容所のユダヤ人たちが動員されて大量のポンド紙幣を捏造する話。まさかと思ったが、実話でこの映画にも登場する印刷工の手記が原作になっている。

この原作者はもう少しでドルに成功するところだった偽札作りをサボタージュすることによってヒトラー一味に抵抗し続けるのだが、映画も観客もそんな政治的レジスタンスなんかどこ吹く風で、いつのまにか贋札製作チームに陰で声援を送っている感じになってしまうのは妙な気分だ。

なんでも1億3200万ポンドの精巧無比な偽札を作ったそうだが、それで英国政府がどれだけ打撃をこうむったかといえば、あんまり関係ないだろうな。それでもこういう映画やジッドや島田雅彦の小説などが相も変わらずつくられるのは、おそらく人間は誰しも偽札を作って蕩尽してみたいという欲望が心の底にあるからに違いない。

一夜のカジノで巨萬の偽札を失いながら、「また作るさ」と豪語する主人公が、うらやましくなってしまった。


声高に時の政府をなじる人きっと君ならうまくやるだろ 茫洋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メトの「カルメン」新演出ビデオを視聴して

2011-04-21 10:13:22 | Weblog

♪音楽千夜一夜 第191夜

2010年1月16日にNYのメトロポリタンオペラで上演されたビゼーの「カルメン」のライヴを視聴しました。

まず表題役のエリーナ・ガランチャの演技と歌唱が素晴らしい。2幕では盗族仲間と見事なダンスまで踊ってのけますが、舞台で棒立ちになったままの日本人も少しはツメの垢でも飲んでください。

そしてもはや押しも押されぬ実力派になったドンホセ役のロベルトー・アラーニャが力づよい歌唱を聴かせ、ファム・ファタールへの恋の怨念を最後まで貫き通します。

この2人の主役に第3の軸として堂々と張りあうのがバルバラ・フラットリのミカエラです。とかく「カルメン」ではこのドンホセの恋人役の存在がないがしろにされて三角関係のドラマツルギーに緊張が欠けるケースが見受けられるですが、演出のリチャード・エアはこの弱点をしっかりカバーしています。

開幕の3時間前に代役を命じられたニュージーランド出身の元会計士テディ・タフ・ローズもそつのないタフな歌唱を展開し、新人指揮者のゼニック・ネガ・セガーも若者らしい情熱的な劇伴で盛り上げ、終始高水準のパフォーマンスが繰り広げられていました。

もっとも大きな感銘を与えられたのは4幕最後の演出で、凶刃に倒れたカルメンの右手にドンホセが指輪をはめている舞台がぐるりと回ると、そこはなんと闘牛場。オペラはいままさにエスカミリヨが巨大な牛を仕留めた興奮と大歓声のなかで幕を閉じるのです。

少年少女合唱団の起用といい、このオペラの読み変えを迫る前代未聞の演出といい、リチャード・エア恐るべし。いつも音楽鑑賞を妨害するあほばか演出に不平たらたらのこの私も今回ばかりは完全に脱帽です。



どの指導者もこんなもんだよ俺たちのその薄っぺらさにちょうど見合って 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐々木恵介著「天皇の歴史03天皇と摂政・関白」を読んで

2011-04-20 13:19:39 | Weblog


照る日曇る日 第425回


本巻では9世紀半ばの文徳天皇から11世紀半ばの後冷泉天皇までのおよそ200年間の摂関政治の時代を取り扱っているがなかなか面白かった。

ひとつは「望月のかけたることも無しと思へば」と歌った藤原道長も結構苦労を重ねていることで、次兄道兼の突然の伝染病死や長兄道隆の子伊周、隆家の失脚がなければ寛仁2年に栄華の頂点にまで上り詰めることも不可能であっただろうし、「一家三后」の空前絶後の快挙も、愛娘彰子付きの女房、紫式部が「源氏物語」を書くこともなかったであろう。しかし道長と三条天皇との確執は相当深刻だったようで、それは三条を激怒させるほど強引な画策を行ったからである。

望月の歌が詠まれたのは一六夜で、本歌は能天気な自己賛美ではなく、むしろ栄華の儚さを謳っているという指摘も、げにさもありなんと思われた。

もう一つは天皇と穢れの問題で、後一条以降、天皇は観念上は在位中は死去しない「不死の存在」となり、内裏は、国境の外部の穢れに満ち満ちた異界とは対極にある「浄」の中心となって(宇多天皇などは御簾越しに「蕃人」と対面する)、平安朝から神国思想が誕生したという指摘である。

三つ目は、この時代の怨霊の祟りの猛威で、著者は醍醐天皇を呪い殺したのは菅原道真であり、藤原道長が地獄の三丁目に突き落とされなかったのは追放した政治的ライバルの伊周や隆家の配流を一年にとどめて京に戻したり、自分が強要して皇太子を辞任させた敦明親王に対して太上天皇並みの待遇を与え、自分の娘寛子を納れたからだ、と半ば信じている気配があるのはまことに微笑ましく、これまたさもありなんと思われた。

この時代にはもはや誰が天皇になっても、摂関や蔵人所や検非違使が天皇の機能を代行できる体制が確立されたと説く著者は、それでは天皇独自の存在意義は何かと最後に自問して、大嘗祭、新嘗祭、神今食における神との共食儀礼と「神器」の保持継承であると自答し、昭和天皇は、それなくして国体が護持できない「三種の神器」の保全のためにポツダム宣言を受諾した(「昭和天皇独白録」)、と指摘している。

これを私流に換言すれば、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」と同じように、「三種の神器」を所有している者が支配者になれる訳だから、われら忠良なる臣民どもが、皇統の後継者についてとやかく詮議立てをする必要は毫もなさそうである。


わが庵に咲くやこの花オオシマザクラ 茫洋


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンソン・フランソワEMI全集全36枚組を聴いて

2011-04-19 17:04:26 | Weblog

♪音楽千夜一夜 第190夜

フランソワなどというても10人が8人は知らないだろうが、それでよいのである。1924年に生まれ1970年に卒然として逝ったこのドイツで育ったフランス人の飲んだくれピアノを聴けば、やれホロビッツ、やれポリーニ、やれアルゲリッチ、やれリヒテル、ほうやれほ、なぞと騒いでいる人の健全な音楽観が攪乱されるだろうから。

この人のドビュッシーやラベル、とりわけシューマンが深い詩想を湛えていることはどんな小品のたった6小節を聴いても分かるが、驚くべきことはあれほど軽薄なショパンの音楽、自慰してたった1分で精髄を放出して果てるあの西洋俳句のような痙攣音楽が、なんとも偉大な大芸術として現前することである。

あれあれ、私としたことが大変尾籠な比喩で失礼しました。別の紋切り型で換言すれば、超二流の音楽家の哀しさを慈しみと共感をもって演奏することができる世にも不思議なたった二人のピアニストの一人、それがフランソワなのである。

 練習大嫌いでミスタッチは水の中の水素より多く、気分屋で、いい加減でノンシャランのように見えて比類なく繊細で、誠実で、直情的で、霊感に富み、音楽の最も大切な部分に最短距離で到達する技術、つまりは天才をこのピアノの詩人は生まれながらにして持っていた。指揮者で言えばクナパーツブッシュかクレンペラーにちょいと似ているのかもしれない。


ポリーニやアルゲリッチのショパンの中にギンギラギンにさりげなく存在しているのはえげつないポリーニやアルゲリッチだけで、純正ショパンはひとかけらもないのだが、コルトーとフランソワの演奏の中には2流の芸術家ショパンの哀しさだけが明滅していて、それで私たちは不覚にもおいおい泣かされるのである。


わが講義欠席にして帰国する留学子女に告げることなし 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロイヤル・フィルの「グレート・クラシカル・マスターワークス」全30枚組を聴いて

2011-04-18 06:26:02 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第189夜

新宿や渋谷や池袋の駅構内のワゴンセールの目玉商品として1枚250円で叩き売られていたのがこのCDですが、このたび1枚102円という爆発的廉価で全国発売されることになりました。

すでに「パート2」の30枚組もどかどかネット販売されていますが、この第1集の目玉は、今は亡き名人チャールズ・マッケラスが指揮したベルリオーズの「幻想交響曲」やリヒアルト・シュトラウスの「ツアンラストラかく語りき」、ドボルザークの「新世界」、シベリウスの第2番交響曲とフィンランディア、ショスターコヴィッチの5番シンフォニーでしょう。

この人のモーツアルトは交響曲もオペラもすべて絶品ですが、その他のレパートリーを演奏してもやはり並々ならぬ水準の音楽を聞かせてくれます。

あとはバイオリニストとしては(アイザック・スターンと同様)音程が甘く、どうにも感心できなかったユーディ・メニューインが指揮するエルガーのエニグマ変奏曲集がお奨め。晩年指揮者に転向してから録音した彼のシューベルトやベートーヴェンの交響曲全集などはじつに見事なもので、同じくバイオリニストから転身したシャンドール・ヴェーグと好一対、さらに言えば、ピアニストから転身したアシュケナージやエッシェンバッハ輩とは「悪一対」をなしています。


非国民と言われし人の花見かな 茫洋



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉川真司著「天皇の歴史02聖武天皇と仏都平城京」を読んで

2011-04-17 17:06:25 | Weblog

照る日曇る日 第424回


いったん天智から天武に移行した王権が、文武、聖武、幸謙・称徳を経て光仁からその子桓武天皇に移った時点で、平城京は7大寺を拠点とする仏都に転化せしめられ、政治経済の拠点は長岡京を経て平安京に定着することになりました。

本書はさらに桓武以降の皇位が、平城、嵯峨、淳和、仁明に継承され、王権政治が崩壊して律令体制を基盤とする摂関政治へと転換されていくさまを分かりやすく記述しています。

私が特に興味深く読んだのは、平安京を開いた桓武天皇の事績です。自己の権威付けのために父方の天智系皇統を称揚した桓武は、今度は当時、「蕃人」視されていた百済系渡来氏族の出身である母方のイメージアップに取りかかります。

亡き母親和新笠に皇太后のおくりなを与え、交野を本拠とする百済一族に対して叙位を行い、「百済王らは朕の外戚なり」と宣言した桓武こそは、今も昔も本邦に根強く存在する朝鮮民族に対する故なき差別意識に対する史上はじめての公的挑戦者だったのではないでしょうか。

もっとも弥生時代に朝鮮半島から大量に移住してきた弥生人のDNAが私たち現日本人の血肉にどっぷり内蔵されていることを思えば、天皇桓武の意識脱却の国策キャンペーンなど、はなから無意味であったわけですが。


この桜見せてあげたし二万人 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノーマン・ジュイソン監督の「アメリカ上陸作戦」を見て

2011-04-16 17:47:23 | Weblog
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.116


1966年に製作された「ロシア人がやって来た」という原題の所謂ひとつの爆笑コメディです。

1966年という年はベトナム戦争開始の翌年でありいわば冷戦の真っただ中なのに、米ソ両国の政治的対立ではなく、両国民の等身大の生身の接触を面白おかしく、恐ろしく、余裕を持って描いたこの監督の知性と勇気は称賛に値します。

冒頭、アメリカのさびれた海岸で突然座礁してしまったソ連の潜水艦の艦長のキャラがもう完全な漫画で、これを引っ張る大きなボートを求めて部下たちが上陸し、小さな町の住民たちと無数のトラブルを引き起こすところからこの映画はスタートします。

そしてその次の瞬間から繰り広げられるのは、突如出現した黒船と敵国人によってもたらされた抱腹絶倒の誤解と妄想、誰しも身に覚えのある異貌の他者への敵意と殺意、一蝕即発の戦争への狂気、そしてそれらを否定的な媒介として自然発生的に生まれてきた温かで人間らしい感情と恋愛!、さらには人類の恒久平和へのほのかな希望と小さな連帯の赤襷等々……。

この芸達者な監督は、戦争と平和のカレードスコープを、これでもか、これでもかのてんこもりの大サービスで見せつけてくれるのです。 


上野にて桜咲く日に母逝きたり 茫洋

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする