あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

高山邦男歌集「インソムニア」を読んで

2019-09-30 13:39:48 | Weblog


照る日曇る日 第1298回


デザイナーの篠原善太郎氏から恵送された歌集を謹んで拝読しました。作者は夜に働くタクシードライバーらしく、

縁ありて品川駅まで客とゆく第一京浜の夜景となりて

ラジオから流れるる歌声ことのほか力強かり「この世の花」よ

というような印象的な秀歌が冒頭を飾っていますが、真ん中へんに並んでいる老いたる父母の歌に私は心を打たれた。母親はどうやら認知症の症状があるらしく、父親も胃の手術を受けられたようです。

もう帰る?今日も母から言はれつつ仕事に出掛ける夜の街へと

 あとどれ程生きられるだらう穏やかな死顔のやうに眠れる母は

切り取られ無様な肉の塊となりたる父の一部なりしもの

 ありがたうだけは幽かに聞き取れてわづかに父の片手が動く

さらに進んで、

 ブント、かくさ、革命戦線、週刊誌にエロ記事と並ぶ過去の言葉は

 ぬひぐるみ着てへんな歌に踊りゐし人の末路に出会ふ歳月

のような社会詠をみつけるとなぜか安心してしまうのは私だけだろうか。最後に「殺しても」という連作の中から何首かを挙げておきませうか。

 人間を殺してもいいその人がもし戦場の敵兵ならば

 殺してもやむを得ぬかもその人があなたの命を取らむとすれば

 殺してもいいらし確かに生きてゐる小さな命生前なら

 人間を殺せるだらうか本当に人殺しといふ自分を受け入れ

   
     飛行機雲は雲にはあらず長月尽 蝶人
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長月尽尽

2019-09-29 13:46:04 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.322

W杯でアイルランドに勝ったのは凄いし素晴らしい快挙だったが、それが実現されてしまうと格別の「奇跡」でもないような気がしてきて、おらっちの心持ちというやつはどうしようもないものだと思います。

今日は雨が降りはじめたし、もう長月も終わりだし、消費税も上がるようだし、超右翼ファシスト政権もずずううううううと続くようだから、陋屋で大人しくしているずら。


 長々と人世生きてきたけれどもういちどやり直す気はない 蝶人
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佐藤賢一著「ナポレオン2」を読んで 

2019-09-28 10:46:06 | Weblog


照る日曇る日 第1297回


全3巻あるのだが、都合で2巻目から読み始める。1巻目「台頭篇」では大革命の20年前にコルシカ島で生まれたナポレオンが、軍人として革命的に大活躍し、イタリア、オーストラリアに連戦連勝するまでを描く。

この「野望篇」では、パリに凱旋したナポレオンが、英国艦隊との直接対決を避けて突如エジプトに侵入。帰国するやブリュメール18日のクーデターで共和国執政に就任して独裁体制を強めていき、今度はアルプスを越えてイタリアを占領し仏伊両国の首領となる。

1804年にはフランス皇帝、翌年にはイタリア王となり、同年12月アウステルリッツの3帝対決でオーストリア、ロシア連合軍を大敗させ権力の絶頂期を迎えたが、身内の兄弟たちを各国の王としてデリバリーし始めた辺りから、大いなる転落の日々が始まるのである。

私は著者による「小説フランス革命全12巻」を読んで、はじめて大革命の実相を会得したと思ったのだが、この人はアンドレ・モロワやミシュレーよりも面白く明快に歴史を開陳できる稀有な才能の持ち主で、「ナポレオン」はその大著のいわば続編にあたるが、その独特の語り口と漫画的な切り口が前著より気になるといえば気になるのである。


     耕君のイビキで揺れる六畳間 蝶人
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鎌倉三文オペラ<全4幕> 

2019-09-27 13:28:00 | Weblog


これでも詩かよ第268回&音楽千夜一夜第435回



序幕

亡年亡日
昔ひとりのあきんどが、諸国一見の旅をしながら、屑払いの仕事で僅かに口を糊していました。

わいらあ、しょこくいちげんの屑はらい
クズイイイ、くずいい、おたくのどこかに、屑はないかいなあ
いままでみんなが捨てていたあんなもの、こんなもの、みーんなまとめて超々高値で引き取りまっせ

いくらで引き取るかって?
例えば、初代のリカチャン人形、5万円以上
ビックリマンシール「スーパーゼウス」、10万円以上
壊れたオーディオ機器、8万円
昔使っていたバイクのヘルメット、1万円
状態によって金額は前後するけど、意外な品物に意外な金額がつくことが、ほんまにしょっちゅうありまっせ

んで、おたくにこんなもん、あらへんやろか?

毛皮のコート、スーツ、洋服全般、ジーパン、デジタルモンスター、ブランドバッグ、ブランド洋服、参考書、鉄道チケット、ゴルフ用品、ウクレレ、貴金属、使い古したアクセサリー、片方のピアス、石の取れた指輪、イミテーションアクセサリー、ネクタイピン、カフス、ピンバッチ、エアコン、車のバッテリー、シンセサイザー、こけし人形、贈答品のお皿類、亀の剥製、火鉢、革製品、自転車、車のパーツ、電子ドラム、ウオシュレット、スポーツ用品、お酒、ワイン、ブランデイ、ウイスキー、芝刈り機、圧力鍋、包丁、ミキサー、ギター、釣り竿、ルアー、キャンプ用品、筋肉マン消しゴム、レゴ、ファミコン、プレステ、ネオジオ、pcエンジン、ゲームソフト、古いキューピー人形、美容器具、健康器具、TOMY、市松人形、キャラクターカード類、切手、収入印紙、コイン類、レコードプレーヤー、オープンリールデッキ、望遠鏡、三味線ばち、ハッピーセットの景品、映画の半券、期限切れの仕立券、トランシーバー、カラオケセット、昔の携帯電話、電子ピアノ、ブランデーの空き箱、炊飯器、サーフボート、リモコン、カタログ、取り扱い説明書、ポイントカード、懸賞応募シール、芸能人記載の新聞紙、象牙、サックス、パイプタバコ、シルバニアファミリー、リカちゃん人形、ペコちゃん人形、マルちゃん人形、エースコック人形、壊れたエレキギター、古いバイオリン、フィギュア、ヒーローものオモチャ、使えなくなったカメラ、骨董品、鉄器、鉄瓶、茶器、銀盃、香道具、日本刀、学生制服、様々な業種の制服、天然流木、古びた漫画、チョロQ、ミニカー、アンプ、昔のapple製品、ビックリマンシール、ギザ10、MDプレーヤー、ポケモンカード、テレフォンカード、フロッピーディスク、ウオークマン、壊れたカセットレコーダー、昔のカセットテープ、ブランデーの空ビン、南京虫(婦人用時計)、古いアンプ、昔のベータテープ、工具、壊れたパソコン、鉄製のミシン、壊れた時計、使い古しの化粧品、香水、ブランド品の空箱、F1ポスター、欠品プラモデル、のこぎりの刃

などなど、なんでも高値で引き取りまっせ!


第2幕 片方のピアス

亡年亡日
昔沖縄で結婚式を挙げた時に、白い砂浜に片方の青いピアスを忘れてしまった八島洋子ちゃんは、小町通りを左に折れた鏑木清方記念美術館の前で、赤瀬川原平氏と連れだって歩いていた、こおろぎ嬢と出会った。

左の耳に青いピアスを付けた八島洋子ちゃんは、朝顔の柄の浴衣を着て、紅いぽっくりを履いたこおろぎ嬢めがけて、ぐんぐん近づいていく。

こおろぎ嬢の右の耳には、青いピアスが小町通りの夕陽にキラキラと輝いていた。


第3幕 期限切れの仕立券

亡年亡日
若い母親たちから、憲法9条についての講演を頼まれた劇作家の井上ひさし氏は、御成小学校の中にある木造校舎の一室で、レジュメを出そうとしてポケットの中をさぐっていた。

すると、昨夜書いた講演会のためのレジュメの代わりに、皺くちゃになった紙切れが出てきた。

それを広げて良く見ると、銀座三越の特選スーツの無料仕立券であったが、生憎ちょうど昨日で期限が切れている。

井上ひさし氏は、チエっと舌打ちすると、その仕立券を丸めて、部屋の片隅にあった屑籠にポーンと投げ入れた。


終幕 壊れた時計

亡年亡日
新橋の内幸町のNHKホールで大道具のアルバイトをしていた、当時慶應義塾大学商学部4年生の加藤幸吉君は、「歌のグランドショー」の裏方の仕事を夢中になってやっている間に、父の形見のオメガの銀時計を失くしてしまった。

加藤君は「歌のグランドショー」の空舞台の最前列で、「こんちくしょおおお! こんちくしょおおお!」と、何度も何度も悲痛な声で嘆き悲しんだが、いくら探しても、いくら叫んでも、時計はとうとう出てこなかった。

それから何十年も経ち、リタイアしてから鎌倉に住む加藤君は、市立中央図書館の帰りに、ニンニクもニラも入れない山本餃子の餃子を、お昼に食べようと思いついた。
餃子の本場中国では、ニンニクもニラも入れないのである。

狭い山本餃子の横一列のカウンターには、幸い一人しか先客はいなかった。

やれうれしや、とグラグラと不安定なイスタンドに腰を下ろした加藤君は、いつものように餃子9個入りの「餃子定食(中)」1000円也を頼んでから、ふと隣の客を見ると、加藤君とほぼ同年代の後期高齢者が、次々に餃子を平らげている。

しばらくして加藤君は、その男の左腕に、古いオメガの銀時計が嵌っているのを認めた。
さっきから秒針はまったく動いていないので、きっと伊達時計だと思われるが、その時計は、昔むかし若き日の彼が、内幸町のNHKホールで失くしたオメガに、じつによく似ていた。

気がつくと加藤君は、すでに勘定をすませて店の外へ出ようとするその男の左腕を、ムンズと掴んでいた。


*この作品は、我が家に配達された「珍品新聞号外」の文章を、出張買取「トータル」の代表、坂根太郎さんのお許しを得て一部リライトして使用しました。



もしあの時違う道に進んでいたら別の人世になっていたろう 蝶人
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岩波文庫版「源氏物語六柏木-幻」を読んで

2019-09-26 12:10:35 | Weblog


照る日曇る日 第1296回


欲情に任せて女三の宮を強姦した柏木だったが、その鬼神も恐れぬその大胆な行為は、かつて自身もそれ以上の姦通を犯した経験のある源氏に知られることとなり、源氏と違ってそのストレスに耐えられなかった柏木は自死自滅するがごとく他界していく。

(柏木亡きあと未亡人の落葉宮に迫る夕霧の優柔不断さは、死んだ柏木の直情径行と鋭い対比をなして、なんと鮮やかに描き分けられていることよ!)

貴人の資産と結婚に目がくらんだ源氏は天罰覿面、因果応報、正夫人の地位を失った紫上の愛を失い、もはや忘れたはずの許されざる己の過去から強烈な復讐をこうむり、さながらヘッツェルを失ったウイーンフィルのように、公私ともに権力の絶頂から転落していく。

紫上が亡くなったあとの源氏の悲嘆を「御法」、「幻」で描く紫式部の筆は冴えわたり、文字通りそうであるほかは無かった光源氏という男の運命に、涙ながらに「寄り添って」いるのである。

懇切丁寧な語釈と注解に助けられながら読む源氏こそは紫式部の筆跡をじかに辿る原作の読みであり、いかなる翻訳でも味わえない源氏の醍醍味といえよう。


  孫自慢、犬猫自慢、癌治療「徹子の部屋」の三大テーマ 蝶人
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蝶人長月映画劇場その3 

2019-09-25 14:18:07 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.2047、48、49



1)マーティン・スコセッシ監督の「ギャング・オブ・ニューヨーク」
マフィアの話しかと思っていたら、もっともっと昔、南北戦争時代にNYネイテイブとアイルランド移民組が戦う話だった。ダニエル・デイ=ルイスがカッコイイ。圧倒的に素晴らしい。ディカプリなんか目じゃない。

2)アンドレイ・タルコフスキー監督の「ノスタルジア」
久しぶりにこの監督独自の映像美学、映像思考、映像抒情を堪能す。主人公が捧げ持つ蠟燭は地上に残された唯一の希望か。ヒロインが美しい。

3)リュック・ベッソン監督の「ジャンヌ・ダルク」
神に召喚された少女の喜びと苦しみを、さもありなんと描ききった1999年製作の秀作。


     ヤマカガシ踏み殺し損ねtたる足の裏 蝶人
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続 秋の夜長のクラシック談義 

2019-09-24 14:25:33 | Weblog


音楽千夜一夜 第435回

NHK-FM「クラシックの迷宮」で、片山杜秀氏が久石譲氏の音楽について語っていてなかなか面白かった。

久石氏はもともと現代音楽に造詣が深く、ミニマル・ミュージックに影響を受けた打楽器の作品などを作曲していたようだ。

そして最近「フューチャー・オーケストラ・クラシックス」を率いて録音したべートーヴェンの交響曲全集からいくつかの曲を紹介していたが、片山氏は、久石氏は「ミニマル・ミュージックの先駆者としてのべートーヴェン」を再発見したのではないかと指摘する。

頻発する再現部に力点をおき、同じ旋律の繰り返しに極度の集中と陶酔を覚えるような特異な演奏方法は、その主張をうらずけるような目覚ましさであった。

これに近い熱狂的な演奏としてはフルトヴェングラーが1950年の1月にウイーンフィルを振ったべートーヴェンの交響曲第7番の第4楽章のコーダがあるが、久石ベートーヴェンは、この部分を全面展開したような趣がある。

また改めて耳にする「風の谷のナウシカ」のテーマ曲や「もののけ姫」の主題歌も、まさしく筋金入りのミニマル・ミュージックの再現と聴こえたのであった。


なにゆえに水銀計はちょちょ切れるエイヤとばかり振り下ろせば 蝶人
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「夢は第2の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」 第81回 

2019-09-23 14:29:59 | Weblog


西暦2019年文月蝶人酔生夢死幾百夜

私はシゲハラ印刷に頼んでAPフェアの5点セットPOPを作ってもらい、それを全国各地の百貨店の売り場に飾りつけると、日本の名城をデザインした扇子を額に鉢巻きで巻いて、カッポレカッポレを唄いながらそこらを練り歩いた。7/1

女の子の家庭教師をやっていると、必ずその子が涙する時がやってくると先輩がいうので、私は何年も待っているのだが、まだその時は来ない。7/2

いつも京に来ると道に迷ってしまうのだが、今日も山科の里山辺で、どっちが駅なのか分からなくなってしまった。道を聞いても言葉が通じないし、そのうち私は、私自身が何者であるのかすら、茫洋となってきた。こんなことは初めてだ。7/4

京都駅から下り電車に乗ったら、鳥取や島根方面に行くおばはんたちが大勢乗っている。聞けば彼女たちは、みな地元の町会議員で、党派は違うが、研修という名目で京で観光してきたそうだ。7/5

久しぶりに五反田のダーバンへ行ったら、ナベショウ氏につかまって、彼が海外で買い集めた玩具のミニトロッコの御託を耳にする羽目に陥っていたく消耗していたら、折り良くミズノ氏から、「ちょっと来いよ」という電話があったので、これ幸いと逃げ出した。7/6

私は中原中也の真似をして、詩集の初校を持って、あちこちで見せびらかしているうちに、1枚、また1枚とどこかへ消えてしまい、しまいには全部無くなってしまった。7/7

家の鍵とか車の鍵とか、探しても探しても、長い間見つからなかった紛失物が、次々に出てくるので、夢かと喜んだのだが、目覚めてみると、それは全部夢だったので、コンチクショウメと歯ぎしりしている私。7/8

東京に本社があるために、いつも東京ファーストで東日本地区のことしか頭になかった私は、時々大阪支店の連中から、苦情と警告を受ける羽目になった。7/9

ルックのオオムラさんが、芸大の教授になったというので、私はいったいどういう裏技を使って、そういう芸当ができたのかを知りたかったのだが、オオムラ氏は、それは企業秘密ですというて、どうしても教えてくれない。7/10

私は昨夜の夢を、ケイターメールにしたためておいたので、それからは安心して、朝まで眠ることができた。本当は、夢見た直後に蒲団の中で録音しておけばいいのだが、それでは家人を起こすことになるので、要注意だ。7/12

アカプルコの海岸のカフェバーで、日向ぼっこをしていたら、店の女の子が、ここらへんは殺し屋の殺し屋がうじゃうじゃいるから、中に入っていたほうがいい、という。でも、どうしておらっちが殺し屋と分かったんだろう。もしかして彼女も殺し屋?7/13

宿命のライバルである我々は、アメフトの試合の途中で大乱闘となり、お互いに殴る蹴るの乱暴狼藉を繰り返しているうちに、多数の負傷者どころか、死者まで出てきたのだが、調停役のレフリーが、とっくの昔に逃亡していたので、誰も止める者がない。7/14

飛行機の前でマゴマゴしていると、衝突しそうになったので、どうも縁起が悪いな、と思いつつ、最前列に乗り込むと、ちょうど真向かいに停止中の飛行機の窓から、私を狙っているライフルが見えたので、すぐにカウンターに戻って、搭乗をキャンセルした。7/15

◎◎市の○内の範囲では、うんとん家が惹き起した暴動に巻き込まれているという情報が、テレビの速報で流れた。7/16

どういう風の吹きまわしか、馬鹿殿の不興を買ってしまったので、なんとかして元通りに修復したいと思うのだが、なんせ相手が相手なので、どうすればいいのか、妙案を思い付けずにいる次第。7/17

世界最短詩の候補として、愛、愚、凡、穴、人、友、生、死、無、息、根、交、神などの漢字が浮かんだが、そういう既成の単語以外に、新造語や絵文字、混成語もあるのではないかと思い付いた。7/18

7月になって、朗報が飛び込んできた。私の芝居を、紀伊国屋ホールで上演するというのだが、ついては200万円寄越せというので、それはどういうことかと、文無しの私は、吃驚仰天だった。7/19

台所の床下収納庫の蓋を開けたら、底に巨大な魚の目玉が爛々と輝いていたので驚いた。この目の大きさからすると、地球上に棲息する魚ではなく、もしかすると、伝説上の大魚、鯤鵬ではないだろうか?7/20

内田百閒の「東京焼盡」から霊感を受けて、たった1晩で書き上げた私の「こうすれば10の天変地異から身を守ることができる」という本は、あっという間に、ベストセラーになってしまった。7/21

イデ君と素材メーカーとの打ち合わせに出張してきたのだが、バスを降りてから峠道を歩いても歩いても、目的地に着かない。そのうちイデ君が、道端でちょっと小用を足すから先に行ってくれというので、どんどん登っていったら、三差路に差し掛かり、イデ君もどこかへ消えてしまった。7/22

神宮球場のスタンドで、次の投球を打者がホームランすれば、私の歯痛が治るはずだ、と確信して待ったが、生憎三振に終わってしまったので、痛みは倍増するようだった。7/23

うみうし氏は、おもむろに懐の中から魚を取り出して机の上に並べ、若き兵士たちに食べさせてから、降り注ぐ弾雨をものともせずに戦場に飛び出し、まだ息のある若者を背負って、次々に塹壕の中に引きずりこむのだった。7/24

どういう風の吹きまわしだか、イケダノブオのアルファロメオの新車の助手席に乗ってしまった私は、シカゴ市警の全パトカーから追われる身となってしまった。7/25

誰かの詩集のなかに、1本の木の写真が挿入されていたのだが、それがあまりにも美しいので、書かれた詩のことなど、すっかり忘れ去ってしまった。7/26

戦況が思わしくないので、かつて戦場で一度も敗れたことのないスナフキン野郎を思い切って投入したのだが、敵軍の強襲に、たちまち撃退されてしまった。7/28

オオキさんチのアパートの近くで、誰かにどーんとぶつかられて、ばったり倒れてしまい、身動きできないでいると、またしても、そいつがのしかかってきたので、ひらりと身を交わして、避けたのよ。7/29

「世界大変」「世界大乱」「世界最凶」などの言葉が駆け巡って「万事快調」と覇を競い合うので、なかなか眠れなかった。7/30

これからの自動車業界を展望するS氏の本が刊行されたが、特別付録の、S氏が所属するA社の社長と、そのライバルのB、C社の社長との対談が面白いというので、業界の話題になって、アマゾン売上のトップに躍り出た。7/31

  咎のない可愛い豚を手にかける豚飼う人の南無阿弥陀仏 蝶人

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大江健三郎著「大江健三郎全小説12」を読んで 

2019-09-22 12:29:36 | Weblog


照る日曇る日 第1295回


本巻では「燃えあがる緑の木」の全巻、すなわち「第1部「救い主」が殴られるまで」、「第2部揺れ動く(ヴァシレーション)」、「第3部大いなる日」の3巻、というより3冊を内蔵している。

「第1部「救い主」が殴られるまで」は、男性から女性へ「転換」したサッチャンの口から祖母バーバの死と新しいギー兄さんの登場、活躍、そして失墜の顛末が興味深く語られる波乱万丈の物語である。巻末ではギー兄さんはサッチャンと性交し、救い主と信者2人だけの「教会」が誕生する。死にゆく少年に「君が誕生していなかった時間も君が死んでしまった時間も同じ。それより一瞬より少し長い時間を大切にしよう」と説くギー兄さん。

「第2部揺れ動く(ヴァシレーション)」では、教会の礼拝堂が完成。しかし肝心のギー兄さんは教祖として自立できず、その無様な姿に衝撃を受けたサッチャンは屋敷を出てしまう。「白哲の貴公子」と呼ばれた外交官、西山健彦をモデルにした「総領事」の面影が読む者に深く刻まれるだろう。

「第3部大いなる日」では、K伯父さんの世話で伊豆の別荘に逃れ、隣人の画家、岡のパートナー、マユミを介して「酒池肉林」の自己解放の世界に入るが、やがて時来りて再び教会を訪れ、元敵党派の襲撃を受けて車椅子の身となったギー兄さんと再会する。
しかしあらゆる宗教、政治党派運動の例にもれず、この熱烈に神を求めたがついに神に出会うことのなかった共同体も、ギー兄さんの挫折とともに分裂、崩壊、自滅の道を辿る。

いたるところにちりばめられたバイブルやダンテやイエーツやヴェイユなどの引用はきわめてペダンンチックでうざったいが、一人の小説家の集中的想念が、実際の社会的現実(オウム真理教事件、原発事故、性的マイノリティなど)を先取りする形で爆発的に形象化されていることは、この小説の対象が、個人や共同体の「魂のこと」の考察にととどまらず、日本および全世界が抱え込んだ政治的経済的社会的文明的現在と近未来への洞察を内包しているからだろう。

社会の中に生きる人間のすがたを、その人間の取り巻くあらゆる社会的諸条件と共に描き尽くすこと。ここには、かつてサルトルや野間宏が着手して果たせなかった「全体小説」の最上最良の成果が提示されているのではないだろうか。


「主イエスキリストは」と言いながら祖父小太郎は召天したり 蝶人
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秋の夜長のクラシック談義 

2019-09-21 11:51:01 | Weblog
秋の夜長のクラシック談義

音楽千夜一夜 第434回


昔むかし、いわゆるクラシック音楽を好きな人はジャズと同じで人口の2割くらいと聞かされた覚えがあるが、今でもそんなものだろうか。よく分からないが、もしかすると1割位に減ってきているのかもしれません。

1)しかしそういう少数派でありながら、クラシックやジャズの愛好家は、演歌やロックや洋楽全般のそれにくらべて、、人一倍頑固で口煩く、自分の鑑賞眼に絶対の信頼と信仰を懐いて、他者の意見や嗜好に不寛容ならざる手合いも多い。
中にはトランプ大統領のように自分を中心に世界が回っているかのように錯覚して演奏の価値を裁断し、あまつさえ他人に強制する連中もいるので要注意です(私のことかも!)な。

2)古典音楽の再現芸術の楽しみは、そもそも超個人的な性質のものであり、人さまざまであるからして、あまり人前でどういう指揮者のどういう演奏が最高とか、人気アンケートを取ったり、好きな者同士で党派を組んだり敵対したりするのは良くないとちおうは思います。
私がクラシックの音楽を聴くのは、ほとんど「耳寂しさからの惰性ゆえ」ですが、突如それらの演奏のほんの一節が、「一瞬とそれに続くしばらくの間」(by大江健三郎)なぜか私を感動させるからで、それ以外の理由は思い当たらないのです。

2)それでいい音楽を聴くためにはコンサートに行けばいいのですが、若いころからいろんなコンサートに出向いた経験からいうと、私を感動させてくれる音楽会はだいたい200回に1回くらいのもので、極めて確率が低い。
ものすごいお金と時間がかかるうえに、ブラボー絶叫野郎とかスマホ呼び出し女とかいろんな雑音や匂いを発散して、集中を妨げることおびただしい。
そんな次第でいつのまのか田舎の陋屋に閉じこもってCDやビデオ録画を楽しむようになりました。

3)人間も生き方も超保守派の私は、新しいものより古い演奏家や録音が好みです。
この節は「ハンス・クナッパーツブッシュ・コレクターズ・エディション」という203枚組のCDを買うてきて、1枚1枚舐めるように聴いておりますが、昨夜のN響のマーラー5番なんかより聴きごたえがあり、稀に感動もある。
いまヨーゼフ・シュトラウス2世のワルツやポルカを聴いていますが、何を言いたいかが明瞭である。昨夜はそれがなかったずら。

4)あんまりクナッパーツブッシュ漬けでも困るので、ハーマン・アーベントロートという人が東独時代のライプチヒ放送交響楽団ゲヴァントハウスを振ったベートーヴェンの交響曲全集(メモリーズ5枚組)を聞きましたら、これが普通の指揮者の普通のベートーヴェンと全然違うので驚いた。どこがどう違うかを確かめるために、もういちどきいてみるつもりです。

5)映像で見逃せないのは、なんというても「ベルリンフィルのデジタル・コンサート」。やはりいま現代最高のオケは、キリル・ペトレンコをシェフに据えたこの楽団だと思います。
しかしこのオケには、コンマスの樫本大進選手をはじめビオラの清水嬢など数名の日本人演奏家を迎えているのに、なんで2011年以降、日本人の指揮者がさっぱり登壇しないのだろう。佐渡選手並みの中堅指揮者ならこの国にも掃いて捨てるほどいるのになあと、嘆息せざるを得ません。

そんなことより、また新しい台風がやってくるそうなので戦々恐々。またクナ選手のシューベルトの「軍隊行進曲」でもきいて元気をつけるとしませう。


  外国人と日本人が半々の日本チームが外国に勝つ 蝶人

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蝶人長月映画劇場その2

2019-09-20 17:34:17 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.2042~46


1)ジョン・ヒューストン監督の「女と男の名誉」
ニコルソン、ターナー、アンジェリカ・ヒューストンを掌であやつる名匠の腕の冴えは見事。ウィリアム・ヒッキーがいい味を出している。しかしニコルソンに未来はないだろうね。

2)マイケル・カーティス監督の「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」
1942年製作の戦意高揚国策映画で、アメリカのもっともおぞましいエゲツナイ部分が見境なしに発露されている。ギャグニーが受けた役を断ったアステアに敬意を表したい。国威発揚の歌『オーヴァー・ゼア』を聴くとヘドが出る。

3)ロン・ハワード監督の「スプラッシュ」
若き日のトム・ハンクスとダリル・ハンナが主演する海洋ロマンチックファンタジー。陸を捨て海に飛びこんで人魚との愛の暮らしを選ぶ青年の稚気愛すべし!

4)ドン・テイラー監督の「五人の軍隊」
なんと丹波哲郎が奇天烈なサムライを演じるマカロニウエスタン。因みに彼にセリフはなかったずら。

5)キーイ・ピュー・シン監督の「マイカントリー マイホーム」
在日ビルマ人のヒロインが両国のはざまで揺れ動くいわゆるひとつの人間青春ドラマずら。


  ネコジャラシの上を舞え舞えアキアカネこれを一期の見納めとして 蝶人
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鈴木エドワード氏の思い出 

2019-09-19 13:15:51 | Weblog



遥かな昔遠い所で 第101回



建築家の鈴木エドワード氏が15日に脳卒中で逝去されたという訃報をきいて、むかし私が駆け出しライーターだった時代に、確か二子玉川の近くにあったご自宅へ、デザイナーの善太郎君と一緒にお邪魔した時のことを思い出した。

氏は、いかにも裕福な暮らしぶりが窺えるモダンリビングの一角に遠慮がちに腰を降ろして、私らの雑誌広告出演依頼に耳を傾けてくれたが、その穏やかな表情の中に、私は彼のどこかスノビッシュな生活習慣と人柄の良さを感じ取って、淡い好感を懐いた。

あのバックミンスター・フラーと丹下健三に師事したという建築家としての毛並みの良さは、必ずしも彼の実際の作品に反映されていないと思うけれど、たまに渋谷に行って宇田川町の奇妙なデザインの交番や、それとは打って変わって格調高い鎌倉市役所通りの高級マンションの権門主義的なエントランスを見るたびに、私は遠い昔のあの午後のことを懐かしく思い出したものだ。

生者必滅、会者定離は浮世の習い、ということか。心から氏のご冥福をお祈りします。


 雨の日の翌日はまた晴れてきて奥様今は「混ぜ髪」ですって 蝶人
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長田典子詩集「ニューヨーク・ディグ・ダグ」を読んで

2019-09-18 15:14:14 | Weblog


照る日曇る日 第1294回


2010年に上梓された「清潔な獣」に続く、待望の最新作が登場しました。

激動の2011年1月から13年1月までの2年間、作者は50代の半ばになってNYで語学留学する!という暴挙&積年の夢を実現します。

人種の坩堝と言われるこの街で、年齢も過去も忘れて、世界中からやって来た若者たちと外国語に真正面から取り組む姿の、なんと若々しく、光輝に満ち満ちていることでしょう。

この本は、そんな勇気ある女性の、文字通り感動的なドキュメントとして、まず読者の胸に飛び込んできます。

異なる文化と文脈に根差す、国籍も人種も様々な人たちとの交流が、日々作者に激烈な刺激を与えるなか、おりしも3月11日に発生した母国の大震災と津波、そして福島原発のメルトダウンが発生します。

そして、その海を越えて伝わってくるファクトが意味するものを、被写体へのズームインとズームアウトという2種の詩法(レンズ)を軽快に駆使して、その世界史的意義と自分史的意味の双方を、あまねく描破し尽くそうとする作者の「半永久的前進主義」と作家根性の見事な発露は、かの福一の水素爆発を凌ぐというても過言ではないでしょう。

作者にとって「第2の人世のエポック」を画する至高の体験となったNY留学。しかし、その全容が姿をあらわすためには、長い時間が必要でした。

作者はそんな独自の貴重な体験を、帰国後さらに6、7年の歳月をかけて生き直し、生き直しつつ言語化するという試行錯誤を通じて、いま我々の間の前にある世界とは何か? そんな世界を我々はどう生きるのか?という昔ながらの大問題について、ある種の啓示というか、あらたな覚悟のようなものを見出すに至ったのではないでしょうか。

そういう意味では、この詩集は、すでに押しも押されぬ実力派の詩人のもう1つの詩集、という以上の現代詩的な意義を、作者自身にも、読者に対してもキラキラ発散しているのではないか、というのが私の感想です。

蛇足ながら、作者を海外へ送り出し、見守り続けた人の懐の深さを立派だと感じ入りました。


  結局は誰も助けてくれまへん台風地震津波に貧乏 蝶人
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家族の肖像~親子の対話その49 

2019-09-17 14:02:53 | Weblog


ある晴れた日に 第580回

はてしないって、なに?
どんどんどんどんどんどん、よ。

チキショウって、いっちゃダメでしょう?
ダメだよ。

お母さん、お気に入りってなに?
すごく気にいっていることよ。

とぐは、お米でしょ?
そうだね。

アザミにトゲあるよね?
あるね。
トゲ、痛いよね。
痛いね。

お母さん、従うって、なに?
いうことを、きくことよ。

お母さん、こんど平成なくなるの?
そうよ、5月から令和になるのよ。
「さよなら平成」、ぼく、いいましたよ。

ぼく「おしん」面白かったよ。
そう。良かったね。
また見ますよ。
見てね。

110番て、なに?
警察の電話番号よ。

お母さん、こんど令和でしょ?
そうよ。
ぼく、令和、好きですお。
そう。
レイワ、レイワ、レイワ。

お父さん、草むしりしないとダメでしょう?
そうだね。草ぼうぼうになっちゃうからね。
草むしり、草むしり。ネ、ネ。

お父さん、家族の英語は?
ファミリーだよ。
カゾク、カゾク、カゾク。

お母さん、しりとりしよ。むさしこすぎ。
ぎ、ぎ、ぎ、ぎぼし。

お父さん、勝手なこといっちゃだめでしょう?
そうだね。

お母さん、ぼくはマツダ先生好きだよ。
お母さんも。

お父さん、ゴロゴロは雷でしょ?
そうだね。
ゴロゴロゴロゴロ。

永遠なれ!って、なに?
いつまでも、よ。

お母さん、蓮は水を張って、でしょ?
そうね、水盤にお水を入れるのよ。

大半て、なに?
ほとんど、のことよ。

フホウは、亡くなったときでしょ?
そうよ。
ナカノ君、亡くなった?
そうよ。
フホウ、フホウ、フホウ。

  電力と水を求める民草にこれでも喰らえと改憲おしつけ 蝶人



家族の肖像~親子の対話その50

ある晴れた日に 第581回

お父さん、気絶するって、なに?
気を失うことだよ。コウ君、気絶したことあるの?
ありませんよ。キゼツ、キゼツ、キゼツ。

笑いごとじゃない、って言われたよ。
誰に?
鎌養の先生に。

ゴキゴキって、なに?
コウ君ゴキゴキすることないの?
ないよ

一晩中って、なに?
夜の間ずううっと。

お母さん、担うって、なに?
それをおんぶすることよ。

お母さん、ぼく明日もセイユーへ行きますよ。
はい、分かりました。

綾瀬は長後からバスでしょ?
そうなの?
そうだお。

ぼく「ブタブタ君のお買いもの」好きですお。
そう。おかあさんも。

マリちゃん「任侠ヘルパー」見た?
見たでしょう。

受け止めるって、なに?
そのまま認めることよ。
蓮佛さん、「受け止めてね」っていったお。
そうだね。

蓮佛さん、なんで「よろしくお願いします」っていったの?
お母さんのことを頼んだのよ。
ぼく、蓮佛さんの声、好きだよ。
お母さんもよ。

お父さん、カミキリュウノスケ、「いだてん」でどういう役をやってるの?
分かりません。お母さんに聞いたら?
お母さん、カミキリュウノスケ、「いだてん」でどういう役をやってるの?
落語家よ。
「いだてん」、「せごどん」の次だよね?
そうよ。

お母さん、やりにくいって、なに?
やるのがむずかしいことよ。

お母さん、事故防止って、なに?
事故が起こらないようにすることよ。

お父さん、「気持ち悪い」の英語は?
I feel sickかな。コウ君、気持ち悪いの?
悪くないお。

「わたし、オカジマ先生ですよ。」
こんにちは、オカジマ先生
ぼく、オカジマ先生すきですお。

お父さん、椅子の英語は?
チエアだよ。

お父さん、少ないの英語は?
リトルとかスモールとかフユウとかかな。

お母さん、いわゆるって、なに?
よくいわれている、よ。

お父さん、カワシマさん、六地蔵に住んでたの?
そうだよ。

毎度、いつも、でしょ?
そうよ。

お母さん、おもしろいって、なに?
そうですねえ、コウ君、おもしろいって、なんですか?
おもしろい、ですよ。
コウ君、人生おもしろいですか?
おもしろいですお。

お父さん、デリケートって、なに?
超微妙なことだよ。

お母さん、ぼく令和好きですお。
そう。お母さんは、昭和が好きでしたよ。
レイワ、レイワ、レイワ。

リョウちゃんがねえ、「コウ君が嫌がってるよ」と言ってくれたお。
そうなんだ。よかったね。

サッチャン、ずうーと笑ってたんですお。
そうなの。

お母さん、アイラブユーって、愛してますのこと?
そうよ。
アイラブユー、アイラブユー、アイラブユー。

症状って、なに?
お腹がいたいとか、体の状態よ。


「若い女性と性交してみませんか」てふお誘いメール毎日来るが諸般の事情でお断りしている 蝶人
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蝶人長月映画劇場 

2019-09-15 12:49:13 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.2039~41


1)D・J・カルーソー監督の「イーグル・アイ」
アリアという名の巨大AIが米帝にのさばって大統領などを暗殺しようとする噺。この時代の大統領はまだそれほどの悪者ではなかったことがよく分かる。

2)フランソワ・トリュフォー監督の「終電車」
さながらナチ占領下の巴里で息をひそめて暮らしている演劇人のような気分浸れるトリュフォーの傑作。ドヌーヴ、ドパルデュー共に素晴らしい。

3)ラオール・ウォルシュ監督の「遠い喇叭」
トロイ・ドナヒューを見事に使いこなす才人ウォルシュのメガフォンの冴えを見よ。
ダイアン・マクベインが圧倒的に奇麗だが、ドナヒューはスザンナ・プレシエットを選ぶのであったあ。


  いつの間にか小泉内閣になったので少しは自民も変わるのでは 蝶人
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