秋の夜長のクラシック談義
音楽千夜一夜 第434回
昔むかし、いわゆるクラシック音楽を好きな人はジャズと同じで人口の2割くらいと聞かされた覚えがあるが、今でもそんなものだろうか。よく分からないが、もしかすると1割位に減ってきているのかもしれません。
1)しかしそういう少数派でありながら、クラシックやジャズの愛好家は、演歌やロックや洋楽全般のそれにくらべて、、人一倍頑固で口煩く、自分の鑑賞眼に絶対の信頼と信仰を懐いて、他者の意見や嗜好に不寛容ならざる手合いも多い。
中にはトランプ大統領のように自分を中心に世界が回っているかのように錯覚して演奏の価値を裁断し、あまつさえ他人に強制する連中もいるので要注意です(私のことかも!)な。
2)古典音楽の再現芸術の楽しみは、そもそも超個人的な性質のものであり、人さまざまであるからして、あまり人前でどういう指揮者のどういう演奏が最高とか、人気アンケートを取ったり、好きな者同士で党派を組んだり敵対したりするのは良くないとちおうは思います。
私がクラシックの音楽を聴くのは、ほとんど「耳寂しさからの惰性ゆえ」ですが、突如それらの演奏のほんの一節が、「一瞬とそれに続くしばらくの間」(by大江健三郎)なぜか私を感動させるからで、それ以外の理由は思い当たらないのです。
2)それでいい音楽を聴くためにはコンサートに行けばいいのですが、若いころからいろんなコンサートに出向いた経験からいうと、私を感動させてくれる音楽会はだいたい200回に1回くらいのもので、極めて確率が低い。
ものすごいお金と時間がかかるうえに、ブラボー絶叫野郎とかスマホ呼び出し女とかいろんな雑音や匂いを発散して、集中を妨げることおびただしい。
そんな次第でいつのまのか田舎の陋屋に閉じこもってCDやビデオ録画を楽しむようになりました。
3)人間も生き方も超保守派の私は、新しいものより古い演奏家や録音が好みです。
この節は「ハンス・クナッパーツブッシュ・コレクターズ・エディション」という203枚組のCDを買うてきて、1枚1枚舐めるように聴いておりますが、昨夜のN響のマーラー5番なんかより聴きごたえがあり、稀に感動もある。
いまヨーゼフ・シュトラウス2世のワルツやポルカを聴いていますが、何を言いたいかが明瞭である。昨夜はそれがなかったずら。
4)あんまりクナッパーツブッシュ漬けでも困るので、ハーマン・アーベントロートという人が東独時代のライプチヒ放送交響楽団ゲヴァントハウスを振ったベートーヴェンの交響曲全集(メモリーズ5枚組)を聞きましたら、これが普通の指揮者の普通のベートーヴェンと全然違うので驚いた。どこがどう違うかを確かめるために、もういちどきいてみるつもりです。
5)映像で見逃せないのは、なんというても「ベルリンフィルのデジタル・コンサート」。やはりいま現代最高のオケは、キリル・ペトレンコをシェフに据えたこの楽団だと思います。
しかしこのオケには、コンマスの樫本大進選手をはじめビオラの清水嬢など数名の日本人演奏家を迎えているのに、なんで2011年以降、日本人の指揮者がさっぱり登壇しないのだろう。佐渡選手並みの中堅指揮者ならこの国にも掃いて捨てるほどいるのになあと、嘆息せざるを得ません。
そんなことより、また新しい台風がやってくるそうなので戦々恐々。またクナ選手のシューベルトの「軍隊行進曲」でもきいて元気をつけるとしませう。
外国人と日本人が半々の日本チームが外国に勝つ 蝶人